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あなたと小倉トースト③
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同期同僚を筆頭に、有給消化直前まで一緒に昼食を取っていたメンバーに連れられたのは。
「え……ここ」
焦げ茶の看板にオレンジの文字。外観はレンガと漆喰の壁、屋根は緑で、赤い日よけ。カントリー調の建物を見上げ、思わず口を開いたまま立ち尽くす。
「さあさあ入りましょ、高任さん。オープンしたてでお昼混むんですよ~」
呆然としている俺の背中を「はよ歩け」と押してくるのは、同期同僚が気になってるという事務の子。噂ではライトノベルやBL小説やマンガが好きで、その姿を某聖地で見かけると言われている。それを隠してないというのだから、胆力のある子だと思う。
四人でゾロゾロ店内に入ると、お馴染みの木の床と木製の枠に臙脂のソファ。これはどう見ても、俺の地元発祥の某喫茶店だった。
事務の子が言うように、殆どの席が埋まっている。
まるで地元に瞬間移動したような気分だ。
「本当は、オンラインで話してた時に話題にしようと思ったんですけどね、」
一番奥のベンチ席に通され、テーブルに広げられたメニューを見ながら同僚が言葉を零す。
「妙な圧を画面越しに感じたので、雑談できなかったんですが……」
「ああ……すまん」
原因は涼さんだな。
俺がオンラインでやり取りするから、暫くドアの隙間から、じっとりと見守ってたりしてたから。
当初、引き継ぎで出社しようとしたら。
『有給消化中に出勤とか、何を無駄なことをしてるんですか? 労基に訴えますよ?』
とか。
『でもさすがにオンライン通話は許しますけど、最長一時間までですからね。本当は、この時間ですら、許可するのも断腸の思いなんですから』
とか。
『健一さん、そっちにばっかり構ってないで、オレを構ってください。寂しいから、そっちに強襲かけますよ?』
とか。
『今日は五分オーバーしたので、これからはずっとオレの膝の上で過ごしてくださいね? ちゃんとごはんも俺の手づから食べさせてあげますから』
などなど。一緒に住むようになってから、涼さんはヤンデルのを隠そうともせず、俺にどえらい執着を見せてくるようになった。
涼さんの精神状態によっては、お風呂も一緒に入って、マッサージとか頭や体を洗われたりする。……介護か。
とはいえ、この件で喧嘩って殆どしたことないんだよな。実は。
涼さんの言い分も分かるからだ。
本来有給消化している時に働くってことは、無給で働くのと一緒だ。一応給料は出るけども、それは元から俺に割り振られたもので、当然の権利だ。
にもかからず、涼さんは俺や同僚が苦慮しているのを理解して、一時間だけでも許可してくれたのだ。
それに、涼さんの家にいるのに、恋人に構わずよそ事とか、普通に怒ってもいい案件だしな。ただでさえ、執筆の時間が増えたから、そっちに時間を取られてるってのもあるし。
「まあ、一緒に暮らしてるのに、俺たちに時間を取られるのは、あの人もいい顔しないのは分かってましたし」
「あの人?」
あれ? こいつ、俺が涼さんと付き合ってるの話したっけ?
そんな疑問が顔に出ていたのか、同僚はメニューに視線を落としたまま、ポツリと他には聞こえないような音量で呟いた。
「前に、高任さんが病院に搬送された事あったでしょ? その時に恋人さんと話してるんですよ」
「はい?」
「あ、大丈夫ですよ。この事は誰にも言ってないし、他人のマイノリティを批判する程、自分そんなに偉い人間でもないんで」
「……」
普段、賑やかしい同僚から告げられる言葉に、俺は瞠目してしまう。
失礼な話だが、俺はずっと同僚は裏がない人間で、脳を通さずに話すタイプだと思っていたのだ。
「確か、恋人さんってお店やってるんですよね。自分、勝手に高任さんのこと、友達だと思っているので、今度お店に遊びに行きますね」
同僚の言葉に、妙に目が熱い。
自分はゲイだから、人と壁を作っておかないと酷く傷つけられるって、ずっと思っていた。
人は自分と違う存在を排除したがる生き物だから、生きづらい自分が身につけた処世術だった。
現実は俺に冷たいと、誰とも距離を置いていたけど、本当はこんなにも世界は俺に優しかった。
「あり……がと。是非、来てくれ。楽しみに待ってる」
声を詰まらせながら、同僚に微笑むと、彼は何故か顔を真っ赤にしている。
「あー、ふたりでなにを内緒話してるんですか? ずるいっ、私たちも高任さんと話したいー」
「あー、あー、聞こえませんー。それよりも、頼むもの決めたのか?」
正面に座る女性陣から非難の声があがるのを、同僚は耳に手を当てておどけてみせる。
まさか、退職してから、彼らの優しさに気づくとは……
もっと早く知っていたら、なんて今更だよな。それに、関係はこれから築けばいいのだ。
みんなは午後の仕事があるから、とボリューミーなサンドウィッチのセットや、ピザやグラタンを注文する中、俺は目に飛び込んできた懐かしいメニューとアイスミルクコーヒーを頼んだ。
「ガムシロと氷はなしでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
各々に注文し、最後に俺が一言添えると、バイト店員らしい女性は、にっこりと笑って頷いた。
「え? ミルクコーヒーってガムシロや氷なしとか選べるんですか?」
「あ、ああ。地元の方では絶対聞かれるけど」
「そうなんだぁ。今度なしを飲んでみようっと」
「勿論、シロノワールも一緒に注文するつもりでしょ?」
「当然。あれはあと引くよね~」
アツアツのデニッシュにソフトクリームが乗り、別添えのメープルシロップを掛けて食べるシロノワールは、地元でも大人気スイーツだ。
空気たっぷり含んだデニッシュに、溶けかけのソフトクリームとメープルシロップが染み込んで、噛むとジュワッと口の中が幸せになる。
一回、涼さんに再現してもらったんだよな。あれはあれで美味しかったけど、やっぱり馴染んだものとは違ってたから、涼さんに感想を言ったらめちゃくちゃ落ち込まれた。
それならばと、手軽にこっちでも入手できる物で、と提案したのだ。
それは──
「お待たせしました。アイスミルクコーヒーと小倉トーストです」
俺の前に置かれたカゴに入った厚切りの半切りトーストと、小皿にたっぷり盛られたマーガリンと小倉あん。
焼きたてのトーストの香りが胃袋を刺激する。
さて、それぞれに注文したものが届いたから、いただきます。
----------------------------------------------------------------
作者は愛知県民です。
「え……ここ」
焦げ茶の看板にオレンジの文字。外観はレンガと漆喰の壁、屋根は緑で、赤い日よけ。カントリー調の建物を見上げ、思わず口を開いたまま立ち尽くす。
「さあさあ入りましょ、高任さん。オープンしたてでお昼混むんですよ~」
呆然としている俺の背中を「はよ歩け」と押してくるのは、同期同僚が気になってるという事務の子。噂ではライトノベルやBL小説やマンガが好きで、その姿を某聖地で見かけると言われている。それを隠してないというのだから、胆力のある子だと思う。
四人でゾロゾロ店内に入ると、お馴染みの木の床と木製の枠に臙脂のソファ。これはどう見ても、俺の地元発祥の某喫茶店だった。
事務の子が言うように、殆どの席が埋まっている。
まるで地元に瞬間移動したような気分だ。
「本当は、オンラインで話してた時に話題にしようと思ったんですけどね、」
一番奥のベンチ席に通され、テーブルに広げられたメニューを見ながら同僚が言葉を零す。
「妙な圧を画面越しに感じたので、雑談できなかったんですが……」
「ああ……すまん」
原因は涼さんだな。
俺がオンラインでやり取りするから、暫くドアの隙間から、じっとりと見守ってたりしてたから。
当初、引き継ぎで出社しようとしたら。
『有給消化中に出勤とか、何を無駄なことをしてるんですか? 労基に訴えますよ?』
とか。
『でもさすがにオンライン通話は許しますけど、最長一時間までですからね。本当は、この時間ですら、許可するのも断腸の思いなんですから』
とか。
『健一さん、そっちにばっかり構ってないで、オレを構ってください。寂しいから、そっちに強襲かけますよ?』
とか。
『今日は五分オーバーしたので、これからはずっとオレの膝の上で過ごしてくださいね? ちゃんとごはんも俺の手づから食べさせてあげますから』
などなど。一緒に住むようになってから、涼さんはヤンデルのを隠そうともせず、俺にどえらい執着を見せてくるようになった。
涼さんの精神状態によっては、お風呂も一緒に入って、マッサージとか頭や体を洗われたりする。……介護か。
とはいえ、この件で喧嘩って殆どしたことないんだよな。実は。
涼さんの言い分も分かるからだ。
本来有給消化している時に働くってことは、無給で働くのと一緒だ。一応給料は出るけども、それは元から俺に割り振られたもので、当然の権利だ。
にもかからず、涼さんは俺や同僚が苦慮しているのを理解して、一時間だけでも許可してくれたのだ。
それに、涼さんの家にいるのに、恋人に構わずよそ事とか、普通に怒ってもいい案件だしな。ただでさえ、執筆の時間が増えたから、そっちに時間を取られてるってのもあるし。
「まあ、一緒に暮らしてるのに、俺たちに時間を取られるのは、あの人もいい顔しないのは分かってましたし」
「あの人?」
あれ? こいつ、俺が涼さんと付き合ってるの話したっけ?
そんな疑問が顔に出ていたのか、同僚はメニューに視線を落としたまま、ポツリと他には聞こえないような音量で呟いた。
「前に、高任さんが病院に搬送された事あったでしょ? その時に恋人さんと話してるんですよ」
「はい?」
「あ、大丈夫ですよ。この事は誰にも言ってないし、他人のマイノリティを批判する程、自分そんなに偉い人間でもないんで」
「……」
普段、賑やかしい同僚から告げられる言葉に、俺は瞠目してしまう。
失礼な話だが、俺はずっと同僚は裏がない人間で、脳を通さずに話すタイプだと思っていたのだ。
「確か、恋人さんってお店やってるんですよね。自分、勝手に高任さんのこと、友達だと思っているので、今度お店に遊びに行きますね」
同僚の言葉に、妙に目が熱い。
自分はゲイだから、人と壁を作っておかないと酷く傷つけられるって、ずっと思っていた。
人は自分と違う存在を排除したがる生き物だから、生きづらい自分が身につけた処世術だった。
現実は俺に冷たいと、誰とも距離を置いていたけど、本当はこんなにも世界は俺に優しかった。
「あり……がと。是非、来てくれ。楽しみに待ってる」
声を詰まらせながら、同僚に微笑むと、彼は何故か顔を真っ赤にしている。
「あー、ふたりでなにを内緒話してるんですか? ずるいっ、私たちも高任さんと話したいー」
「あー、あー、聞こえませんー。それよりも、頼むもの決めたのか?」
正面に座る女性陣から非難の声があがるのを、同僚は耳に手を当てておどけてみせる。
まさか、退職してから、彼らの優しさに気づくとは……
もっと早く知っていたら、なんて今更だよな。それに、関係はこれから築けばいいのだ。
みんなは午後の仕事があるから、とボリューミーなサンドウィッチのセットや、ピザやグラタンを注文する中、俺は目に飛び込んできた懐かしいメニューとアイスミルクコーヒーを頼んだ。
「ガムシロと氷はなしでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
各々に注文し、最後に俺が一言添えると、バイト店員らしい女性は、にっこりと笑って頷いた。
「え? ミルクコーヒーってガムシロや氷なしとか選べるんですか?」
「あ、ああ。地元の方では絶対聞かれるけど」
「そうなんだぁ。今度なしを飲んでみようっと」
「勿論、シロノワールも一緒に注文するつもりでしょ?」
「当然。あれはあと引くよね~」
アツアツのデニッシュにソフトクリームが乗り、別添えのメープルシロップを掛けて食べるシロノワールは、地元でも大人気スイーツだ。
空気たっぷり含んだデニッシュに、溶けかけのソフトクリームとメープルシロップが染み込んで、噛むとジュワッと口の中が幸せになる。
一回、涼さんに再現してもらったんだよな。あれはあれで美味しかったけど、やっぱり馴染んだものとは違ってたから、涼さんに感想を言ったらめちゃくちゃ落ち込まれた。
それならばと、手軽にこっちでも入手できる物で、と提案したのだ。
それは──
「お待たせしました。アイスミルクコーヒーと小倉トーストです」
俺の前に置かれたカゴに入った厚切りの半切りトーストと、小皿にたっぷり盛られたマーガリンと小倉あん。
焼きたてのトーストの香りが胃袋を刺激する。
さて、それぞれに注文したものが届いたから、いただきます。
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作者は愛知県民です。
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