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「お前と婚約を解消して、俺は愛おしいカリーンと結婚する!」
「はぁ……。お好きにどうぞ」

 煌くシャンデリアに負けない位に着飾った令嬢達とエスコートする気合の入った令息達。フロアの中心で花開くようにドレスを翻しながらダンスを踊っていた群衆の華やかな空気を突如裂いたのは、聴き覚えのある二つの声。

 学園の卒業パーティでの一幕。
 何事かと幾重にも重なった人垣を割って見える所まで出てみれば、何故か我が双子の妹が近衛兵に華奢な体を押さえつけられ、地べたに跪かされている。
 しかし、普段は穏やかな彼女の双眸は剣呑を顕にし、視線の先にいる彼女の婚約者へと鋭く投げつけていたのを見て、「おや?」と首を傾げてしまう。

 何故なら、俺の予想していた展開では、妹──ルシア・イベリスが断罪イベントでこれまでの悪事が表沙汰となり、判決がくだるまで地下牢に収監されてしまう。
 長年想い慕っていた婚約者を突然現れた男爵令嬢に奪われ、侯爵令嬢でありながら投獄される辱めを受けたルシアは壊れ、元凶となった男爵令嬢を殺害しようと動き出す……って流れだった筈。

 え? なぜこれから起こる出来事を知っているかって?
 それは俺が、今やラノベで溢れて溺れる程出回っている、乙女ゲー転生者だからだ。

 前世の俺はいわゆる乙女系男子。シングルマザーで俺を育ててくれた母と、五歳上と二歳上の姉、三歳下の妹と、典型的な女系家族で育ったせいか思考が女子寄りだった為、乙女ゲームやらゆるふわワールドやスイーツとかが好きだったんだよね。
 ただ、前世の俺は身長180センチ超えのガタイいい男子だったから、乙女趣味は絶対にバレたら死活問題。おかげで人付き合いも広く浅く、彼女なにそれ美味しいの、な童貞のまま転生してしまった。

 ただ、ここがゲームの世界だって思い出したのは、ルシアが断罪される光景が、ゲームのスチールに重なったからなんだけど。

 そんな俺はルシアン・イベリス。立ち位置はモブだ。悪役令嬢の兄というモブ。
 ここって普通、攻略対象足り得る地位じゃないの?
 今考えると、特殊な設定だったのか、単に制作費の削減だったのか。まあ、現状どう転んでもモブなので、今更反旗を翻さずに様子を静観する事にした。

 一応侯爵家の跡継ぎだから、それなりに優良物件だったりする。
 にも拘らず、十九歳になる現在ひとりも女性との交際だったり、ましてやその先の展開にすら至らなかったのは、偏に今壇上で細身の女性の肩を抱き、最愛の妹を虐げる王子のジュリアンや、これまた攻略対象で次期宰相のリュカ、学生でありながら騎士団所属のディアンサス。こいつらが常に俺を囲んでいたせいで、気づけば埋没令息……。

 まあ、いいけどさ。それよりもルシアが物語とは逸脱している行動の方が今は気になる。

「はあ?」

 まさかルシアが同意するとは思ってなかったらしい。ジュリアンはオレンジの髪の少女──多分アレがヒロインなんだろう──の肩をしっかりと抱いたまま怪訝な顔をする。
 ゲームではユーザーが自身を投影できるように、あえてヒロインの顔は出さない仕様だったから、こうして初めてヒロインの顔を目の当たりにするけど、正直そこまで美少女じゃないな。うちのルシアの方が断然美人。

 かくゆう俺も、ルシアと双子だからか、彼女と同じ琥珀色の髪にペリドットの新緑の瞳を持つ、女顔ながらそれなりに整った容貌をしている。モブだけど。

「以前、わたくし申し上げました。真実に愛する方ができれば、いつでも婚約破棄には応じると。ですから、そのようにしたのですが、何か疑問でも?」

 俺と同じ透き通るような琥珀の髪をサラリと指先で流し、淡い緑の瞳をパチリと瞬かせながら首を傾げる。本当うちの妹は愛らしい。友人とはいえども、あんなお馬鹿な王子に嫁がせるのを常々懸念していたが、これは思いもよらぬ展開になるのでは、と期待に胸が膨らむ。

 しかし、妹よ。いつの間にそんな約束をジュリアンと取り交わしてたんだ? 後でお兄ちゃんに教えてくれないかな。

 さて、売り言葉に買い言葉。元々沸点の低いジュリアンは、当然顔を猿のように真っ赤にして激高。地下の牢に入れるよう、ゲームと同じ展開を告げたのだが「お待ちください」と、思いもよらぬ人物がスルリと彼らの間に立ったのだ。

「ジュリアン皇子。それは短絡過ぎではありませんか? 彼女は婚約破棄をこの場で言い渡されたものの、王と王妃の承諾は得ていない。つまり、まだ彼女は正式に貴方の婚約者の立場です。そのような立場の彼女を牢に入れたら最後。貴方の王太子としての権利が剥奪される可能性がありますが、それを覚悟の上での発言と取ってもよろしいですか?」

 大きな声を張り上げてる訳でもないのに、ホール中に響く低いながらもよく通る声でジュリアンを諌めているのは、俺を囲む三人の中でも親友の位置にいる次期宰相のリュカ・チューベローズ。
 烏の濡れ羽色の黒髪に、アジメストのような曇りのない理知的な双眸は、神の采配によってバランスよく配置され、逆にそれが彼の冷たさを顕著にしているものの、本人は至って気にしている様子もない。
 金髪碧眼のジュリアンと並べば、月と太陽と称される位の美男子だ。なお、こいつも当然攻略対象である。

 リュカに理路整然と諭され悔しいのか、チッと舌打ちした柄の悪い王子は、男爵令嬢の肩を相も変わらず抱いたまま、

「それなら王の沙汰があるまで、しっかり監視してろ! いいな、ルシアン!」

 見事なまでの捨て台詞を叫び、これ以上リュカの絶対零度な追撃から逃げるようにして会場を出て行ってしまった。おいおい、王家が臣下に負けてちゃマズイだろうよ。

「監視って。そっちが監視対象だろう、ジュリアン」

 正規の婚約者を裏切り、別の女性を選んだのだ。しかも侯爵家よりも格下の男爵令嬢を。
 俺は心の中で、この世界の神に、まだ利用価値はあるので、せめて男性機能不能になるように、との願いを捧げたのだった。

 ま、当然の事ながら予告もなく始まってあっけなく収束した断罪イベントのせいで、全く関係のない学生達はどうすればいいのか収集がつかない状態である。

「今回は華々しい学園の伝統である卒業パーティを台無しにしてしまい申し訳ない。まだ宵の口。みんなには楽しい時間を過ごしていただきたい」

 本来ならジュリアンが仕切るべき所を、壇上にあがって告げたのはリュカだった。
 冷徹が全面に出ているが、整った容姿の彼を見詰める令嬢達の目がハートになって飛び交っている。令息ども、もっと自己アピール頑張れ。……って、俺もか。

 とりあえずはルシアが戻ってくるのを待とうと、近くを歩くウェイターからグラスを受け取り壁に凭れる。開け放たれた扉から、春の心地よい風が頬を撫で、余りの気持ち良さに目を閉じて聞こえてくる音楽に耳を傾けていると。

「ルシアンお兄様」

 愛おしい妹の自分を呼ぶ声が聞こえ、目を開いて周囲に目を馳せる。すると、少し髪は乱れているものの、どこも怪我をした様子のないルシアが、瞳に合わせた薄い黄色のドレスの裾を翻し駆けてくるのを認めた。

「ルシア、大丈夫?」
「ええ、近衛兵もそこまで無体を働かなかったおかげで」

 俺は崩れてしまった髪を丁寧に撫で梳きながら、彼女の安否を確かめてつつ、疑問に思ったことを口にしようとしたのだが。

「ねえ、ルシア……」
「ルシアン」

 言葉の続きを塞がれ涼やかな声が割って入ってくる。
 冬の月光のようなシルバーのフロックコートを纏ったリュカが、人波の間をまるで猫のようにしなやかな動きで姿を現す。
 俺だって悪役令嬢の位置に居るルシアと双子だから、それなりに整った顔をしてると思ったけど、リュカの眩い姿に目が痛い。

「大変だったね、ルシアン。それからルシア嬢」
「あ、ああ」
「この度はお騒がせして申し訳ございません。わたくしはこれにて退場いたしますので、兄をよろしくお願いいたします」

 戸惑う俺をよそに、ルシアは優雅に膝を折って淑やかな礼をする。流石王妃教育の賜物。ぱっと出のカリーン嬢には真似できまい。

「ご心配は不要です、ルシア嬢。ちゃんと、私が、ルシアンを、守りますので」
「あら。うふふ。それではお兄様、リュカ様と仲良くしてくださいね」

 何だか含みのある会話をしていたルシアとリュカだけど、なぜ俺が『守られ』て『仲良く』するのか分からずに、首を傾げてる間にルシアは楚々と会場を出て行ってしまった。それにしてもあれだけ恥ずかしい目に合わされたにも拘らず、うちの妹の毅然とした姿勢には頭が上がらない。流石悪役令嬢。そこに痺れる憧れる。

 で、完全にルシアの姿が消えてしまってから、自分が妹にゲームとは違う行動をなぜしたのかを問い質すつもりだったのを思い出し、こんな重要な時にちゃんと出来ない自分が将来侯爵当主として務まるのかな、と内心でガックリ項垂れてしまった。

「どうしました、ルシアン? 何か落ち込んでいるように見えますが」

 サラリ、と横に流した黒髪が落ち、その間からリュカの紫の瞳が心配げに覗き込んでくる。柔らかな口調もいつものそれで、俺は大丈夫としか返すことができない。
 次期宰相とは言われている彼だが、リュカの父である現宰相は高齢の為、殆ど学生時代から修業と称して父親の補佐をしていた親友と、のほほんと学園生活を送っていた俺との差にまたもや落ち込んでくるが、その割にはこうして俺の感情にすぐに気付く場所に居てくれたのを思い出す。

 しかもイケメンで頭も良く、それなのに驕った所もなくて、見た目が冷徹に見えるのが勿体無い。
 本当はめちゃくちゃ気遣いのある、紳士の中の紳士だと思うのだ。ジュリアンはリュカの爪の垢でも煎じて飲めばいいのだ。

「リュカ。お前本当いいやつだよ」
「……は?」
「きっと俺が女の子なら、お前に絶対惚れてる」

 にへら、と相好を崩して告げれば、何故かリュカの眼差しが瞠目した後、一瞬だけ怪しく光った気がするけど、きっと見間違いだろう。うん。

「本当に、ルシアンが女の子なら、俺の事好きになってくれますか?」
「あー、うん。正直ルシアとお前をくっつけたい位だ」

 今回の件でルシアは三行半《みくだりはん》を突きつけるだろう。多分王や王妃は大反対するかもしれないが、ジュリアンがあのカリーン男爵令嬢と本気で結ばれたいのなら、結局絆されて渋々でも認めるかもしれない。確率的には二割で。殆どがルシアを手放す気はないだろうと思うけど。それほどにうちの妹は優秀なのだ。
 どちらにせよミリ単位でジュリアンを見切ったルシアが、再び婚約者として戻る事はないだろうし、向こうからの破棄になるから慰謝料も入ってくるだろうし、王妃教育済という令嬢の中の令嬢のルシアは、かなりの優良物件だろう。それなら親友のリュカに任せた方があのお馬鹿王子の攻撃からも守ってくれるだろう。

「へぇ。ルシアンの言う『好き』はそういう意味なんですか……」

 おや? リュカの方からヒンヤリとした冷気が……って。

「ひっ」
「ちょっと話をしましょうか。ルシアン」

 無表情なのに唇だけはにっこりと笑みを浮かべた親友が怖くて、思わず悲鳴を飲み込んだ俺の腕を引いて歩き出したリュカの背中に内心で叫んでいた。

 俺、家に帰ってルシアに訊きたい事があるんですが──と。
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