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一章
自覚
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いい匂いがする。そう意識が浮上した途端、エミリオは惹かれるように閉じていた両目を開く。ぼんやりとした視界に銀色の光が溢れている。ゆっくりと銀色が形を取り、それがフレデリクになったのを認め、エミリオはどこか安心を覚えた。
「フレデリク様……」
「気分はどうかな?」
「ええ。大丈夫で……」
「大丈夫じゃないから、寝てなさい」
起き上がろうとするエミリオを、フレデリクが優しく押し戻す。
「……ごめんなさい。沢山フレデリク様に迷惑をかけて……」
「フレデリクも様もいらないよ。この間のように『フレイ』って呼んでくれないかな、『リオ』」
「ぁ……」
それは、と淡くエミリオは呟く。
『フレイ』と『リオ』。
クライドと婚約する前、秘密のお茶会でお互いに呼び合っていた名前。身分も立場も年齢も関係なく、何者でもなかったふたりの呼び方。そういえば、この間我を忘れて彼の愛称を呼んでしまったのを思い出し赤面する。
「わ、忘れてください……」
「無理。これからは私の事は『フレイ』で決定だからね」
にこりとフレデリクは宣言し、エミリオの額に唇音を立ててキスをしてくる。すぐに離れた温もりがじわりじわりと広がっていき、エミリオの全身がカッと熱くなった。
「な、な、なにをするんですかっ」
「リオが可愛いから」
甘ったるい言葉に免疫のないエミリオの顔は収まるどころか更に熱を上げる。
「ん、随分顔色が良くなったみたいだね。なにか食べれそうかな?」
長い指で頬を滑るように撫でられ、エミリオはこくこくと頷いた。フレデリクは笑みを深くさせ「すぐに用意するように言ってくるから」と言い残し、さらりと部屋を出ていくのを赤面したまま見送った。
クライドがエミリアと不義密通の事実を目の当たりにし、さりとて自分には一切手を触れず世継ぎを作る責務を怠った。というより、もとよりクライドはエミリオに愛を囁く割にはどこか距離を置いていたように思う。
結局クライドは自分とは違う人と子供を成し、でたらめな言葉をレッセン伯爵たちに耳打ちして、エミリオとの縁を切った。
あの日から……いや、自分の体が普通の男と違うと言われてから、エミリオはフレデリク以外に心を許していたのに気づいていた。認めたくなくて、自分の心を偽ってきたけど、こんなに真っ直ぐに愛情を向けられたら強く振り払えない。
幼い頃から自覚なくとも惹かれていたのだ。自覚してしまったら、この思いに蓋をする事はできない。
でも……と頭の片隅で囁く声がする。
フレデリクは兄のアレクシス王太子が即位するのが確定となっているとはいえ、王位継承権を持つ王族だ。
エミリオの体が妊娠できる器官がある特殊体質であっても男である自分はフレデリクの隣に立つなんて無理だ。例え男性同士の結婚が可能だとしてもだ。あれは跡継ぎではない子息が取れる制度だから。
フレデリクが王族である限り、彼がプロポーズしてくれたとしても、決して叶わぬ夢なのだ。
だけど、願ってもいいのだろうか。
つかの間の夢を見ても……彼の婚姻が決まるまでの、儚く泡沫の夢を……
「お待たせ、エミリオ。ミルク麦粥を持ってきたけど、食べれそうかな?」
「はい、ありがとうございます。……フレイ」
「っ!」
呟くような小さな声だったが、フレデリクの耳にはっきりとエミリオが昔の愛称を呼んだ事に驚き、持っていたトレイを乱暴にテーブルに置くと、その勢いのままエミリオにぎゅっと抱きつく。
「今、フレイって呼んでくれたんだね! 嬉しい、凄く嬉しいよ!」
「あ、あの、ちょっと、くるし……」
ギュウギュウ抱きしめられ、息が詰まったエミリオはフレデリクの背中をバンバンと叩いて訴える。
「ごめん、ごめん。あんまりにも嬉しくて加減ができなかったよ」
と、満面の笑みで喜びを告げるフレデリクに、エミリオの胸がトクリと高鳴った。
開放されたエミリオは、なぜかフレデリクの膝の上に乗せられ、彼の手づから食事を与えられ困惑しながらも受け入れてしまう。
「美味しいかい? 料理人には消化にいいように柔らかく煮込んでもらうよう頼んだんだけど」
「はい、とても柔らかくて、甘くて美味しいです。今度祖父母にも作ってみようかな……」
「エミリオが食事を作るの?」
「ええ、領地の使用人はそんなに多く雇っていないので、交代で作っているんですよ」
「そうなんだね。今度、私もご相伴に預かりたいものだ」
肥えた舌を持つフレデリクに食べてもらえるような物ではないが、エミリオは「是非」と微笑んでみせた。
それからのエミリオの体調は目まぐるしく快復していった。
最近ではフレデリクと一緒にファストス公爵家の庭を散策したり、図書館で読書をしたり、街にお忍びで出かけたり。
さながら恋人のような日常を過ごしていた。
そんなある日。
「エミリオ?」
フレデリクは執務の為に王城へ行っている間、彼に食後のデザートで果物を使ったパイを作ろうと、フレデリクの護衛騎士と共に街の市場に来ていた。
祖父母のいる領地の館なら、色んなベリーがたわわに実っている時期だが、こちらは少し暖かい為か数が少ないようだ。
ブルーベリーには少し早かったので、終わりがけの苺をたっぷり買い、ラズベリーとブラックベリーも少し買った。
甘い香りに包まれていると、エミリオを呼ぶ声が聞こえ、ふと振り返った先にいた人物を認め目を見張る。
「……クライド様……」
人の間にいたのは、エミリオの元夫だったクライド・レッセン伯爵令息が立っていた。
「フレデリク様……」
「気分はどうかな?」
「ええ。大丈夫で……」
「大丈夫じゃないから、寝てなさい」
起き上がろうとするエミリオを、フレデリクが優しく押し戻す。
「……ごめんなさい。沢山フレデリク様に迷惑をかけて……」
「フレデリクも様もいらないよ。この間のように『フレイ』って呼んでくれないかな、『リオ』」
「ぁ……」
それは、と淡くエミリオは呟く。
『フレイ』と『リオ』。
クライドと婚約する前、秘密のお茶会でお互いに呼び合っていた名前。身分も立場も年齢も関係なく、何者でもなかったふたりの呼び方。そういえば、この間我を忘れて彼の愛称を呼んでしまったのを思い出し赤面する。
「わ、忘れてください……」
「無理。これからは私の事は『フレイ』で決定だからね」
にこりとフレデリクは宣言し、エミリオの額に唇音を立ててキスをしてくる。すぐに離れた温もりがじわりじわりと広がっていき、エミリオの全身がカッと熱くなった。
「な、な、なにをするんですかっ」
「リオが可愛いから」
甘ったるい言葉に免疫のないエミリオの顔は収まるどころか更に熱を上げる。
「ん、随分顔色が良くなったみたいだね。なにか食べれそうかな?」
長い指で頬を滑るように撫でられ、エミリオはこくこくと頷いた。フレデリクは笑みを深くさせ「すぐに用意するように言ってくるから」と言い残し、さらりと部屋を出ていくのを赤面したまま見送った。
クライドがエミリアと不義密通の事実を目の当たりにし、さりとて自分には一切手を触れず世継ぎを作る責務を怠った。というより、もとよりクライドはエミリオに愛を囁く割にはどこか距離を置いていたように思う。
結局クライドは自分とは違う人と子供を成し、でたらめな言葉をレッセン伯爵たちに耳打ちして、エミリオとの縁を切った。
あの日から……いや、自分の体が普通の男と違うと言われてから、エミリオはフレデリク以外に心を許していたのに気づいていた。認めたくなくて、自分の心を偽ってきたけど、こんなに真っ直ぐに愛情を向けられたら強く振り払えない。
幼い頃から自覚なくとも惹かれていたのだ。自覚してしまったら、この思いに蓋をする事はできない。
でも……と頭の片隅で囁く声がする。
フレデリクは兄のアレクシス王太子が即位するのが確定となっているとはいえ、王位継承権を持つ王族だ。
エミリオの体が妊娠できる器官がある特殊体質であっても男である自分はフレデリクの隣に立つなんて無理だ。例え男性同士の結婚が可能だとしてもだ。あれは跡継ぎではない子息が取れる制度だから。
フレデリクが王族である限り、彼がプロポーズしてくれたとしても、決して叶わぬ夢なのだ。
だけど、願ってもいいのだろうか。
つかの間の夢を見ても……彼の婚姻が決まるまでの、儚く泡沫の夢を……
「お待たせ、エミリオ。ミルク麦粥を持ってきたけど、食べれそうかな?」
「はい、ありがとうございます。……フレイ」
「っ!」
呟くような小さな声だったが、フレデリクの耳にはっきりとエミリオが昔の愛称を呼んだ事に驚き、持っていたトレイを乱暴にテーブルに置くと、その勢いのままエミリオにぎゅっと抱きつく。
「今、フレイって呼んでくれたんだね! 嬉しい、凄く嬉しいよ!」
「あ、あの、ちょっと、くるし……」
ギュウギュウ抱きしめられ、息が詰まったエミリオはフレデリクの背中をバンバンと叩いて訴える。
「ごめん、ごめん。あんまりにも嬉しくて加減ができなかったよ」
と、満面の笑みで喜びを告げるフレデリクに、エミリオの胸がトクリと高鳴った。
開放されたエミリオは、なぜかフレデリクの膝の上に乗せられ、彼の手づから食事を与えられ困惑しながらも受け入れてしまう。
「美味しいかい? 料理人には消化にいいように柔らかく煮込んでもらうよう頼んだんだけど」
「はい、とても柔らかくて、甘くて美味しいです。今度祖父母にも作ってみようかな……」
「エミリオが食事を作るの?」
「ええ、領地の使用人はそんなに多く雇っていないので、交代で作っているんですよ」
「そうなんだね。今度、私もご相伴に預かりたいものだ」
肥えた舌を持つフレデリクに食べてもらえるような物ではないが、エミリオは「是非」と微笑んでみせた。
それからのエミリオの体調は目まぐるしく快復していった。
最近ではフレデリクと一緒にファストス公爵家の庭を散策したり、図書館で読書をしたり、街にお忍びで出かけたり。
さながら恋人のような日常を過ごしていた。
そんなある日。
「エミリオ?」
フレデリクは執務の為に王城へ行っている間、彼に食後のデザートで果物を使ったパイを作ろうと、フレデリクの護衛騎士と共に街の市場に来ていた。
祖父母のいる領地の館なら、色んなベリーがたわわに実っている時期だが、こちらは少し暖かい為か数が少ないようだ。
ブルーベリーには少し早かったので、終わりがけの苺をたっぷり買い、ラズベリーとブラックベリーも少し買った。
甘い香りに包まれていると、エミリオを呼ぶ声が聞こえ、ふと振り返った先にいた人物を認め目を見張る。
「……クライド様……」
人の間にいたのは、エミリオの元夫だったクライド・レッセン伯爵令息が立っていた。
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