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あなたと肉じゃがを②

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 編集さんはサラリと「後日企画書をお送りしますね」とニッコリ笑って立ち去ったが、俺は青天の霹靂……いや、棚からぼた餅的な事実を飲み込みきれなくて、呆然と彼が会議室から出て行くのを見送ったわけだが。
 いつまでも会議室にいるのもどうかと、のろのろとテーブルに広がる紙片やノートを片付けて、仕事用のバッグにしまい込む。
 バッグの底には、涼さんが持たせてくれたお昼のお弁当が入ったランチバッグ。保冷剤代わりの凍らせたペットボトルのお茶は飲んで捨ててしまったため軽いはずなのに、涼さんの溢れんばかりの想いがランチバッグから飛び出してきそうだ。

「涼さんにはやく会いたいな……」

 思わず静かな部屋に広がった己の願望。
 じわじわと脳の処理が進むたび腹の底から叫びたいよく分からない感情が溢れだし、これは一刻も涼さんに知らせなければと、猛ダッシュで自宅に戻ることにした。

 途中、周防さんと枳殻さんに目ざとく見つけられ、そのまま社長室に引っ張られそうになったのを、猛ダッシュして逃げ切った俺、偉い!

 いつもより早い時間に乗る電車は、ソーシャルディスタンスが叫ばれてるせいか、思ったよりもガランとしている。そういや、最近また自粛の要請が出るとか言ってたっけ。
 立場が秘書代理なので、社長である博貴さんが出社するっていえば、俺もそれに従わなくてはいけないんだけど……
 ただなぁ、あの人在宅勤務になるって国から言われる前に、喜々として自分から言いそうで嫌なんだよなぁ。仕事、結構溜まってるし。
 最悪、そうなったらある程度は受け入れて、俺も自宅で仕事するしかないか。文さんと赤ちゃんに感染させるわけにもいかないからな。

 最寄駅から慣れた道を早足で進む。途中、奮発してフランスのロゼワインとチーズとそれに合わせた蜂蜜を買い、家まであと数メートルという所で、店先で掃除をしている涼さんの姿を見つけた。
 「涼さん!」と大きな声で呼べば、すぐにふわりと優しい笑顔で「お帰り」と迎えてくれる。毎日の事なのに、まだ涼さんと結婚して一ヶ月も経っていない新婚夫夫な俺は、面映ゆい気持ちで顔が赤くなる。

「早く帰るとは聞いてたけど。言ってくれたら駅まで迎えに行ったのに」
「本当はもう少し早くなる予定だったんだよ。思いもよらぬニュースでフリーズして動けなかったせいで、もう少しで社長室に引きずり込まれる所だった……」
「ああ……あの役立たず補佐たちですね。文に文句言っておくので」
「やめたげて! あのふたりあの会社クビになったら、廃人かダンボールの住人になっちゃうから!」

 エプロンのポケットに手を突っ込みかける涼さんの手を握って訴える。
 いや、ほんと、周防さんも枳殻さんもマジでダンボールの住人にGOな家庭の子じゃないのは分かってるけど、あれだけ仕事ができないと社会人として生きていけない気がするんだよな。
 このご時世、仕事がなくて大変だって聞くし。
 しかも憎めない性格だから、邪険にもできないし……

「あ、そういえば、前に会った担当さん憶えてる?」
「ええ、物腰の柔らかそうな方でしたよね」
「多分、その人。今日初めて知ったんだけど、あの人博貴さんたちと同じ大学の同級生だったんだって。海外でスキップ制度使って進学したらしい」

 あのほんわかした人がねぇ、と驚きに目を見開き、何度もパチパチと瞬かせる涼さんは、さらっと毒というか悪態をつく。本人は自覚してないみたいだから、どうしたもんかと頭が痛い。

「そういえば、涼さんって、前に担当さんに会った時、なんの反応もされなかったけどなんで?」
「あぁ……オレは後継者じゃないし、基本的にパーティー要因でたまに出席してただけなので。出てもお偉方に囲まれてたから、オレが何者か分からなかったのでは?」

 そうかなぁ。あの人、そういうところ目ざとい人だと思うんだけど。

「それで、担当さんからびっくりする話をされたんだけど……」
「ああ、それでワインなんですね」

 一体、何を言われたんですか、と微笑む涼さんに、ご飯食べながら話すと言って、ワインを冷やしてもらうよう袋ごと手渡した。
 先にお風呂に入って頭を整理したい。


「アニメ化!?」
「……驚くよな。俺でも驚いて頭真っ白になったもん」

 ホカホカと湯気を立ち上らせる肉じゃが越しに、さっきよりも仰天している涼さんを見る。

「と、いっても企画段階で、色々話が動くのはこれからなんだけど。……あ、まだこれ内緒な? 正式に発表まではもうちょっと時間かかるって言ってたから」
「大丈夫ですよ、健一さん。守秘義務は耳にタコができるくらい聞かされてますから。それに、オレの本業も守秘義務って大事なので、そのあたりは心配しなくても大丈夫ですからね」
「ん。まあ、涼さん信用してるし、……あの、その……俺の……伴侶だし……」

 あぁっ! 結婚してまだ一ヶ月だから、こういうの照れくさくてサラッと言えないぃっ!

 一ヶ月ほど前、俺と涼さんは正式に籍を入れた。といっても、俺が涼さんのお父さんの養子になって「木戸健一」になったんだけど。現実問題、俺は涼さんの義兄という間柄ではあるが。ちなみに文さんは博貴さんのお嫁さんになっているので、俺が長男という形になる……らしい。
 そのあたりはよく分かっていない。
 ただ、会社では高任の姓で仕事をしている。一応周囲の人には木戸姓になったことも伝えたりしているんだけども、臨時秘書ってことで納得してもらっている。おかげで変な声は届いてない。
 そもそも木戸って名前の時点で、下手に手出しするアホはいない。

 涼さんとしてはプロポーズして俺が受け入れたらすぐにでも手続きしたかったらしい。
 しかし、俺が断固として断った。
 なぜなら俺の家――高任家は子供が俺ひとりしかいない。つまりは跡継ぎがいなくなるわけで。
 俺の一存で両親から俺という子供を奪うのはどうか、と涼さんを説得に説得を重ねた末、俺の家と涼さんの家にご挨拶に向かうことにしたのだ。
 あの時は……まあ、色々あったね。
 直前に他県に行くのを控えてください、とか政府に言われて身動き取れなかったり、涼さんのご両親は離婚して、それぞれに別の家庭を持っているって聞いてたから、バッティングしないように予定を組んだのに、まさかの飛行機の遅れで合同で顔合わせする羽目になったり……
 更には涼さんのおじいさんとおばあさんが、なんていうか凄かったり……
 思わず思い出しでも目線が遠くなるのは致し方あるまい。

 あれやこれやあったけども、こうしてパートナーとして認められたから、オールオッケーだろう。

「ふふっ、健一さんまだ照れてるの? かわいい」

 真っ赤になって俯く俺の頬を、涼さんが指の背で下から撫でていく。産毛を逆立てるように触れる手つきが、妙に性的な匂いを含んでいるようで。

「エロい触り方禁止! 俺、今日の晩ご飯が肉じゃがって聞いてたから急いで帰ってきたのに」

 サッと涼さんの手を払い、自分の箸をしっかり握って訴えた。涼さんは「はいはい」と余裕のある笑みを浮かべて、椅子を座り直す。それから、お互い手を合わせて「いただきます」と唱和した。
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