7 / 61
悲しみのきつねうどん
しおりを挟む
嘔吐など、不快になるシーンがございます。
食事中の方は閲覧に気をつけてください。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「高任さん、最近痩せたんじゃありませんか?」
平日の昼、一緒に営業に回っていた同僚からの一言に、心臓がドキンと跳ねる。
「あー、まあ、どうだろう? うち、体重計ないからさ」
曖昧に言葉を濁し、食べかけのきつねうどんを啜る。関東のうどんのつゆは、妙に真っ黒でしょっぱい。実家は母親が関西の出だったから、たっぷり使った鰹節の香り高く、つゆが丼の底まで見えるほど澄んだものだった。
新幹線に乗れば三時間で行ける場所なのに、こんなにも東と西で同じうどんでもつゆが違うなんて、日本って狭いようで広いな、とぼんやりと思ったものだ。
「毎日見てる俺が気づく位ですよ? もしかして、体調でも悪くしたんじゃ……」
「平気だって。こうしてちゃんと食べられてるし。ほら、お前もさっさと食わないと、午後一でアポ取った会社に間に合わなくなるぞ」
ほらほらと急かせば、同僚は唇を尖らせたまま、半分以上減ったカツ丼を掻き込んでいた。
元恋人のみどりママと、そのママが溺愛している雪乃に慰められ、一時期は落ちていた食欲も回復していた。
しかし、とある出来事を目撃して以来、今度は前よりも食欲が落ちてしまったようだ。同僚に言ったように体重計はないものの、明らかにサイズが変わったスラックスやベルトに実感が湧く。
いや、一応は食べている。だが、どうしても体が耐え切れずに吐き戻してしまうのだ。
まさか、木戸さんが女性と一緒にいるのを見ただけで、メンタルに来てしまうなんて……こんなに自分が弱くなっていたことに驚愕しかない。
十日前、土日は木戸さんが来ないので、俺は食べる物を求めて近所のスーパーへと足を伸ばしていた。
冷蔵庫に木戸さんが作り置きしてくれたきんぴらと小松菜の煮浸しがあるのを思い出し、それならばそれに合ったメイン惣菜を買えば夕ごはんはなんとかなるだろうとの算段だった。
最近はコンビニをほとんど利用しなくなっていた。なんというか、妙にしょっぱかったり、口の中に甘さが残ったりと美味しさを感じなくなっていたからだ。
正直、スーパーの味付けも口に合わないものが多かったものの、コンビニに比べればましな部類だった。
完全に木戸さんの味に舌も体も慣れてしまった。多分、契約が終了してしまったら、俺は何も食べられなくなるかもしれない。
それは困る、と苦笑に唇を歪め、急に春めいた空気の中を歩く。
徒歩十五分の散歩の到着地は、木戸さんが教えてくれた中規模のチェーン店のスーパーだった。駅を挟めば大型のモールがあったものの、休みの日にまで人の中を歩く気持ちにもなれなかったため、こちらのスーパーにしたのだが。
ふと、入口に目を向けた途端、来なければ良かったと後悔にさいなまれた。
『木戸さん……?』
開いた自動ドアから出てきた長身の美丈夫は、肩からエコバッグを掛けて横にいる相手に笑顔を見せていた。
美丈夫の空いた腕に自身の細い腕を絡ませ見上げるのは、緩やかにウェーブを描く長い髪を片側でひとつにまとめ、モデルと言っても遜色ないスタイルも小さな顔に収まるパーツも美しい女性。誰が見ても、美丈夫と恋人同士と納得できる見事なふたりに、俺は凍りついたように動けなかった。
この時、俺は「ああ、やっぱり」と心の中は妙に静かに納得していた。
あれだけ美形で、いかにも女性にモテそうな彼がゲイなはずがあるわけない。実際、俺の書く小説の彼が好きなキャラクターも、一途に主人公を思い慕う心優しいスタイルの良いヒロインなのだから。
俺は木戸さんに告白する前に玉砕してしまった。
いや、ある意味自爆か。
ひとりで木戸さんを好きになって、ひとりで勝手に失恋したのだから。
俺のいる場所とは反対に歩き出すふたりをぼんやりと見送る。だんだんと小さくなっていくふたりの行く先は、きっと木戸さんの自宅なのだろう。前に契約した時に記憶した住所はそちらの方だ。
完全にふたりの姿が見えなくなると、そのまま買い物せずに踵を返して自宅へと歩く。
来るときは楽しい気持ちだった道程は、足を引きずるように重く。胸が痛い。
丸一日書籍の方の作業ができる貴重な時間なのに、果たしてこんな感情でできるのだろうか。
いや、やらなくてはならない。
木戸さんだけではない。ネットで応援してくれて、楽しみにしてくれる人たちのためにも、俺は書かなくてはならない。
自宅に帰り一度集中しだすと、思いのほか作業は進んだ。無心にやってたせいで、気づいたら寝る時間をとっくに過ぎてたため、慌てて布団に入った。
そして週が開けてすぐに、しばらく仕事が忙しくて何時に帰れるか分からないし、もしかしたら会社に泊まるかもしれないからこちらから連絡するまで休みにして欲しいと。その分の給料もこちらの都合なのできちんと口座に振り込むからと一方的にメッセージを送った。
何度か木戸さんからメッセージが来たけども、アプリを開くことも既読を付けるのも怖くて、ポップアップすらすぐに消してしまっていた。
ブロックはできなかった。ただでさえ互いのプライベートすら話さない希薄な関係なのに、これ以上の繋がりを自分が切るのが怖かった。
数日後、食べないせいで、冷蔵庫の作り置きが全てダメになっていた。
泣く泣く捨てて、袋の口をきつく縛る。俺の憂鬱な気持ちもこんな風にゴミみたいに捨てることができればいいのに……
それでも木戸さんと出会わなければ良かったとは思えなかった。
同僚との慌ただしい昼食を終え、俺たちはアポを取った会社へと向かう。
しかし途中で気持ち悪くなってしまい、コンビニのトイレに駆け込むと、すぐさま便器に縋り付いて食べたばかりのものを吐き出した。
消化していない残骸を流し、洗面台で口をすすぎ顔を上げる。鏡にはげっそりと痩せて顔色の悪いひとりの男の姿が映っていた。
アルカリイオン水と、待ってくれてる同僚のために缶コーヒーをレジで買い、コンビニを後にする。
「待たせて悪かったな」
そう言って、両手に持った缶コーヒーの方を渡そうとした瞬間。
「あ?」
目の前の同僚も周りの風景もグニャリと歪んで、体が足元から崩れていく。
「高任さん!?」
ふ、と闇に意識が呑まれた俺の耳に、同僚の焦った叫びが聞こえたような気がした。
食事中の方は閲覧に気をつけてください。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「高任さん、最近痩せたんじゃありませんか?」
平日の昼、一緒に営業に回っていた同僚からの一言に、心臓がドキンと跳ねる。
「あー、まあ、どうだろう? うち、体重計ないからさ」
曖昧に言葉を濁し、食べかけのきつねうどんを啜る。関東のうどんのつゆは、妙に真っ黒でしょっぱい。実家は母親が関西の出だったから、たっぷり使った鰹節の香り高く、つゆが丼の底まで見えるほど澄んだものだった。
新幹線に乗れば三時間で行ける場所なのに、こんなにも東と西で同じうどんでもつゆが違うなんて、日本って狭いようで広いな、とぼんやりと思ったものだ。
「毎日見てる俺が気づく位ですよ? もしかして、体調でも悪くしたんじゃ……」
「平気だって。こうしてちゃんと食べられてるし。ほら、お前もさっさと食わないと、午後一でアポ取った会社に間に合わなくなるぞ」
ほらほらと急かせば、同僚は唇を尖らせたまま、半分以上減ったカツ丼を掻き込んでいた。
元恋人のみどりママと、そのママが溺愛している雪乃に慰められ、一時期は落ちていた食欲も回復していた。
しかし、とある出来事を目撃して以来、今度は前よりも食欲が落ちてしまったようだ。同僚に言ったように体重計はないものの、明らかにサイズが変わったスラックスやベルトに実感が湧く。
いや、一応は食べている。だが、どうしても体が耐え切れずに吐き戻してしまうのだ。
まさか、木戸さんが女性と一緒にいるのを見ただけで、メンタルに来てしまうなんて……こんなに自分が弱くなっていたことに驚愕しかない。
十日前、土日は木戸さんが来ないので、俺は食べる物を求めて近所のスーパーへと足を伸ばしていた。
冷蔵庫に木戸さんが作り置きしてくれたきんぴらと小松菜の煮浸しがあるのを思い出し、それならばそれに合ったメイン惣菜を買えば夕ごはんはなんとかなるだろうとの算段だった。
最近はコンビニをほとんど利用しなくなっていた。なんというか、妙にしょっぱかったり、口の中に甘さが残ったりと美味しさを感じなくなっていたからだ。
正直、スーパーの味付けも口に合わないものが多かったものの、コンビニに比べればましな部類だった。
完全に木戸さんの味に舌も体も慣れてしまった。多分、契約が終了してしまったら、俺は何も食べられなくなるかもしれない。
それは困る、と苦笑に唇を歪め、急に春めいた空気の中を歩く。
徒歩十五分の散歩の到着地は、木戸さんが教えてくれた中規模のチェーン店のスーパーだった。駅を挟めば大型のモールがあったものの、休みの日にまで人の中を歩く気持ちにもなれなかったため、こちらのスーパーにしたのだが。
ふと、入口に目を向けた途端、来なければ良かったと後悔にさいなまれた。
『木戸さん……?』
開いた自動ドアから出てきた長身の美丈夫は、肩からエコバッグを掛けて横にいる相手に笑顔を見せていた。
美丈夫の空いた腕に自身の細い腕を絡ませ見上げるのは、緩やかにウェーブを描く長い髪を片側でひとつにまとめ、モデルと言っても遜色ないスタイルも小さな顔に収まるパーツも美しい女性。誰が見ても、美丈夫と恋人同士と納得できる見事なふたりに、俺は凍りついたように動けなかった。
この時、俺は「ああ、やっぱり」と心の中は妙に静かに納得していた。
あれだけ美形で、いかにも女性にモテそうな彼がゲイなはずがあるわけない。実際、俺の書く小説の彼が好きなキャラクターも、一途に主人公を思い慕う心優しいスタイルの良いヒロインなのだから。
俺は木戸さんに告白する前に玉砕してしまった。
いや、ある意味自爆か。
ひとりで木戸さんを好きになって、ひとりで勝手に失恋したのだから。
俺のいる場所とは反対に歩き出すふたりをぼんやりと見送る。だんだんと小さくなっていくふたりの行く先は、きっと木戸さんの自宅なのだろう。前に契約した時に記憶した住所はそちらの方だ。
完全にふたりの姿が見えなくなると、そのまま買い物せずに踵を返して自宅へと歩く。
来るときは楽しい気持ちだった道程は、足を引きずるように重く。胸が痛い。
丸一日書籍の方の作業ができる貴重な時間なのに、果たしてこんな感情でできるのだろうか。
いや、やらなくてはならない。
木戸さんだけではない。ネットで応援してくれて、楽しみにしてくれる人たちのためにも、俺は書かなくてはならない。
自宅に帰り一度集中しだすと、思いのほか作業は進んだ。無心にやってたせいで、気づいたら寝る時間をとっくに過ぎてたため、慌てて布団に入った。
そして週が開けてすぐに、しばらく仕事が忙しくて何時に帰れるか分からないし、もしかしたら会社に泊まるかもしれないからこちらから連絡するまで休みにして欲しいと。その分の給料もこちらの都合なのできちんと口座に振り込むからと一方的にメッセージを送った。
何度か木戸さんからメッセージが来たけども、アプリを開くことも既読を付けるのも怖くて、ポップアップすらすぐに消してしまっていた。
ブロックはできなかった。ただでさえ互いのプライベートすら話さない希薄な関係なのに、これ以上の繋がりを自分が切るのが怖かった。
数日後、食べないせいで、冷蔵庫の作り置きが全てダメになっていた。
泣く泣く捨てて、袋の口をきつく縛る。俺の憂鬱な気持ちもこんな風にゴミみたいに捨てることができればいいのに……
それでも木戸さんと出会わなければ良かったとは思えなかった。
同僚との慌ただしい昼食を終え、俺たちはアポを取った会社へと向かう。
しかし途中で気持ち悪くなってしまい、コンビニのトイレに駆け込むと、すぐさま便器に縋り付いて食べたばかりのものを吐き出した。
消化していない残骸を流し、洗面台で口をすすぎ顔を上げる。鏡にはげっそりと痩せて顔色の悪いひとりの男の姿が映っていた。
アルカリイオン水と、待ってくれてる同僚のために缶コーヒーをレジで買い、コンビニを後にする。
「待たせて悪かったな」
そう言って、両手に持った缶コーヒーの方を渡そうとした瞬間。
「あ?」
目の前の同僚も周りの風景もグニャリと歪んで、体が足元から崩れていく。
「高任さん!?」
ふ、と闇に意識が呑まれた俺の耳に、同僚の焦った叫びが聞こえたような気がした。
12
お気に入りに追加
358
あなたにおすすめの小説
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
逃げる銀狐に追う白竜~いいなずけ竜のアレがあんなに大きいなんて聞いてません!~
結城星乃
BL
【執着年下攻め🐲×逃げる年上受け🦊】
愚者の森に住む銀狐の一族には、ある掟がある。
──群れの長となる者は必ず真竜を娶って子を成し、真竜の加護を得ること──
長となる証である紋様を持って生まれてきた皓(こう)は、成竜となった番(つがい)の真竜と、婚儀の相談の為に顔合わせをすることになった。
番の真竜とは、幼竜の時に幾度か会っている。丸い目が綺羅綺羅していて、とても愛らしい白竜だった。この子が将来自分のお嫁さんになるんだと、胸が高鳴ったことを思い出す。
どんな美人になっているんだろう。
だが相談の場に現れたのは、冷たい灰銀の目した、自分よりも体格の良い雄竜で……。
──あ、これ、俺が……抱かれる方だ。
──あんな体格いいやつのあれ、挿入したら絶対壊れる!
──ごめんみんな、俺逃げる!
逃げる銀狐の行く末は……。
そして逃げる銀狐に竜は……。
白竜×銀狐の和風系異世界ファンタジー。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
真柴さんちの野菜は美味い
晦リリ
BL
運命のつがいを探しながら、相手を渡り歩くような夜を繰り返している実業家、阿賀野(α)は野菜を食べない主義。
そんななか、彼が見つけた運命のつがいは人里離れた山奥でひっそりと野菜農家を営む真柴(Ω)だった。
オメガなのだからすぐにアルファに屈すると思うも、人嫌いで会話にすら応じてくれない真柴を落とすべく山奥に通い詰めるが、やがて阿賀野は彼が人嫌いになった理由を知るようになる。
※一話目のみ、攻めと女性の関係をにおわせる描写があります。
※2019年に前後編が完結した創作同人誌からの再録です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる