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番外編:ちらし寿司と甘いキス①
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梅の花が満開になり、甘やかな花の香りがそこここで楽しめるようになった三月三日。
春の嵐が木戸家に現れた。
「涼! ちらし寿司作って!!」
「姉さん!?」
俺が会社の同僚と引き継ぎの通話を終えて、使ったカップを手に階段を降りてると、何かの塊が猛然としたスピードで玄関からリビングダイニングへと入っていくのが見えた。で、中からそんな悲鳴のような涼さんの声をぼんやりと聞いていた。
一体全体何事だ。
「と、いう訳で、ちらし寿司作ってよ、涼」
「と、いう訳、の意味が分かりませんし、理解できません、姉さん」
「そこは空気で感じ取りなさいよ、空気で。ね、高任さん?」
「へっ!?」
それこそ涼さんの隣で空気と化してた俺に振るのをやめてほしい。
栗色の髪をふんわり巻いて、ベージュの綺麗な網目模様が入ったセーターに焦げ茶のサテン地のプリーツスカートがエレガントであるし、彼女の容姿によく似合う。
ちなみに、俺が女性の服装に詳しくなったのは、小説を書くのに必要だったからだ。カットソーとかチュニックとかも知ってるぞ。
で、そんな彼女──白井戸文さんは、涼さんの実のお姉さん。俺と同じ歳で、俺も取引したことがある大手会社で秘書をしている。
文さんとは以前、涼さんの彼女と勘違いしたり、抱えきれない程の荷物を持ってよたついてる所を助けたりと、妙にご縁があったりもする。
彼女の件は涼さん経由で聞いたらしい文さんは、腹を抱えて大爆笑していたそうだが。
まあ、見た目に反して結構豪胆な女性である。
「いやぁ、そもそも話が見えてないので、俺もなんと言っていいのか……」
「あら? 私言ってなかったかしら?」
「言ってませんよ。突然突入して『ちらし寿司作って!』って言っただけですから」
呆れたようにため息をつく涼さんに、そうだったかしら、と首を傾げる文さん。一途と言えば聞こえがいいけど、この姉弟、割と周りを見えてない所がそっくりだ。
後が怖いから言葉にはしないけども。
「まあ、それはそうと。涼、ちらし寿司作って頂戴?」
「それ、なんにも変わってませんよ」
「もうっ、今日はひな祭りなんだから、察しなさいよ。ホント、興味がないと疎いんだから」
「なるほど。そんなにもオレを怒らせたいんですね、姉さん。オレ、前に健一さんが誤解した件も許してないのですが?」
にっこり。それは若い女性が見たら、一発で魅了される笑みを浮かべる涼さんに、俺は隣で唇を引きつらせる。まだあの件を引きずってるのか。結構、涼さんって根に持つタイプ?
「私謝ったわよ、高任さんには。ね?」
「え、ええ。まあ……」
実際、文さんは俺に謝罪はしたのだ。あれを謝罪というならば。
あれは、俺が涼さんと結ばれて数日した頃だったか。前のマンションの荷物を運び入れて、整頓に大忙しだった時に、文さんが姿を見せたのだ。
偶然なのか、はたまた狙ってたのか、涼さんは買い物で不在。勝手知ったる弟の家に上がった彼女とエンカウントしてしまった。
まさか俺が居るとは思ってなかったのだろう。彼女は長い睫毛を音を立てながら瞬きして「ああ、もう囲っちゃったのね、あの子」と納得したように頷き、俺は「囲う」意味も分からずに硬直したままそれを見ているだけだった。
あれが謝罪と言えるべきか疑わしい部分が殆どだが、本人もああ言ってるし、俺自体もことを荒げたくない。
「まあ、健一さんに謝ればいいですけど……それで、ちらし寿司でしたっけ? 自分で作ればいいじゃないですか」
主婦でしょ? とその目に侮蔑の色を乗せて尋ねる涼さん。この人、一緒に暮らすようになって気づいたけど、俺と俺以外の対応に差がありすぎる。
特に文さんには顕著だ。こう、涼さんの周囲から氷のつぶて混じりの風が吹いてる気がしてならない。
「だってぇ、うちの旦那、涼の作るご飯が好きって言うんだもん。それに、明日から私も同行して二週間、海外出張入ってるから買い物もできない……」
唇を尖らせて訴える文さんに、それは大変だと会社員な俺は同情する。
特に長期の出張前に買い物なんてできない。特に生鮮食品とか、帰ってきた時に腐敗してたら目も当てられない。
まだ入社したての頃に、ほうれん草をデロデロにさせたことがある。あれは正直触るのもキツかった。ビニール越しに伝わる感触とか金を無駄にしてしまったという罪悪感で、半泣きになりながら処分したものだ。
それ以降は俺も出張とかある前日に、冷蔵庫の中身空っぽにしてから、行くようになったもんなぁ。
「涼さん、文さんにちらし寿司作ってあげたら?」
思わず文さんに賛同する言葉がこぼれ落ちていたのだった。後がどうなるか知らずに。
「えっと、こう?」
「はい。オレがいいって言うまで、団扇で煽ってくださいね」
「結構、酢飯作りって体力勝負なんだな」
「でも、ご飯に艶が出るので、この工程抜くのはちょっと……」
現在キッチンで涼さんと並んで酢飯作り中。
IHヒーターではコトコトとちらし寿司に入れる具材を煮込んでいる。醤油とみりんのいい匂いが漂って、お腹が鳴りそう。
ちなみに、文さんは駅前にあるケーキ屋さんにお出かけしている。なんでもひな祭り用の限定スイーツが出ているそうだ。
「あ、そういえば、文さんに何か頼んでたよね」
文さんが家を出る間際、涼さんが玄関口で文さんと何かやり取りをしていたのを思い出し、疑問を口にする。
「ちょっとお使いをお願いしました。たまには役立ってくれないと、ただのワガママ姉になってしまうので」
にこりとしゃもじを持って笑みを浮かべる涼さんは、背後から黒い何かが出ているのに気づいているのだろうか。いや、見なかった。俺は何も見ていない!
酢飯がツヤツヤになる頃、具材も丁度汁気をなくしたので、味を含めるのと冷ます意味でしばし休憩。今日はちょっと冷えるから、熱いほうじ茶が美味しい。
「酢飯って沢山作らないと美味しくないので、必然的にうちも晩ご飯がちらし寿司になりますけど、それで大丈夫ですか?」
「んー? 俺は全然構わないけど。ちらし寿司好きだし。涼さんお手製だから、尚更楽しみ」
「っ! 健一さんて、たまに素でオレを殺しにかかってきますよね」
物騒な事を言われて、顔をあげた途端、いつの間にか距離を詰められた涼さんに唇を塞がれていた。
「んっ……はっ、ちょ、待ってっ、文さ、んが……んんっ」
「大丈夫です。しばらく戻ってくるなって言ってありますから」
いつの間に! という言葉は涼さんの口の奥へと消えていった。
春の嵐が木戸家に現れた。
「涼! ちらし寿司作って!!」
「姉さん!?」
俺が会社の同僚と引き継ぎの通話を終えて、使ったカップを手に階段を降りてると、何かの塊が猛然としたスピードで玄関からリビングダイニングへと入っていくのが見えた。で、中からそんな悲鳴のような涼さんの声をぼんやりと聞いていた。
一体全体何事だ。
「と、いう訳で、ちらし寿司作ってよ、涼」
「と、いう訳、の意味が分かりませんし、理解できません、姉さん」
「そこは空気で感じ取りなさいよ、空気で。ね、高任さん?」
「へっ!?」
それこそ涼さんの隣で空気と化してた俺に振るのをやめてほしい。
栗色の髪をふんわり巻いて、ベージュの綺麗な網目模様が入ったセーターに焦げ茶のサテン地のプリーツスカートがエレガントであるし、彼女の容姿によく似合う。
ちなみに、俺が女性の服装に詳しくなったのは、小説を書くのに必要だったからだ。カットソーとかチュニックとかも知ってるぞ。
で、そんな彼女──白井戸文さんは、涼さんの実のお姉さん。俺と同じ歳で、俺も取引したことがある大手会社で秘書をしている。
文さんとは以前、涼さんの彼女と勘違いしたり、抱えきれない程の荷物を持ってよたついてる所を助けたりと、妙にご縁があったりもする。
彼女の件は涼さん経由で聞いたらしい文さんは、腹を抱えて大爆笑していたそうだが。
まあ、見た目に反して結構豪胆な女性である。
「いやぁ、そもそも話が見えてないので、俺もなんと言っていいのか……」
「あら? 私言ってなかったかしら?」
「言ってませんよ。突然突入して『ちらし寿司作って!』って言っただけですから」
呆れたようにため息をつく涼さんに、そうだったかしら、と首を傾げる文さん。一途と言えば聞こえがいいけど、この姉弟、割と周りを見えてない所がそっくりだ。
後が怖いから言葉にはしないけども。
「まあ、それはそうと。涼、ちらし寿司作って頂戴?」
「それ、なんにも変わってませんよ」
「もうっ、今日はひな祭りなんだから、察しなさいよ。ホント、興味がないと疎いんだから」
「なるほど。そんなにもオレを怒らせたいんですね、姉さん。オレ、前に健一さんが誤解した件も許してないのですが?」
にっこり。それは若い女性が見たら、一発で魅了される笑みを浮かべる涼さんに、俺は隣で唇を引きつらせる。まだあの件を引きずってるのか。結構、涼さんって根に持つタイプ?
「私謝ったわよ、高任さんには。ね?」
「え、ええ。まあ……」
実際、文さんは俺に謝罪はしたのだ。あれを謝罪というならば。
あれは、俺が涼さんと結ばれて数日した頃だったか。前のマンションの荷物を運び入れて、整頓に大忙しだった時に、文さんが姿を見せたのだ。
偶然なのか、はたまた狙ってたのか、涼さんは買い物で不在。勝手知ったる弟の家に上がった彼女とエンカウントしてしまった。
まさか俺が居るとは思ってなかったのだろう。彼女は長い睫毛を音を立てながら瞬きして「ああ、もう囲っちゃったのね、あの子」と納得したように頷き、俺は「囲う」意味も分からずに硬直したままそれを見ているだけだった。
あれが謝罪と言えるべきか疑わしい部分が殆どだが、本人もああ言ってるし、俺自体もことを荒げたくない。
「まあ、健一さんに謝ればいいですけど……それで、ちらし寿司でしたっけ? 自分で作ればいいじゃないですか」
主婦でしょ? とその目に侮蔑の色を乗せて尋ねる涼さん。この人、一緒に暮らすようになって気づいたけど、俺と俺以外の対応に差がありすぎる。
特に文さんには顕著だ。こう、涼さんの周囲から氷のつぶて混じりの風が吹いてる気がしてならない。
「だってぇ、うちの旦那、涼の作るご飯が好きって言うんだもん。それに、明日から私も同行して二週間、海外出張入ってるから買い物もできない……」
唇を尖らせて訴える文さんに、それは大変だと会社員な俺は同情する。
特に長期の出張前に買い物なんてできない。特に生鮮食品とか、帰ってきた時に腐敗してたら目も当てられない。
まだ入社したての頃に、ほうれん草をデロデロにさせたことがある。あれは正直触るのもキツかった。ビニール越しに伝わる感触とか金を無駄にしてしまったという罪悪感で、半泣きになりながら処分したものだ。
それ以降は俺も出張とかある前日に、冷蔵庫の中身空っぽにしてから、行くようになったもんなぁ。
「涼さん、文さんにちらし寿司作ってあげたら?」
思わず文さんに賛同する言葉がこぼれ落ちていたのだった。後がどうなるか知らずに。
「えっと、こう?」
「はい。オレがいいって言うまで、団扇で煽ってくださいね」
「結構、酢飯作りって体力勝負なんだな」
「でも、ご飯に艶が出るので、この工程抜くのはちょっと……」
現在キッチンで涼さんと並んで酢飯作り中。
IHヒーターではコトコトとちらし寿司に入れる具材を煮込んでいる。醤油とみりんのいい匂いが漂って、お腹が鳴りそう。
ちなみに、文さんは駅前にあるケーキ屋さんにお出かけしている。なんでもひな祭り用の限定スイーツが出ているそうだ。
「あ、そういえば、文さんに何か頼んでたよね」
文さんが家を出る間際、涼さんが玄関口で文さんと何かやり取りをしていたのを思い出し、疑問を口にする。
「ちょっとお使いをお願いしました。たまには役立ってくれないと、ただのワガママ姉になってしまうので」
にこりとしゃもじを持って笑みを浮かべる涼さんは、背後から黒い何かが出ているのに気づいているのだろうか。いや、見なかった。俺は何も見ていない!
酢飯がツヤツヤになる頃、具材も丁度汁気をなくしたので、味を含めるのと冷ます意味でしばし休憩。今日はちょっと冷えるから、熱いほうじ茶が美味しい。
「酢飯って沢山作らないと美味しくないので、必然的にうちも晩ご飯がちらし寿司になりますけど、それで大丈夫ですか?」
「んー? 俺は全然構わないけど。ちらし寿司好きだし。涼さんお手製だから、尚更楽しみ」
「っ! 健一さんて、たまに素でオレを殺しにかかってきますよね」
物騒な事を言われて、顔をあげた途端、いつの間にか距離を詰められた涼さんに唇を塞がれていた。
「んっ……はっ、ちょ、待ってっ、文さ、んが……んんっ」
「大丈夫です。しばらく戻ってくるなって言ってありますから」
いつの間に! という言葉は涼さんの口の奥へと消えていった。
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