【本編完結】年下料理男子と社畜ラノベ作家の恋ごはん

藍沢真啓/庚あき

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バレンタイン・キス③

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「まだお昼だけど、お酒の方がいいかしら」
「いいえ。この後健一さんとデートなのでウーロン茶で」

 オレは黄緑色のワンピースを着たガタイのいい男に向かってぶっきらぼうに告げる。
 男は「あらあら」と言わんばかりに肩を竦めたかと思えば、カウンター下に設置してある冷蔵庫からペットボトルのウーロン茶を取り出し、綺麗に磨かれたグラスに幾つか氷を入れて注ぐ。
 場末の飲み屋にしては、グラスも天むすが乗った皿も味噌汁のお椀もしっかり手入れされていて、清潔感がある。店内も夜の店にありがちな調度品の安っぽさや劣化も見られない。
 それは目の前の男が店を愛しているのだと、無言で示しているようだった。

 健一さんの大学時代、一年ほどとはいえ、この男──緑川と言ったか──と交際していた。勿論肉体関係があったのも、男が初めての相手だというのも知っている。
 そしてなんの偶然か、地元から遠く離れたこの地で再会したふたりは、元の鞘に収まらずに友人関係を続けているという。

 正直、オレには健一さんの気持ちも、男の本心も理解できない。

 普通、別れたら二度と会いたくないと思わないか?
 実際オレはそうだった。酷いときには一晩で関係を終わらせて、すぐに連絡先をブロックしたりもした。そこに罪悪感なんて全くなく、偶然再会したとしても無視して終わっただろう。

 それ以前の話で、オレは男が気に食わない。
 あんなに優しくて思慮深い健一さんと別れて、再会した途端友人関係に収まり、あまつさえ自分の今の恋人と関わらせるなんて。

 オレは目の端で奥の席で仲良く談話しているふたりの姿を見る。

 大学生位だろうか。随分と若い青年は、たおやかな日本人形のようにすっきりとした顔立ちで、男のような特殊性癖を持った恋人がいるようには思えない。
 まあ、ぶっちゃけ、他人が誰と付き合おうが、セックスしようがどうでもいい。

 それにしても健一さんかわいいなぁ。両手に小さなおにぎりを持って食べてる所とか、リスが木の実を食べてるかのような愛らしさがある。
 ただ、にこやかに食しているのが、自分のご飯じゃないのが腑に落ちないが……

 これまで色んなご飯を健一さんの為に作ってきた。
 洋食、和食、中華、カフェ飯、それから健一さんの地元である奈古谷なごや飯も。
 出会いのきっかけとなった肉じゃがも何度か作った。
 定番の豚肉、変わり種の鶏肉、関西では王道の牛肉でも。
 やっぱり舌に馴染んだものだからか、牛肉の肉じゃがの食いつきは良かった。豚肉も鶏肉も気に入ってくれたけど、オレも牛肉の肉じゃがを作る機会が多かった気がする。
 まあ、健一さんには内緒だけど、高級食材のブランド牛の霜降り使ってるから、そりゃあ味も全然違うよね。
 他にも有機野菜使ったり、ちょっとお高い調味料とかを、特売で買って使い切った容器に移したりとか。全て健一さんの健康を考えての行動だ。
 ちなみにレシートとかは、近所のスーパーで同じのを購入したものだ。商品は店の試作品に使ったりしている。その辺の偽造は抜かりない。

「天むす、冷めちゃうわよ」

 余りにも健一さんを凝視していたからか、男の苦笑した声がやんわりと嗜めてくる。
 自分の恋人を見ていてなにが悪い。
 チラリと冷えた眼差しで睨みつける。にも関わらず、男はニヤリとルージュで彩られた唇にグラスを傾けてオレを見ていた。
 ……なんかムカつく。

 カウンターに置かれた手付かずの天むすのひとつを摘み口に放り込む。
 料理人であるオレに手料理を出したのだ。自信あるのだろうと咀嚼すると。

「……まあまあかな」

 冷めたせいで海苔は米の水分を吸ってゴムのようだし、ご飯も少し乾燥してパサつく。それ以前に安い米を使ってるせいで食感が悪い。上に乗ってる小海老の天ぷらも青のりが程良い磯の香りで珍しいものの、衣が粉の混ぜすぎかちょっとベタついている。

「そりゃ、私は料理人じゃないもの。健ちゃんの彼氏ほどの腕前はないわ」
「……」
「それに、この天むすは雪乃の間食のついで。あの子の好みなんだからそれでいいのよ」
「まあ、恋人に好みに合わせるのは当然だけど」
「でしょ?」

 アイラインとアイシャドーで加工された目元をパチリとウインクさせ、男もパクリと天むすを丸呑みする。

「でも、あなたが健一さんに辛い記憶を残したのを許すつもりはありませんけど」

 オレが怒りを滲ませた言葉で男を責めれば、男は口に入れた天むすをゴクリと飲み込んだ。

 健一さんは自分がゲイだと認識してから、ずっと誰にもバレないように生きてきた。
 学生時代は女性との交際はしなかったようだけど、だからといって邪険にもしなければ、男子も女子も関係なく交流していたという。
 その間もあれだけ可愛い人だから、バレンタイン等に告白されたらしい。だけど関東の大学に尊敬する教授がいるとのことで、そこに行きたいから勉強に専念したいと断っていたそうだ。
 しかし残念な事に、当時健一さんの母親が病を患い、最初のチャンスだった独立が叶わなかったという。
 結局四年後にこっちの方へと就職を機にやってきた訳だけど、その大学が健一さんにとって良くも悪くも強い記憶になった。
 その一端が目の前にいる男だ。

 健一さんとは真逆の明け透けな性格で、性にも奔放だったという。
 本人はゲイだと言ってたらしいが、何度か女性と一緒の所をラブホ街で目撃されていたそうだ。どうやらその女性たちとは、金銭でやり取りをして、セックスをしていたらしい。
 この店の内装を見る限り、その金が流用されてるのが分かるけども、あえて口にしない。
 オレにはどうでもいい話だからだ。

 だけど健一さんは、男の売春まがいの行動を知り、すごく傷ついた。
 男も男で、問い詰める健一さんに嫌気がさして、結局距離を置いてから別れ話をしたという。
 自然消滅を狙ってないだけでもまともだろう。褒める気持ちは全くないが。

「でも、今の健ちゃんはとっても幸せそうだわ」

 ポツリと零れてきた言葉に、グラスを持った手が止まる。

「当時は私もメチャクチャやってたから、健ちゃんを唆して交際まで持っていったけど、あの子の真面目さに辟易しちゃったのよね」
「今更懺悔ですか?」
「ええ。懺悔よ。あなた、私が嫌いでしょ?」
「嫌いです」

 即答で返すと「でしょうね」と溜息混じりに低い声が流れてくる。
 ふと顔を上げると、どこか遠い……多分昔の記憶を見ているのだろう。定まらぬ瞳は何を映しているのか。

「それでもね、私は健ちゃんが嫌いじゃなかった。億劫だったけど、あの頃は健ちゃんの真面目さに救われた事もあったから」
「結局傷つけてたら、意味もありませんけど」
「……そうね」

 確かに、オレも健一さんに色々秘密にしていた事がある。
 店の事は偶然知られてしまったが、それは大きな痛手ではない。

「ま、過去の出来事は何をやっても戻す事はできないからね。あの子が雪乃の良き理解者である限りは、私もあの子を理解してあげようと思ってるの」
「つまらない贖罪ですね」
「ないよりはマシよ」
「反省は猿でもできるそうですよ」
「随分毒舌を吐くわね、貴方。……でも、まあ、あの子が本当に幸せになるまでは、細々と罪を償うわ。派手にやると健ちゃん嫌がるから、こっそりとね。だから、何かあったら私に連絡頂戴?」

 男はそう言って、綺麗に磨かれた指先でカードケースを開くと、一枚をオレへと静かに渡す。色々言いたいことや詰りたいこともあったけど、男の真剣さに負けて渋々と一枚の名刺を受け取った。

 オレはいつか健一さんに全てを話せるだろうか。
 そんな事を思いながら、湿気った天むすをひとつ口に入れた。
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