【本編完結】年下料理男子と社畜ラノベ作家の恋ごはん

藍沢真啓/庚あき

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秘密のチーズチキンカツ

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 仕事は大変だったが俺の足取りは随分と軽い。なぜなら──

「ただいま!」
「お帰りなさい、健一さん」

 玄関を開けてすぐに返ってくる出迎えの声に、心が一層浮き立つ。

「今準備してるので、先にお風呂に入ったほうがいいですよ。外、寒かったでしょう?」

 ひょっこりとキッチンから顔を出したイケメンは、片手に包丁を持って微笑む。ちょっとシュールなのは胸に留めておく。

 玄関でコートを脱いで、下駄箱に置いてある除菌スプレーでしっとりするまで振りかけると、ハンガーに掛けて置いておく。それから除菌ジェルで手を消毒してから靴を脱いでその場で靴下を脱いで廊下を歩く。
 世界中を騒がす病気が蔓延するようになって一年。この一連の流れもすっかり慣れてしまった。

 トントンとリズミカルに刻む音を耳にしながら風呂へと入る。ポイポイと手に持っていた靴下もワイシャツも肌着代わりのTシャツも次々と洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤をセットしてスイッチオン。
 スーツとスラックスは後で除菌スプレーをして、コートと一緒にベランダで風を通すことにする。
 一日中顔の半分を覆っていたマスクを取り、開放感にため息をついて、ビニール袋に入れてしっかり縛ってからゴミ箱へと捨てる。
 都内にしては珍しい独立した風呂場に足を踏み入れると、浴槽に湯がたっぷりと入っていた。

 木戸涼とご飯作りの契約をして一ヶ月。
 気づいたら彼はこうして痒いところに手が届くような善意を示してくれるようになっていた。

「ありがたいけど……困るよなぁ……」

 浴槽に体を沈めると、溢れた湯水がザブンと流れていく。その音に混じった俺のつぶやきは、言葉のまんま嬉しいけど困惑を含んだ複雑なものだった。

 前はドアを開ければ冷たい空気と真っ暗だった部屋は、今は煌々と温かなあかりで満ちている。
 「ただいま」と言っても空虚だったのに、今では「おかえりなさい」と誰かの声が反応してくれる。
 たった一か月。されど一か月。
 俺は木戸さんのいる事に慣れきってしまっていた。

 俺は木戸さんに秘密にしていることがある。
 現代社会では昔に比べれば概ね受け入れられるようになったけども、裏を返せばまだまだ偏見があり忌避されるような内容だ。
 本当なら、契約の時に言わなければならなかった。
 穏やかな木戸さんのことだから、ソレを言っても大丈夫だったと今なら思う。
 だけど当時はほぼ初対面で、ネットでしか主な交流をしてなかった相手に、そうそう気軽に自分の内面を明かすには抵抗があったのだ。

 言わなくちゃいけない。
 そう何度も自分に言い聞かせて一ヶ月。いまだ俺がその事実を口にできなかった。


 頭を洗い、全身を磨いて、すっかり体が温まった頃。洗濯機が洗濯終了のお知らせをメロディで伝えてくると同時に風呂から出る。
 いつの間に準備されてたタオルで体の水気を拭き、下着とパジャマがわりのスウェットを着て浴室からリビングへ向かう。揚げ物の香ばしい匂いが部屋中に広がり、空腹だったお腹がキュウと締め付けられる。

「あ、健一さん。今日はチキンチーズカツですよ。日刊ランキング一位おめでとうございます!」
「ぅえ?」
「さあさあ、冷める前に食べてください。ほら、ほらっ」

 俺よりも喜色満面な木戸さんに背中を押されて、テーブルの定位置に座らされる。家を出る時にテーブルにあったノートパソコンは、閉じられたまま俺の横で沈黙していた。

 エアコンと加湿器で十分温かい部屋の中でも、皿にドンと存在を主張するチキンカツからは湯気がもあもあと立っている。俺が風呂から出るタイミングで仕上がるようにしてくれたようだ。
 パリパリの千切りキャベツとトマトが色を添え、小鉢のひじきは具沢山で目にも楽しい。味噌のいい香りがする味噌汁も人参と大根と油揚げで、とても美味しそう……いや、絶対に美味しい。

 木戸さんはそう多くない食費から、色々駆使して俺の腹を心を満たしてくれる。

「いただきます」
「はい、どうぞ」

 箸を持ち、手を合わせて、早速とばかりチキンカツに向かう。木戸さんは玄米茶を淹れながら微笑んでくれた。

 切られたひとかけを箸で持ち上げると、中のチーズが熱で伸びて食欲をそそる。小さな小皿がふたつ。トマトの赤のものとソースの黒々としたものが並んでいた。

「あ、トマトの方はバジルが入ってますけど、苦手じゃなかったですよね」
「うん、ハーブ系で苦手なのはパクチー位かな」
「あー、好きな人は好きって言いますけど、苦手な人は本当にダメらしいですね」
「木戸さんは?」
「オレですか? 食べられるけど、好んではって感じですね」

 今後はパクチー抜きで考えますね、と言って玄米茶の入ったマグカップを置いてくれた。

 肉汁たっぷりのチキンカツを咀嚼し、甘辛ひじきをご飯と味わい、具沢山の味噌汁でお腹を温めると、先ほどの木戸さんの言葉をようやく思い出す。

「そうだ。さっきの日刊ランキングのこと。ありがとうございます」

 今更と言われそうだが、改めて木戸さんにお礼を言う。
 俺が浮かれてた理由。微妙にランキングの百位以内にあったものの伸び悩んでいたウェブ連載作品が、急激にブクマ数や評価を得てランキング一位になったのである。

「今日、お昼にツイート見たらスクショと一緒に呟いてあったのを見て、自分のことのように嬉しかったです。物語が一気に動いたのが良かったのかもしれませんね」

 ニコニコで話す木戸さんは心の底から嬉しいと言ってるようで、俺も恥ずかしいけどもはやり嬉しいので笑みで応える。

 木戸さんとこれまでの作品や、今書いてる作品の話題で盛り上がる。彼は俺の書く話を何度も読んでくれてたようで、俺ですら忘れてたシーンなどを切り出され、対応に焦ったりもした。

 こんなに俺の作品を愛してくれる人に余計な負担をかけてはいけない。

 純粋に作家としての俺に好意を示してくれる木戸さんには黙っていよう。
 彼とはこのまま雇用主と雇用者であるべきだ。

 俺は少し冷めてチーズが固まりつつあるカツを咀嚼し飲み込んだ俺の胃は、食べ物以上に重くなるのを感じていた。
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