【本編完結】年下料理男子と社畜ラノベ作家の恋ごはん

藍沢真啓/庚あき

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腐女子とバノフィーパイ⑥

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 涼さんの従兄弟だという男性──彼からは「気軽に博貴って呼んでください」とハートマークつきで言われたが、初対面で呼び捨てできるほど心臓に毛が生えてない──の案内で、広大な屋敷の中を涼さんと並んで歩く。

「う……わぁ……」

 時間経過でうっすらと灰色が乗った生成りの壁と、白いペンキが何度も塗り重ねられた腰板。ワックス油が染み込んでねっとりとした焦げ茶に鈍く光る床板。窓のガラスは、ところどころレンズのように外の景色を歪ませてるのを見るに、これも当時のガラスなのだろう。

「この建物は明治二十年に、早くして亡くなった愛息子を偲んで、オランダ人牧師が作らせた物なんです。その後こちらにある某学園の学舎として使用されていたんですが、今回のプロジェクトを機に交渉して移築が叶ったわけです」

 スラスラと流れるように説明をする青年の言葉が、右から左へと流れて入ってこない。俺の頭は、長い時間を経て積み重ねられた歴史が滲む空間に心奪われていたから。

「……おや、僕の声が届いてないみたいですね」
「だから黙っていろと、何度言えば……」
「新入生が先輩に楯突くなんて……涼ちゃんは悪い子ですね」

 建物に魅了されていた俺の後ろでは、犬と猿がああだこうだやり合ってたけど、俺の耳には全く入っていなかった。

 俺の実家がある県にも、こういった西洋建築が割と多く残されていて、有名なところでは市役所や県庁。和洋折衷の古いながらも存在感がある建物が好きで、時々用事のついでに訪ねてはホクホクしていたのを思い出す。
 他にも、こういった洋館などを集めたテーマパークがあり、旧帝国ホテルの正門が移築されていたりと有名だった。ただ、あそこは車がないと結構不便な場所にあって、年に一回くらいしか行けなかったけども。
 そういや、一度だけ緑川と大学時代に行ったことあったけど、古いの好きじゃないヤツはひたすらに飯を食ってる姿しか記憶に残ってなかった。多分、ほとんどひとりで回ってたかもしれない。
 そういった点では、涼さんが凄く気が合う。俺、こういった古いもの好きだって言ってないのに、わざわざ予約までしてくれたんだから。

 現代建築ではあまり見ることのない、遊びを取り入れた装飾のすみずみまで観察し、喜色満面の俺は一階の端にある部屋へと通される。
 広く取られた部屋に入ると、またも感嘆の声を上げそうになるも、中にマスクをした白い制服を着たふたりの青年たちがいたため必死で声を飲み込む。
 よく見ると、彼らのネクタイは深緑だ。案内してくれた青年と学年が違うのだろう。……ってことは、二年生でいいのか?

「では、あとは同室の二年の彼らにお任せします。どうぞごゆっくりお時間を過ごしてくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「……」

 慌てて返事をすると、案内役の青年が困ったように笑う。ふと隣を見れば、涼さんがむっすりと黙り込んでいて、不機嫌が全身からにじみ出ていた。

「涼さん? どうかした?」
「え?」

 はっ、と全身をまとう空気が変わった涼さんが、目をパチパチさせながらそう応えてくる。
 「え?」って聞きたいのはこちらの方なんだけど……まあ、いいか。

「ううん。それよりも、ふたりがどう対応したらいいのか分からなくて、困ってるみたいだけど……」

 視線をオロオロしてる在校生たちに向けると、彼らは明らかにホッとした顔のあと笑顔を取り繕う。

「よ、ようこそローズ・カレッジへ。新入生である君たちを歓迎するよ」
「さあさあ、ふたりともこちらへ。ささやかながらお茶会の用意をしたんだ」

 顔も声も引きつらせて席に誘導しようとする仕事熱心な彼らに、俺たちも「ありがとうございます」と言い、彼らのエスコートでセッティングされたテーブルへと着いた。
 当然ながらここでもアルコール除菌ジェルや、話す時はマスク着用で等の滞在中の基本的な注意を受け、やっとのことメニューを手渡される。

「決まったら教えてくれるかな。学園専属のフットマンに持ってきてもらうようにするから」

 テーブルを挟んでソファに優雅に腰かけるふたり──今話したのが「周防すおう」さんで、もうひとりが「枳殻からたち」さんというらしい──は、穏やかにそう言って、軽くベルを掲げてみせた。結構凝ってるんだなぁ。
 俺と涼さんはメニューを見つつしばらく思案したあと。

「俺は……ローストビーフとヨークシャープティングのセットと、スティッキートッフィープティング。で、アッサムのミルクティ」
「オレは鮭のフィッシュパイと、ハムのマフィンに、バノフィーパイ。ダージリンで」

 メニューに視線を落としたまま、つらつらとふたりで注文するものを口にすると、周防さんがベルとチリンと鳴らす。ほどなくして姿を見せた、黒スーツに蝶ネクタイ姿の青年へと、俺たちが注文したメニュー名を淀みなく言っていた。あんな呪文のような名前をスラスラ言えるとか凄いな。

「健一さん。スティッキートッフィープティングって、結構激甘ですけど」
「でもイギリスのお菓子ってどれも甘いって聞いたことあるから、紅茶は砂糖入れずに飲むことにしようかなって」
「あぁ、だからアッサムなんですね」
「コーヒーだと雰囲気に合わないだろ?」

 そうですね、と苦笑する涼さんと微笑み合っていると、離れた場所からコホンと咳をする音に気づいた。あ、そうだ。居心地よすぎて忘れてたけど、ここ家じゃないんだった。

「……なにか?」
「い、いえ。一応、会話と楽しむのもここの醍醐味のひとつなので、あまり無視されると寂しいな……と」
「だったら、隣の人と話せばいいのでは?」
「それはちょっと……」
「ですね……」

 カッと顔を赤くした俺を、涼さんは愛おしいと言わんばかりに見て、そっと俺の肩を引き寄せる。頭上で舌打ちする音が聞こえたのは気のせいだ。

「……守秘義務ってご存じですよね?」
「もちろん!」
「当然です!」
「では、今見たのも忘れてくださいね?」
「「はい!」」

 すうっと目を細めて艶然と微笑むその目は、全く笑ってはおらず、正面に座る周防さんと枳殻さんは顔を青ざめながらもコクコクと頷いていた。
 ……店の人を脅してどうする。
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