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12違和感

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 イレーネ・クーニッツ男爵令嬢は、見た目清楚系の可愛い娘だが、その腹は野心家だとアリステルは感じていた。

 それというのも、学園に入学してほどなくして、主要貴族子息や王族に接近しだした。
 そもそも学園……ゼーレンヴェンデ王立学園は、十八歳から二十歳の間在籍を許された、貴族のための場所だった。
 目的は勉学というより貴族同士のつながりや交流を主とし、低位貴族子息は上位貴族に就職の伝手を斡旋を求めるといった感じだ。中には決まっていない婚約者を見つける者もいたが。
 前の生のアリステルも一学年上のユリウスと婚約したあと、彼を追いかけるように水晶宮から学園へと通っていた。前の生のアリステルの目的はもちろん、ユリウスの傍にいるためだ。
 当時すでに婚約関係だったものの、ユリウスからの接触は皆無に等しく、せっかく婚約者になったというのに会話すらほとんどできなかった。だから学園に通えば、王宮にいるよりも接触できる機会があると考えていた。今にして思えば、なんとも短絡的思考だったと、頭を抱えたくなる。

 学園ではハイノをはじめ、ユリウスの周りには高位貴族子息が取り囲み、その中になぜか男爵令嬢であるイレーネがいたことに疑問があった。
 明るく、元気で、身分関係なく言いたいことははっきりと言う姿勢。生まれた時から箱庭の中で育ってきた中位や高位貴族子息たちは、イレーネの物怖じしない態度に、好感を持つものが増えてきていた。ユリウスもそのひとりだった。
 頻繁にユリウスがイレーネと一緒にいることに対し、アリステルはどんどん嫉妬に染まっていった。どうして婚約者の自分がユリウスと話すことができないのに、庶民と変わらないイレーネが、ユリウスの傍で笑っていられるのかと。

 だから注意をしたのだ。もう少し身分を考えるべきだと。

 だが、イレーネは変わらずユリウスに近づき、ユリウスもそれを是とした。そして、たかが注意をしただけなのに、ユリウスの耳にはアリステルがイレーネを虐めていると報告された。
 それを信じたユリウスは、イレーネの言葉を盲目的に信用し、アリステルに対してより一層嫌悪するようになった。
 ユリウス王太子殿下の婚約者は、男爵令嬢よりも地位が低い、とまで囁かれるように。
 悲しくて、苦しくて、辛くて、悔しくて。
 ユリウスがイレーネに微笑み、イレーネもユリウスに微笑む光景に、とうとう心が耐え切れず水晶宮に引きこもってしまった。
 にもかかわらず、ユリウスが学園を卒業するパーティーで、無理やり水晶宮から引きずり出されたアリステルは謂れもない罪を着せられ断罪された。

 そうして地を這う生活を強いられたアリステルに訪れたのは孤独な死だった。

 だからアリステルにとって、イレーネという娘は、不幸を呼び込む存在。そんなイレーネが自分の前に現れたことに、アリステルの心臓は気が狂いそうなほど高鳴っていた。

「あの?」

 イレーネが怪訝な顔を首を傾げている。アリステルは慌てて「なんでもないんです」と早口で言い、子どもの頭を撫でて「またね」と告げて踵を返した。

 ドッ、ドッ、と心臓が口から出そうに早鐘を打つ。男爵令嬢であるイレーネが、なぜ貧困街の子どもたちと接点があるかは不明だ。それにエルレが言っていたユリウスの恋人だというイレーネと一緒にいるのは苦痛でしかない。
 前の生とは違い、イレーネが入学した時点で、王宮から消えたとしても。運命はどうなるかなんて神以外だれも分からないのだから。

(きっと彼女が現れたのも今日だけのことだろう。再び会わないようにすればいいこと)

 もうアリステルはアリスタとして別の人生を歩むことにしたのだ。
 だから大丈夫、と自分に何度も言い聞かせた。


 今の生でイレーネと邂逅して数日後、アリステルはエルレに頼まれ、薬草を買うため市場を訪れていた。
 市場のあちこちで見知った子どもたちや大人が、道端や店先に転がる紙くずを拾っているのが見える。袋いっぱいに詰まったそれを、市場のまとめ役の果物売りの主人……ロルフに見せると、銅貨一枚を賃金として渡される。集めたゴミは、貧困街の更に小さな子どもたちがよりわけ、一部は家で使う種火に使われる。たまに落ちていた小銭は、拾った者の所有となる。これは果物売り含め市場の者たちの承諾を得ていた。

 これを提案したのはエルレだった。

「一日動かずぐうたらして、碌なことをするのなら、体を動かして対価を得る方が健全では」と。
 ロルフも一理あると納得した。そこで貧困街のまとめ役ヘンゼルに話を通した。ヘンゼルも最近、税金が上がり貧困街に流れる者が増えたため、少しでも金銭を稼ぎ平民街に戻れるようにしたいと考えていた。まだ道半ばだが、以前より貧困街の人々の目が希望に輝いていると、エルレやロルフに感謝を告げていたと聞いていた。

 そんなことを考えながらエルレに頼まれた幾つかの薬草を買い、ついでに昼食用のパンを買っておこうと、パン屋に足を向けると何かが派手にぶつかってきた。

「わっ!」
「きゃっ!」

 柔らかい何かに弾かれ、元々体力のないアリステルは尻餅をつく。

「いたた……」
「あー、もー、こんな所で尻餅とか恥ずかしいわ!」

 痛むお尻をさすりつつ立ち上がると、ぶつかった相手が女性だと知り、アリステルは焦ってしまう。それも、その女性というのが、イレーネだったことにザッと血の気が引くのを感じた。
 逃げ出してしまいたい。だがそんなことは貴族の教示に反する……いや、人としてありえないと、アリステルはさっさと助けて離れてしまおうと、イレーネに声をかけた。

「大丈夫ですか、レディ」
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい、ちょっと急いでいて……え?」

 アリステルが手を差し出すと、その手を掴んで顔を見上げる。イレーネがアリステルの姿を認めると、驚愕したように茶色の瞳を大きく見開いていた。

「あなた教会にいた……」
「はい、司教見習いでアリスタと申します。レディ」
「わたしはイレーネよ。手を貸してくれてありがとう、アリスタさん」

 にっこりと笑みを浮かべて、アリステルの手を借りイレーネが立ち上がった。怪我もないようだし、早く立ち去るに限る。アリステルは「それは安心しました、では」と立ち去る旨を告げたのだが。

「あ、あのっ! ぶつかったお詫びをさせて!」

 イレーネが灰色の司祭見習い服をギュウと握り締め、大声を張り上げたのだった。


 平民街と貴族街を繋ぐ橋には検問所があり、その前には大きな噴水を囲むように広場がある。

「はい、これわたしが気に入ってる木苺の果実水。お詫びだから飲んで?」
「そんな……お金はお支払いしますから」
「いいのいいの」

 戸惑うアリステルへ、木を彫ってできたカップを押し付け、ベンチの隣にイレーネが座る。アリステルはカップを両手で包んだまま、どうしたらいいのかと途方にくれていた。

 イレーネ・クーニッツ男爵令嬢は、前の生では天敵中の天敵だった。ありもしない罪をアリステルに着せ、貴族子息だったアリステルを市井に追放させた。
 そんな彼女と並んで座っている現状を、緊張しないほうがおかしいと言える。
 アリステルは果実水の入った使い込まれたカップを見ているしかできなかった。このカップは返却時に返金対応をされており、このカップの洗浄も貧困街の子どもたちの仕事になっている。彫刻の得意な子どものひとりが、花や動物や模様を彫ってからというもの、果実水の売り上げが上がっているそうだ。中には彫刻を気に入って、買い取りたいという人もいるそうだ。

 まだ市井に逃げて半年ほどだが、少しずつでも環境の変化を感じて、自然とアリステルの唇が笑みの形になる。

「そういえば、貧困街の子どもたちに勉強を教えてるのって、アリスタさんなんですって?」

 隣から聞こえてきた疑問の声。

「ええ。エルレ様が発案して、僕もそれに賛同した感じです」
「そうなのね。わたしもなんとか貧困街の子どもたちを何とかしたかったけど、男爵家って貴族だけど貧乏でね……。たまに炊き出しとか薬草の差し入れ位しかできなかったわ」
「それでも立派な奉仕だと思います」

 どうしてこんな風にイレーネと穏やかに会話をしているのだろう。頭では一刻も早く立ち去りたいのに、このイレーネともう少し話したいと心がさざめく。
 このイレーネ男爵令嬢は、前の生の彼女イレーネと雰囲気が違う気がする。
 前と今で感じる違和感に居心地の悪さを、アリステルはカップを口元に寄せて、温くなった甘酸っぱい液体を喉に流した。

「ねえ、アリスタさん。不躾な話を聞いてもいい?」

 唐突にイレーネが小声で尋ねてくるのを、分かるのであれば、と返す。

「あのね、エルレ司教様って、王族の落し胤って聞いてる?」
「え?」
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