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回春の暁月

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 黒と金、東洋と西洋、アルファとオメガの特徴を如実に体現したふたりの男性が並ぶのは圧巻だ。このふたりの遺伝子を受け継いだのが紅龍だと納得もできる。

「は、初めまして。御崎慧斗と申します。このような格好での挨拶で申し訳ありません」

 見惚れていた意識を戻して、慌てて体を折るように挨拶をする。緊張で心臓がバクバクと早鐘を打っているし、額から汗が滲み出ていた。
 初対面の人に対してする挨拶だろうか、今すぐベッドから降りて挨拶し直したほうがいいのか、と頭がグルグルしていると。

「慧斗さん」
「は、はいっ」

 肩に細い手が置かれ、慧斗の全身がバネのように弾む。隣に、金色が輝き、青い空の色が慧斗の姿を映している。

「体に障りますよ。あなたは怪我人なんですから、無理しなくてもいいですからね」
「あ……りがとう、ございます」
「ほら、紅龍。慧斗さんの背中にクッションを入れてあげなさい。というか、その前に慧斗さんに頭を下げさせるとか、どんだけ鈍いの」
「あ、あぁ」

 戸惑う慧斗をよそに、麗蘭と紹介された美しいオメガ男性が、痛烈な言葉を紅龍に投げかける。慌てて駆け寄った紅龍を見ると、母親に弱いのだろうか。
 紅龍はかき集めたクッションを慧斗の背中に差し込んだ。この部屋にこんなにもあったのか、と驚くほどのクッションに埋もれて、慧斗は紅龍へと顔を向けた。

「紅龍、ありがとう」
「いや、俺こそ早く気づくべきだったよな。ごめん」
「ううん、ちょっとしんどかったから、凄く助かった。でも、クッションこんなにあるんだね」
「向こうの寝室にあるのも持ってきたからな」
「ああ、だから紅龍の匂いがするんだ」

 目元を赤く染め、微笑む慧斗の頭を紅龍の長い指がゆるりと撫でる。その心地よさにうっとりとしてしまうのは、番の匂いに包まれて安心しているのもあるだろう。
 オメガは番となったアルファの匂いで精神を安定させるといわれている。紅龍と一緒に生活するようになってから、ずっと力を入れていた肩が軽くなった気がする。
 更には紅龍への思いを自覚してからは、紅龍の匂いに包まれていると、とても幸せだと感じるようになっていた。
 満足気な吐息が鼻から漏れた慧斗は、ふと視線を感じて目線を上げる。そこには驚いたように見ている紅龍の両親と、ニコニコ顔の紅音が並んでいた。

「あっ、す、すみませんっ。お恥ずかしいところを……」
「いや、いいよ。どこの番も一緒だなって微笑ましく感じたよ」
「まあ、息子のデロ甘な顔はどうかと思うけどな」

 すっかり存在を忘れて寛いでいた慧斗が焦って謝っていると、ふたりはなんでもないと言うように手を振って笑っていた。

「あのね、ほーろんさんね、おかーさんにいつもあまあまなの」

 楽しげな空気に触発されてか、紅音が唐突に爆弾を落とした。本人は百パーセント無自覚だとしても、初めて顔を合わせた紅龍の両親に話していい内容ではない。
 かといって、ここで叱るというのも水を差すようで、どうしたらいいのかと頭を抱えていると。

「そっか。ふたりとも甘々なんだね。……くおん君だっけ? お名前ちゃんと教えてもらってもいいかな」

 と、美青年と言っても過言ではない美しいオメガが、紅音の前にしゃがんで問いかける。その隣では黒髪の美丈夫も紅音に目線を合わせるように屈んでいた。
 紅音には普段から簡単に人に名を教えてはいけないと聞かせているためか、ちらちらと慧斗に様子を窺っている。慧斗は「ふたりに教えてあげて」と言うと、満面の笑顔で大きく口を開いた。

「はーい! おざきくおんですっ。ごさいになりました!」

 右手を高く挙げて元気よく答える紅音を、赤と青の瞳が愛おしげに細められる。その瞳が窓から入る陽光にキラキラしているのは、涙で潤んでいるせいなのか。
 ふたりは紅音に「そうか」と小さく頷きを繰り返し、そろそろと紅音のツヤツヤな頭を撫でている。
 それはまさしく孫を愛でる祖父母のようで、いつの間に紅龍が彼らに紅音の事を話していたのか、不思議に思った。

「良いご挨拶、ありがとう、紅音君。こっちも挨拶しないのはフェアじゃないね」
「ふぇあ?」
「同じじゃないってことだよ」
「ふーん?」
「あはは、難しいかな」

 紅龍に似た男性が、紅音の頬をゆるりと指で滑らせ微笑む。
 本当は彼らの素性はこのまま紅音に知らせたくない気持ちと、やはり知らせたほうがいいという感情が慧斗の中でせめぎ合っている中、彼らはゆっくりと口を開いた。

「初めまして、紅音君。私たちは君のおじいちゃんとおばあちゃんだよ」
「おじーちゃん? おばーちゃん? でも、おとこのひとふたりだよ?」
「そうだね。でも、紅音君のお父さんとお母さんも男の人だろう?」
「うん、ほーろんさんはおとーさんで、おかーさんは、おざきけいとっていうの」
「僕が紅龍を産んだお母さんなんだよ」
「ほんと? それじゃあ、おかーさんといっしょだね!」

 きゃー、と今にも興奮で跳ねそうになる紅音を、ふたりは嬉しそうに見ている。その穏やかな光景に、先程まであった迷いは消えてなくなっていた。
 慧斗の家族は祖母だけだった。今は玲司が保護者として法的に認められているけども、紅龍と番になるまでは孤独だった。その後紅音を妊娠して家族ができたけど、心の隙間は紅龍と再会するまでは埋まることはなかった。
 紅音には自分のような空白を作らずにすんで本当に良かったと、自然と唇が笑みを形作っていた。

 しばらくすると、入口のドアからノックの音が聞こえ、紅龍が誰何しに向かう。だがすぐに引き返してきて「凛が来てる」と慧斗に囁いてくれた。
 時間を確かめると昼前という微妙な時間帯。診察にしては変だな、と思っていると、勝手知ったると凛が部屋に入ってきた。

「薔子さんからふたりの事を聞いて様子を見に来たんだけど。本当にいてびっくり」

 驚きに目をパチパチをさせている凛は、紅龍の両親と視線が合うと目礼で挨拶を交わす。向こうも同じように瞬きで応えたあとは、紅音と向き合っていた。

「凛先生、知っていたなら早く言って欲しかった」

 がっくりと項垂れる慧斗へ「僕もさっき聞いたばかりだし」と淡々と返され、夏に会った薔薇の花のようなアルファ女性の、豪快に笑う姿が脳裏を通り過ぎた。
 さすが上位アルファ家系の寒川家だ。玲司と紅龍が友人だと言っていたから、親同士も交流があると思っていたが、慧斗の予想は外れていなかったようだ。つまりは紅龍の家は本国ではかなりの家だということになる。
 今更ながらこんな場に自分がいていいのかと、内心ドキドキしていた。

「それで、診察時間には早いですよね?」

 いつもは昼すぎてからの回診でしかほとんど会わない凛が、わざわざ足を運んできたことに疑問を持っていると。

「実は、スタッフに昼食の差し入れをもらったんだけどね、余分が出ちゃって。慧斗君は病院食だし、紅龍さんも介助やらで時間取れないだろうし、それなら紅音君はどうかなって誘いに」
「え、いいんですか?」
「むしろ来て欲しいかな。保存効かないし、捨てるよりかは誰かに食べてもらったほうがいいだろうし」
「紅音、どうする? 凛先生がお昼一緒にどうですか、って言ってるんだけど」

 初めてできた祖父母にはしゃいでいる紅音に声をかけると「たべるー」と言って、てててと駆け寄ってくる。本当は病室でも走っちゃダメと叱るべきなのだろうが、早足程度だったため黙認することにした。

「りんせんせーといっしょにごはん?」
「うん、洋風のお弁当なんだけど、紅音君嫌いなものはなかったよね」
「まえはねー、ぴーまんとぐりんぴーすがきらいだったの。でもれーじさんがおいしいのにしてくれて、ぐりんぴーすはたべれるようになったよ」
「そっか、ピーマンはちょっとだけあると思うけど、頑張って食べてみようか」
「うーん、がんばる……」

 急に勢いをなくした紅音がそう言いながら凛の手を握る。あれは完全に行く気満々だと、慧斗は「すみません、お願いします」と凛に託した。

「おかーさん、ほーろんさん、おじーちゃん、おばーちゃんいってきまーす」

 ぶんぶん手を振って部屋を出る紅音に慧斗も手を振り返す。ドアが閉まる音が完全に消えてしまうと、それまでの穏やかな空気がコインを返すように急激に変化していった。

「……それで、今回弐本に来たのは、紅音を見に来たって訳ではなないだろう?」

 沈黙を破る冷えた紅龍のひと言に、止まっていた時間が動き出す。

「ああ、あの子がいたから、どう切り出そうか迷っていたが。薔子が手を回してくれたんだろうな、きっと」
「薔子さん?」

 こうも続けて彼女の名を聞くとは思わず、慧斗は目を瞬かせて紅龍の両親を見る。

「ここに君が入院しているのを教えてくれたのも彼女だ。正確には、玲司君が薔子に伝えて私たちに繋がった……が正しいが」
「経緯は分かった。それで、本来の目的を話してくれ」

 零龍が慧斗へと説明する中、不機嫌そうな紅龍の声が割ってくる。零龍も肩を竦めるだけで、特に反論せずに紅龍を一瞥した後、慧斗に向き直った。

「この度は放逐したとはいえ、我が一族の者が君に迷惑を掛けた。大変申し訳ない」

 すっと零龍の横に立った麗蘭も一緒になって、慧斗に静かに頭を下げてくる。庶民の慧斗からすれば、一生目に掛かるなんて有り得ない人物たちから謝罪を投げかけられて、助けを求めるために紅龍に視線を向ける。だが、紅龍は両親を睨んでいて慧斗の視線に気づかない。

「い、いえっ、もう終わったことですし、お願いですから頭を上げて……」
「俺はあなたたちを許すつもりはない」

 困惑し、右往左往する慧斗の言葉を遮り、紅龍の声が冷ややかに彼らを断罪する。

「前に俺は言ったはずだ。伊月たちが俺の前に現れないよう、しっかり監視をしてくれと。あいつの余計な野望のせいで、俺は……俺と慧斗は五年も離されたまま過ごす事になったんだ。しかも紅音の存在も知らないまま」
「それはお前にも原因があるのじゃないのか」
「確かに俺にも至らない部分はあったが、あの時点は俺は慧斗にプロポーズをして、本国に連れて行くつもりだったんだ」

 自分の父を睨み据えて語る紅龍の言葉に、慧斗は驚きで目を見張る。
 あの時点で紅龍は自分を番として縁を結ぼうとしてくれていたのか。
 嬉しい気持ちと、あの時伊月の介入で狂ってしまったがために、五年という時間を複雑な感情を抱えてひとりで生きてきた辛さが綯交ぜになる。
 慧斗はある程度は自分の気持ちを話すつもりだが、ここは紅龍に任せたほうがいいと、静観することにした。

「それで? 彼はお前の気持ちに応えたのか?」
「……」
「答えないということは、私の言っていることが正しいと認めたことになるぞ」

 鼻で嗤う零龍に、紅龍は悔しげに唇を噛む。
 慧斗は黙って見ているつもりだったが、あまりにも痛々しい紅龍の姿に、思わず声を上げていた。

「あのっ、あれは俺が悪いんです! あの人の言葉を鵜呑みにして、紅龍を信じる余裕がなかったから」
「違う、慧斗は悪くない。俺がちゃんと伊月を制御していれば良かったんだ。それなのに、番を得た気の緩みから慢心になって伊月の行動を見過ごしてしまった」

 言い募る慧斗を紅龍が包み込むように抱きしめ、当時の後悔を口にする。
 五年前の、すでに戻ることのできない現実を、紅龍は後悔の念に囚われていたに違いない。

「俺もごめん。あの人が紅龍に婚約者がいるって言葉を信じてしまった」
「それは」
「紅龍は俺を運命だって言ってくれたけど、その言葉を信じることができなかった。だからあの人の言葉を鵜呑みにしてしまった」
「慧斗……」

 今にも泣きそうな紅龍の頬をそっと撫で、それから体をずらして零龍を見つめる。

「あなたたちが一般人に謝罪する名目で弐本に来たとは思えません。本当は紅龍を叱咤するつもりで来たのではありませんか?」
「どうしてそう思った?」

 対峙する零龍は、先程の殊勝な様子とは違い、アルファらしい不遜な空気をまとって慧斗を見下ろす。ああ、やはり彼は紅龍のためにこの場に来たのだと確信できた。

「俺も子どもを持つ親ですから」

 にっこり笑って言えば、零龍は瞠目し硬直している。隣の麗蘭も同じように青い瞳を見開き、慧斗と紅龍を見ていた。
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