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お花見弁当とプロポーズ③

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「ねぇ、健一さん。ちゃんと言葉にして?」

 涼さんが俺の頬を指先で撫でながら、甘い音色で問いかける。触れた箇所が少しだけ熱いのは、涼さんだけの体温のせいではないだろう。
 もう何度も触れ合っているのに、涼さんの体温に戸惑うことがある。気持ちいいのに、心地良いのに、心のどこかでは諦めにも似た感情が深く根付いている。
 この体に染みる熱が永遠ではないかもしれない……と。
 きっと言葉にしたら、涼さんはめちゃくちゃ怒るだろうなとは思う。だって、涼さんの気持ちを常に疑ってるって言ってるようなものだし。

 だけど、疑心は日に日に増していくばかりだ。

 どうして涼さんが店をたたむと嘘をついてまで、俺の家で食事を作る契約をしたのだとか。
 どうしてお店を再開したのを俺に隠してたのだとか。
 どうして他の仕事の話をしてくれないのだとか。
 どうして……どうして……どうして……
 俺の涼さんが好きだという気持ちがすり減って、涼さんを疑う気持ちばかりが肥大していく。
 本当にこのまま涼さんを好きでい続けてもいいのだろうか……

 積もった疑問の澱はドロドロに腐っていって、俺の心を汚く覆いつくす。
 好きでいたいのに。
 離れたくないのに。
 だからこそ必死でこの感情を押し隠しているのに、涼さんは自分に晒してくれと言う。
 それなら涼さんも俺に隠してる全てを見せてほしいと言葉にしたいのに、過去に傷つけられた心がその言葉を封じる。
 思っていたよりも、緑川との別離が俺の心に深く傷を残しているらしい。
 本人とは和解してるし、彼の恋を認め応援しているにも拘わらず。大人になりきれなかった大学生の俺の初めての恋愛は、いまだにじわじわと血がにじみ出ているようだ。
 トロトロと染み出た血は癒されることなく腐っていき、いつしか本音を口にする術を失っていた。だから、こんな風に問いただされると、どうしたらいいのか分からず戸惑うばかりだ。

 言いたい。胸にため込むには痛すぎて苦しくてつらい。
 でも、言ってしまったら関係が大きく変わってしまうのではないかと不安になってしまう。

 どうしたらいい。どうすれば、互いが納得できる形で話ができる?

「健一さん……」
「……っ、ん」

 再び唇をふさがれて、喘ぐように息をする俺の耳に波が岩を削る音がおぼろげに聞こえる。ここが外だと十分に頭では理解しているのに、与えられる唇のぬくもりや涼さんの匂いに常識の境界線が曖昧になっていく。
 スルリと唇を割って入ってくる涼さんの舌の甘さ。切なくなるような音色を含んで、俺の名を呼ぶかすれた声。ぐっと押し付けられて触れ合う体温の熱さ。どれもが愛おしく、このまま何も言わずにうやむやにできたら……と願う。
 でも、それは涼さんが望んだ答えではないだろう。
 彼は不安定になってしまった俺の心の内を知りたがっている。
 それは自分のせいだと、頭のいい彼ならば気づいているはずだ。
 だからこそ、口づけの合間でも「言って?」と催促するのだ。

「りょ……さ、俺の、こ、と。きらいに……なら、ない?」

 言ってもいいのだろうか。
 彼は俺の汚い部分を受け入れてくれるのだろうか。

 もし。もしも、涼さんが拒絶したら、俺は二度と立ち直れずに、ただ呼吸するだけの屍になって、一人さみしく生きていくことになるだろう。そうなる予感を抱きながらも、胸の内にある彼に対する疑心を言葉にしてもいいのだろうか。

「誰が……誰を嫌いに、なるって?」
「んっ、ふ、あ、あ、りょ……さ、が」

 ザラリと上顎の裏側を舌で愛撫され、背筋にぞわぞわと快感が走っていく。もう何度も涼さんに愛された体は、どうすれば俺の官能を引き出せるか彼は知っている。
 ここが外だというのに、足の中心に熱が集まるのを感じ、思わず閉じた膝をすり合わせた。

「頑固でまっすぐで、悩みを溜め込んじゃう健一さん。オレはあなたが好きです。愛しています。あなたが思う以上に。ですから、オレからあなたを嫌いになる事は絶対ないって約束しますよ」
「ホン……ト? ほんとに涼さん、俺を嫌いにならない?」
「もちろんですよ。オレが初めて本気で好きになった人を、簡単に嫌いになる訳ないでしょ?」

 初めて本気で好きになった人。……俺が? 本当に?

「本当ですよ。でなきゃ、偽装してまであなたのご飯を作りに行ったりしてません」

 偽装って……やっぱり、目的があって、お店をたたんだって嘘を言っていたのか。

「ああ、ほら泣かないでください。健一さんが泣くと、オレも胸が苦しくなります」
「だって……涼さんが偽装って言った」
「ホント、泣いてる時の健一さんってずいぶん幼くなって、罪悪感が半端ないです」
「意味わからん……」

 でも……そうなると新たな疑問が浮かぶ。俺が涼さんに接触した時には、彼は俺を少なからず認識していたということだ。作家の「トータカ」ではなく、リアルな俺を。

「りょーさん、いつから俺を、知ってたの?」

 少し長くなりますので、と前置きして、俺を涼さんの膝の上にのせて、彼はゆっくりと口を開いた。


 涼さんが初めて俺を知ったのは、三年前のK出版での新年パーティーの会場だったそうだ。人生初のパーティなるものに参加したので、記憶にはっきりと残っている。
 確かあの時は書籍化作家が何人か招待されてて、今SNSで相互になってるフォロワーはその時にアカウントを交換しあった人たちだった。
 デビューしたての書籍化作家なんて、素人丸出しもいいところで、著名な作家さんや漫画家さん、イラストレーターさんが綺麗に着飾ってるのを、俺たちは会場の片隅で口をポカンと空けて眺めるくらいしかできなかった。自分を売り込む? いやいや、それどころじゃない。異世界すぎてみてるだけで精一杯だった。

「涼さん、あの場所にいたんだ」
「ええ。K出版の身内なので、なし崩しに参加させられて、周囲をずっとお偉いさんに囲まれてましたけども」

 よほど当時の環境に不満があったのか、涼さんは少しだけ不貞腐れた顔でそう話す。こういう時には、彼が年下だというのを思い出してしまうけど、あえて口には出さない。結果が分かってる地雷は踏まないようにするのが一番だ。

「じゃあ、どうして俺の事を知ったんだ?」

 彼が思いだし不機嫌になるほど、楽しくない環境にいた涼さんが、どうしたら俺と接点を持ったのか謎だったのだ。
 だから素直に疑問を言葉にしたつもりなのだが、何故か涼さんはすいと目を逸らし「あー」だの「うー」だの、どうにも言いたくなさげな雰囲気を醸し出している。一体なんなんだ。

「……健一さん。これから話す内容聞いて笑わないって誓えます?」
「まあ、笑うつもりはないけど、そんなに話したくない内容なら、別に喋らなくてもいいけど……」
「いや。今日はある事を決めてきたんです。そのためにも、これまで言わなかった事を全部話しておこうかと」

 いやはや、言ってる事はめちゃくちゃイケメンなんだけど、目が泳いでるせいで減点対象である。
 そこまでして言いたくない内容な出来事って、あの日起こったっけ? と、俺は首をかしげながらも、涼さんが話すのを黙って耳を傾けることにした。
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