49 / 69
回春の暁月
3
しおりを挟む
黒と金、東洋と西洋、アルファとオメガの特徴を如実に体現したふたりの男性が並ぶのは圧巻だ。このふたりの遺伝子を受け継いだのが紅龍だと納得もできる。
「は、初めまして。御崎慧斗と申します。このような格好での挨拶で申し訳ありません」
見惚れていた意識を戻して、慌てて体を折るように挨拶をする。緊張で心臓がバクバクと早鐘を打っているし、額から汗が滲み出ていた。
初対面の人に対してする挨拶だろうか、今すぐベッドから降りて挨拶し直したほうがいいのか、と頭がグルグルしていると。
「慧斗さん」
「は、はいっ」
肩に細い手が置かれ、慧斗の全身がバネのように弾む。隣に、金色が輝き、青い空の色が慧斗の姿を映している。
「体に障りますよ。あなたは怪我人なんですから、無理しなくてもいいですからね」
「あ……りがとう、ございます」
「ほら、紅龍。慧斗さんの背中にクッションを入れてあげなさい。というか、その前に慧斗さんに頭を下げさせるとか、どんだけ鈍いの」
「あ、あぁ」
戸惑う慧斗をよそに、麗蘭と紹介された美しいオメガ男性が、痛烈な言葉を紅龍に投げかける。慌てて駆け寄った紅龍を見ると、母親に弱いのだろうか。
紅龍はかき集めたクッションを慧斗の背中に差し込んだ。この部屋にこんなにもあったのか、と驚くほどのクッションに埋もれて、慧斗は紅龍へと顔を向けた。
「紅龍、ありがとう」
「いや、俺こそ早く気づくべきだったよな。ごめん」
「ううん、ちょっとしんどかったから、凄く助かった。でも、クッションこんなにあるんだね」
「向こうの寝室にあるのも持ってきたからな」
「ああ、だから紅龍の匂いがするんだ」
目元を赤く染め、微笑む慧斗の頭を紅龍の長い指がゆるりと撫でる。その心地よさにうっとりとしてしまうのは、番の匂いに包まれて安心しているのもあるだろう。
オメガは番となったアルファの匂いで精神を安定させるといわれている。紅龍と一緒に生活するようになってから、ずっと力を入れていた肩が軽くなった気がする。
更には紅龍への思いを自覚してからは、紅龍の匂いに包まれていると、とても幸せだと感じるようになっていた。
満足気な吐息が鼻から漏れた慧斗は、ふと視線を感じて目線を上げる。そこには驚いたように見ている紅龍の両親と、ニコニコ顔の紅音が並んでいた。
「あっ、す、すみませんっ。お恥ずかしいところを……」
「いや、いいよ。どこの番も一緒だなって微笑ましく感じたよ」
「まあ、息子のデロ甘な顔はどうかと思うけどな」
すっかり存在を忘れて寛いでいた慧斗が焦って謝っていると、ふたりはなんでもないと言うように手を振って笑っていた。
「あのね、ほーろんさんね、おかーさんにいつもあまあまなの」
楽しげな空気に触発されてか、紅音が唐突に爆弾を落とした。本人は百パーセント無自覚だとしても、初めて顔を合わせた紅龍の両親に話していい内容ではない。
かといって、ここで叱るというのも水を差すようで、どうしたらいいのかと頭を抱えていると。
「そっか。ふたりとも甘々なんだね。……くおん君だっけ? お名前ちゃんと教えてもらってもいいかな」
と、美青年と言っても過言ではない美しいオメガが、紅音の前にしゃがんで問いかける。その隣では黒髪の美丈夫も紅音に目線を合わせるように屈んでいた。
紅音には普段から簡単に人に名を教えてはいけないと聞かせているためか、ちらちらと慧斗に様子を窺っている。慧斗は「ふたりに教えてあげて」と言うと、満面の笑顔で大きく口を開いた。
「はーい! おざきくおんですっ。ごさいになりました!」
右手を高く挙げて元気よく答える紅音を、赤と青の瞳が愛おしげに細められる。その瞳が窓から入る陽光にキラキラしているのは、涙で潤んでいるせいなのか。
ふたりは紅音に「そうか」と小さく頷きを繰り返し、そろそろと紅音のツヤツヤな頭を撫でている。
それはまさしく孫を愛でる祖父母のようで、いつの間に紅龍が彼らに紅音の事を話していたのか、不思議に思った。
「良いご挨拶、ありがとう、紅音君。こっちも挨拶しないのはフェアじゃないね」
「ふぇあ?」
「同じじゃないってことだよ」
「ふーん?」
「あはは、難しいかな」
紅龍に似た男性が、紅音の頬をゆるりと指で滑らせ微笑む。
本当は彼らの素性はこのまま紅音に知らせたくない気持ちと、やはり知らせたほうがいいという感情が慧斗の中でせめぎ合っている中、彼らはゆっくりと口を開いた。
「初めまして、紅音君。私たちは君のおじいちゃんとおばあちゃんだよ」
「おじーちゃん? おばーちゃん? でも、おとこのひとふたりだよ?」
「そうだね。でも、紅音君のお父さんとお母さんも男の人だろう?」
「うん、ほーろんさんはおとーさんで、おかーさんは、おざきけいとっていうの」
「僕が紅龍を産んだお母さんなんだよ」
「ほんと? それじゃあ、おかーさんといっしょだね!」
きゃー、と今にも興奮で跳ねそうになる紅音を、ふたりは嬉しそうに見ている。その穏やかな光景に、先程まであった迷いは消えてなくなっていた。
慧斗の家族は祖母だけだった。今は玲司が保護者として法的に認められているけども、紅龍と番になるまでは孤独だった。その後紅音を妊娠して家族ができたけど、心の隙間は紅龍と再会するまでは埋まることはなかった。
紅音には自分のような空白を作らずにすんで本当に良かったと、自然と唇が笑みを形作っていた。
しばらくすると、入口のドアからノックの音が聞こえ、紅龍が誰何しに向かう。だがすぐに引き返してきて「凛が来てる」と慧斗に囁いてくれた。
時間を確かめると昼前という微妙な時間帯。診察にしては変だな、と思っていると、勝手知ったると凛が部屋に入ってきた。
「薔子さんからふたりの事を聞いて様子を見に来たんだけど。本当にいてびっくり」
驚きに目をパチパチをさせている凛は、紅龍の両親と視線が合うと目礼で挨拶を交わす。向こうも同じように瞬きで応えたあとは、紅音と向き合っていた。
「凛先生、知っていたなら早く言って欲しかった」
がっくりと項垂れる慧斗へ「僕もさっき聞いたばかりだし」と淡々と返され、夏に会った薔薇の花のようなアルファ女性の、豪快に笑う姿が脳裏を通り過ぎた。
さすが上位アルファ家系の寒川家だ。玲司と紅龍が友人だと言っていたから、親同士も交流があると思っていたが、慧斗の予想は外れていなかったようだ。つまりは紅龍の家は本国ではかなりの家だということになる。
今更ながらこんな場に自分がいていいのかと、内心ドキドキしていた。
「それで、診察時間には早いですよね?」
いつもは昼すぎてからの回診でしかほとんど会わない凛が、わざわざ足を運んできたことに疑問を持っていると。
「実は、スタッフに昼食の差し入れをもらったんだけどね、余分が出ちゃって。慧斗君は病院食だし、紅龍さんも介助やらで時間取れないだろうし、それなら紅音君はどうかなって誘いに」
「え、いいんですか?」
「むしろ来て欲しいかな。保存効かないし、捨てるよりかは誰かに食べてもらったほうがいいだろうし」
「紅音、どうする? 凛先生がお昼一緒にどうですか、って言ってるんだけど」
初めてできた祖父母にはしゃいでいる紅音に声をかけると「たべるー」と言って、てててと駆け寄ってくる。本当は病室でも走っちゃダメと叱るべきなのだろうが、早足程度だったため黙認することにした。
「りんせんせーといっしょにごはん?」
「うん、洋風のお弁当なんだけど、紅音君嫌いなものはなかったよね」
「まえはねー、ぴーまんとぐりんぴーすがきらいだったの。でもれーじさんがおいしいのにしてくれて、ぐりんぴーすはたべれるようになったよ」
「そっか、ピーマンはちょっとだけあると思うけど、頑張って食べてみようか」
「うーん、がんばる……」
急に勢いをなくした紅音がそう言いながら凛の手を握る。あれは完全に行く気満々だと、慧斗は「すみません、お願いします」と凛に託した。
「おかーさん、ほーろんさん、おじーちゃん、おばーちゃんいってきまーす」
ぶんぶん手を振って部屋を出る紅音に慧斗も手を振り返す。ドアが閉まる音が完全に消えてしまうと、それまでの穏やかな空気がコインを返すように急激に変化していった。
「……それで、今回弐本に来たのは、紅音を見に来たって訳ではなないだろう?」
沈黙を破る冷えた紅龍のひと言に、止まっていた時間が動き出す。
「ああ、あの子がいたから、どう切り出そうか迷っていたが。薔子が手を回してくれたんだろうな、きっと」
「薔子さん?」
こうも続けて彼女の名を聞くとは思わず、慧斗は目を瞬かせて紅龍の両親を見る。
「ここに君が入院しているのを教えてくれたのも彼女だ。正確には、玲司君が薔子に伝えて私たちに繋がった……が正しいが」
「経緯は分かった。それで、本来の目的を話してくれ」
零龍が慧斗へと説明する中、不機嫌そうな紅龍の声が割ってくる。零龍も肩を竦めるだけで、特に反論せずに紅龍を一瞥した後、慧斗に向き直った。
「この度は放逐したとはいえ、我が一族の者が君に迷惑を掛けた。大変申し訳ない」
すっと零龍の横に立った麗蘭も一緒になって、慧斗に静かに頭を下げてくる。庶民の慧斗からすれば、一生目に掛かるなんて有り得ない人物たちから謝罪を投げかけられて、助けを求めるために紅龍に視線を向ける。だが、紅龍は両親を睨んでいて慧斗の視線に気づかない。
「い、いえっ、もう終わったことですし、お願いですから頭を上げて……」
「俺はあなたたちを許すつもりはない」
困惑し、右往左往する慧斗の言葉を遮り、紅龍の声が冷ややかに彼らを断罪する。
「前に俺は言ったはずだ。伊月たちが俺の前に現れないよう、しっかり監視をしてくれと。あいつの余計な野望のせいで、俺は……俺と慧斗は五年も離されたまま過ごす事になったんだ。しかも紅音の存在も知らないまま」
「それはお前にも原因があるのじゃないのか」
「確かに俺にも至らない部分はあったが、あの時点は俺は慧斗にプロポーズをして、本国に連れて行くつもりだったんだ」
自分の父を睨み据えて語る紅龍の言葉に、慧斗は驚きで目を見張る。
あの時点で紅龍は自分を番として縁を結ぼうとしてくれていたのか。
嬉しい気持ちと、あの時伊月の介入で狂ってしまったがために、五年という時間を複雑な感情を抱えてひとりで生きてきた辛さが綯交ぜになる。
慧斗はある程度は自分の気持ちを話すつもりだが、ここは紅龍に任せたほうがいいと、静観することにした。
「それで? 彼はお前の気持ちに応えたのか?」
「……」
「答えないということは、私の言っていることが正しいと認めたことになるぞ」
鼻で嗤う零龍に、紅龍は悔しげに唇を噛む。
慧斗は黙って見ているつもりだったが、あまりにも痛々しい紅龍の姿に、思わず声を上げていた。
「あのっ、あれは俺が悪いんです! あの人の言葉を鵜呑みにして、紅龍を信じる余裕がなかったから」
「違う、慧斗は悪くない。俺がちゃんと伊月を制御していれば良かったんだ。それなのに、番を得た気の緩みから慢心になって伊月の行動を見過ごしてしまった」
言い募る慧斗を紅龍が包み込むように抱きしめ、当時の後悔を口にする。
五年前の、すでに戻ることのできない現実を、紅龍は後悔の念に囚われていたに違いない。
「俺もごめん。あの人が紅龍に婚約者がいるって言葉を信じてしまった」
「それは」
「紅龍は俺を運命だって言ってくれたけど、その言葉を信じることができなかった。だからあの人の言葉を鵜呑みにしてしまった」
「慧斗……」
今にも泣きそうな紅龍の頬をそっと撫で、それから体をずらして零龍を見つめる。
「あなたたちが一般人に謝罪する名目で弐本に来たとは思えません。本当は紅龍を叱咤するつもりで来たのではありませんか?」
「どうしてそう思った?」
対峙する零龍は、先程の殊勝な様子とは違い、アルファらしい不遜な空気をまとって慧斗を見下ろす。ああ、やはり彼は紅龍のためにこの場に来たのだと確信できた。
「俺も子どもを持つ親ですから」
にっこり笑って言えば、零龍は瞠目し硬直している。隣の麗蘭も同じように青い瞳を見開き、慧斗と紅龍を見ていた。
「は、初めまして。御崎慧斗と申します。このような格好での挨拶で申し訳ありません」
見惚れていた意識を戻して、慌てて体を折るように挨拶をする。緊張で心臓がバクバクと早鐘を打っているし、額から汗が滲み出ていた。
初対面の人に対してする挨拶だろうか、今すぐベッドから降りて挨拶し直したほうがいいのか、と頭がグルグルしていると。
「慧斗さん」
「は、はいっ」
肩に細い手が置かれ、慧斗の全身がバネのように弾む。隣に、金色が輝き、青い空の色が慧斗の姿を映している。
「体に障りますよ。あなたは怪我人なんですから、無理しなくてもいいですからね」
「あ……りがとう、ございます」
「ほら、紅龍。慧斗さんの背中にクッションを入れてあげなさい。というか、その前に慧斗さんに頭を下げさせるとか、どんだけ鈍いの」
「あ、あぁ」
戸惑う慧斗をよそに、麗蘭と紹介された美しいオメガ男性が、痛烈な言葉を紅龍に投げかける。慌てて駆け寄った紅龍を見ると、母親に弱いのだろうか。
紅龍はかき集めたクッションを慧斗の背中に差し込んだ。この部屋にこんなにもあったのか、と驚くほどのクッションに埋もれて、慧斗は紅龍へと顔を向けた。
「紅龍、ありがとう」
「いや、俺こそ早く気づくべきだったよな。ごめん」
「ううん、ちょっとしんどかったから、凄く助かった。でも、クッションこんなにあるんだね」
「向こうの寝室にあるのも持ってきたからな」
「ああ、だから紅龍の匂いがするんだ」
目元を赤く染め、微笑む慧斗の頭を紅龍の長い指がゆるりと撫でる。その心地よさにうっとりとしてしまうのは、番の匂いに包まれて安心しているのもあるだろう。
オメガは番となったアルファの匂いで精神を安定させるといわれている。紅龍と一緒に生活するようになってから、ずっと力を入れていた肩が軽くなった気がする。
更には紅龍への思いを自覚してからは、紅龍の匂いに包まれていると、とても幸せだと感じるようになっていた。
満足気な吐息が鼻から漏れた慧斗は、ふと視線を感じて目線を上げる。そこには驚いたように見ている紅龍の両親と、ニコニコ顔の紅音が並んでいた。
「あっ、す、すみませんっ。お恥ずかしいところを……」
「いや、いいよ。どこの番も一緒だなって微笑ましく感じたよ」
「まあ、息子のデロ甘な顔はどうかと思うけどな」
すっかり存在を忘れて寛いでいた慧斗が焦って謝っていると、ふたりはなんでもないと言うように手を振って笑っていた。
「あのね、ほーろんさんね、おかーさんにいつもあまあまなの」
楽しげな空気に触発されてか、紅音が唐突に爆弾を落とした。本人は百パーセント無自覚だとしても、初めて顔を合わせた紅龍の両親に話していい内容ではない。
かといって、ここで叱るというのも水を差すようで、どうしたらいいのかと頭を抱えていると。
「そっか。ふたりとも甘々なんだね。……くおん君だっけ? お名前ちゃんと教えてもらってもいいかな」
と、美青年と言っても過言ではない美しいオメガが、紅音の前にしゃがんで問いかける。その隣では黒髪の美丈夫も紅音に目線を合わせるように屈んでいた。
紅音には普段から簡単に人に名を教えてはいけないと聞かせているためか、ちらちらと慧斗に様子を窺っている。慧斗は「ふたりに教えてあげて」と言うと、満面の笑顔で大きく口を開いた。
「はーい! おざきくおんですっ。ごさいになりました!」
右手を高く挙げて元気よく答える紅音を、赤と青の瞳が愛おしげに細められる。その瞳が窓から入る陽光にキラキラしているのは、涙で潤んでいるせいなのか。
ふたりは紅音に「そうか」と小さく頷きを繰り返し、そろそろと紅音のツヤツヤな頭を撫でている。
それはまさしく孫を愛でる祖父母のようで、いつの間に紅龍が彼らに紅音の事を話していたのか、不思議に思った。
「良いご挨拶、ありがとう、紅音君。こっちも挨拶しないのはフェアじゃないね」
「ふぇあ?」
「同じじゃないってことだよ」
「ふーん?」
「あはは、難しいかな」
紅龍に似た男性が、紅音の頬をゆるりと指で滑らせ微笑む。
本当は彼らの素性はこのまま紅音に知らせたくない気持ちと、やはり知らせたほうがいいという感情が慧斗の中でせめぎ合っている中、彼らはゆっくりと口を開いた。
「初めまして、紅音君。私たちは君のおじいちゃんとおばあちゃんだよ」
「おじーちゃん? おばーちゃん? でも、おとこのひとふたりだよ?」
「そうだね。でも、紅音君のお父さんとお母さんも男の人だろう?」
「うん、ほーろんさんはおとーさんで、おかーさんは、おざきけいとっていうの」
「僕が紅龍を産んだお母さんなんだよ」
「ほんと? それじゃあ、おかーさんといっしょだね!」
きゃー、と今にも興奮で跳ねそうになる紅音を、ふたりは嬉しそうに見ている。その穏やかな光景に、先程まであった迷いは消えてなくなっていた。
慧斗の家族は祖母だけだった。今は玲司が保護者として法的に認められているけども、紅龍と番になるまでは孤独だった。その後紅音を妊娠して家族ができたけど、心の隙間は紅龍と再会するまでは埋まることはなかった。
紅音には自分のような空白を作らずにすんで本当に良かったと、自然と唇が笑みを形作っていた。
しばらくすると、入口のドアからノックの音が聞こえ、紅龍が誰何しに向かう。だがすぐに引き返してきて「凛が来てる」と慧斗に囁いてくれた。
時間を確かめると昼前という微妙な時間帯。診察にしては変だな、と思っていると、勝手知ったると凛が部屋に入ってきた。
「薔子さんからふたりの事を聞いて様子を見に来たんだけど。本当にいてびっくり」
驚きに目をパチパチをさせている凛は、紅龍の両親と視線が合うと目礼で挨拶を交わす。向こうも同じように瞬きで応えたあとは、紅音と向き合っていた。
「凛先生、知っていたなら早く言って欲しかった」
がっくりと項垂れる慧斗へ「僕もさっき聞いたばかりだし」と淡々と返され、夏に会った薔薇の花のようなアルファ女性の、豪快に笑う姿が脳裏を通り過ぎた。
さすが上位アルファ家系の寒川家だ。玲司と紅龍が友人だと言っていたから、親同士も交流があると思っていたが、慧斗の予想は外れていなかったようだ。つまりは紅龍の家は本国ではかなりの家だということになる。
今更ながらこんな場に自分がいていいのかと、内心ドキドキしていた。
「それで、診察時間には早いですよね?」
いつもは昼すぎてからの回診でしかほとんど会わない凛が、わざわざ足を運んできたことに疑問を持っていると。
「実は、スタッフに昼食の差し入れをもらったんだけどね、余分が出ちゃって。慧斗君は病院食だし、紅龍さんも介助やらで時間取れないだろうし、それなら紅音君はどうかなって誘いに」
「え、いいんですか?」
「むしろ来て欲しいかな。保存効かないし、捨てるよりかは誰かに食べてもらったほうがいいだろうし」
「紅音、どうする? 凛先生がお昼一緒にどうですか、って言ってるんだけど」
初めてできた祖父母にはしゃいでいる紅音に声をかけると「たべるー」と言って、てててと駆け寄ってくる。本当は病室でも走っちゃダメと叱るべきなのだろうが、早足程度だったため黙認することにした。
「りんせんせーといっしょにごはん?」
「うん、洋風のお弁当なんだけど、紅音君嫌いなものはなかったよね」
「まえはねー、ぴーまんとぐりんぴーすがきらいだったの。でもれーじさんがおいしいのにしてくれて、ぐりんぴーすはたべれるようになったよ」
「そっか、ピーマンはちょっとだけあると思うけど、頑張って食べてみようか」
「うーん、がんばる……」
急に勢いをなくした紅音がそう言いながら凛の手を握る。あれは完全に行く気満々だと、慧斗は「すみません、お願いします」と凛に託した。
「おかーさん、ほーろんさん、おじーちゃん、おばーちゃんいってきまーす」
ぶんぶん手を振って部屋を出る紅音に慧斗も手を振り返す。ドアが閉まる音が完全に消えてしまうと、それまでの穏やかな空気がコインを返すように急激に変化していった。
「……それで、今回弐本に来たのは、紅音を見に来たって訳ではなないだろう?」
沈黙を破る冷えた紅龍のひと言に、止まっていた時間が動き出す。
「ああ、あの子がいたから、どう切り出そうか迷っていたが。薔子が手を回してくれたんだろうな、きっと」
「薔子さん?」
こうも続けて彼女の名を聞くとは思わず、慧斗は目を瞬かせて紅龍の両親を見る。
「ここに君が入院しているのを教えてくれたのも彼女だ。正確には、玲司君が薔子に伝えて私たちに繋がった……が正しいが」
「経緯は分かった。それで、本来の目的を話してくれ」
零龍が慧斗へと説明する中、不機嫌そうな紅龍の声が割ってくる。零龍も肩を竦めるだけで、特に反論せずに紅龍を一瞥した後、慧斗に向き直った。
「この度は放逐したとはいえ、我が一族の者が君に迷惑を掛けた。大変申し訳ない」
すっと零龍の横に立った麗蘭も一緒になって、慧斗に静かに頭を下げてくる。庶民の慧斗からすれば、一生目に掛かるなんて有り得ない人物たちから謝罪を投げかけられて、助けを求めるために紅龍に視線を向ける。だが、紅龍は両親を睨んでいて慧斗の視線に気づかない。
「い、いえっ、もう終わったことですし、お願いですから頭を上げて……」
「俺はあなたたちを許すつもりはない」
困惑し、右往左往する慧斗の言葉を遮り、紅龍の声が冷ややかに彼らを断罪する。
「前に俺は言ったはずだ。伊月たちが俺の前に現れないよう、しっかり監視をしてくれと。あいつの余計な野望のせいで、俺は……俺と慧斗は五年も離されたまま過ごす事になったんだ。しかも紅音の存在も知らないまま」
「それはお前にも原因があるのじゃないのか」
「確かに俺にも至らない部分はあったが、あの時点は俺は慧斗にプロポーズをして、本国に連れて行くつもりだったんだ」
自分の父を睨み据えて語る紅龍の言葉に、慧斗は驚きで目を見張る。
あの時点で紅龍は自分を番として縁を結ぼうとしてくれていたのか。
嬉しい気持ちと、あの時伊月の介入で狂ってしまったがために、五年という時間を複雑な感情を抱えてひとりで生きてきた辛さが綯交ぜになる。
慧斗はある程度は自分の気持ちを話すつもりだが、ここは紅龍に任せたほうがいいと、静観することにした。
「それで? 彼はお前の気持ちに応えたのか?」
「……」
「答えないということは、私の言っていることが正しいと認めたことになるぞ」
鼻で嗤う零龍に、紅龍は悔しげに唇を噛む。
慧斗は黙って見ているつもりだったが、あまりにも痛々しい紅龍の姿に、思わず声を上げていた。
「あのっ、あれは俺が悪いんです! あの人の言葉を鵜呑みにして、紅龍を信じる余裕がなかったから」
「違う、慧斗は悪くない。俺がちゃんと伊月を制御していれば良かったんだ。それなのに、番を得た気の緩みから慢心になって伊月の行動を見過ごしてしまった」
言い募る慧斗を紅龍が包み込むように抱きしめ、当時の後悔を口にする。
五年前の、すでに戻ることのできない現実を、紅龍は後悔の念に囚われていたに違いない。
「俺もごめん。あの人が紅龍に婚約者がいるって言葉を信じてしまった」
「それは」
「紅龍は俺を運命だって言ってくれたけど、その言葉を信じることができなかった。だからあの人の言葉を鵜呑みにしてしまった」
「慧斗……」
今にも泣きそうな紅龍の頬をそっと撫で、それから体をずらして零龍を見つめる。
「あなたたちが一般人に謝罪する名目で弐本に来たとは思えません。本当は紅龍を叱咤するつもりで来たのではありませんか?」
「どうしてそう思った?」
対峙する零龍は、先程の殊勝な様子とは違い、アルファらしい不遜な空気をまとって慧斗を見下ろす。ああ、やはり彼は紅龍のためにこの場に来たのだと確信できた。
「俺も子どもを持つ親ですから」
にっこり笑って言えば、零龍は瞠目し硬直している。隣の麗蘭も同じように青い瞳を見開き、慧斗と紅龍を見ていた。
37
お気に入りに追加
1,594
あなたにおすすめの小説
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので)
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。
悪役令息を引き継いだら、愛が重めの婚約者が付いてきました
ぽんちゃん
BL
双子が忌み嫌われる国で生まれたアデル・グランデは、辺鄙な田舎でひっそりと暮らしていた。
そして、双子の兄――アダムは、格上の公爵子息と婚約中。
この婚約が白紙になれば、公爵家と共同事業を始めたグランデ侯爵家はおしまいである。
だが、アダムは自身のメイドと愛を育んでいた。
そこでアダムから、人生を入れ替えないかと持ちかけられることに。
両親にも会いたいアデルは、アダム・グランデとして生きていくことを決めた。
しかし、約束の日に会ったアダムは、体はバキバキに鍛えており、肌はこんがりと日に焼けていた。
幼少期は瓜二つだったが、ベッドで生活していた色白で病弱なアデルとは、あまり似ていなかったのだ。
そのため、化粧でなんとか誤魔化したアデルは、アダムになりきり、両親のために王都へ向かった。
アダムとして平和に暮らしたいアデルだが、婚約者のヴィンセントは塩対応。
初めてのデート(アデルにとって)では、いきなり店前に置き去りにされてしまい――!?
同性婚が可能な世界です。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
※ 感想欄はネタバレを含みますので、お気をつけください‼︎(><)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる