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贈り物

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 学園のオメガ生徒送迎用の駐車場につくなり、気をつけるんだぞ、と運転席から声をかけてくる椿。
 憂璃は「はい」と言いながらもその表情はまたか、と表情で困惑を示していた。

 椿が怪我をした憂璃のサポートと称して自宅勤務をするようになって一ヶ月。憂璃は高校三年生へと進級していた。

「……ふぁ……ぁ」

 車の窓の外から見える桜の花はとっくに散り、今は淡い緑の葉を覗かせている。
 空気もすっかり緩み、毎朝眠気と戦うのが悩みのひとつであった。
 自然とこぼれてしまう欠伸を噛み締めながらシートベルトを外していると、隣から小さな笑い声が溢れてくる。

「昨日は早く寝ただろうに」
「春ってどうしても眠くなってしまって……」

 ふあ、とあくびが無意識に転び出る。
 そんな憂璃の白く艶のある髪に指を絡ませながら、椿は苦笑していた。

「熟睡できないなら、凛に睡眠剤を処方してもらうぞ?」
「しっかり寝てるんですけどね……」
「確かに、俺が寝返りをうってもピクリともしないな」
「よ、よだれとか出してないですよね?」
「さあな」

 実際にかなり熟睡している自覚はある。
 というのも、毎夜椿の匂いと体温に包まれながら眠りについてるからだ。
 ふたりで寝ても十分すぎるほど広いベッドの中心で、少しだけ低い体温と匂い椿の仄かな香りに包まれ、布団に入ってほどなく意識が落ちてしまう。

(だけど、なぜか眠気がするんだよね)

 この間もあまりの眠さに足がよろめいて、椿に支えられないと歩けないこともあった。
 凛に一度相談したが、怪我を治すために細胞が活発化していて、それで自覚なくとも体力を持って行かれているのでは、と説明されたが、それにしてもこの眠気は生活に支障があるレベルだ。
 おかげでふとした時に眠気が襲い、ぼんやりすることも増えてきて、椿が傍にいなければまともに生活できなかったほどだ。
 以前よりも依存度があがってる気がしないでもないが……

(まあ……あの時は肩を固定してたっていうのもあるし……)

「それじゃあ、椿さん。行ってきますね」

 そう言って車から降り立つ。春の柔らかな風が憂璃の長めの髪を弄んで通り過ぎていく。まだ我慢できる許容量だが、そろそろ紫外線対策をしないとだめかな、と雲ひとつない空を眺めてひとりごちる。
 椿の車も壱岐の車も、憂璃がアルビノで紫外線に弱いために、窓には紫外線カットのフィルムを貼ってくれている。おかげで年中車に乗っていても苦にはならなかった。
 本当は脱臼を治すためにも日光を浴びたほうがいいらしいが、一時期、椿も壱岐もマンションのベランダにすら出してくれなかったせいで怪我の治りが遅く、凛医師から二人が説教されていたのは、まだ新しいできごとだ。

 やっとのことで憂璃の肩の固定バンドも先日外すことができ、眠気も軽減したのもあり、椿には前のように仕事に行っても大丈夫だと告げたものの、登校するたびに椿の過保護が炸裂し、いつもは壱岐がやってくれてた送迎をしてくる始末。
 さすがに壱岐が「過保護すぎです」と椿を嗜めたために、椿が送ってくれるのは今日までとなった。

「憂璃」
「え、はい」
「忘れ物だ」

 忘れ物? と椿のいる車内に半身を突っ込んだ途端、首の後ろをグイと寄せられ、次の瞬間には憂璃の唇が温かい何かで塞がれ、ほうけて開きっぱなしの口の間からヌルリとこじ開けてぬめる異物が侵入してくる。

「……ふっ!?」

 戸惑い固まる舌の上に小さな物が乗り、闖入者の塊によって奥に押し込まれる。

「んっ……ふぅ……ん、んっ」

 憂璃は溜まった唾液と共にソレを飲み込み、まだも居座る塊を自分の舌で押し出そうとするものの、逃げる獲物の首を更に引き寄せ、グチグチと唾液を泡立てながら椿の舌がいたずらを繰り返す。
 口腔内を愛撫するように蠢く椿の舌戯に憂璃は次第に酩酊し、思わず椿のスーツの腕にしがみつく。水中でないのに溺れてしまう。
 縋ってはいけないのにすがってしまう。

 椿がこのように深い接触をしてきたのは、退院して数日してからだった。
 最初は、少し距離が近くなったな、と思った。
 椿と壱岐との三人でお茶をしている時でも、以前はおのおのが離れてソファに座っていたのが、今では椿の膝の上か足の間に座らされ、挙げ句の果てに給餌までされるようになったのである。
 更に言えば、お風呂に入るのもひとりではなくなった。
 どうしても仕事で外に出なくてはならない以外は、椿が憂璃の全身や髪を丁寧に洗い、すごく良い匂いのするクリームやオイルを塗られ、髪も丁寧に梳いてくれる。
 買い物も前は壱岐と学校帰りに買っていたりしていたが、今は椿がカートを押してくれて、つい先日には「若くて可愛いオメガのお嫁さんね~」とベータのおばさんにからかわれたりもした。
 まだそれだけなら赤面で済んだのだが。

『ええ、可愛いでしょう? 見た目だけでなく性格もとても可愛いんです』とあの美貌に蕩けるほどの笑みを浮かべたものだからスーパーの中は騒然となり、憂璃は逃げ出したくなった。
 そして、食後に飲むフェロモン安定剤を飲む時は、このように椿の口移しで服用するようになったのである。
 ちなみに何度か泣きついたものの、壱岐は椿の変容を放置している。

『諦めたほうがいいですよ。カシラも何か考えがあるんじゃないですか』

 しれっとそんな返答が返ってきて、憂璃はそんなぁ、とくずおれてしまったのである。

「……んっ」

 ちゅぷ、と水音がして、椿の唇が離れていく。
 濃密になった唾液が互いの間を繋ぎ、音もなく切れては椿の赤い舌が舐めとる。

「……お前は、唾液までも甘い、な」
「っ!」

 妖艶な笑みを浮かべ椿が耳元で囁く。ただでさえ大人の魅力あふれる椿から囁かれるだけでも全身が熱くなるくらいに恥ずかしさがこみ上げてくるのに、こんな艶かしいキスのあとに囁きを吹き込まれると勘違いしそうになる。

 椿は自分に好意を抱いているのかも……なんて。

「また夕方に迎えに来る。それまで良い子で勉強するんだぞ?」
「……は、い」
「じゃあな」

 頬を両手で挟み熱をなんとか冷まそうとする憂璃の前で、椿の運転する車が滑るように走り去る。恥ずかしさで潤む目で車が消えるのを見送ると、ポン、と肩を叩かれビクリと全身が跳ね上がる。

「朝からゴチソーサマ」
「え?」

 ニヤリと笑う顔で声をかけてきたのは、三年になっても同じクラスになった藤田彗。
 そもそも一年時からオメガクラスはクラス編成がないため、一度決まったクラスメイトと卒業まで一緒なのだが。婚約や結婚で毎年数人が退学してくので、一年の時に比べたら寂しい教室になっていたけども。

「憂璃ぼんやりしてるから気づいてないけど。ほら」

 と、彗が周囲に目線で指し示す。

「!!」

 ずっと椿しか目に入ってなかったから気付かなかったが、ふたりが居るのはオメガ学生専用の駐車場で、登校してきたオメガの生徒だけでなく、その保護者や婚約者などの視線が憂璃に一点集中していたのだ。

「は……恥ずかしいぃ……」

 彗はケロリと「アルファは囲いたがるからね。それに……」とからかいながらも語尾を濁す。

「それに、なに?」
「憂璃気づいてないの?」
「何が?」
「んーん、気づいてないならいいやー」

 気にしないで、と言って彗は下足置き場へと歩き出す。背後から「なになに、教えてよ」と憂璃が追いかけてくるけど、オメガの母が言っていた「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られてしまえ」を教えられてきたため、これ以上下手に藪を啄くと危険だと、医師であるアルファの父から受け継いだ直感力が囁いてくるのだ。

(あの無駄に憂璃にまとわりついてる威嚇フェロモン。前には憂璃の体から全く感じなかったのに……。アルファの考えはよく分からないなぁ。ホント)

 おおこわっ、と彗は親友を置いてさっさと教室へと歩き出したのだった。


   ◇◆◇


 彗に完全に置いて行かれた憂璃は、燃えそうな顔を俯いて隠し、急ぎ足で教室に向かうために下足置き場へと駆け出す。いつの間にか他の生徒たちも教室へと入っていたらしい。林檎のような顔を見られなくてホッとする。

 椿の溺愛行動からの彗のからかいまでがワンセットのできごとは、ほぼ日常と化していた。
 いい加減慣れなくてはと思うものの、椿の行動が計り知れなくて戸惑うばかりだ。

(もしかして、三年になったから、買った人からの溺愛にも戸惑わないように、直接教育してくれてるのだろうか)

 椿は憂璃をオメガの実母からかなりの高額で買ったと聞いている。椿も壱岐も口を濁すものの、当初の会話を思い出すに相当な高額なのに気づいていた。
 父親の分からないオメガが産んだ子ども。母がどれだけ吹っかけたか知らないが、椿は何を思って大金を支払ってまで憂璃を引き取ったのか分からない。
 いずれは誰かに売るとも椿の口から言われているし、憂璃も椿を慕いながらもそれなりに覚悟を決めている。
 にも拘らず、最近の椿の憂璃に対する接し方が随分変わった。
 まるで番に対するそれで、ひたすらに甘く、ひたすらに過保護に感じた。

(嬉しいは嬉しいけど、正直心臓がもたない……)

 まだ心臓がドクドク激しく高鳴るのを切り替えるように自分の靴箱に手を入れた憂璃は、指先の感触で全身がすうと凍りつく。先ほどの熱かった体が一瞬にして冷たくなる。

 まただ、と手を引いて靴箱の中を覗く。憂璃の上履きの上にそっと置かれた白い封筒。いびつに厚みがあるなんの変哲もない物。だが、憂璃はその中身が何かを知っていた。
 触りたくない。でも退けないと教室にも行けないし授業にも遅れる。
 グルグルと逡巡していたが、始業開始前のチャイムが鳴り響き、周囲のオメガ生徒たちが慌てて教室に駆けていくのが遠くから聞こえる。憂璃は意を決して封筒をつまみ上げた。
 見た目以上に重い。重力に沿って中身が下に溜まっているのも原因かもしれない。
 心臓がドキドキとうるさい。さっきは恥ずかしくも嬉しいだけの鼓動が、今は恐怖に震え逃げ出したいほどだ。

(ど……どうしよう……)

 このまま投げ捨てるには、中身を知っているだけに他の生徒に迷惑をかけてしまう可能性がある。
 だからといって自分の鞄に入れて持ち歩くのも絶対に嫌だ。

 HR開始のチャイムが鳴る前に教室に行かなくては。
 他の生徒は予備チャイムで教室に慌てて駆け込んでしまったのもあり、下足置き場はしんと静まり返っている。
 遅刻するのは椿に迷惑をかけるからしたくない、でも……
 憂璃は摘んでいる物の対処に困り果てていると。

「柊? そろそろ授業が始まるぞ」

 静かなせいで響く低い声に、憂璃は驚きで肩をビクリと痙攣させる。
 おそるおそる振り返ると、こちらを見て立っていたのは、の数学教師だった。
 名前は普段教わる機会がないため知らないものの、とても温厚で人当たりの良い人物だ。整った顔をしているからか、オメガ棟でも彼の話をよく耳にしていた。

 先生か、と分かりホッとする。

「ほら、ついていってやるから、一緒に行こうか」
「あ……は、ぃ……」

 安堵して足を一歩前に出して、気づいてはならない事実に気づき、そこから先に動けない。

 どうして、

「柊、ほら、こっちにおいで」

 三十代半ばとおぼしき教師は、憂璃ににっこりと眼鏡越しに微笑みながらゆっくりとした足取りで近づいてくる。
 憂璃は恐怖に固まる足を叱咤してズリズリと足を後ろに下げるものの、ほとんど動いてる感じがしない。

 たまに見る穏やかな微笑をしているのに、憂璃は全身を戦慄かせ血の気が引くのが分かる。この人は自分を保護してくれる人ではない。その逆だ。

「どうした? かわいい顔がこわばっているぞ? 何か悩みでもあるなら、先生が聞いてやる」

 ほら、お前の母親も迎えに来てるし。

 何がなんだか分からぬ状況に、憂璃はアルファの教師から少しでも目に入れたくなくて後ろを振り返る。
 いつの間にいたのだろう。

 二度と会いたくなかった。
 自分を勝手に産んで、勝手に生きて、勝手に売ったオメガが──憂璃の母が。

「久しぶり、憂璃。今度こそ幸せになろうね」

 また、憂璃の幸せを壊しに来たのだ。
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