20 / 69
孟夏の深更
3-紅龍
しおりを挟む
カララン、とカウベルが軽快な音色で店内を駆け、閉じていく扉に消えていく番の姿を紅龍は無意識に手を伸ばして追いかける。しかし彼の思いも虚しく、扉は閉じられてしまい、聞こえるのはベルの残響だけだった。
「あ、すみません王さん。コーヒーのお代わりはいかがです?」
「あ、ああ。済まないがもう一杯もらえるかな」
「かしこまりました」
玲司から詳しい話を聞かされていないらしい桔梗は、紅龍の前に置いてある空のカップを引き下げ厨房に戻っていく。きっと玲司から自分とあまり話すなと言われているに違いない。なんとも心の狭い男だと紅龍は吐息を落とす。いや、慧斗が別のアルファと懇意にしてたら、自分だって近寄らせたくないと思うだろうと苦笑が自然と浮かんだ。
紅龍は先ほどまで慧斗が座っていたテーブルに視線を馳せる。あれから五年。出会った頃よりも随分と大人になった。それに『クオン』という子供は慧斗に似ていた。
自分がこんなに慧斗に焦がれて渇望していた間、彼はどこかのアルファと結婚をしたというのか?
でもそんなはずはない、と自分の疑問に反論する。
番を結んだオメガは、うなじを噛んだアルファにしか反応をしない。ましてや、番以外のアルファが抱こうとすれば、激しい拒否反応を起こす。最悪にはショック死すらあるとも。
それに慧斗は多情な人間ではないと、あの短い時間でも感じ取っていた。
白金に琥珀と派手な見た目にも関わらず、紅龍の腕の中での慧斗は初心なオメガだった。
「自業自得というものです、紅龍」
厨房から出てきた玲司は、まるで紅龍の葛藤を読んでたかのように苦言を呈する。彼はオートのコーヒーミルで豆を挽いてる間に保温していたポットに別のポットから熱湯を注いでいる。
せっかく脳裏にあの日の慧斗を思い浮かべていたのが霧散してしまった。
「……お前、慧斗を前から知っていたな」
恨みがましい目で悪友を睨みつければ。
「少なくともあなたと慧斗君が出会うよりも前から知ってます」
淡々とした声が返ってくる。玲司の目線は一切紅龍には向かず、真っ直ぐにコーヒーを見据えていた。
玲司を責めても柳に風なのは分かっていたので反論は喉でとどめる。悪友の中で一番コイツが掴めない人物なのを理解していたからだ。
「じゃあ、慧斗の番が俺だというのも知っていたってわけか」
「まあ、慧斗君が誰かと番になったのと、あなたがひとりのオメガを死に物狂いで探し出した時期がかぶってたので。それに、当時の特徴を聞いてすぐに慧斗君だって気づきましたし」
「……つまり、お前は意図して俺に慧斗の情報を隠していたのか」
「でもちゃんと、教えましたよ。彼の名前と年齢は」
それも最近の話だがな、と悪態を飲み込む。それで得心がいった。寒川ならば一般家庭の人間ひとりを秘匿するのは簡単なことだから。普通の探偵では探れないはずだ。
してやられたと紅龍は小さく舌打ちする。思わぬ伏兵が目の前の悪友だったことに、悪態をつかないだけマシだろう。
「……なぜ、今になって俺に情報を開示した。お前の家ならば、永久に隠しとおせたものを」
そう、上位アルファ家系の寒川の次男である玲司ならば、外国にいる紅龍に黙っていることは可能だったはずだ。もしかして……
「慧斗になにかあったのか?」
「あったといえばありました。ですが、『他人』であるあなたに教えるのは問題なので黙秘します」
「悪友にも言えないことか?」
「あなたが慧斗君に歩み寄り、彼に土下座でもして謝るなら、話は別ですけどね」
はいどうぞ、とカップを差し出され紅龍は睨み据えたままそれを受け取る。ドリップしたばかりの黒い液体からフルーツを感じさせる軽やかな香りと、焙煎独特の香ばしい匂いが立ちのぼっている。
カチリ、と陶器が触れ合う音をさせ、カップを持ち上げた紅龍はひとくち口に含んだ。
静かな店内には玲司が使った器具や食器を洗う音と、紅龍がカップを置く音。窓を開けた遠くから、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
今日は玲司に無理を言って、店を貸切にしたおかげで静かすぎるほど静寂に満ちている。つい最近まで慌ただしかったからか、これだけの静けさはとても心地が良い大切な時間に思えた。
そんな中でも慧斗は出入り自由なのか、と紅龍に目を合わせずに子供を大事そうに抱いてテーブル席に座る彼の姿に思い馳せる。ほっとした顔で玲司を見ていた慧斗にとっては、玲司は自分よりも身近な存在としているのが分かった。釈然とはしないが。
それに、と紅龍は思考を続ける。ちらりと見えた慧斗の子供。確か『クオン』といったか。
慧斗によく似た勝気そうな元気な子供。
黒い髪に、好奇心旺盛そうな赤い瞳……
紅龍は自身の目元をそっと撫でる。容貌だけ見れば慧斗にそっくりな可愛らしい子供。だが特徴だけを拾い上げれば、それはまさに自分と同じではないか。
「なあ、玲司。慧斗が連れてた子供、年齢を聞くのはアリか?」
縋るように悪友を見上げれば、彼は深いため息をこぼして目を閉じている。言うか言うまいか悩んでいるのだろう。もうそれだけで答えが分かってしまった。
「一応、保護対象は慧斗君で、紅音君に関しては付随の存在ですからね。ま、紅龍にならいいでしょうが、彼に問い詰めるのは今はおやめなさい。いいですね」
「……分かった。『今』は何も問いただすことはしない。約束する」
紅龍は逸る気持ちを抑えて真っ直ぐに玲司を見据える。もし、紅龍が予想していた通りの答えが玲司から出れば、それは……
「紅音君の年齢は現在四歳です」
それはあの日の夜、紅龍と慧斗が交わったことで育まれた命なのだから――
「あ、すみません王さん。コーヒーのお代わりはいかがです?」
「あ、ああ。済まないがもう一杯もらえるかな」
「かしこまりました」
玲司から詳しい話を聞かされていないらしい桔梗は、紅龍の前に置いてある空のカップを引き下げ厨房に戻っていく。きっと玲司から自分とあまり話すなと言われているに違いない。なんとも心の狭い男だと紅龍は吐息を落とす。いや、慧斗が別のアルファと懇意にしてたら、自分だって近寄らせたくないと思うだろうと苦笑が自然と浮かんだ。
紅龍は先ほどまで慧斗が座っていたテーブルに視線を馳せる。あれから五年。出会った頃よりも随分と大人になった。それに『クオン』という子供は慧斗に似ていた。
自分がこんなに慧斗に焦がれて渇望していた間、彼はどこかのアルファと結婚をしたというのか?
でもそんなはずはない、と自分の疑問に反論する。
番を結んだオメガは、うなじを噛んだアルファにしか反応をしない。ましてや、番以外のアルファが抱こうとすれば、激しい拒否反応を起こす。最悪にはショック死すらあるとも。
それに慧斗は多情な人間ではないと、あの短い時間でも感じ取っていた。
白金に琥珀と派手な見た目にも関わらず、紅龍の腕の中での慧斗は初心なオメガだった。
「自業自得というものです、紅龍」
厨房から出てきた玲司は、まるで紅龍の葛藤を読んでたかのように苦言を呈する。彼はオートのコーヒーミルで豆を挽いてる間に保温していたポットに別のポットから熱湯を注いでいる。
せっかく脳裏にあの日の慧斗を思い浮かべていたのが霧散してしまった。
「……お前、慧斗を前から知っていたな」
恨みがましい目で悪友を睨みつければ。
「少なくともあなたと慧斗君が出会うよりも前から知ってます」
淡々とした声が返ってくる。玲司の目線は一切紅龍には向かず、真っ直ぐにコーヒーを見据えていた。
玲司を責めても柳に風なのは分かっていたので反論は喉でとどめる。悪友の中で一番コイツが掴めない人物なのを理解していたからだ。
「じゃあ、慧斗の番が俺だというのも知っていたってわけか」
「まあ、慧斗君が誰かと番になったのと、あなたがひとりのオメガを死に物狂いで探し出した時期がかぶってたので。それに、当時の特徴を聞いてすぐに慧斗君だって気づきましたし」
「……つまり、お前は意図して俺に慧斗の情報を隠していたのか」
「でもちゃんと、教えましたよ。彼の名前と年齢は」
それも最近の話だがな、と悪態を飲み込む。それで得心がいった。寒川ならば一般家庭の人間ひとりを秘匿するのは簡単なことだから。普通の探偵では探れないはずだ。
してやられたと紅龍は小さく舌打ちする。思わぬ伏兵が目の前の悪友だったことに、悪態をつかないだけマシだろう。
「……なぜ、今になって俺に情報を開示した。お前の家ならば、永久に隠しとおせたものを」
そう、上位アルファ家系の寒川の次男である玲司ならば、外国にいる紅龍に黙っていることは可能だったはずだ。もしかして……
「慧斗になにかあったのか?」
「あったといえばありました。ですが、『他人』であるあなたに教えるのは問題なので黙秘します」
「悪友にも言えないことか?」
「あなたが慧斗君に歩み寄り、彼に土下座でもして謝るなら、話は別ですけどね」
はいどうぞ、とカップを差し出され紅龍は睨み据えたままそれを受け取る。ドリップしたばかりの黒い液体からフルーツを感じさせる軽やかな香りと、焙煎独特の香ばしい匂いが立ちのぼっている。
カチリ、と陶器が触れ合う音をさせ、カップを持ち上げた紅龍はひとくち口に含んだ。
静かな店内には玲司が使った器具や食器を洗う音と、紅龍がカップを置く音。窓を開けた遠くから、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
今日は玲司に無理を言って、店を貸切にしたおかげで静かすぎるほど静寂に満ちている。つい最近まで慌ただしかったからか、これだけの静けさはとても心地が良い大切な時間に思えた。
そんな中でも慧斗は出入り自由なのか、と紅龍に目を合わせずに子供を大事そうに抱いてテーブル席に座る彼の姿に思い馳せる。ほっとした顔で玲司を見ていた慧斗にとっては、玲司は自分よりも身近な存在としているのが分かった。釈然とはしないが。
それに、と紅龍は思考を続ける。ちらりと見えた慧斗の子供。確か『クオン』といったか。
慧斗によく似た勝気そうな元気な子供。
黒い髪に、好奇心旺盛そうな赤い瞳……
紅龍は自身の目元をそっと撫でる。容貌だけ見れば慧斗にそっくりな可愛らしい子供。だが特徴だけを拾い上げれば、それはまさに自分と同じではないか。
「なあ、玲司。慧斗が連れてた子供、年齢を聞くのはアリか?」
縋るように悪友を見上げれば、彼は深いため息をこぼして目を閉じている。言うか言うまいか悩んでいるのだろう。もうそれだけで答えが分かってしまった。
「一応、保護対象は慧斗君で、紅音君に関しては付随の存在ですからね。ま、紅龍にならいいでしょうが、彼に問い詰めるのは今はおやめなさい。いいですね」
「……分かった。『今』は何も問いただすことはしない。約束する」
紅龍は逸る気持ちを抑えて真っ直ぐに玲司を見据える。もし、紅龍が予想していた通りの答えが玲司から出れば、それは……
「紅音君の年齢は現在四歳です」
それはあの日の夜、紅龍と慧斗が交わったことで育まれた命なのだから――
62
お気に入りに追加
1,584
あなたにおすすめの小説
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
支配者に囚われる
藍沢真啓/庚あき
BL
大学で講師を勤める総は、長年飲んでいた強い抑制剤をやめ、初めて訪れたヒートを解消する為に、ヒートオメガ専用のデリヘルを利用する。
そこのキャストである龍蘭に次第に惹かれた総は、一年後のヒートの時、今回限りで契約を終了しようと彼に告げたが──
※オメガバースシリーズですが、こちらだけでも楽しめると思い
【完結】家も家族もなくし婚約者にも捨てられた僕だけど、隣国の宰相を助けたら囲われて大切にされています。
cyan
BL
留学中に実家が潰れて家族を失くし、婚約者にも捨てられ、どこにも行く宛てがなく彷徨っていた僕を助けてくれたのは隣国の宰相だった。
家が潰れた僕は平民。彼は宰相様、それなのに僕は恐れ多くも彼に恋をした。
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
目覚めたらヤバそうな男にキスされてたんですが!?
キトー
BL
傭兵として働いていたはずの青年サク。
目覚めるとなぜか廃墟のような城にいた。
そしてかたわらには、伸びっぱなしの黒髪と真っ赤な瞳をもつ男が自分の手を握りしめている。
どうして僕はこんな所に居るんだろう。
それに、どうして僕は、この男にキスをされているんだろうか……
コメディ、ほのぼの、時々シリアスのファンタジーBLです。
【執着が激しい魔王と呼ばれる男×気が弱い巻き込まれた一般人?】
反応いただけるととても喜びます!
匿名希望の方はX(元Twitter)のWaveboxやマシュマロからどうぞ(^^)
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる