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その後の日々

夏の避暑地とすいか割り

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以前X(旧Twitter)のアンダルシュ公式様で開催された、うちの子推しという企画で書いたお話に加筆したものになります。
時期的には、三章【孟夏の深更】の寒川別邸に滞在していた時になります。
少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。

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 寒川別邸滞在二日目。
 朝は早くから広大な畑を前にテンションの上がった息子の紅音が、顔と体を土まみれにしてテンションマックスではしゃぎ、瑞々しい野菜を収穫していた。
 小さな両腕いっぱいに抱えられた野菜を誇り、少し陽に焼けた肌は汗で輝いている。
 加減を知らない子供らしく体力を使い果たし、シャワーを浴びて着替えた頃には紅音は爆睡してしまった。
 紅龍と思わず顔を合わせて苦笑してしまったほどだ。
 その後、寝起きでぐずる紅音に、織田に頼んで作ってもらった柔らかく煮たうどんを食べさせ終えた頃。
 翌日のハイキングのこともあいまってすっかり元気を取り戻していた。
 子供というのは現金なものだ、と紅龍が小さくつぶやいたのを、慧斗も心の中で頷き返していた。


 紅音は織田にすっかり懐いて、昼食を終えると付いて回る。織田も紅音が孫のように可愛いのか、ひとつも嫌がることなく「わたくしが見ていますから、御崎様はごゆっくりお過ごしください」と言い、紅音と一緒にリビングをあとにした。これから朝に干した洗濯物を取り込むとのこと。

「いいのかなぁ……。織田さんも仕事あるのに」
「本人が言ってくれてるのなら大丈夫だろう。彼女の言うようにゆっくりすればいい」

 コーヒーカップを傾けながら紅龍が話すのを、慧斗はどう言葉にすればいいか分からず、口をもごもごさせるばかりだった。

「まあ、彼女も色々あって実の子と距離を置いているから、紅音君が可愛くて仕方ないのよ」

 くすくす笑いながらそう説明したのは、邸の主である寒川薔子。その名を体現するような真紅の薔薇みたいなアルファ女性だ。
 子供と距離を置いていると聞いて、慧斗は自分の両親と同じようにあの織田が子供を捨てたのかと心臓を冷やしていたが、薔子の話は慧斗の予想とは違っていた。
 以前、織田の娘がこの邸で玲司と桔梗に問題を起こしたそうだ。その際、心の疲れからきたものだと凛の診断により、その娘は面会が制限された病棟で長期入院をしているとのことだった。

「それは寂しいですね」

 ぽつりと慧斗が呟く。
 捨てたのではなく引き離された実の子に、思うように会えないのは慧斗だったら辛いと思う。

「そうね。経緯はどうあれ、己の子と離されるのは辛いわね。しかも気軽に会える環境じゃないなら尚更」

 薔子はそう慧斗の言葉に同意を見せたものの、慧斗は傷心に目を伏せていたので気づいていないだろう。
 紅龍の目には「仕方ないけど」と冷えた色を乗せているのを悟った。
 それだけで織田の娘が玲司の逆鱗に触れるなにかがあったのだと理解する。その玲司の怒りは寒川家総意のものであるとも。
 だから『凛の診断で入院措置』になったのだろう。
 紅龍は慧斗に真実を気づかれないよう、コーヒーカップで表情を隠した。


 夕方までの間、なぜか紅龍が離れてくれなかったため、ふたりで邸の中をあてもなくぶらついた。
 普段は家族棟しか使用していないせいか、そちらに人の配置は多くされていたが、客用の棟は閑散として足音さえもやけに響いた。

「こっちは向こうと違ってよそ行きな雰囲気だな」
「そうだな。こっちは年に数回使うか使わないかの頻度だからな。しかも都会からのアクセスもあまり良いとは言い難いし」
「あー、まあね」

 慧斗たちが住む街からここまで来るには、距離を考えても不親切なアクセスルートしかない。
 そもそもこの地は避暑地というのもあり、多くの人を招致するのを避ける意味もあるのだろう。と、いっても近年観光地にもなっているのもあり、以前よりは多少改善されているようだが。

 今回慧斗たちは玲司の車でここまで来た。他には新幹線と在来線を乗り継ぐ方法と高速バスに乗って来るルートがあるのも、招待された時に調べて知った程度だ。

「まあ、上級アルファ家系が電車を使ってやってくる訳はないからな。ただ単に遠出できるほどの余裕がないんだろう。こういうところはバース関係ないってことだ」
「やっぱり紅龍の目から見ると、弐本人って働きすぎって感じる?」
「ああ。全てがとは言わないが、俺の目から見ればワーカーホリックじゃないかと思ってる」

 肩をすくめて話す紅龍を見て、慧斗は思わずクスリと笑みをこぼしていた。
 紅音が通っていた保育園の保育士峯浦によるストーキング事件をきっかけに、五年も接触のなかった番である紅龍と生活を共にするようになって二ヶ月。
 日々の慌ただしさでゆっくり話す機会がなく今日まで来たが、これだけふたりでいることは今後もないと思い、慧斗は思い切って尋ねることにした。

「あのさ、紅龍」
「なんだ?」
「俺たちと一緒にいるけど、マスコミは大丈夫なのか?」

 慧斗は質問を口にしたものの、本当に尋ねたいものとは違う、と頭を抱えたくなった。

「心配しなくていい。弐本に来ることは知られてしまっているが、滞在場所は秘密になっている。それにあのあたりの住人は玲司の出自を知ってるからか、俺がいても外に漏らす真似はしない親切地域だ。おかげで二ヶ月経った今もマスコミは俺の居場所を必死で探してる」
「へ、へぇ」

 確かにあの地域は街の外れだというのに子息令嬢が通う秋槻学園もあるし、上流アルファ家系の玲司が普通に店を出しているし、裏社会のトップである男性の番は学園の生徒でなんなら上司の番も上流アルファの出だ。
 そんな彼らが他の人と変わらぬ穏やかな表情で過ごしている街は、紅龍の姿を隠すのに適しているのだろう。あながち彼の主張も本当なのかと納得する。

「慧斗、本当に聞きたいのって、そういうことじゃないんだろう?」
「ど、どうして」

 分かったのだろう、と疑問を口にする前に紅龍の大きな手が頬を優しく撫でてきた。

「聞きたいことがあるなら遠慮せずに聞けばいい。お前には尋ねる権利があるんだ」
「紅龍……」
「これまで五年の間、言いたくても言えなかった言葉を、慧斗だけは俺にぶつけてくれていい。どんな罵詈雑言でも俺は受け止めるし、それで俺が慧斗を嫌いになんてないから」
「うん……、ごめん。でも、ありがとう」

 頬を撫でる手から、大きな体から香る紅龍の甘苦い香りが慧斗に安堵をもたらす。どうして五年もこの愛おしい匂いから離れることができたのか。紅龍の香りを感じるたびに慧斗の胸は小さく弾んだ。
 いつかまた頭の中がまとまったら聞くから、と慧斗が告げ、紅龍はいつまでも待つと返した。
 だけどそれは来ないかもしれないと、慧斗は内心で呟く。

 この家族の時間は、いつまで続くのか――と。



 時折意味もない雑談を交わしながら探索を終えたふたりは、おかーさーん、と愛息子の元気な声に足を止める。

「どうした、紅音」

 弾丸よろしく飛び込んできた紅音を受け止めた慧斗だったが、あまりの勢いにたたらを踏んでいると、背後で力強い腕が慧斗と紅音を軽々と受け止める。

「紅音、廊下は走ったらダメだ。人にぶつかったら、相手が怪我するかもしれないんだぞ」
「うー……、ごめんなさい……」

 紅龍の固い声音に紅音はしゅんと落ち込んだ声で謝罪する。基本聞き分けのいい紅音だが、紅龍の言葉に対しては反論ひとつせずに大人しく従う。
 普通、紅音くらいの年齢の子は、大人に叱られると不貞腐れる事が多い。だが紅龍はちゃんと反省したら、いつまでも長引かせることはない。息子の出来すぎる性格がもしかしたらひとり親によるものだったらと、慧斗の胸がチクリと痛んだ。

「それで、紅音? 走ってきたってことは、何か早く慧斗に言いたいことでもあるんじゃないのか?」
「ほーろんさん、すごーい! うんっ、あのね、おださんがすいかわりしませんか、って」
「「すいか割り?」」



 街に比べると山に囲まれたこちらは、夜になれば肌を撫でる風が少しだけ爽やかだ。
 芝生が敷かれた小さな庭で、目隠しをした紅音が棒を持って右に左にとよろめいている。
 慧斗、紅龍、凛に薔子、それから織田がそれぞれ手を叩いて紅音を誘導している。

「ほら、紅音こっち!」
「あー、もうちょっと右だ、右!」

 あっちにふらふら。
 こっちにふらふら。

 紅音が着ている浴衣を締めた紺色の兵児帯がふわりふわりと揺れる。凛が昔着ていた子供用の浴衣を、織田が丈を詰めたものだ。
 しかも紅音だけでなく、慧斗も紅龍も袖を通してないからと渡された浴衣をまとっている。
 慧斗は麻地の生成りの無地に濃い灰色の帯を。
 紅龍は黒地に縞の浴衣に白の帯を。
 蛇足だが、慧斗の浴衣は凛が所持していた未使用の物で、紅龍のほうは玲司の物らしい。ただ、紅龍は玲司より上背があるため、袖や裾から見える肌色は多めだった。
 それでも似合うのだから美形は得な生き物だ。
 洋服の時のような動きをするとすぐに着崩れるせいで、ずっとぎこちない動きをしているせいか肩がこる。それでも初めて着る浴衣は慧斗の心を弾ませた。
 両親はいつも姉にばかり良い物を与えていた。慧斗は見向きもなれない。祖母が作ってくれると言ってくれたが、意固地になった慧斗は固辞していた。祖母には大変悪いことをしてしまったと後悔している。

「紅音君、そこでいいよ!」
「えーい!」

 凛の声に紅音が元気に応え、それからポコンッ、とやたらと軽い音が庭に響く。案の定というか、四歳児の非力ではすいかは割れず、持っていた棒は弾かれ流れるように紅音は芝生の上に寝転がった。

「紅音、大丈夫か?」
「うん、へーき。すいかさんぼくよりつよいねー」
「そうだな。今度は割れるように、紅音は沢山ご飯食べて大きくならなきゃな」
「はーい」

 紅龍が紅音を抱き起こし、体についた芝生を払い除けながら話している。

「御崎様、紅音君にすいかお渡ししても大丈夫ですか?」

 目を細めてふたりを眺めていると、横から織田がそう尋ねてくる。

「ええ、少しだけなら大丈夫です。一応、寝る前にトイレにも行かせますし」

 すいかは利尿作用が強く、食べ過ぎるとおもらしすると、昔読んだ育児書にあったのを思い出す。家でもすいかを出すこともあるし、『La maison』でもすいかを使ったメニューを食べることもあるから、そういった時は寝る前のトイレに気をつけるようにしていた。

「それじゃあ、こちらを紅音君に」
「わぁ、かわいい」

 織田から差し出されたガラスの器にコロンと盛られたすいかは、丸くくり抜かれていて、種が見当たらない。サイダーが注がれているのか、シュワシュワと泡が跳ねる音が聞こえた。
 しかし、泡の弾ける音が掻き消えるような「パンッ」と大きな音が耳に届き慧斗は顔を上げる。音のしたほうに首を動かすと、紅龍が棒を持っていない手で目隠しを外す所だった。和服なせいか、侍の幻覚が見えた気がする。
 わいわいと割れたすいかを囲むのを横目に、慧斗は紅音を呼び寄せベンチに座らせると、織田に渡された器を渡す。

「中にサイダーが入ってるから、こぼさないように気をつけてね」
「はーい。おかーさん、もうたべていい?」
「いいよ。いただきますは言ってね」
「いただきます!」

 スプーンに乗った子供の一口大のすいかが紅音の口の中に消え、次にしゃくしゃくとこ気味いい音が聞こえた。
 人生初の浴衣にすいか割り。家族のイベントということが初めてで、慧斗は嬉しくもなんて言ったらいいのか緊張する。

「んーっ、しゃくしゅわー」

 ほっぺを押さえて目をギュッと結んだ紅音と慧斗に「あ、美味しそうなもの食べてるな、紅音」と紅龍の気配が近寄る。

「織田さんがわざわざ用意してくれたんだ」
「俺たちのは、さっき割ったのを織田が切りに行ってるから」
「うん、楽しみ」

 紅龍が紅音を挟むようにしてベンチに腰を下ろす。夜の湿気た空気に乗って紅龍の甘苦い匂いが慧斗を撫でる。
 ああ、なんて幸せなんだろう。これが泡沫の夢だったとしても、子供の頃から憧れていた光景が形を変えて慧斗の心を満たしていく。

 始まりがあれば終わりもある。この楽しい夏が来年も来るとは断言できない。
 それでも、今は今だけは、長年思い描いていた家族の時間を笑って過ごしたい。

 五年越しの小さな夢は、思いがけぬ避暑地にて叶えられた。



  【完】
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