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7図書館へ①

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「はい、それでは本日の授業を終わりにしましょう」
「ありがとうございました」

 水晶宮の一角にある応接室。
 厳しさのある声に、アリステルはソファから立ち上がり、深く腰を折る。老教師はしかめっ面を少しだけ柔らかくし、また後日と告げて去っていった。

「……はぁ、疲れた」

 ソファの背もたれに半身を預け、深々とため息をつく。普通であれば、監視として水晶宮の侍女が部屋で待機しているが、彼女は老教師を部屋の外で警備していた騎士と共に見送っているため、思わず本音がこぼれてしまうのは仕方ない。
 通常であれば数回ほどの授業内容を、一日で詰め込んだからだ。以前のアリステルなら脳が焼き切れそうになってもおかしくない。だが、前の生で同じ人物から同じ内容を教わっているため、その点については問題はなかった。
 理解度の高さに老教師も驚きながらも、それならと先に進めてくれたのは、ある意味僥倖だろう。その分だけユリウスが前と同じように男爵令嬢と結ばれ、アリステルが市井に放逐されたとしても、前の記憶と新しく知識を入れることによって同じ轍は踏まないと思う。

 少し冷めてしまったお茶を飲みながら今後の行動を考える。

 今日一日ユリウスは王城のどこかで執務をこなしていると、朝食を摂っている時にユリウスから説明を受けた。彼の右腕であるハイノも同じ場所で補佐をしているが、ユリウスの執務にカタが着き次第、迎えに来るらしい。

 まだハイノが迎えに来るまで時間に余裕がある。侍女が戻ったら、図書館に行く旨を伝えなくては。

 ぼんやりとお茶請けのクッキーを咀嚼しているとドアをノックする音が聞こえる。広い部屋には自分ひとりだけ。侍女も見送りでいつ戻ってくるか分からないし、もしかしたら水晶宮に滞在している貴賓かもしれないと、アリステルは重い腰を上げてドアに近づいた。

「どちらさまでしょうか」
「アリステル?」

 ドア越しに聞こえた声は、ここ最近は起きてから寝るまで聴いてる声。ユリウスの甘い声だった。

「ユリウス殿下? お仕事中なのでは」
「ん、それはまあ。とりあえず中に入れてくれないかな」

 王城の執務棟から水晶宮まではそれなりに距離がある。何か火急の用でもあるのかと、アリステルは考える間もなくドアを開く。少しずつ姿を見せたユリウスの麗しい美貌が現れる。表情のどこにも焦りも悲しみもなく、ただただアリステルに向けて淡い青の甘い視線だった。

 開かれた隙間をスルリと猫のように入ってきたユリウスは、唖然とするアリステルの腰を引いてソファに一緒に座る。……いや、正確には、アリステルの身柄はユリウスの膝の上だった。

「なっ、なにをしているんですか、殿下っ」
「アリステルと離れて寂しかったから、癒して」
「それ僕じゃなくても……ちょ、どこ触って……んっ」

 ユリウスの片腕が腰に回り、ガッシリと絡みついてるだけでなく、もう片方の手がさりげなくアリステルの大腿から臀部を撫でさする。布越しとはいえ、アリステルも年頃の男子。物足りない接触にゾワゾワと快感が這い上がってくる。それだけでなく、尊顔をアリステルの胸に押し付けては「いい匂い」と甘ったるく囁く。その声の響きが胸の粒に響いて、変な声が出そうだ。

「ねぇ、アリステル。君にキスをしてもいい?」

 くぐもった懇願に背筋が震える。

「だ、ダメです。ここは殿下の宮じゃないんですから」

 必死に拒絶の意を示したけれど、体格の違いで意味をなさない。でも、こんないつ誰が来るか分からない場所で、ユリウスを口づけするなんて無理だ。

(それに、離れる未来が確定しているのに、殿下とキスなんてしたら辛くなる)

 もう誰でもいいから、この状況を打破してくれる救世主が来てくれないかと、祈っていると。

「勝手に部屋から抜け出して、婚約者を困らせるようなことするなんて最低ですよ、殿下」

 救いの神ハイノが柳眉を逆立てて現れた。仕事を放棄してこの場にいることに激怒しているのだろう。上司でも悪いことには悪いと注意できるハイノ。前の時はただ居るだけの存在だったのに、彼の前と今の違いに驚くばかりだ。

 ユリウスも、ハイノも、どうして能動的なのか。疑問ばかりがアリステルの脳裏に浮かぶ。だが、ユリウスに体を撫でられ、思考が散慢になってしまった。

 顔を赤くしたり青くしたりするアリステルを見て、ハイノが「いい加減にしてください殿下」と仮面のような無表情で近づくと、ユリウスの腕を捻り上げた。

「いたた! 王族に手をあげるなんて不敬だぞ」
「では、警備兵を呼びましょう。嫌がる婚約者に卑猥なことをすることは、犯罪ですと申告しましょうか。もしくは宰相である父に話をして、王から謹慎処分を言い渡してもらいましょうか。そうなると、アリステル様はこのまま水晶宮にて滞在いただき、殿下とは離れてしまいますね」
「う、ぐ」

 立て板に水のごとく、言葉でユリウスを説き伏せるハイノに、アリステルは「おお」と拍手する。普段はある一定のラインまでは静観しているようだが、本当に相手が困っていると分かると、こうして助けてくれる人物だったことに感動を覚えた。


 見送りから戻ってきた侍女は、突然現れた王太子とその右腕の存在に驚愕した。ハイノが説明をして、自分がやると話すと、侍女はホッとした顔でその後をハイノに託した。

 改めてハイノが淹れてくれたお茶を、今度はユリウスの隣で飲んでいると。

「もう授業は終わった? もし時間があるなら、王城を案内するけど?」

 ニコニコと話すユリウスに、アリステルは眉尻を下げる。

「殿下、もう執務は終わったのですか?」
「終わってないんですよ。困った上司ですよ」

 質問に返すハイノの言葉に、アリステルの眉尻は更に下がる。仕事を放り出して婚約者に会いに来るなんて、前の生のユリウスにはありえない事だから。
 氷のように冷たかったユリウスの対応には心を傷つけた事は多い。
 だけどこんな風に甘すぎるユリウスの態度には困惑してしまう。

「でも優先度が高い書類は既に終わったよ」
「優先度が高い物については、ですね。まだ決裁しなくちゃいけない書類は山となってます」

 淡々と説明するハイノの背後に暗雲が漂っている。ユリウスは右腕の憤怒にどこ吹く風だ。アリステルはカップを持ったまま、冷や汗を垂らしながら二人を交互に見遣っていた。

「それなら、殿下がお仕事が終わるまでお待ちしてますよ」
「えー、せっかく城内を案内したかったのに」
「でしたら、図書館の利用の許可をいただけますか?」
「図書館?」

 首を傾げるユリウスに、アリステルは頷いて返した。

 渋々といった感ではあるもののユリウスは使用許可を出してくれた。ただしハイノと一緒に行くことが前提だったが。
 承諾したのを見届けたユリウスは、ハイノが呼び寄せた部下に引きずられていった。

「では、邪魔が来ない内に行きましょうか。アリステル様」
「はい」

 上司に対して毒気を含んだ悪態をつくハイノを伴い、水晶宮に用意された自室を出た。多分、このまま戻らず月光宮に帰るのだと思い、侍女に片付けとその後は侍女長の指示を仰ぐように伝えて。


 図書館は王城の裏手にある円形状の建物だ。ここは王城に入る許可だけでなく、図書館の使用許可もないと利用できない。稀覯本を多く所有していることから、それらを保護するためにという理由もあるようだ。
 前の生でも苦労してユリウスから使用許可を貰い、よく通っていた場所のひとつだった。その時は先ほど部屋にいた侍女が付き添ってくれたけども。

 長い廊下を歩き、王城内から出ると、王城と図書館を繋ぐ回廊に出る。ここは季節ごとに様々な花々が配置され、見る者の心を癒してくれる。幾つか四阿もあり、そこでお茶を飲みながら本を読むこともできた。ほぼ高位貴族の者ばかりだったが、アリステルも時々孤独を癒したのを懐かしむ。

 今は秋に季節が変わろうとしているからか、木々は葉先を赤く色付かせ、金木犀は甘やかな香りを漂わせている。
 秋薔薇も咲き誇り、皇帝ダリアが空に向かって伸びていた。
 美しい園庭に心を奪われていたが、ハイノが突然アリステルを自身の背に隠してきた。

「え、なにか……」
「……正妃様と第二王子がこちらに近づいています」
「っ、おふたりが」
「はい。ですが、私が対応しますので、アリステル様は黙っていてください」
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