君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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回春の暁月

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「うん、熱も下がったし、血液検査も異常なしだね」
「ありがとうございます、凛先生」

 慧斗が目覚めて一週間。
 ベッドの上で慧斗が頭を下げると、凛は苦い顔で微笑む。

「一応、内分泌系の検査もしてみたんだけど、こちらも問題なし。違法薬物の服用だったから、数値の変化には気をつけて見てたけどね。思ったより救出と処置が早かったのがよかったかもしれないね」
「はい、凛先生には色々お世話になって」
「それは大丈夫。慧斗君の保護者である兄さんに、今度僕のリクエストの豪華弁当をお願いしてあるから」
「いや、でも」
「悪いと思うなら、リハビリ頑張ろうか。でないと、そこのふたりの視線が突き刺さってねぇ……」

 凛の目線を追いかけると、リビングと病室部分を仕切るチェストから、大小の赤い瞳がよっつ覗いていた。言わずもがな、紅龍と紅音のふたりである。

「りんせんせー、おかーさんのしんさつおわった?」
「終わったけど、いきなり飛びついたらダメだからね」
「わかってるー」

 紅音は許可を得て、仔犬だったら尻尾をぶんぶん振り回しながら、にこにこの笑顔で慧斗に駆け寄った。ぽふん、と慧斗に抱きつく紅音の体は前よりも小さくなった。
 今も紅龍に朝食の介助をお願いしてあったが、ちゃんと食べたのだろうか。

「おかーさん」
「待たせてごめんね、紅音はご飯食べ終わった?」
「……たべたよ」
「一応、お粥を少しだけな」

 苦笑しながらゆっくり来る紅龍の言葉に、紅音は「あう」と慧斗から視線を逸らす。明らかに嘘をついてるのが丸わかりだ。
 今回の事件は慧斗以上に紅音にかなりのストレスを与えてしまったようで、軽度の摂食障害になったと紅龍から聞かされた時には、慧斗は何度も紅音に謝った。
 夜泣きも戻ってしまい、今は凛から許可を貰って同じベッドで寝ていないと不安なのか、おねしょもするようになった。
 このような状態で保育園に通う訳にもいかず、しばらくは慧斗と一緒に病室で時間を過ごすことになった。その方がいいと、紅音を診察してくれた小児科医のアドバイスもあったからだ。今は紅音の精神安定を重視するべきだと。
 慧斗も紅音と一緒にいる時間が増えて、否やは特になく、懸念事項は多いものの穏やかな時間が過ぎていった。


 それにしても、この一週間は怒涛のようだったと、慧斗は息をつく。

「疲れたのか?」
「まあ、見舞いラッシュでちょっとね」
「それだけ慧斗の存在が重要って証明だろう? これまで頑張ってきたんだ。少し休憩したって罰は当たらないぞ」
「うん、ありがとう、紅龍」
「……」
「なに?」
「いや、素直に礼を言われると、妙に照れる」
「なんだよ、それ」

 凛監修で人数に制限を設けながら、玲司や桔梗、白糸や秋槻理事、結城に結城の番と見舞いが続いていたのもある。
 皆それぞれに慧斗の無事を喜び、そして心配かけたことを怒った。
 特に白糸教授と秋槻理事には「報告、連絡、相談は社会人として鉄則だ!」と、こういう時にこそ言って欲しかったと涙混じりで訴えられた。
 それから仕事は病気療養で長期休みにしたから、元気になったら安心して戻ってきて欲しいと。いつ職場復帰ができるか分からなかっただけに、解雇も覚悟していた慧斗だったが、上司ふたりの優しい言葉に、しきりに感謝をした。
 そして祖母が亡くなってからは保護者として見守ってくれた玲司は「無理しないでくださいね」と言って頭を撫でてくれた。彼にとっては慧斗はいつまでも子どもの頃と変わりがないのだろう。
 既に親になっていたけど、玲司のこういった態度は素直に甘えていいのだと、ホッとする。
 桔梗も結城も心から心配してくれた。まだ目覚めたばかりで辛いだろうからと、彼らは番と一緒に帰っていったけども。多分、番の早く帰りたいオーラを感じ取ったに違いない。
 これだけ沢山の愛情を貰ったのだ。彼らに何かあって、手が欲しい時には微力ながら差し伸べたい。

 早く元気になって、色々頑張りたいと思う。

 体力も随分落ちてしまったから、リハビリに時間が掛かるかも知れないと言われた。
 なんせ秋だと思っていたら、時間が巡って春になっていたという、不可思議現象が起こっていたからだ。
 最初はトイレに行くのですらきつくて、紅龍に横抱きされて連れて行ってもらってた。今は片道くらいならかろじてひとりで行けるけども、帰りはやはり紅龍がいないと、ベッドまで這いずるしかなくなる。
 目覚めた翌日は十分ほど体を起こすだけでもしんどくて、まともに起き上がれるようになったのは、ここ数日の話だった。
 紅龍がいてくれるおかげで、慧斗の行動は支障なく広がっていったけども、彼の撮影はどうなっているのだろうか。
 再会した当初は、慧斗の役割は紅龍の通訳という契約関係だった。だが、慧斗がスタッフと顔合わせしたのは撮影が始まった時期だけで、ほとんど白糸や秋槻の秘書の仕事ばかりを回していた。

「あ、ああ、撮影か。去年の秋からストップしているな」
「え?」

 昨日から普通食になり、やけにお高そうな桃を剥きながら、しれっと答える。
 どうやら凛経由で玲司が持ってきたものらしい。寒川直送なら自分の家で消費するそうだが、果物は別の所に発注した物だそうで、数を間違えて注文するミスをしたから食べて欲しいのだと言付けられた。
 きっと慧斗のために余分に頼んだのだろう、と紅龍が笑って言っていた。あの慎重な玲司が初歩的なミスを犯すわけがない。

「俺のせい?」
「違う、俺のわがままだ。台本に手を加えたいのもあったしな。それに止めてるといっても、うちのスタッフは引き手あまたでな、再開するまでは各自自由に仕事をやっている」
「それならいいけど……」
「心配するな。スタッフ連名で、慧斗の見舞いを預かってる。元気になったら、礼でも言ってやれば喜ぶ」
「……うん」

 それでも紅龍は口に出さないけど、沢山苦労しているのだろう。再会した頃より疲労が滲んでいるのか隈も見える。慧斗に悟られないようファンデーションで誤魔化しているから、あえて口に出さなかったけども。
 紅龍を最初は邪険に扱ってきたけど、こうして自分の気持ちを自覚すると、なんてことをしたのだろうと落ち込む。今回のことも含めて、山のように迷惑をかけてきたのに、紅龍は慧斗を怒ることもせず傍にいてくれる。
 食べやすい大きさにカットされた桃を受け取った慧斗だったが、紅音の姿がないことに気づいた。
 慧斗の入院している特別病棟は、大物政治家や名家の人間など、著名な人物が入院する棟になっているそうだ。そんな所に紅音がチョロチョロしてもいいのかと不安になる。

「あのさ、紅音はどこに行ったか分かる?」
「そういえば、貰った果物が多かったから、お裾分けに行かせたんだが。ちょっと遅いな」
「ちょっと、見に行ってもらってもいいかな」
「ああ、そうだな」

 ウエットティッシュで果汁のついた手を拭い、椅子から立ち上がった所で「ただいまー」と紅音の声が飛び込んでくる。

「紅音、うろちょろしたらダメだよ。みんな病気でしんどいんだから」
「えー、でも、おじちゃんたち、みんなおかしくれたよ?」
「「は?」」

 これは隣のお部屋のおじーちゃんで、これはエレベーター近くのお部屋のおばーちゃんで、と今日着ているふわもこパーカーのポケットや、フードから次から次へとお菓子を並べる紅音に、慧斗と紅龍は開いた口がふさがらない。
 どこれもこれも近所のスーパーなどで買うような代物ではなく、慧斗でも知っている超有名メゾンの名前がプリントされたものが、並んでいる。しかも中には明らかに未開封と分かる物まであった。
 そんな高級品を五歳児にポンポン渡さないで、と悲鳴をあげたくなった。

「慧斗、心配するな。看護師たちにあとで部屋の人物を特定して、個々にお礼しておくから」
「お願い。心臓が縮むかと思った……」
「紅音の肝が据わったのは、誰に似たんだろうな」
「紅龍でしょ」
「いや、案外慧斗かもしれないぞ。俺に啖呵切る位だしな」

 一年近く前の話を蒸し返さないで欲しい、と目で訴えるが、紅龍はニヤリと笑うだけで、どこ吹く風だ。
 そんな所も格好良いとか思うのだから、惚れた欲目とは恐ろしい。口に出すつもりはないが。

「紅音、桃を剥いたけど食うか?」
「うんっ。あ、でも、ろーかにおきゃくさまきてるの」
「お客様?」
「あのね、ぼくのおじーちゃんとおばーちゃんってひと」

 無邪気に話す紅音のひと言に、慧斗の体が凍りつく。
 今回、ここに入院しているのを知っているのは、ほんのひと握りの人間だけだ。それも身内と呼ぶ人物ばかり。成人した慧斗の入院を、実家に照合することもないだろうし、それ以前に凛が許可しない。
 一体誰が来たのか、慧斗の心臓はバクバクと跳ね上がる。
 縋るように紅龍を見上げると、紅龍は慧斗が言わんとした事に気づいたのか、小さく頷き入口に向かった。
 慧斗は紅音に桃の乗った皿を渡しながら入口に向けて耳を澄ます。
 もし慧斗の両親ならば、紅龍がきっと門前払いしてくれると信じていた。
 だが。

「ちょ、ちょっと勝手に……!」
「現頭領は私だよ。素直に通しなさい」
「だけど……、おい、病人がいるんだ!」
「だったら静かにするべきでしょう? 王家の男が騒がしい」

 紅龍の他に男性ふたりの声が聞こえる。圧倒的に紅龍が押されている様子が聞こえ、まさか、と疑問がよぎる。
 それはすぐに確信へと変わった。

 紅龍と同じ黒髪に赤い瞳の美丈夫と、金色の髪に青い瞳の美しい男性が、慧斗と視線が合うと微笑んでくる。

「急に押しかけて悪いね、私は王家頭領、王零龍ワン・リンロンで、隣が私の番で紅龍の母の」
王麗蘭ワン・リランです。初めまして、慧斗君」
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