上司と雨宿りしたら、蕩けるほど溺愛されました

藍沢真啓/庚あき

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俺は柚希の恋愛対象にならない?

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 質問の続きを促すように覗き込んできた嵯峨の濡れた前髪が、小さな束となって秀でた額に落ちる。いつもはきっちりと後ろへと撫で付けられ、隙のない男が見せた些細な乱れた姿に、柚希はトクリと胸が軋むのを感じた。

 嵯峨は柚希の勤める会社へ、一年前に赴任してきた男だ。
 元々嵯峨は大企業で営業部部長をしていたそうだが、企画力と孤高のトップを走り続ける手腕を買われ、半ば強引なやり方でスカウトされたそうだ。それが可能だったのは、嵯峨と社長が旧知の仲だった事に加え、一定の期間が過ぎたら前の会社に戻る事が約束されたから、というのもあるらしい。

 彼の入社時、長が付く役職と補佐するチーフ達が集まっての交流会議の際、嵯峨は丁寧にも一人ひとりと握手を交わし、数言ながら会話さえしていた。
 その真摯な姿に尊敬の意を抱いたものだが、第一営業の部長の次に柚希の番となり、すっと差し出された大きな手へと、無意識に自分の手が伸びたのは、果たして尊敬から来るものだったのか。

「初めまして、嵯峨零一です。槻宮君だったかな。第一営業のチーフって若いのに凄いね」
「い、いえ。みんなのサポートがあってやっていけてる位なので、自分自身の力では……」
「謙遜してるなんて、可愛いね」

 ぎゅっと握りこまれた男らしい無骨な手はサラリと乾いていて、子供体温の柚希の皮膚をひんやりと包み込む。

(可愛い……とか)

 元々筋肉がつきにくく華奢な体質な上に、母親似の整ってはいるものの女顔は柚希の中でコンプレックスの塊だった為「可愛い」は地雷の一つだったのだが。
 何故か嵯峨が告げた「可愛い」は、逆鱗どころか胸をときめかせる程の甘さを感じていた。

(でも、この人はノンケだし、いつかは自分の前からいなくなるのが決定している人なんだ。だから、これは恋じゃない。忘れなくちゃ)

 ふつり、と湧き上がりそうになった感情を無理やり蓋をする。

 忘れなくては。自分には恋人がいるのだから。と何度も言い聞かせ、柚希は嵯峨とは上司と部下という間柄を突き通そうと決めたのだった。

「柚希?」
「え? はい」
「ぼんやりしてたけど、体調でも悪くなったのかな」

 不安そうに整った顔を歪め覗き込んでくる嵯峨に、柚希はふるふると首を振って否定する。

「だ、大丈夫です。少し、嵯峨専務と初めて顔合わせした時の事を思い出して……」

 咄嗟にした言い訳内容が、作り物ではなく本当の事だった為、言葉はだんだん尻すぼみとなり、今まで起こった出来事と合わせて顔に血が昇っていく気がした。

「出会った時──ああ、柚希が顔を真っ赤にして話をした時の」
「……っ」

 うっとりと微笑み、当時の柚希を話す嵯峨は、湿った柚希の髪を指で梳きながらちゅっと音をたてて、幼さの残るまろい柚希の頬に口付ける。
 普段は物腰柔らかにも拘らず、一定の壁を持って社員と接する嵯峨の、いきなりゼロ距離で、しかも、柚希に熱情を込めた眼差しをしてくるせいで、胸のドキドキが止まらない。
 更に赤面した柚希の心情は、穴があったら入りたい、と羞恥に溢れ、恥ずかしさに俯いた柚希の耳に嵯峨はそろりと唇を寄せて。

「あの時、柚希に可愛いって言ったのは、俺の本心だよ。柚希が可愛くて、あの場所ですぐに貪り付きたい位だった」

 低い声が告げたのは、柚希を部下としてではなく、性的対象だといった内容で。

「ずっと、そういった対象は女性のみだったんだけど、柚希に対しては抱きたい欲望にまみれた。正直、柚希と握手を交わした時に、俺の勃起してたんだよね」

 治まるまで大変だった、とクスクス笑う声さえも、柚希の官能を揺さぶり、中途半端だった胸の屹立がキュンと凝るのが分かる。
 濡れたシャツが身じろぐ度に尖がりを掠め、焦れた官能に目眩がしそうだ。

「柚希は? 今はシングルなんだよね? 俺は柚希の恋愛対象にならない?」
「オレは……」

 嵯峨の言うとおり、浮気したのを機に相手に対しての心は冷え切ってしまった。だからと言って、すぐに嵯峨へと、というのは嵯峨に失礼ではないだろうか。
 蕩けるようなキスをされて体が感じたのは確かだ。今まで誰も受け入れた事のない秘蕾が期待に疼いたのも事実だし、愛撫された胸の飾りはズクズクと痛い位に勃っている。
 初対面の時、嵯峨に「可愛い」と言われ、ときめいたのも本当だ。あの時は別れた男と付き合っていたから、その気持ちに蓋をして見ない振りとしたけども。
 じゃあ、あの時誰とも付き合ってなかったら? 自分は嵯峨とこうなっていたのだろうか。
 色んな事が波濤のように襲ってきて、頭が痛く……

「……くしゅんっ」

 大事な場面だというのに、柚希のくしゃみが、空気を瓦解させたのだった。
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