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4昔は遠く、今は近く

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 最初に乗っていた馬車と比べ、王族が乗るからか揺れが非常に少ない。ただ、それだけではないけども。

「あ、あの……」
「ん? なんだい?」
「お、下ろしてください……」
「だーめ」

 お腹に回された腕が一層強くなり、首筋にユリウスの吐息がかかる。それだけでなく、臀部に何か硬い物が押し付けられ、相手が王族でなかったら殴っていたかもしれない。
 そんな暴挙に出る勇気はなかったけども。
 ハイノの視線に晒されるのは勘弁してもらいたい、とアリステルは両手で顔を覆いたかったが、ユリウスに囲まれているためそれもできない。
 前のユリウスと余りにも違う態度に、どうしたらいいのか戸惑うばかりだった。


 ユリウスが現れるまで一緒にいたはずのエルレが忽然と消え、不安と恐怖に苛まれていたアリステルを、気分でも悪くなったと勘違いしたユリウスが抱きかかえたのである。しかも女性を抱くような横抱きで。
 何回も「下ろしてください」と訴えたものの、ユリウスはアリステルを抱き上げたまま馬車に乗り、あろうことかユリウスは自身の膝にアリステルを乗せたのだ。
 そこからはガッチリと腕に拘束され、ハイノの呆れた視線を正面に受けながらの道程となった。
 きっとユリウスの奇行に呆れて言葉も出ないのだろう。もしくは諦観しているのか。
 唯一ユリウスを諌めることができる存在なのだから、せめて一言でもと目で訴えたが、更にユリウスが抱きしめる力が強くなりアリステルは諦めた。

 少しでも気を逸らそうと、カーテンで閉じられた隙間から見える街並みを眺めることにした。

 王都の構造は三層に分かれる。
 広大な森を背に半円状に王宮を含めた王城があり、貴族が立ち入れるのは一部の施設のみとなっている。次に王城を囲むようにして貴族街が存在し、王城に近ければ近いほど高位貴族の王都での住まいとなっている。基本的には貴族は領地を賜っており、そちらの領地運営している貴族が多くいる。そのため、王都の住まいに常駐しているのは、領地を賜っていない貴族か、王城で仕事をしている文官または騎士たちだ。
 そして、貴族街と大きな川を挟んで存在するのが平民街だ。唯一の交通手段は日中だけ開放される橋で、前の時にハイノによって放逐された際にも、その橋を通ったのを覚えている。平民街から貴族街に入る時は通行証が必須だと聞いたことがある。だから前の生の時は、何度か橋を渡って戻ろうとしたものの、橋で警備している騎士によって阻まれたのは記憶に残っていた。

 今回、アリステルが馬車で平民街を通って王宮に向かった理由は、エルネスト侯爵家の領地が王都の外にあったからだ。とはいっても王都の中心から馬車で半日ほどの距離にあるため、利便性はそれなりに高いほうだった。
 王都の外に出るにも許可が必要なのも追記しておく。前の生では王宮にも戻れず、貴族街のエルネスト侯爵家に行くこともできず、王都の外に出ることも叶わずと八方塞がりだったのだ。
 おかげで唯一の金を騙され奪われた時ですら、助けを求めることができなかった。
 よくできた罰だと感心すらする。


 馬車が平民街と貴族街を繋ぐ橋を渡るのを眺めていると、波打つ栗色の髪の女性の姿がよぎり、アリステルの心臓がドキリと高鳴る。

(あれは……イレーネ・クーニッツ男爵令嬢!?)

 数人の男女に囲まれて楽しげに笑う彼女は、一年後には自分を抱きしめるユリウスと結ばれる運命にある。そして謂れもない罪によって断罪され、アリステルは絶望に落とされるのだ。
 孤独が蘇り、胸が痛く、叫びそうになるのを、唇を強く噛み締め耐える。
 噛んだ唇から血の味がしても、何度も「まだ時間はある」と自分に言い聞かせた。

「アリステル? どうして泣いてる?」

 顎を掬い上げられ、ユリウスと視線を交わす。ユリウスの言うとおり、彼の姿が滲んでいたことで、自分が泣いていたのに気づく。だが尋ねられた理由を口にすることはできない。
 言葉にしてしまったら、あの辛かった日々で息が苦しくなってしまうから。

 だから。

「恥ずかしくて……」

 と、ユリウスもハイノも納得できないだろう理由しか言えなかった。


 ユリウスはそれ以上の追求はせず、「そうか」とだけこぼして、アリステルを隣におろしてくれた。きっとアリステルの様子を不審に思いながらも、何も問いただそうとしない優しさに、前の生のユリウスもこうだったらと詮無きことを考えていた。
 そうこうする内に馬車は橋を渡り、貴族街を抜け、王城の門をくぐり王宮へとたどり着いた。

 高い壁に囲まれた王城は、いくつかの塔と立派な城が目を引く。
 これから行く王宮やユリウスの住まう王子宮は、王城の後ろに建っており、そこの行くにはいくつもの衛兵たちの許可が必要だ。
 前回も、おそらく今回も、アリステルが与えられる部屋は、来賓が通される水晶宮の一室だろう。そこは王族が住む宮からは離れているが、来賓が泊まるために警備はかなり厳重だった。
 窓に面した庭は四季折々の花で溢れ、見る人の目を楽しませる。素晴らしい場所だ。前の生も勉強に疲れた時は庭に出て、甘い花の香りに何度も癒された。あの場所なら慣れているのもあって、そこまで緊張はないだろうと思っていた。が。

「え?」

 記憶にあった水晶宮の玄関が通り過ぎていく。止まる気配のない馬車に揺られ、アリステルの思考も揺れる。この先は王族たちの宮しかないのに……

「ユリウス様、どこに……」

 戸惑いをそのまま唇に乗せると。

「今日は疲れているだろうから、俺の宮……月光宮で休んでもらうことにしたよ」

 前と同じなのに、前とは違う言葉がアリステルの耳朶を打った。


 深い森に囲まれた中、静かに佇む白亜の屋敷が月光宮だった。
 庭には白い花を中心に植えられ、瀟洒と呼ぶに相応しい。ただ、王族の宮というにはいささか簡素だと、初めて訪れたアリステルはそんな感想を抱いた。

「アリステル、手を」
「は、はい」

 馬車が停まり、先に降りたユリウスが手を差し出してくる。おずおずと白い手をユリウスの掌に乗せると、柔らかくだが力強く握られた。その強く温かい熱にどこか記憶がある気がしたが、きっと今の生で何度も触れられたからだろうと、アリステルはぼやけて浮かんだ記憶を追い払った。

 地面に足を置いた途端、ふわりと甘やかな花の香りが風に乗って匂ってくる。それは、昔は遠くから、今は近くから匂うユリウスの香りだった。

「あ……」
「アリステル?
「いえ、なんでもありません」

 首を横に振ってごまかすと、わずかにユリウスは目を眇めたものの、それ以上追求をすることはなかった。
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