【完結】捨てられた侯爵令息は、王子に深い愛を注がれる

藍沢真啓/庚あき

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一章

接吻

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 一体、この温かく湿った感触はなんなのだろう。

 呆然と温もりを甘受していたら、唇の隙間からぬるりと熱い塊が押し込まれた。

「んんっ!?」

 それが接吻だと気づき、エミリオはフレデリクの腕の中でじたばたと暴れるが、鍛えられた彼の腕は更に力が込められる。

「ちょ……はなし……ふぁ、んっ」

 抵抗を塞ぐようにフレデリクの舌が巧みにエミリオの舌を捕らえ、艶かしく蠢く。口の中で彼の舌が動く度に唾液の水音が反響し、エミリオの羞恥心に火を注ぐ。バードキスは何度か経験があったが、このような頭も体も溶かすような官能的な口付けは初めてで脳の芯がぼんやりとしていく。

「ま……って、ふれ……ん、ふぁっ」

 ぐち、と舌を絡め取られ、強く吸われると、脳の奥がジンと痺れる。
 口蓋をちろちろと擽られると、体の奥からじわりと愉悦の源泉が湧き出す。

 自分の口腔の中なのに、主導権をフレデリクに完全に持って行かれ、彼の腕の中でなければとっくに膝から崩れてたに違いない。こんな自分は知らない――

「かわいい……愛してる、エミリオ……」
「んんっ……だ、え……んぅ」

 抵抗を奪われ、フレデリクにいいようにされているエミリオは、フレデリクの腕の中で身悶えていた。髪の中を泳ぐ長い指の感触も、強く拘束する腕の締めつけも、腰を撫でる掌の熱も、初めて知る感覚にエミリオはびくびくと体を震わせた。
 溢れた唾液はいつしか自分のものとフレデリクのものが混じって口の端からこぼれそうになる。だけど。

「……リオ、飲んで?」

 合わせた唇のあわいからフレデリクの熱のこもった声が懇願し、懐かしい愛称で喚ばれたエミリオは、コクリとふたりの唾液を嚥下してしまった。

 あまい……

 喉を通り、胃の腑に落ちた唾液。まるで媚薬のようにエミリオの体を内側から熱くさせ、足の根元に血が集まって痛みを訴える。
 今まで性的な事が怖いと植えつけられたエミリオは、初めて知る性の昂まりに心が混乱するばかりだ。

 怖い。でももっと欲しい。これはイケナイ事・・・・・・・・。でもフレデリクの熱が欲しい。

「やら……こわい……ふれい、こわいよぉ……」

 フレデリクがエミリオの愛称を囁いたせいか、エミリオもふたりだけで許された彼の愛称――フレイと甘く蕩けた声で幼く呼ぶ。
 少しだけ冷静を取り戻したフレデリクは、涙をボロボロ流し口付けを受け入れているものの、心は過去の出来頃とリンクしたせいか体を震わせ、それでもフレデリクの太ももにあたるエミリオの熱が膨らんでいるのを知る。
 自分の欲を優先して、エミリオのトラウマを呼び出してしまったようだ。

「ごめん。ごめんよ、リオ。これ以上は酷い事をしないから、許してくれるかい?」

 くちゅり、と唾液に濡れたエミリオの唇を舌でひと撫でし、甘い笑みで許しを乞う。涙で濡れた緑の瞳はフレデリクの被虐心を酷く唆るも、それ以上に彼を大切にしたい気持ちが勝り、指先で涙を拭いながらゆったりと微笑む。
 そんなフレデリクの姿にようやく緊張が解けたのか、とろりと眼蓋を伏せてエミリオが幼く問う。

「もうしない?」
「今日はね」
「なら……いい」

 コテリと金茶の髪がフレデリクの肩に乗せられ、安堵した甘い糖蜜のような声が吐息と共に紡がれる。

「でも……嫌じゃなかったよ……フレイ……」

 耳朶を打つその言葉にフレデリクは瞠目したが、衝撃すぎる出来事で頭がショートしたのか、エミリオが意識を失い崩れていくのを慌てて横抱きにしてため息をつく。

 成人男性にしては軽すぎるエミリオの体。三年間の結婚生活は、彼の安らぎとは程遠いものだったのだろう。
 その一端が自分にあるため、フレデリクの胸は杭を打ち込まれたように痛みを訴えたが、今こうして自分の腕の中に愛おしい存在があるのを笑みを浮かべて見下ろす。

「リオ、ごめんね。君がこんなに痩せる程辛い思いばかりさせて。でも、きっと幸せにする。その為には――――しないとね」

 フレデリクは秀でたエミリオの額にそっと唇を押し当てる。

 クライドとエミリオの離婚は、フレデリクが長年の思いを成就させるために必要な出来事だった。そのために裏で手を回したりもした。
 実家を頼る事をしないエミリオが、スーヴェリア領にいる祖父母の元に行くのは予測できたが、余計な横やりがあったせいで彼と再会するまでに一年もかかってしまった。
 脳裏に皮肉げな笑みを浮かべるエミリオに似た、だが不快しかない男の姿が浮かぶ。
 明るく聡明だったエミリオの心に翳を落とした存在。
 文官の中で頭角をあらわし、現在は宰相補佐として暗躍するスーヴェリア次期侯爵と目されるエミリオの実兄。
 そして、フレデリクにとっては友人で兄の側近。

 スーヴェリアの人間にしては狡猾で自信過剰な男。ルドルフ・スーヴェリア宰相補佐。

 今はエミリオを多忙で放置しているようだが、アレは自分以上に執着心の強い人間だ。その前に名実共にルドルフからエミリオを引き離さなくては……

 厳しい顔で決意を新たにしていたフレデリクだったが、腕の中のエミリオは完全に意識を失くしていた。
 このまま宿の人間を起こしてもいいが、エミリオに余計な噂が立つのを避けたい。

「困った……エミリオを起こして宿に戻すのも憚れるし、だからといって宿のひとを起こすのも偲びない……」
「それなら、俺が宿の人間と彼の御者に伝言しておきましょう」

 ふと、空気に溶けるように姿を見せた漆黒の鎧を纏う人物の気配を感じ「アルベルトか」と呟く。彼はフレデリクの側近であり、護衛でもある。そして、フレデリクがスーヴェリア領館でエミリオのプロポーズした時に唯一同行を許した人間だった。

「まさか後を付いてきたのか?」
「当然でしょ、あなたが第二王子とはいえども尊き御身なのは変わりないので」
「ふ……それは建前だろう? 本当は?」
「か弱いエミリオ様に無体をしないよう見張りに来ました」

 「宿に連れて行くのは結構ですが、それ以上は駄目ですからね」とニヤリと笑う護衛騎士に、フレデリクはあからさまに渋い顔をしてみせる。

「宿に戻る。朝食はふたり分を準備するよう、手配をしておいてくれるか」
「御意」

 ふん、と鼻じらんだフレデリクは、最愛を腕に抱いたまま宿へと足を踏み出した。
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