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9アベル殿下
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夏の太陽を思わせる濃い金の髪の合間からのぞく青紫の瞳が、じっとりとアリステルを凝視している。さながら獲物を狙う獣のような眼差しだ。
「どうしたの? そんなに怯えちゃって。オレと君は義理とはいえ、兄弟になるんだし、怖がらないでよ」
「あ、あの、どうしてここに」
さっきは一言も言葉を交わさずに、侮蔑の眼差しでアリステルを一瞥して、母親と立ち去ったはずだ。どうしてわざわざ図書室まで戻ってきたのだろう。何か自分に用事でもあったのか、と訝しんでいると。
「そう身構えないでよ。ただ、兄上の婚約者殿と親睦を深めたいんだよね」
「親睦……ですか」
「うん、仲良くなりたいんだ。君とオレが」
アベルは書架にアリステルを追い詰め、彼の両腕が怯える体躯を囲ってきた。
「そ、それなら、今度ユリウス殿下と一緒にお茶会でも……」
「兄上はオレを嫌っているから無理だよ。だから、二人で仲良くしようよ、ね?」
すう、と嗤い顔でアベルが近づき、アリステルの耳元で囁く。刹那、ゾワリとアリステルの体に怖気が走り、血の気が一気に引いた。
ユリウスに囁かれても、際どい場所を触れられても、こんな風に嫌悪が沸き起こることはなかった。
理由はわかる。前の生では執着するほど好きで、今の生では惹かれつつあるから。ただ、今の生では、諦念も同時にあった。ユリウスは将来自分を捨てて男爵令嬢を選ぶ。彼は異性愛者だから。
(あ、そういうことか)
アベルに対して迫ってくる不快感があったが、同時に同族嫌悪みたいなのを感じてた。アリステルは異性愛者だったけど、ユリウス限定で恋をしていた。そんな複雑な感情が昔も今もアリステルの中で渦巻いている。
「ねぇ、抵抗しなくていいの? ここ、誰も来ない所だし、官吏もオレがいるから近づかない。君が声さえ出さなければ、楽しめるよ?」
クスクス笑いながら、アベルはアリステルの首筋を舐めつつ、クラバットを当たり前のようにほどいてくる。アベルはここでアリステルを組み敷くつもりだ。
衣擦れの音がし、床に落ちる音がし、アリステルの体は少しずつ身軽になる。だけど抵抗はできなかった。不埒な真似をしてくるが、彼は王族なのだ。いくらユリウスの婚約者という立場であっても、人は王族であるアベルの声に耳を傾けるだろう。
そう、現実はアベルに迫られていても、アベルが逆にアリステルが迫ってきたと言えば、それが正義になる。
その前にここでアベルに抱かれた事実が露見したら、ユリウスかアベルを溺愛するナターリエによって首を刎ねられるだろう。
「どうして……アベル殿下。あなたは女性がお好きなのでは……」
脳裏に蘇るのは、ナターリエとアベルの後ろにいた美しい令嬢たち。あれはアベルの婚約者候補たちだろう。アベルはあの中からひとりと結婚をして子どもを作り、その子どもをユリウスの養子とするのが決まっている。
だからアベルの性的指向が同性だと考えすらなかった。
「んー、母上が煩いからね。表向きは女性が好きだと言ってるけど、本当は君みたいな綺麗な青年を、喘がせて征服させたいんだ」
兄上も男性と結婚するんだから、オレだって好きなようにしてもいいでしょ、と剥き出しになったアリステルの腹に手を這わせるアベルに恐怖を覚えた。
もしかして前の生の時もアベルの性癖が男性だったなら、ユリウスはあの断罪のあとちゃんと子どもを成したのかもしれない。そうアリステルは知りたくもなかった予測に気づいてしまった。だからアリステルが追放されたことは、ユリウスにもアベルにも都合が良かったのかもしれない。
(こんなこと……知りたくなかった)
悔しくて涙が溢れる。
「泣いちゃダメだよ、可愛い兄上の婚約者君。これから気持ちいいことをするんだから」
「触らないで……ください。僕はユリウス殿下の婚約者で……」
「だったら秘密の恋愛をしようよ。兄上は女性が好きだから、きっと君には手をだすことはない。そうなると君も欲求ばかり溜まっていくだろう? それをオレと一緒に解消する。君と兄上は関係良く過ごせるし、オレも性欲解消できて幸運。ね、いい話だろう?」
なにが「いい話」なのか、とアリステルは腸が煮える。結局は自分の欲を満たしたいだけではないか。自分は前も今も王族にいいように使われているのだと、悔しさが限界となり、溜まっていた涙がコロリと頬を伝った。
「……アベル、なにをしている」
唸るような低い声が静かな場所に響く。その声にアベルは勢いよく振り返ると、そこには険しい顔をしたユリウスと無表情のハイノが、細い入り口を塞ぐように立っていた。
「兄上。こ、これは、彼が、」
「だったらアリステルが泣いているのはなぜだ。それに、アリステルはお前に媚びるなんてふしだらな事は絶対にしない」
お前の取り巻きの尻軽と違ってな、と春色の空の瞳を凍土のような冷たい物に変えて、アベルを糾弾するユリウス。アリステルは乱れた自分の姿を思い出し、床に落ちた服をかき集め蹲った。
「今回の事は王に報告させてもらう。王妃が何か言ってくるだろうが、諦めて女性と見合いでもしろ」
「そんな……」
愕然と先ほどの勢いを失くしアベルは膝から崩れていく。そんなアベルの横を通り過ぎ、蹲って震えるアリステルの肩に、自身のジュストコールを脱いで掛けた。
「大丈夫? アリステル」
「ゆ……り、うす、殿……下」
「迎えに来たよ。一緒に月光宮に帰ろうか?」
ユリウスの体温が残るジュストコールに包まれ、自分の身に起こった出来事が現実だと如実に知らされる。またあの前の生の時のように冷たい目で見られるのではと、アリステルは俯いたまま、顔を上げるのが怖くてできない。
ユリウスに縋りたい気持ちと、それを拒絶されたらという気持ちが、アリステルを混乱に陥れる。気遣うように伸ばしてきたユリウスの手を跳ね除けると、脱兎の如くその場を逃げることしかできなかった。
「アリステル!」
背後からユリウスの声が追いかけてくるも、アリステルは頭を振って、ただひたすら足を前に出すしかできない。アデルに迫られたのは事実。最後まで及ぶことはなかったものの、婚約者以外の前で肌を晒してしまった。不貞と言われても否定できないし、処罰されるかもしれない。
もう冷静な判断はできず、アリステルは闇雲に走り続けた。
「どうしたの? そんなに怯えちゃって。オレと君は義理とはいえ、兄弟になるんだし、怖がらないでよ」
「あ、あの、どうしてここに」
さっきは一言も言葉を交わさずに、侮蔑の眼差しでアリステルを一瞥して、母親と立ち去ったはずだ。どうしてわざわざ図書室まで戻ってきたのだろう。何か自分に用事でもあったのか、と訝しんでいると。
「そう身構えないでよ。ただ、兄上の婚約者殿と親睦を深めたいんだよね」
「親睦……ですか」
「うん、仲良くなりたいんだ。君とオレが」
アベルは書架にアリステルを追い詰め、彼の両腕が怯える体躯を囲ってきた。
「そ、それなら、今度ユリウス殿下と一緒にお茶会でも……」
「兄上はオレを嫌っているから無理だよ。だから、二人で仲良くしようよ、ね?」
すう、と嗤い顔でアベルが近づき、アリステルの耳元で囁く。刹那、ゾワリとアリステルの体に怖気が走り、血の気が一気に引いた。
ユリウスに囁かれても、際どい場所を触れられても、こんな風に嫌悪が沸き起こることはなかった。
理由はわかる。前の生では執着するほど好きで、今の生では惹かれつつあるから。ただ、今の生では、諦念も同時にあった。ユリウスは将来自分を捨てて男爵令嬢を選ぶ。彼は異性愛者だから。
(あ、そういうことか)
アベルに対して迫ってくる不快感があったが、同時に同族嫌悪みたいなのを感じてた。アリステルは異性愛者だったけど、ユリウス限定で恋をしていた。そんな複雑な感情が昔も今もアリステルの中で渦巻いている。
「ねぇ、抵抗しなくていいの? ここ、誰も来ない所だし、官吏もオレがいるから近づかない。君が声さえ出さなければ、楽しめるよ?」
クスクス笑いながら、アベルはアリステルの首筋を舐めつつ、クラバットを当たり前のようにほどいてくる。アベルはここでアリステルを組み敷くつもりだ。
衣擦れの音がし、床に落ちる音がし、アリステルの体は少しずつ身軽になる。だけど抵抗はできなかった。不埒な真似をしてくるが、彼は王族なのだ。いくらユリウスの婚約者という立場であっても、人は王族であるアベルの声に耳を傾けるだろう。
そう、現実はアベルに迫られていても、アベルが逆にアリステルが迫ってきたと言えば、それが正義になる。
その前にここでアベルに抱かれた事実が露見したら、ユリウスかアベルを溺愛するナターリエによって首を刎ねられるだろう。
「どうして……アベル殿下。あなたは女性がお好きなのでは……」
脳裏に蘇るのは、ナターリエとアベルの後ろにいた美しい令嬢たち。あれはアベルの婚約者候補たちだろう。アベルはあの中からひとりと結婚をして子どもを作り、その子どもをユリウスの養子とするのが決まっている。
だからアベルの性的指向が同性だと考えすらなかった。
「んー、母上が煩いからね。表向きは女性が好きだと言ってるけど、本当は君みたいな綺麗な青年を、喘がせて征服させたいんだ」
兄上も男性と結婚するんだから、オレだって好きなようにしてもいいでしょ、と剥き出しになったアリステルの腹に手を這わせるアベルに恐怖を覚えた。
もしかして前の生の時もアベルの性癖が男性だったなら、ユリウスはあの断罪のあとちゃんと子どもを成したのかもしれない。そうアリステルは知りたくもなかった予測に気づいてしまった。だからアリステルが追放されたことは、ユリウスにもアベルにも都合が良かったのかもしれない。
(こんなこと……知りたくなかった)
悔しくて涙が溢れる。
「泣いちゃダメだよ、可愛い兄上の婚約者君。これから気持ちいいことをするんだから」
「触らないで……ください。僕はユリウス殿下の婚約者で……」
「だったら秘密の恋愛をしようよ。兄上は女性が好きだから、きっと君には手をだすことはない。そうなると君も欲求ばかり溜まっていくだろう? それをオレと一緒に解消する。君と兄上は関係良く過ごせるし、オレも性欲解消できて幸運。ね、いい話だろう?」
なにが「いい話」なのか、とアリステルは腸が煮える。結局は自分の欲を満たしたいだけではないか。自分は前も今も王族にいいように使われているのだと、悔しさが限界となり、溜まっていた涙がコロリと頬を伝った。
「……アベル、なにをしている」
唸るような低い声が静かな場所に響く。その声にアベルは勢いよく振り返ると、そこには険しい顔をしたユリウスと無表情のハイノが、細い入り口を塞ぐように立っていた。
「兄上。こ、これは、彼が、」
「だったらアリステルが泣いているのはなぜだ。それに、アリステルはお前に媚びるなんてふしだらな事は絶対にしない」
お前の取り巻きの尻軽と違ってな、と春色の空の瞳を凍土のような冷たい物に変えて、アベルを糾弾するユリウス。アリステルは乱れた自分の姿を思い出し、床に落ちた服をかき集め蹲った。
「今回の事は王に報告させてもらう。王妃が何か言ってくるだろうが、諦めて女性と見合いでもしろ」
「そんな……」
愕然と先ほどの勢いを失くしアベルは膝から崩れていく。そんなアベルの横を通り過ぎ、蹲って震えるアリステルの肩に、自身のジュストコールを脱いで掛けた。
「大丈夫? アリステル」
「ゆ……り、うす、殿……下」
「迎えに来たよ。一緒に月光宮に帰ろうか?」
ユリウスの体温が残るジュストコールに包まれ、自分の身に起こった出来事が現実だと如実に知らされる。またあの前の生の時のように冷たい目で見られるのではと、アリステルは俯いたまま、顔を上げるのが怖くてできない。
ユリウスに縋りたい気持ちと、それを拒絶されたらという気持ちが、アリステルを混乱に陥れる。気遣うように伸ばしてきたユリウスの手を跳ね除けると、脱兎の如くその場を逃げることしかできなかった。
「アリステル!」
背後からユリウスの声が追いかけてくるも、アリステルは頭を振って、ただひたすら足を前に出すしかできない。アデルに迫られたのは事実。最後まで及ぶことはなかったものの、婚約者以外の前で肌を晒してしまった。不貞と言われても否定できないし、処罰されるかもしれない。
もう冷静な判断はできず、アリステルは闇雲に走り続けた。
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