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24救出②
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アリステルは窓の外を見上げる。目覚めてから今まで誰も来ることなく、空は薄暗くなり雨の匂いが強くなった。
くぅ、と小さく腹が鳴る。病み上がりで温めたミルクしか飲まなかったので、空腹がいつもより強く感じる。喉も乾き舌の水気もなくなって痛い。
(もしかして、このまま放置されて、餓死でも狙っているのだろうか)
神徒だから直接手を下すのに抵抗でもあるのか、アリステルに触れることなく殺すつもりかと、不確かな予測をしてしまいゾクッと背中が震えた。
(ここで動揺したらダメだ。落ち着け、落ち着かないと)
恐怖を逃がすように息を吐く。
貴族子息は金銭目的で誘拐されることが少なくない。誘拐された時の対処法を、子どもの頃に、家庭教師のひとりから教えられた。
今にして思えば嫡男だったからということが分かる。当時は侯爵家を継ぐことがほぼ決まっていたから、なにか予測外のことがあっても対処できる術を与えてくれたのだろう。それが功を奏しているが。
恐怖に体を支配されると、いざという時に動けず好機を逃がす。だから常に冷静になって周囲の変化に鋭敏になる必要がある。そうして、勝機が見いだせたらすぐに動けるようにと教えられた。この呼吸法もその時に教えられた一つだ。
浅い呼吸だと頭にまで行き届かないから、良い案も浮かばなくなる。だから深く呼吸をして、心と頭と冷静になるように繰り返すべきだ。昔教師が言った言葉を反芻しながら、吸って、吐いてをやっていく内に焦りは次第になりを潜めていった。
「……はぁ」
不安の名残を吐き出すと、心に大丈夫だという勇気が顔を出す。正直何が大丈夫かは分からない。それはハイノが不思議な力を持っていることや、ディーンストが後から追いかけてくれてるから、という他力本願な物ではない。
前の生では知識がなかっただけに苦労の連続ばかりだった。もっと警戒するなり、人に頼る事をすれば良かった。
今の生では素直になれなかったせいで逃げてばかりだった。もっとユリウスを信用して、話し合うべきだった。
この結果は自らが招いたこと。自分の愚かさに落ち込みそうになるも、ダメだダメだと首を振って、後ろ向きな思考を追い出す。それでも空腹と喉の渇きは、アリステルの気持ちを少しずつ不安へと引き戻していた。
縛られた姿勢のまま、支えもなく座っているのは、体力を削ってしまう。そう考えたアリステルは、尻をズッズッとずらして壁に移動し、背中を壁に預ける。小窓に近くなったからか、雨の音が先ほどよりもはっきりと聞こえる。少し肌寒いが、見習い服のおかげで耐え切れないほどではない。こうして静かな場所にいると、前の生で廃教会で過ごしていたことを思い出した。
騙されて、イレーネの信望者に傷つけられ、満身創痍で廃教会に趣いては壊れかけの長椅子に持たれて一人過ごした。空腹なんてとっくに擦り切れ、ほとんど水でしのいでいた。だから雨の日は嫌いじゃない。乾いた喉を潤し、風呂の入れない体を少しでも綺麗にすることができたから。
今にして思えば、あそこまでされる理由は、前のイレーネの欲望によるものだったと気づかされる。だからユリウスの婚約者だったアリステルを蹴落とし、その地位に立てば幸せになれると盲信していたのだろう。
現実はそんなに簡単な物ではないのに。
前のアリステルはユリウスの傍にいたくて、必死にひたすら勉強を頑張っていた。例え嫌われていたとしても、アリステルはユリウスの傍にいられるだけで、こちらを向いてくれなくても幸せだったから。
だけど今の生になってから、ユリウスの甘さに驚きながらも、夢を見ているようにふわふわした気持ちでいっぱいだった。それは前の生でアリステルがこうあってくれたらと願っていたことだから。
「ユリウス様……」
今彼は何をしているのだろうか。王城の執務室でハイノと一緒に書類整理に追われているのか。それとも月光宮の温室で雨の音を耳にしながら本を読んでいるのか。それともイレーネと時間を過ごしているのか。
(イレーネさんと……)
ズキリと胸が痛くなる。あれだけ自分を甘やかしてくれたユリウスから逃げたくせに、いざ自分以外の人と仲良くなっているらしいと知ると、胸の中がモヤモヤしてしまう。なんて我が儘な性格すぎて、ため息が出そうだ。
それでもふとした時に彼のことを思ってしまうのは、今頃自分を探しているだろうディーンストが、ユリウスと似た雰囲気を持っているせいだ。
髪色は違うけど、仮面の奥から覗く淡い青の瞳が優しいから。アリステルを見つめるユリウスの眼と似ていて、何度か胸をときめかせたのは秘密だ。
(きっとディーンストさん、心配しているだろうな。本当に悪いことをしてしまった)
彼は偶然出会ったせいで、この件に巻き込んでしまった。あまりにもさりげなく手を貸してくれるから、つい甘えてしまった。
(でも、彼は僕が拒否する前に動いちゃうんだろうな)
そんな所もユリウスに似ていて、アリステルはこんな状況にも拘らず、笑みが自然と溢れてしまう。
つらつらと考えていると、ずっと静かだった外が僅かに賑やかになってくる。ぬかるんだ地面を蹴る音や男の怒号、金属の音が激しくぶつかりあう音が耳に鋭く飛び込んできた。
「え……な、なに?」
喧騒はどんどん近づき、バキッと扉の向こうからなにかが割れる音が聞こえ、それから。
「アリスタ!」
けたたましく開かれた扉の先にいたのは、毛先が黒に染まった金の髪をしたミルクブルーの瞳を持つ、美しくて……アリステルが会いたかった人。
「ユリウス……さま?」
雨と汗に濡れた高貴なる人が、泣きそうな顔で入り口に立っていた。
「……やはり……アリステルだったんだね」
緑の瞳を瞠目に開く囚われの神徒は、薄茶の髪から色が抜け白銀に変わっていた。
くぅ、と小さく腹が鳴る。病み上がりで温めたミルクしか飲まなかったので、空腹がいつもより強く感じる。喉も乾き舌の水気もなくなって痛い。
(もしかして、このまま放置されて、餓死でも狙っているのだろうか)
神徒だから直接手を下すのに抵抗でもあるのか、アリステルに触れることなく殺すつもりかと、不確かな予測をしてしまいゾクッと背中が震えた。
(ここで動揺したらダメだ。落ち着け、落ち着かないと)
恐怖を逃がすように息を吐く。
貴族子息は金銭目的で誘拐されることが少なくない。誘拐された時の対処法を、子どもの頃に、家庭教師のひとりから教えられた。
今にして思えば嫡男だったからということが分かる。当時は侯爵家を継ぐことがほぼ決まっていたから、なにか予測外のことがあっても対処できる術を与えてくれたのだろう。それが功を奏しているが。
恐怖に体を支配されると、いざという時に動けず好機を逃がす。だから常に冷静になって周囲の変化に鋭敏になる必要がある。そうして、勝機が見いだせたらすぐに動けるようにと教えられた。この呼吸法もその時に教えられた一つだ。
浅い呼吸だと頭にまで行き届かないから、良い案も浮かばなくなる。だから深く呼吸をして、心と頭と冷静になるように繰り返すべきだ。昔教師が言った言葉を反芻しながら、吸って、吐いてをやっていく内に焦りは次第になりを潜めていった。
「……はぁ」
不安の名残を吐き出すと、心に大丈夫だという勇気が顔を出す。正直何が大丈夫かは分からない。それはハイノが不思議な力を持っていることや、ディーンストが後から追いかけてくれてるから、という他力本願な物ではない。
前の生では知識がなかっただけに苦労の連続ばかりだった。もっと警戒するなり、人に頼る事をすれば良かった。
今の生では素直になれなかったせいで逃げてばかりだった。もっとユリウスを信用して、話し合うべきだった。
この結果は自らが招いたこと。自分の愚かさに落ち込みそうになるも、ダメだダメだと首を振って、後ろ向きな思考を追い出す。それでも空腹と喉の渇きは、アリステルの気持ちを少しずつ不安へと引き戻していた。
縛られた姿勢のまま、支えもなく座っているのは、体力を削ってしまう。そう考えたアリステルは、尻をズッズッとずらして壁に移動し、背中を壁に預ける。小窓に近くなったからか、雨の音が先ほどよりもはっきりと聞こえる。少し肌寒いが、見習い服のおかげで耐え切れないほどではない。こうして静かな場所にいると、前の生で廃教会で過ごしていたことを思い出した。
騙されて、イレーネの信望者に傷つけられ、満身創痍で廃教会に趣いては壊れかけの長椅子に持たれて一人過ごした。空腹なんてとっくに擦り切れ、ほとんど水でしのいでいた。だから雨の日は嫌いじゃない。乾いた喉を潤し、風呂の入れない体を少しでも綺麗にすることができたから。
今にして思えば、あそこまでされる理由は、前のイレーネの欲望によるものだったと気づかされる。だからユリウスの婚約者だったアリステルを蹴落とし、その地位に立てば幸せになれると盲信していたのだろう。
現実はそんなに簡単な物ではないのに。
前のアリステルはユリウスの傍にいたくて、必死にひたすら勉強を頑張っていた。例え嫌われていたとしても、アリステルはユリウスの傍にいられるだけで、こちらを向いてくれなくても幸せだったから。
だけど今の生になってから、ユリウスの甘さに驚きながらも、夢を見ているようにふわふわした気持ちでいっぱいだった。それは前の生でアリステルがこうあってくれたらと願っていたことだから。
「ユリウス様……」
今彼は何をしているのだろうか。王城の執務室でハイノと一緒に書類整理に追われているのか。それとも月光宮の温室で雨の音を耳にしながら本を読んでいるのか。それともイレーネと時間を過ごしているのか。
(イレーネさんと……)
ズキリと胸が痛くなる。あれだけ自分を甘やかしてくれたユリウスから逃げたくせに、いざ自分以外の人と仲良くなっているらしいと知ると、胸の中がモヤモヤしてしまう。なんて我が儘な性格すぎて、ため息が出そうだ。
それでもふとした時に彼のことを思ってしまうのは、今頃自分を探しているだろうディーンストが、ユリウスと似た雰囲気を持っているせいだ。
髪色は違うけど、仮面の奥から覗く淡い青の瞳が優しいから。アリステルを見つめるユリウスの眼と似ていて、何度か胸をときめかせたのは秘密だ。
(きっとディーンストさん、心配しているだろうな。本当に悪いことをしてしまった)
彼は偶然出会ったせいで、この件に巻き込んでしまった。あまりにもさりげなく手を貸してくれるから、つい甘えてしまった。
(でも、彼は僕が拒否する前に動いちゃうんだろうな)
そんな所もユリウスに似ていて、アリステルはこんな状況にも拘らず、笑みが自然と溢れてしまう。
つらつらと考えていると、ずっと静かだった外が僅かに賑やかになってくる。ぬかるんだ地面を蹴る音や男の怒号、金属の音が激しくぶつかりあう音が耳に鋭く飛び込んできた。
「え……な、なに?」
喧騒はどんどん近づき、バキッと扉の向こうからなにかが割れる音が聞こえ、それから。
「アリスタ!」
けたたましく開かれた扉の先にいたのは、毛先が黒に染まった金の髪をしたミルクブルーの瞳を持つ、美しくて……アリステルが会いたかった人。
「ユリウス……さま?」
雨と汗に濡れた高貴なる人が、泣きそうな顔で入り口に立っていた。
「……やはり……アリステルだったんだね」
緑の瞳を瞠目に開く囚われの神徒は、薄茶の髪から色が抜け白銀に変わっていた。
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