【完結】捨てられた侯爵令息は、王子に深い愛を注がれる

藍沢真啓/庚あき

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一章

絶望

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 甘くて、脳が溶けそうな匂いのせいで、バラけた思考が全然ひとつにならない。
 ぼんやりと揺らめきながら意識が浮上し、エミリオはあがらうように重い眼蓋を持ち上げた。

「ん……」
「おはよう、エミリオ。気分はどうかな?」

 ギシリと自分が寝ていたベッドが軋み、視界いっぱいにシャツ越しでも分かるがっしりとした腕が入ってくる。そして頭上からねっとりと絡みつく声がエミリオのぼやけた意識に冷水を掛けた。
 まさか、と信じられない気持ちの中に、諦念の感情がじわりとエミリオを絶望に落とす。

「随分寝汗をかいてしまったようだね。まだ薬が効いてるから動けないだろう? 俺が汗を流してあげよう」

 昔のように、と覗き込んで来る金茶の髪から垣間見える氷の瞳に、エミリオは堪らず「ひっ」と悲鳴を飲み込む。

 もう二度と会うつもりはなかった。両親……特に母ならエミリオと目の前の男を絶対に会わせない筈だ。
 全部全部エミリオが男でありながら妊娠できる異質な存在で、溺愛している息子を誑かしたと信じきっているのだから。
 あの日だって、エミリオがボロボロに傷つけられても、母はエミリオの訴えに耳を貸してくれず、ただ汚い娼婦を見るような目で「この淫乱が」と吐き捨てた。
 どうして母から生まれたのに、こんな風に扱われるのか。
 自分は誰も誘惑なんてしていない。エミリオを散々犯して、溢れる程の精を注がれ、スーヴェリアの異形を作ろうとしたのは……兄であるルドルフだった。

 実の兄に犯され、両親にもふしだらだと扱われ、絶望しボロボロになったエミリオを救ってくれたのはフレデリクだった。
 王宮の奥で匿われ、学園の寮に入れる手続きを取ってくれたのは彼だった。しかも両親に対しエミリオの学費を捻出までさせて。
 さすがに両親も王族からの命令に反対はできなかったのか、最低限ではあったが学費を出してくれた。侯爵家の子息が低位貴族と同室だったが。そんな異質な状況は格好の虐めの的になってしまったけども、悪夢のようだった出来事から逃げるには最善といえる環境だった。

 それなのに……

「ルドルフ兄さん……」

 絶望に染まったエミリオの緑の瞳に、兄であるルドルフは最愛を見るような蕩ける眼差しをエミリオに向けていた。

 実兄であるルドルフは、昔からエミリオを溺愛していた。
 常に傍に居て、事あるごとにエミリオの体に触れ、エミリオの他者との交流を経ち、自分にだけ興味を示すように仕向けた。
 溺愛する反面、嗜虐的な部分も目立っていた。

 エミリオが祖父母の領地で拾った仔犬が、偶然ルドルフの足元にじゃれついたのを、彼は首元を掴み上げて迷いも躊躇いもなく壁に叩きつけた。その後に壮絶な笑みを浮かべて『俺以外に目を向けちゃ駄目だよ、エミリオ。いいね?』と、血に濡れた手でエミリオの頬を撫でて恐怖を植え付けた。
 それ以降、エミリオは動物を拾う事も飼う事もできなくなった。心が耐え切れないと感じたから。
 彼は……ルドルフは、エミリオに強烈で極端な愛情を注ぎ続けてきた。
 そんな彼が、エミリオが体に子を孕む子宮を持ち、男でありながら後継ぎを生み出す事ができると知ると、すぐさま行動に移してきた。

 夜、ひとりで寝ていると、いつの間にか侵入してきた兄に犯された。
 泣き叫び、必死で抵抗したが、文武両道だった兄の力に敵わず、何度も腹の奥に子種を注がれ、何度も『俺とエミリオの子はきっと可愛いだろうね』と少し膨らんだ腹を撫でうっとりと囁かれた。
 それから毎晩兄はエミリオの体を弄んだ。蹂躙してくる兄のこれまでの行動を見てきたエミリオは恐怖に喉が張り付いて、両親に事実を訴える事ができずにいた。

『エミリオ……俺の可愛いエミリオ。お前が俺の子を孕んだら、両親も祖父母も用無しになるね。邪魔な奴らは全て消して、ふたりで俺たちの子供を育てよう』

 うっとりと夢を語る兄の瞳は狂気に彩られ、エミリオが妊娠したら本当に実行するのだと、戦慄したものである。
 だが、兄の計画は母の目撃によって打ち砕かれた。
 あの時も明け方まで散々兄の子種を放たれ、後孔から白濁を零し力なく横たわるエミリオも、そんな人形のようなエミリオを抱く兄も一糸まとわぬ姿でベッドに横たわっていた。
 室内は兄の精の匂いでこもっており、明らかに情事の後を実感させられる。
 母は悲鳴をあげ、それからエミリオの頬を掌で打ち据えたのだ。

 淫乱、売女、実の兄を誘惑したふしだらな弟、穢らわしい、こんな淫らな子はスーヴェリア家には不要だ。
 お前なんて私の子ではない、と母はボロボロになったエミリオを、裸のまま放り出そうとした。
 だが、それを止めたのは、ルドルフだった。
 愛し合ってるふたりを両親ですらも引き裂く権限はない、と言って。

 その日からスーヴェリア侯爵家は、壊れかけだったのが、何もかも瓦解して修復は不可能となったのだ。

 数日後、どこでエミリオの不遇を知ったのか、第二王子のフレデリクがルドルフ不在時にスーヴェリアのタウンハウスへ訪れ、内密にエミリオを王宮へと匿った。

『大丈夫、もう怖いことなんてないから』

 触れられる事すら怯えていたエミリオを、フレデリクは何度も優しく諭し、両親を説得して学園の寮へと送ってくれた。
 多分、あの時点でエミリオはスーヴェリアの両親から捨てられたも同然だったのだろう。なかった事になった息子の学費すら出すのを惜しむ彼らをエミリオは恨んではいなかった。
 結果だけを見れば、エミリオは後継ぎを誘惑したふしだらな弟なのだから。放逐されなかっただけ上々だった。
 だが両親はエミリオに学費を出す条件を出した。レッセン伯爵子息だったクライドと婚約し、学園を卒業したら彼と婚姻を結ぶ事を。そうして二度とスーヴェリア家に足を踏み入れる事は許さないと告げた。

 レッセン伯爵領は王都から遠く離れているし、タウンハウスの位置も上位貴族地域とは王城を挟んで反対にある。
 余程でなければ出会う事もない。
 エミリオは両親の提案を受け入れるしかなかった。兄と完全に離れる為にはそれが一番良いと思っていたから。

 だけど……

「ほらおいで、エミリオ。汚いフレデリクの匂いを完全に落としきったら、ずっと抱いて俺の匂いで染めてあげる」
「……ど、して」
「ああ、そうだ、その前に。……おかえり、愛おしいエミリオ。やっと一緒になれるね」

 自分はもう逃げれたと思っていた。それは幾重にも重なった檻のひとつでしかなかったと、微笑む兄を前に体も心も絶望に支配されていた。
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