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嫩葉の終宵
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慧斗たちの住む街から車で数時間。有名な避暑地に着いたのは山々の合間に太陽が沈む夜だった。
玲司から4WDを借り、紅龍が運転を担当。途中パーキングで休憩を入れつつ、比較的のんびりとした道程だった。
「本当に玲司さんたちは誘わなくて良かったのかな」
後部座席ではしゃぎすぎて疲れた紅音が、チャイルドシートに座ったまま爆睡しているため、ひとり言のような音量で呟く。隣から「いいんじゃないか」と淡々とした声が返ってきた。
「これから行く寒川の別荘で以前、桔梗さんがトラブルに巻き込まれたそうだ。玲司にも桔梗さんにも曰くのある場所を避けるのは、アルファじゃなくても回避するだろう?」
「まあ、確かに」
紅龍が車の鍵を借りに行った際、一緒に行かないかと誘ったそうだ。玲司からは店があることに加え、紅龍が説明してくれた事情を含め残ると告げた。代わりに近くの農園と牧場でのお遣いを頼まれたが。
「それにしても、玲司さんの実家ってすごいな。別荘とか生涯縁のないものだと思ってた」
「そうか? 貸別荘とかもあるって聞いたことあるが……」
「俺、車の免許持ってないから。自力で行くには無理があるんだよね」
「ふうん」
そんなものか、と嘯く紅龍を横目に、どうしてこんなに彼と穏やかな会話ができるようになったのかと思い馳せる。
紅龍が御崎家に居ついてから二ヶ月。当初は他人行儀な口調も、いつしか気安いものへと変わっていた。そのきっかけも一緒に暮らすようになった一因となった紅音だった。
いつも慧斗だけでいいと言っていた紅音だったが、やはり寂しかったのだろう。『家族にいれて欲しい』と言った紅龍を、紅音はどれだけ諭しても離しはしなかった。それからなし崩しで今に至る。
戸惑っている間に、梅雨は通り過ぎ、目にも痛いほどの太陽が降り注ぐ夏となっていた。
「慧斗は、玲司のことを知らないのか?」
紅龍はちらりとバックミラー越しに熟睡している紅音を流し見したあと、静かに口を開く。
「なんとなくは察してるけど……」
凛の勤める病院が彼らと同じ『寒川』であること。秋槻理事だけでなく、周囲の高位アルファたちの頭が上がらないことから、慧斗の知らぬ高い位置にいる存在なのだろうとは感じている。
だが、慧斗にはそんなことはどうでもいい。
玲司は慧斗の家族よりも身内だし、桔梗は兄のようだ。
凛は医療面から慧斗をバックアップしてくれている。
きっと慧斗のような環境に置かれた人間の中では、かなり恵まれた環境にいるのだろう。玲司に託してくれた祖母に感謝しかない。
「でも、玲司さんたちがどんな人たちであろうとも、俺は信頼している。多分、あなたよりも」
慧斗の放った一言に、紅龍はわずかに苦虫を噛んだかのような顔をする。
当然と言えば当然だ。たった数日ベッドの上で過ごした男と、長年親身になって自分を保護してくれてる人たちと比べるのも烏滸がましい話だ。
「……そうか。なら、この旅行の間に少しでも信用を勝ち取れるようにしないとな」
「まあ頑張って」と、そっけなく返して、紙カップに入った冷めたコーヒーに口をつけていた。
本当に彼を信用できるのか。なし崩しの今の生活は心地よいが、感情はまだ追いついていない。
少しだけ開けた窓から入る風が少しずつ涼しいものへと変化していくのが楽しい。
目的である寒川家別荘まで、当初は公共交通機関を利用したほうがいいのでは、と玲司から勧められたものの。
『せっかくの家族旅行なのに、そんなにすぐに着いてどうする』
という、紅龍の不可解な主張により、玲司がそれならばと車を貸してくれた。
すでにうなじを噛まれて他のアルファに迷惑をかけることがないとはいえ、子供を乗せての移動というのは、想像以上に神経を使う。それで体調を崩して旅行を楽しめなかったオメガの苦労話を耳にしたことがある。だから紅龍が車での移動を提案してくれた時は、内心でホッとしたものだ。
ただ、今回の旅行の話を凛にしたところ、正直あまり良い顔はされなかった。当然だろう。番契約を結んだアルファとオメガが、狭い車中で一緒にいる。それも長年離れていた反動もある可能性だって捨てきれないのだから。
必ず抑制剤の服用を義務付けられ、安易に番だろうと体を許してはいけないと、耳にタコができるほど口酸っぱく言われた。後悔するのは慧斗なのだからと。確かにどれだけ法整備がなされようと、オメガはいつまでたっても弱者なのだと、峯浦の件でも痛感させられたばかりだ。
だが正直な話、紅龍には聞きたいことがたくさんあった。
五年前のことや彼自身のこと。それから、どうして今まで慧斗を探してくれなかったのか。
女々しいにもほどがあるが、番がいるのにひとりで紅音を育てなくてはならなかった苦労が、慧斗の中で弱さと怒りとなって混在していた。
(こんなに弱くなってどうする自分! 紅龍は番かもしれないが他人! 俺と紅音の生活に勝手に割り込んでるだけの他人!)
なんとか奮い立たせるように自分に言い聞かせ、気分を落ち着けようと流れる窓の外を眺めた――
避暑地と言われるだけはある、と慧斗は寒川家別荘に到着して思ったのがそれだ。まず地元よりも格段に涼しい。山に囲まれているのもあるが、吹き降ろす風が心地よい。それから空気が凄く美味しい。緑の匂いがこんなにも清涼だと初めて知った。
「……にしても、これは別荘ではないのでは……」
城というか、要塞。長大な鉄柵の門を入った時も思ったが、これが個人の所有とは驚きだ。
整備された道をしばらく走り現れたのが、緑の中にそびえる煉瓦の建物。レトロ感満載だが、それ以上に迫力がある。ほのかに漂うのは遅咲きの薔薇の香りだろうか。この雰囲気にとても合った。
「むしろこれから殺人事件でも起こりそうな雰囲気だな」
「滅相もないこと言わないでもらえます?」
実際慧斗も思ったが、あえて口に出さなかったのに、紅龍はサラッと口に乗せる。腕の中では紅音が「おっきーねー」と寝起きでぼんやりとした声で呟いていた。
「お迎えが遅れて申し訳ございません。ようこそ、寒川別邸へ。わたくしはここの家政を務めます織田と申します。さ、どうぞお入りになってくださいな」
白のシャツと紺色の麻のロングスカートに白のエプロンをつけた女性が現れ告げる。その後ろに数人のお仕着せを着た若い男性たちが控えていた。彼らは一様に紅龍へと視線を注ぎ驚いたように目を見開いている。
慧斗にとってはすっかり慣れた顔だが、紅龍は海外でも有名な俳優なのだ。それがこんなにも近くで立っていたらびっくりもするだろう。当の本人は抱いていた紅音を慧斗に託し、涼しい顔で車から荷物を下ろしている。
荷物は使用人が運ぶと申し出たが、紅龍が毅然と断っていた。過去に色々あったのだろう。芸能人というのは大変みたいだ。
それならばと織田の勧めで一度部屋に荷物を置いてから、玲司の母親に面会するという流れになった。
玲司か凛の配慮なのか、紅龍と慧斗は別の部屋に分けられた。勿論紅音は慧斗と同室。四歳児をひとり寝させるのは不安だったので、少し安心した。
モスグリーンの壁紙と白の家具が爽やかで、雰囲気にも合っている。隣の紅龍の部屋も覗いてみたが、こちらはベージュの壁紙にこげ茶の家具が配置されていて、差し色の真紅がシックで大人な装いだった。
織田に尋ねれば、部屋ごとに家具も内装も違うようだ。玲司も凛もやっぱり凄い家の子だと内心感嘆するばかりだった。
荷物を置いて一度エントランスに戻り紅龍と合流、それから慧斗たちが通された棟の真反対にある棟の奥へと織田を先頭に続いていく。
どうやらこの屋敷は翼のように左右に棟が展開されており、慧斗たちが泊まるほうが客間のある棟で、反対の左翼棟は家族たちが過ごすごくプライベートな空間だと教えられた。
慧斗は織田の話を耳に流し込みながら、紅音の手を引きながらも周囲の瀟洒な佇まいに圧巻されていた。
「おかーさん、えほんのおしろみたいだね」
「そうだね」
呆けたように紅音の言葉に応える慧斗の横で、紅龍がくすりと笑う気配がした。
「紅音、結構距離があるから、抱っこしようか?」
「いーの? ほーろんさん」
「紅龍さんは来たことあるんだ、ここ」
「ああ」
屈んで紅音を抱き上げる紅龍を見下ろし尋ねれば、昔何度かここに来たことがあるのだという。どうりで慧斗とは違って気楽だと思ったのはそういう理由だったのか。それよりも、紅音に抱っこ癖がつかないか心配だ。紅龍がことあるごとに紅音を抱き上げるせいだ。
「俺もいくつか似たような別荘を持ってるからな。いつかふたりを連れて行ってあげたい」
内心で「でしょうね」とぼやく慧斗は、はしゃぐ紅音を抱く紅龍の後ろで小さくため息を落とした。やはり住む世界が違いすぎる。
世界的俳優と後ろ盾もない一般人の自分。紅龍は歩み寄ってくれようとしてるが、それも今はただ物珍しさもあってのことかもしれない。いずれ生活基準の差に不快感を覚えるのではないか。
それならば、傷が深くなる前に離れていって欲しい。たとえ番関係であっても、自分と紅龍は生きる世界が違う。紅龍には紅龍に見合った相手のほうが……
「慧斗?」
「え?」
「どうした。さっきから黙ったままで」
「なんでもない」
きっとこの旅行で慧斗が何も持たない普通の人間だと気づくだろう。
訝る紅龍に否定を告げ、慧斗は胸の中であることを決意した。
どんな結末であろうとも、慧斗は安寧な生活を送りたいだけなのだ。
その後会った屋敷の当主……玲司や凛の母親である薔子は、名は体を表すかのごとく薔薇の花のように華やかな人で、彼女は紅龍だけでなく慧斗も紅音も歓迎してくれた。自由に過ごしてくれて構わないとも。
それから近くにあるホテルでは夏休みで宿泊した子供たちを対象にしたアクティビティなどがあり、話を通すから紅音もどうかと言ってくれた。だが質素倹約を常としている慧斗は感謝とともに断った。
やはり自分の身の丈に合わない、と滞在初日から胸の内で深いため息をついた。
玲司から4WDを借り、紅龍が運転を担当。途中パーキングで休憩を入れつつ、比較的のんびりとした道程だった。
「本当に玲司さんたちは誘わなくて良かったのかな」
後部座席ではしゃぎすぎて疲れた紅音が、チャイルドシートに座ったまま爆睡しているため、ひとり言のような音量で呟く。隣から「いいんじゃないか」と淡々とした声が返ってきた。
「これから行く寒川の別荘で以前、桔梗さんがトラブルに巻き込まれたそうだ。玲司にも桔梗さんにも曰くのある場所を避けるのは、アルファじゃなくても回避するだろう?」
「まあ、確かに」
紅龍が車の鍵を借りに行った際、一緒に行かないかと誘ったそうだ。玲司からは店があることに加え、紅龍が説明してくれた事情を含め残ると告げた。代わりに近くの農園と牧場でのお遣いを頼まれたが。
「それにしても、玲司さんの実家ってすごいな。別荘とか生涯縁のないものだと思ってた」
「そうか? 貸別荘とかもあるって聞いたことあるが……」
「俺、車の免許持ってないから。自力で行くには無理があるんだよね」
「ふうん」
そんなものか、と嘯く紅龍を横目に、どうしてこんなに彼と穏やかな会話ができるようになったのかと思い馳せる。
紅龍が御崎家に居ついてから二ヶ月。当初は他人行儀な口調も、いつしか気安いものへと変わっていた。そのきっかけも一緒に暮らすようになった一因となった紅音だった。
いつも慧斗だけでいいと言っていた紅音だったが、やはり寂しかったのだろう。『家族にいれて欲しい』と言った紅龍を、紅音はどれだけ諭しても離しはしなかった。それからなし崩しで今に至る。
戸惑っている間に、梅雨は通り過ぎ、目にも痛いほどの太陽が降り注ぐ夏となっていた。
「慧斗は、玲司のことを知らないのか?」
紅龍はちらりとバックミラー越しに熟睡している紅音を流し見したあと、静かに口を開く。
「なんとなくは察してるけど……」
凛の勤める病院が彼らと同じ『寒川』であること。秋槻理事だけでなく、周囲の高位アルファたちの頭が上がらないことから、慧斗の知らぬ高い位置にいる存在なのだろうとは感じている。
だが、慧斗にはそんなことはどうでもいい。
玲司は慧斗の家族よりも身内だし、桔梗は兄のようだ。
凛は医療面から慧斗をバックアップしてくれている。
きっと慧斗のような環境に置かれた人間の中では、かなり恵まれた環境にいるのだろう。玲司に託してくれた祖母に感謝しかない。
「でも、玲司さんたちがどんな人たちであろうとも、俺は信頼している。多分、あなたよりも」
慧斗の放った一言に、紅龍はわずかに苦虫を噛んだかのような顔をする。
当然と言えば当然だ。たった数日ベッドの上で過ごした男と、長年親身になって自分を保護してくれてる人たちと比べるのも烏滸がましい話だ。
「……そうか。なら、この旅行の間に少しでも信用を勝ち取れるようにしないとな」
「まあ頑張って」と、そっけなく返して、紙カップに入った冷めたコーヒーに口をつけていた。
本当に彼を信用できるのか。なし崩しの今の生活は心地よいが、感情はまだ追いついていない。
少しだけ開けた窓から入る風が少しずつ涼しいものへと変化していくのが楽しい。
目的である寒川家別荘まで、当初は公共交通機関を利用したほうがいいのでは、と玲司から勧められたものの。
『せっかくの家族旅行なのに、そんなにすぐに着いてどうする』
という、紅龍の不可解な主張により、玲司がそれならばと車を貸してくれた。
すでにうなじを噛まれて他のアルファに迷惑をかけることがないとはいえ、子供を乗せての移動というのは、想像以上に神経を使う。それで体調を崩して旅行を楽しめなかったオメガの苦労話を耳にしたことがある。だから紅龍が車での移動を提案してくれた時は、内心でホッとしたものだ。
ただ、今回の旅行の話を凛にしたところ、正直あまり良い顔はされなかった。当然だろう。番契約を結んだアルファとオメガが、狭い車中で一緒にいる。それも長年離れていた反動もある可能性だって捨てきれないのだから。
必ず抑制剤の服用を義務付けられ、安易に番だろうと体を許してはいけないと、耳にタコができるほど口酸っぱく言われた。後悔するのは慧斗なのだからと。確かにどれだけ法整備がなされようと、オメガはいつまでたっても弱者なのだと、峯浦の件でも痛感させられたばかりだ。
だが正直な話、紅龍には聞きたいことがたくさんあった。
五年前のことや彼自身のこと。それから、どうして今まで慧斗を探してくれなかったのか。
女々しいにもほどがあるが、番がいるのにひとりで紅音を育てなくてはならなかった苦労が、慧斗の中で弱さと怒りとなって混在していた。
(こんなに弱くなってどうする自分! 紅龍は番かもしれないが他人! 俺と紅音の生活に勝手に割り込んでるだけの他人!)
なんとか奮い立たせるように自分に言い聞かせ、気分を落ち着けようと流れる窓の外を眺めた――
避暑地と言われるだけはある、と慧斗は寒川家別荘に到着して思ったのがそれだ。まず地元よりも格段に涼しい。山に囲まれているのもあるが、吹き降ろす風が心地よい。それから空気が凄く美味しい。緑の匂いがこんなにも清涼だと初めて知った。
「……にしても、これは別荘ではないのでは……」
城というか、要塞。長大な鉄柵の門を入った時も思ったが、これが個人の所有とは驚きだ。
整備された道をしばらく走り現れたのが、緑の中にそびえる煉瓦の建物。レトロ感満載だが、それ以上に迫力がある。ほのかに漂うのは遅咲きの薔薇の香りだろうか。この雰囲気にとても合った。
「むしろこれから殺人事件でも起こりそうな雰囲気だな」
「滅相もないこと言わないでもらえます?」
実際慧斗も思ったが、あえて口に出さなかったのに、紅龍はサラッと口に乗せる。腕の中では紅音が「おっきーねー」と寝起きでぼんやりとした声で呟いていた。
「お迎えが遅れて申し訳ございません。ようこそ、寒川別邸へ。わたくしはここの家政を務めます織田と申します。さ、どうぞお入りになってくださいな」
白のシャツと紺色の麻のロングスカートに白のエプロンをつけた女性が現れ告げる。その後ろに数人のお仕着せを着た若い男性たちが控えていた。彼らは一様に紅龍へと視線を注ぎ驚いたように目を見開いている。
慧斗にとってはすっかり慣れた顔だが、紅龍は海外でも有名な俳優なのだ。それがこんなにも近くで立っていたらびっくりもするだろう。当の本人は抱いていた紅音を慧斗に託し、涼しい顔で車から荷物を下ろしている。
荷物は使用人が運ぶと申し出たが、紅龍が毅然と断っていた。過去に色々あったのだろう。芸能人というのは大変みたいだ。
それならばと織田の勧めで一度部屋に荷物を置いてから、玲司の母親に面会するという流れになった。
玲司か凛の配慮なのか、紅龍と慧斗は別の部屋に分けられた。勿論紅音は慧斗と同室。四歳児をひとり寝させるのは不安だったので、少し安心した。
モスグリーンの壁紙と白の家具が爽やかで、雰囲気にも合っている。隣の紅龍の部屋も覗いてみたが、こちらはベージュの壁紙にこげ茶の家具が配置されていて、差し色の真紅がシックで大人な装いだった。
織田に尋ねれば、部屋ごとに家具も内装も違うようだ。玲司も凛もやっぱり凄い家の子だと内心感嘆するばかりだった。
荷物を置いて一度エントランスに戻り紅龍と合流、それから慧斗たちが通された棟の真反対にある棟の奥へと織田を先頭に続いていく。
どうやらこの屋敷は翼のように左右に棟が展開されており、慧斗たちが泊まるほうが客間のある棟で、反対の左翼棟は家族たちが過ごすごくプライベートな空間だと教えられた。
慧斗は織田の話を耳に流し込みながら、紅音の手を引きながらも周囲の瀟洒な佇まいに圧巻されていた。
「おかーさん、えほんのおしろみたいだね」
「そうだね」
呆けたように紅音の言葉に応える慧斗の横で、紅龍がくすりと笑う気配がした。
「紅音、結構距離があるから、抱っこしようか?」
「いーの? ほーろんさん」
「紅龍さんは来たことあるんだ、ここ」
「ああ」
屈んで紅音を抱き上げる紅龍を見下ろし尋ねれば、昔何度かここに来たことがあるのだという。どうりで慧斗とは違って気楽だと思ったのはそういう理由だったのか。それよりも、紅音に抱っこ癖がつかないか心配だ。紅龍がことあるごとに紅音を抱き上げるせいだ。
「俺もいくつか似たような別荘を持ってるからな。いつかふたりを連れて行ってあげたい」
内心で「でしょうね」とぼやく慧斗は、はしゃぐ紅音を抱く紅龍の後ろで小さくため息を落とした。やはり住む世界が違いすぎる。
世界的俳優と後ろ盾もない一般人の自分。紅龍は歩み寄ってくれようとしてるが、それも今はただ物珍しさもあってのことかもしれない。いずれ生活基準の差に不快感を覚えるのではないか。
それならば、傷が深くなる前に離れていって欲しい。たとえ番関係であっても、自分と紅龍は生きる世界が違う。紅龍には紅龍に見合った相手のほうが……
「慧斗?」
「え?」
「どうした。さっきから黙ったままで」
「なんでもない」
きっとこの旅行で慧斗が何も持たない普通の人間だと気づくだろう。
訝る紅龍に否定を告げ、慧斗は胸の中であることを決意した。
どんな結末であろうとも、慧斗は安寧な生活を送りたいだけなのだ。
その後会った屋敷の当主……玲司や凛の母親である薔子は、名は体を表すかのごとく薔薇の花のように華やかな人で、彼女は紅龍だけでなく慧斗も紅音も歓迎してくれた。自由に過ごしてくれて構わないとも。
それから近くにあるホテルでは夏休みで宿泊した子供たちを対象にしたアクティビティなどがあり、話を通すから紅音もどうかと言ってくれた。だが質素倹約を常としている慧斗は感謝とともに断った。
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