君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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清明の払暁

9-紅龍

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 「カット!」と紅龍が声を張り上げると、緊張に包まれた空間が途端に弛緩する。

「これでオールクランクアップだ。みんなお疲れ様!」

 まだまだ編集などは残っているものの、これで長らく拘束していたキャストたちは開放される。満面の笑みが溢れる中、主演の相馬が近づいてくるのに気づいた。

「紅龍さん、お疲れ様でした」
「ああ、相馬も最後までありがとう」
「いえ、いい経験になりましたよ」

 同じアルファだからか、自信ありげに微笑む相馬の姿が、過去の自意識過剰だった己の姿と重なって胸が痛い。

「わざわざ来訪してオファーした甲斐があるな。おかげでいい作品ができそうだ」
「それは上々。ですがこの映画が終わっちゃうと、もろもろ忙しくなるので、残念な気がしますけどね」
「それはいい事じゃないか」

 確かに慧斗の事件で撮影を一時中止にしていたのもあって、スタッフもキャストも無用な時間ができた。その分のギャラもちゃんと支払っているし、一時中止期間に別の仕事を入れてもいいと言ってあったので、損はないはずだ。

「いい事でしたよ。おかげでこの休暇中に藤野を番にできたので」

 にこやかに爆弾を落としてくる相馬に、紅龍は簡易編集した映像を流していたモニターから勢いよく顔を上げた。おかげで手元に置いていたコーヒーが入ったカップが転がり、紅龍の履いていたパンツに黒い染みを作って地面に落ちた。

「わっ!」
「すみません、紅龍さんっ。火傷していませんか!?」
「ああ、冷めてたから大丈夫だ」

 ベージュのパンツに黒の薄手のセーターは、出かける前に慧斗が準備してくれてた物だ。左の太ももから膝にかけて濃い茶色の染みとなって無残な姿となっている。これは着替えたほうがいいが、今日はマネージャーの男は別件で動いているため、慧斗に自宅から着替えを持ってきてもらうのが早い。
 だが……

「あとは撤収作業を見届けて、全員分のIDカードを返却するだけだから。そこから車ですぐだし、家に帰って着替えるとするよ」

 なんでもない素振りで相馬に告げれば、再度「すみません」と頭を下げて、着替えのためにスタッフ車へと駆けていった。

 紅龍は周囲に視線を移し、深いため息をつく。これまで撮影のために組まれていたセットを解体する様子が目に入る。あと数時間もしたら、元の静かな森の廃校舎に戻るだろう。
 当初の予定より大幅に時間が掛かったが、初めて監督した映画が出来上がった。感無量という言葉が脳裏に浮かぶ。

(本当に色々あった。だけど、その経緯があったからこそ、今の環境に満足できる自分がいる)

 これまでも自身が主演した映画のクランクアップに何度も立ち会ってきた。
 だけど今の紅龍を満たすのは、これまでとは比にならないほどの、大きな満足感だった。

(それもこれも、慧斗という存在と出会ったおかげだ)

 この映画は、物語の名前は変えているが、紅龍と慧斗の出会いから始まる物語だ。
 街で出会い、衝動に流されるまま番契約を果たし、第三者の介入で引き離されるアルファとオメガの話。
 アルファは消えたオメガを必死になって探すものの、オメガは煙のように消えたまま見つからない。焦燥感に駆られたアルファの元に、親友がもたらした小さな情報。アルファは僅かな手がかりを元に再び街に戻る。
 紅龍はこの冒頭のみをシナリオにし、自身の持てる財を使って、キャストとスタッフを集めた。
 皆、こんな先の見えない脚本に、ここまでついてきてくれたと思う。

(だけどこの映画のおかげで慧斗と再会することができた)

 再会した当初は壁を作り、紅音を守るために紅龍に牙を剥いていた慧斗。
 次第に絆されたのか、少しずつ距離を縮め……いや、こちらから三足飛びで縮めた感は否めない。
 それでも慧斗は紅音の父親として、関係を見直してくれた。おかげでいろんな事件に巻き込まれたが、その分絆も強くなったと紅龍は感慨深く思い馳せる。
 現在では戸籍上でも慧斗は紅龍の番で伴侶となった。

 ただ不安要素がないわけではない。再会した当初に突発的なヒートになって以来、慧斗にその兆候が現れない点だ。
 一度内密で慧斗の主治医をしている凛に相談に行ったものの、定期的な検査でも数値に異常がないため様子見をしているとのことだった。
 「正式に番と伴侶になって浮かれる気持ちは分かるけど、慧斗君の体はまだ完全に癒えた訳じゃないからね。ヒートに関しても静観するつもりでないと」と厳しい表情で窘めてくる凛は、玲司と同じく慧斗を大切に思っているのが痛いほど感じ取れた。
 まだ紅音も小さいし、ふたり目についてもお互い話にも出てこない。それならヒートも自然に任せて待とうと何度も自分に言い聞かせた。
 実際は慧斗を初めて抱いてから六年。禁欲のしすぎで暴発しそうではあったが……

 衣装スタッフが濡れタオルを持ってきてくれ、多少染みが薄くなる。濡れた場所が暖かいとはいえ森の中で冷たくなっている不快感と戦いながら、撤収作業が完全に終わったのを見届ける。正門ではなく普段使う裏門から出るスタッフやキャストからカードを回収して、今度は完成披露会で会おうと約束を取り交わし、遠くなる車の列を見送った。

 ホッと息を落とし、紅龍が踵を返したその時、向こうから歩いてくる人物を見かけ目を見開く。

「あ、王さん。お久しぶりですね」
「白糸教授」

 それは秋槻学園の大学教授で慧斗の雇い主である白糸総だった。どうやら仕事帰りなのか、薄手のコートを羽織り、カバンを持っているのを認めた。

「もう授業は終わったんですか?」
「ええ、中間考査も先ですし、うちの番が早く帰ってこいとうるさくて」
「それはアルファの慣習と思って慣れていただくしか」

 アルファの執着は半端ない。特に番に対しては、囲い込んで外との交流を許さない者も多くいる。
 白糸のように多くの人の目に触れる仕事を許しながらも、心配が付きまとっているのだろうな、とアルファとして白糸の番に同情してしまう。
 かくゆう紅龍も玲司も椿も似たような感覚を持っているので、白糸の番の気持ちは痛いほど分かるつもりだ。
 ただ表に出しすぎて番に嫌われたくないから、不安だと思いながらも送り出すしかない。
 自分だって慧斗に狭量だとは思われたくないのだ。

「そういえば慧斗君から聞きました。寒川さんの義弟になったそうで。おめでとうございます」

 ありがとうございます、と返したものの紅龍の心中は複雑だ。

 あの日、即決した慧斗は玲司に連絡を取り、翌日には紅龍の両親の住む家に全員が集まった。
 即決断した慧斗に、義母となる寒川薔子の方がたじろいで、何度も慧斗に意思の確認をしたほどだ。
 そんな中で粛々と書類に記入した慧斗は、不備もなく書類も受理されたことにより、旧姓を御崎から寒川へと変わった。
 つまり、長年の悪友である玲司と、慧斗の主治医である凛は、実質上の義兄となったのである。そのことに一番喜んだのは言わずもがな紅音だった。
 紅龍側の両親が祖父たちになるだけでなく、慧斗側にも祖母だけでなく伯父もできたのだ。その日は家に帰ってからも興奮しっぱなしで、寝付くまで大変だった。

 そうしてエージェントを通して、新聞に書かれていた人物は恋人ではなく既に伴侶であり番であること、子どもは間違いなく自分の子どもであるとしてマスコミに大々的に報告をした。
 また番は一般人ではあるが、名家寒川家の養子であること、未確認の報道をした新聞社または出版社とは今後一切の仕事や取材を受けないと追記しておいた。
 予想通りSNSではいろんな憶測が飛び交っていたようだが、寒川家の威力を知っている者たちは、自分たちに火の粉がかからないよう汐を引くように押し黙っていた。

 これで慧斗の家族も下手に手出しはできないだろうとは思う。
 が、正直釈然としない。

 慧斗は両親や姉を切り捨て、自分や紅音の生活を守るために寒川の養子となったが、あの連中がそう簡単に諦めるだろうか。
 胸の奥がずっとざわめいている。

 紅龍は白糸と立ち話をしながら、もし慧斗の家族が自分の家族を害そうとするなら、今度こそは許しはしないと心に強く刻んだ。
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