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ナポリタンに慰められる

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「そんなに胃が痛くなるくらい悩むなら、言っちゃえば?」
「無理。絶対無理。だってそんなに親しいって訳じゃないし……それに、今の関係が壊れるのも避けたいし……」

 都内の有名歓楽街の一角。夜ともなると、どこからともなく夜光虫のように人が集り、享楽に満ちた街の一部。そこはメディアでの露出で一種の観光名所になりつつあるものの、どこか翳を含んだ特殊性癖の者たちが集まる。
 そこにある『エバーグリーン』で、俺は会社帰りの格好のまま救いを求めて飛び込んでいた。

「健ちゃんって、無駄に自分に縛りを入れるよね。それで私たち別れたんじゃなかったっけ?」

 本当に困った子、と俺よりもしっかりした体躯でイケメン面した、いかにもバリタチの癖に妙に妖艶なみどりママが、頬に手を添えて溜息を落としていた。

 彼女は──いや、彼は緑川博也みどりかわひろや。俺が大学時代に付き合っていた男だ。


 緑川とは同じ大学の同じ学部だった。
 昔から自分が同性にしか性的興味がないのに気づいていたものの、周囲にそんな性癖を持つのはテレビの中の人だったため、誰にも相談できずに大学生となっていた。

『君、もしかしなくても、男性にしか興味ない?』

 サークルの新歓コンパでそっと囁いてきた緑川と抜け出したラブホテルで、なし崩しで彼に初めて抱かれた。それから正式に交際するようになったのだが、どうしても緑川のように楽観的になることができずに別れてしまった。その期間、約一年弱。
 その後、お互い没交渉だったのだが、たまたま入ったゲイバー『エバーグリーン』が緑川の店だと知り、彼も上京していたのだと聞かされたのだ。

 元恋人という気安さと、故郷じゃない身軽さで、こうして時たま店に来ては愚痴を零すのが定番だった。

「別に縛りなんて入れてない。俺の考えが一般的なんだって」
「それで胃を壊したら元も子もないんじゃない? しかも、今日も家に来てご飯作ってくれるはずだったんでしょ?」
「うん……」

 今日は金曜日で、いつもならば木戸さんが俺の家でご飯を作ってくれる予定だった。
 契約が始まってから一ヶ月半。膨らんだ思いが体の不調を訴えだし、最近ではキャンセルする日々が続いていた。勿論、こちらの都合だから、時給は払うからと言ってある。

「もう木戸さんのご飯が美味しすぎて、コンビニご飯が食べられなくなってるんだよ……」
「それで私のところに駆け込んで来た訳」
「うん……」
「それじゃあ待ってなさい」

 みどりママはそう言って、カウンターの奥にある厨房へと消えていく。どうやらママが調理をするからか、普段は厨房に篭っている雪乃ゆきの君が俺の前に姿を見せる。

「雪乃君、久しぶり」
「今晩は、健一さん。お元気……じゃ、なさそうですね」
「はは……まあね」

 乾いた笑い声を零す俺に、雪乃君は困ったように微笑んでいた。
 華奢で愛らしい彼は見た目少女のような雰囲気持ってるが、立派な成人男子だ。更に言えば雪乃君はみどりママの恋人で、元恋人の俺とは気まずくなりそうなものの、そういった雰囲気を一切出さない良い子だ。

「ちょっとおふたりのお話聞こえちゃいました」
「休憩してたんだろう? 邪魔しちゃってごめん」
「ううん、それはいいんです。博也さんが傍に置いておきたいからって理由で厨房に入ってるだけなので。……健一さん。結構しんどいんじゃないんでしょうか?」
「……え?」

 ポツリと落とされた質問に、俺は目を驚きに見開く。

「僕も今更なので告白しちゃいますけど、博也さんと健一さんが地元で別れたのに、こうして離れたこの場所で再会して、今も付き合いがあるのを一時期羨んだことがあったんです。元々、あんまり胸の内を言葉にするの苦手で、博也さんを誤解させちゃって色々ありましたけど。それでも、勇気を踏み出して博也さんに告白できたのは、健一さんが言ってくれた言葉に支えられたから」

 俺が? 雪乃君に、踏み出す言葉を投げかけたことがあったか、と首を傾げる。

「『人というのは生きてる限りやり直しができる生き物だから、後悔する前にぶつかったほうがいい』って言ってくれたんです。おかげで博也さんとこうして一緒に居られるようになった。健一さんのおかげです」
「……ははっ」

 思わず笑ってしまった。
 言うに事欠いて、俺はとんでもないことを言ってしまった。それが恥ずかしいやら、情けないやらで、空気が漏れるような笑いが零れたのだ。

「確かに秘める恋っていうのもあると思うんです。だけど、秘めすぎて体を壊すのはダメじゃないですか?」
「うん、そうだね。でも、相手はどう見てもノンケだから」
「別にノンケだろうが、告白するのは自由じゃない? それで縁が切れたらそれまでって事よ」

 俺と雪乃君の会話を割って入ってきた低い声に、ふたりしてそちらに顔を向ける。声の主はみどりママで、彼の片手にはジュウジュウと音を立てる鉄板が乗った木製トレイがあった。

「お待たせ、健ちゃん。懐かしの鉄板ナポリタンよ」

 みどりママはそう言って、俺の前にケチャップの焦げる香ばしいかおりでいっぱいな鉄板を置く。その横にタバスコと粉チーズも添えられていて、ああ彼も地元の人間だとホッとした。

 狭いながらもラグジュアリーな雰囲気でまとめられた店内にそぐわない香りが広がる。
 木製のトレイに乗った黒い鉄板の上に、黄色の卵とケチャップとソーセージの赤、ピーマンの緑に、うっすらと焦げ目のついた玉ねぎ。
 それは子どもの頃から慣れ親しんだ味のナポリタンだった。

「噂のイケメン君よりも美味しいかは分からないけどね。今日はそれを食べて、早くおうちに帰って寝なさい。あと、小説書くのも今日はダメ。お風呂に入って、温かい内に寝るのよ?」

 まるで母親のように窘めてくるみどりママに、俺はいただきますと言って粉チーズに手を伸ばす。今日はタバスコはいいや。
 赤い山に粉チーズの白っぽい黄色の雪が頂上を染める。すかさずフォークを突っ込むと、ぶわりと篭っていた湯気が香ばしい匂いをまとって顔を覆った。
 複雑に絡んだ麺はフォークを回すとするすると解けていく。それは俺の心を少しだけ緩めてくれるようで、まだどうしたいのか定まってはいないけども、しつこく残っていた胃の痛みは収まっていた。

「美味いよ、みどりママ」
「僕も博也さんの作る鉄板ナポリタン大好きです」
「健ちゃんはきちんと料金を徴収するからね。雪乃は、お家に帰ったら作ってあげる」

 仲睦まじい恋人たちを眺めながら、今度木戸さんにナポリタンをリクエストしてみようかな、とそんな事を思いつつ赤い山を崩していった。
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