【本編完結】年下料理男子と社畜ラノベ作家の恋ごはん

藍沢真啓/庚あき

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勘違いポトフ③

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 腰が痛いでしょう? と、半ば強引に涼さんが俺をタクシーに押し込め、気まずい沈黙に包まれたままマンションへと帰ってきた。

「健一さん、除菌スプレーするので、そのままで」

 屈むのが辛いと気づいたのだろう。涼さんがスプレーを手にそう言うのを素直に従う。それから俺の着ていたコートや靴下も脱がせてくれた。

「楽な格好の方が体に負担なくていいですよね。お風呂の着替え、スウェットでいいですか?」
「……うん」

 俺のルーティンを完璧に把握している涼さんはそう言い、俺の腰にそっと手を添えて浴室に向かう。狭いながらも脱衣所兼洗面所があり、洗濯機横のカゴに脱いだものをドンドン放り込む。スーツはハンガーに掛けて除菌スプレーを振りまいておく。まだ日も高いから、後でベランダで風通ししつつ乾かせば問題ないだろう。

「それじゃあ、着替え持ってくるついでに、そのスーツをベランダに干してきますね」
「いや、自分でやる」
「健一さん、シャワー浴びるだけでしょ? まだ湯船の用意してないですし。動線的にほぼ変わらないので」

 涼さんはにっこり微笑んでスーツを手に取ると、そのまま脱衣所を出ていく。当たり前の仕草に、彼がこの部屋にすっかり馴染んでいるのが分かる。

 俺は涼さんを見送り、浴室に足を踏み入れる。猫の額ほどの洗い場は狭いものの、多くがユニットバスなのを知ってるだけにありがたい。カランをひねり適温のシャワーを頭から浴びる。この瞬間、疲れが流れ落ちていくようで、ホッと息が漏れる。
 シャンプーボトルを数回押して軽く泡立て頭に馴染ませて洗っていく。シャクシャクと指先で泡立てながら、これからどうするべきか思考を巡らせた。

 話如何では今日を持って契約と同居が解除になるだろう。
 そうしたほうがいい。あんなに綺麗な彼女がいるのに、俺がずっと涼さんを独り占めしてきたのだから。
 体調も随分改善してきたことだし、もう涼さんがつきっきりで俺の世話をする必要もない。
 お店も閉店してないのだから、収入面も問題ないだろう。多分。
 しばらくは食生活に侘しさを感じるかもしれないが、元に戻るだけだから大丈夫だろう。多分。
 少し狭く感じる部屋も、いつかは違和感なく感じるだろう。気分を変えるためにも引越しを検討してもいい。多分。
 この胸の痛みも、時間が癒してくれるはず。多分。

 嘘だ。全部嘘。
 ……絶対、俺は涼さんを忘れるなんてできない。だって、こんなにも俺の中に深く根付いているのだから。

 ゴシゴシと頭と体を洗い、外の汚れを完全に落としきって、浴室を出るが。

「健一さん、着替え……を」
「あ……」

 これはラッキースケベというのだろうか。いや、その場合は涼さんがラッキースケベであって、俺は某国民的アニメに出てくるヒロインの女の子的立場で……そもそもあれは浴槽に入ってる時の話で……って。

「ご、ご、ご、ごめんっ!」
「わぁっ! す、すみません! まだ、浴室に入ってると思ってました!」

 顔を真っ赤にして俺に着替えを押し付けると、涼さんは普段の落ち着いた様子とは真逆に、ひどく慌てて脱衣所を飛び出していった。時折ドンッ、ガンッ、と音が聞こえるけど、あれは一体……

 混乱しながらも涼さんが渡してくれた部屋着を着て、濡れた頭をタオルで拭いながらリビングへと向かうために廊下へと出る。途端、ふわりといい匂いが鼻先を掠め、無意識に鼻がひくついた。

 冷たい廊下を裸足でペタペタと歩いてリビングに入ると、加湿器で温められた空気が襲ってくる。そして、あのいい匂いも先ほどよりも濃密に漂っていた。

「お風呂、次どうぞ?」

 リビングに涼さんの姿がなかったので、キッチンを覗くとやけに真剣でこわばった顔をした涼さんが、俺が声をかけた途端にビクンッと飛び跳ねる。

「い、い、い、いえっ、今料理中なのでっ」

 錆び付いたロボットのようにギギギと首をこちらに向け、どもった言葉で話す涼さんに、首をかしげてしまう。好きな人に全裸を見られたのは恥ずかしいけども、涼さんほど動揺してもいない。たかが同性の裸だし。
 どうして彼はやたらと挙動不審なんだ? もやし男の裸なんてノンケからしたら瑣末なものだろうに。

 ……まあいいか。

 俺は硬直する涼さんの脇にある冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を取り出し、そのままリビングに戻ろうとしたのだが、涼さんの大きな手が俺の腕を掴む。

「あの、健一さん」
「はい?」

 真剣な顔で俺の名を呼ぶ涼さん。思わず俺も返事する声がこわばる。

「あの……」

 口を開いては閉じてを繰り返し、ようやく出た言葉が「あの」だけ。もしかしなくても、さっきの件についてだろうか。

 まさかこんな状態で話し合いするとは思ってなくて、ペットボトルを握る手にグッと力がこもる。
 あの涼さんの傍でグツグツと煮込まれている鍋の中身が、最後の晩餐になるんだろうか。

 たった数ヶ月。されど数ヶ月。長かったようであっという間だった。
 おいしいご飯と優しい涼さんの心に沢山癒された貴重な時間だった。
 おかげで、あれから何度か日刊でも週刊でも五位以内をキープできてた。
 沢山感想ももらえるようになった。
 仕事も涼さんがお昼を作ってくれるようになってから、随分充実してきた。
 前はゲイだからと人と距離を取っていたけど、別に性的嗜好もバレずに普通に他の人と接せれるようになった。
 ほんの少しのきっかけを、涼さんが沢山俺に教えて、与えてくれた。
 もう今日が最後なのは悲しい。でも、最後だから自分の気持ちを言ってもいいんじゃないかな、って。

 言ってもいいよね? 涼さんが「好き」だって。

「りょ……」
「健一さん、腰、湿布貼りましょうか。まだ辛いでしょう?」
「へ?」
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