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嫩葉の終宵
5-紅龍
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『オメガはアルファの……番の言うことをきく人形じゃないんだ。あなたは俺を大切だと言いながら、俺の言葉に耳を傾けてくれないじゃないか。それって、俺があなたに従順に従うと思ってるから、なんでも自分で決めて俺には事後報告になってる。俺はひとりでも大丈夫だった。あなたがいない五年間、俺は自分で決めて紅音を産んで育てた。あなたの下僕でも奴隷でもないっ』
悲鳴にも似た慧斗の慟哭が、離れた今でも強く脳裏で繰り返される。
一緒に生活をともにして二ヶ月。慧斗が一度たりともあそこまで感情を爆発させたことに、紅龍は驚きしかなかった。
「いや、出会った時も結構気が強かったか……」
紅龍は微かに唇の端を笑みに歪めるが、それでも真っ直ぐに自分へと感情を向けたことに、驚きはしたものの嫌悪はひとつも感じなかった。
再会してからというもの、慧斗はどこか一線と引いた状態で紅龍と接していた。他人として紅龍を扱うつもりだったのだろう。
それが偶然とはいえ、慧斗に言い寄る峯浦という男がきっかけで、距離が縮まった。だからこそ紅龍はその頑なだった牙城が綻んだのを幸いと、なかば強引に慧斗の家へと家族として入り込んだ。
最初は戸惑っていた慧斗も、紅音が間にいたおかげか、少しずつではあるが距離が縮まっていたのを感じる。
今回の旅行も、たまたま学園が全域閉鎖になった偶然によるものだが、慧斗をあの家から引き離したい気持ちがあったからだ。
いまだに続く謎の人物からの手紙の投函。慧斗は気丈に振舞っているものの、隠れて疲れたため息をついているのを何度も目撃している。
本当なら、慧斗も紅音も紅龍が常駐しているホテルへと保護したかった。セキュリティもしっかりしているし、なによりも不穏な手紙を事前に握りつぶせる。しかし、慧斗は諾とは言わないだろうとも感じていた。
あの家は、慧斗を大切に守ってくれた亡き祖母との思い出があるから。そして、紅音との時間を重ねた場所でもある。慧斗の性格で安易に紅龍の案に乗るとも思えなかった。
だから紅龍があの場所に混じることにした。
少しずつ距離を縮め、慧斗の薄い肩に乗った重荷を少しでも軽くさせようと、玲司に付け焼刃で教えてもらった料理を披露したりもした。生活環境も整え、掃除も洗濯も、自国であれば使用人がすべきことも自らやった。ひとえに慧斗が自分に寄りかかれるよう、信頼を得るためだ。
そのかいもあって、慧斗も少しずつ素を見せてくれるようになったのだが……
「少し調子に乗りすぎたかもしれないな」
根っからの秘書体質なのか、慧斗は予定調和を崩されるのが嫌なようだ。撮影の合間をぬって慧斗や紅音と一緒にいる時間を捻出しているが、やはり二ヶ月という時間は想像以上に短いのだと自覚した。それが今回のことを引き起こした。
自分が浮かれているのは仕方ない、と誰も聞いていない弁明をした。
五年。五年だ。運命と出会って濃密な数日間を過ごし、やりたくもない仕事を押し付けられ帰ったら、どこにも番となった青年の姿はなく。
更には浮かれすぎてたせいで名前も、年齢も、どこに住んでいるかも交わすこともできず。あの時ばかりは、自分の愚かさに唾棄したものだ。
なにをしても心の一部が切り取られたような痛みをかかえて五年を過ごし、やっと慧斗と再会できたものの、彼の唯一は息子である紅音に注がれていた。あの年齢で大人の感情を読み取れる聡明さは、確定ではないもののアルファに違いないだろう。
高位アルファが運命と番えば、高い確率でアルファが生まれると言われている。
疎外感を味わう紅龍と、紅龍を拒絶する慧斗を結んでくれた紅音に感謝しかない。本当に賢い子だと思う。
紅龍はホテルマンに誘導され、地下駐車場の一角に車を停めると、エントランス直通のエレベーターの乗り込む。
フロアに着くと、すぐに慧斗の姿を見つけた。ホテルの売りである年中桜が楽しめる植栽を横切り、そっと彼に近づく。どうやら紅龍が正面玄関から入ると思っているのか、ソファにゆったりと腰掛けながらも、その顔は外に向いてるのが感じ取れた。
「じゃあ、おかーさん、ほーろんさんすき?」
子供らしい少し高めの声が聞こえ、紅龍の足がカーペットの繊維に絡め取られたように動かない。慧斗は子供の質問に動揺しているのか、細い肩をピクリと跳ねさせている。
「紅龍のこと、嫌いじゃないよ」
続いて聞こえた言葉に、紅龍の心臓は直に鷲掴みされたような衝動が襲う。
嫌いじゃない、と言った。夢ではないのだろうか。だって、さっきは射抜くような視線で睨んできたのだ。その慧斗が自分を嫌いではないと言った。
それだけでも胸が打ち震えるというのに、続いて聞こえた会話に膝から崩れそうになった。
「すきってこと?」
「うーん、好き……なのか俺にもわからないんだ。まだ、気持ちの整理がついてないんだよ」
ああ……もうだめだ。自分の立場もなにもかもを忘れて、ふたりを抱きしめたい。
「慧斗」
愛おしい番。もう何があっても二度と離さない。愛してる。
言葉にできないから、思いを腕にこめてふたりを包むように抱く。
微かにカシャリと聞こえた気がしたが、多幸感に酔いしれて、紅龍はふたりを両腕に閉じ込めた。
悲鳴にも似た慧斗の慟哭が、離れた今でも強く脳裏で繰り返される。
一緒に生活をともにして二ヶ月。慧斗が一度たりともあそこまで感情を爆発させたことに、紅龍は驚きしかなかった。
「いや、出会った時も結構気が強かったか……」
紅龍は微かに唇の端を笑みに歪めるが、それでも真っ直ぐに自分へと感情を向けたことに、驚きはしたものの嫌悪はひとつも感じなかった。
再会してからというもの、慧斗はどこか一線と引いた状態で紅龍と接していた。他人として紅龍を扱うつもりだったのだろう。
それが偶然とはいえ、慧斗に言い寄る峯浦という男がきっかけで、距離が縮まった。だからこそ紅龍はその頑なだった牙城が綻んだのを幸いと、なかば強引に慧斗の家へと家族として入り込んだ。
最初は戸惑っていた慧斗も、紅音が間にいたおかげか、少しずつではあるが距離が縮まっていたのを感じる。
今回の旅行も、たまたま学園が全域閉鎖になった偶然によるものだが、慧斗をあの家から引き離したい気持ちがあったからだ。
いまだに続く謎の人物からの手紙の投函。慧斗は気丈に振舞っているものの、隠れて疲れたため息をついているのを何度も目撃している。
本当なら、慧斗も紅音も紅龍が常駐しているホテルへと保護したかった。セキュリティもしっかりしているし、なによりも不穏な手紙を事前に握りつぶせる。しかし、慧斗は諾とは言わないだろうとも感じていた。
あの家は、慧斗を大切に守ってくれた亡き祖母との思い出があるから。そして、紅音との時間を重ねた場所でもある。慧斗の性格で安易に紅龍の案に乗るとも思えなかった。
だから紅龍があの場所に混じることにした。
少しずつ距離を縮め、慧斗の薄い肩に乗った重荷を少しでも軽くさせようと、玲司に付け焼刃で教えてもらった料理を披露したりもした。生活環境も整え、掃除も洗濯も、自国であれば使用人がすべきことも自らやった。ひとえに慧斗が自分に寄りかかれるよう、信頼を得るためだ。
そのかいもあって、慧斗も少しずつ素を見せてくれるようになったのだが……
「少し調子に乗りすぎたかもしれないな」
根っからの秘書体質なのか、慧斗は予定調和を崩されるのが嫌なようだ。撮影の合間をぬって慧斗や紅音と一緒にいる時間を捻出しているが、やはり二ヶ月という時間は想像以上に短いのだと自覚した。それが今回のことを引き起こした。
自分が浮かれているのは仕方ない、と誰も聞いていない弁明をした。
五年。五年だ。運命と出会って濃密な数日間を過ごし、やりたくもない仕事を押し付けられ帰ったら、どこにも番となった青年の姿はなく。
更には浮かれすぎてたせいで名前も、年齢も、どこに住んでいるかも交わすこともできず。あの時ばかりは、自分の愚かさに唾棄したものだ。
なにをしても心の一部が切り取られたような痛みをかかえて五年を過ごし、やっと慧斗と再会できたものの、彼の唯一は息子である紅音に注がれていた。あの年齢で大人の感情を読み取れる聡明さは、確定ではないもののアルファに違いないだろう。
高位アルファが運命と番えば、高い確率でアルファが生まれると言われている。
疎外感を味わう紅龍と、紅龍を拒絶する慧斗を結んでくれた紅音に感謝しかない。本当に賢い子だと思う。
紅龍はホテルマンに誘導され、地下駐車場の一角に車を停めると、エントランス直通のエレベーターの乗り込む。
フロアに着くと、すぐに慧斗の姿を見つけた。ホテルの売りである年中桜が楽しめる植栽を横切り、そっと彼に近づく。どうやら紅龍が正面玄関から入ると思っているのか、ソファにゆったりと腰掛けながらも、その顔は外に向いてるのが感じ取れた。
「じゃあ、おかーさん、ほーろんさんすき?」
子供らしい少し高めの声が聞こえ、紅龍の足がカーペットの繊維に絡め取られたように動かない。慧斗は子供の質問に動揺しているのか、細い肩をピクリと跳ねさせている。
「紅龍のこと、嫌いじゃないよ」
続いて聞こえた言葉に、紅龍の心臓は直に鷲掴みされたような衝動が襲う。
嫌いじゃない、と言った。夢ではないのだろうか。だって、さっきは射抜くような視線で睨んできたのだ。その慧斗が自分を嫌いではないと言った。
それだけでも胸が打ち震えるというのに、続いて聞こえた会話に膝から崩れそうになった。
「すきってこと?」
「うーん、好き……なのか俺にもわからないんだ。まだ、気持ちの整理がついてないんだよ」
ああ……もうだめだ。自分の立場もなにもかもを忘れて、ふたりを抱きしめたい。
「慧斗」
愛おしい番。もう何があっても二度と離さない。愛してる。
言葉にできないから、思いを腕にこめてふたりを包むように抱く。
微かにカシャリと聞こえた気がしたが、多幸感に酔いしれて、紅龍はふたりを両腕に閉じ込めた。
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