はぴまり~薄幸オメガは溺愛アルファのお嫁さん

藍沢真啓/庚あき

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happy2

17:示威

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 腕を無闇矢鱈に振り回しても、足を駄々を捏ねるように振り乱しても、拘束された足も腕もうんともすんとも言わず、ただの徒労となって終わってしまう。

「いやだ……たすけて……れいじさん」

 カチカチと恐怖で震える歯の根から零れ出るのは、玲司へと助けを求める声。

「ムリだって、ムーリ! オメガちゃんの番は、今頃ベータの女とよろしくやってるって! だから俺たちも楽しもうぜ!」

 頭上から聞こえる不快な声に、足元の男たちが追従するように笑う。
 彼らは分かっているのだ。うなじを噛まれたオメガは、噛んだアルファ以外の人間と性交しようものなら、拒絶反応をするというのを。分かった上で、彼らは自分たちの欲の為に桔梗を慰み者にしようとしているのだ。

 桔梗はずっと、彼らが桔梗を囲んだあたりから、気分の悪さがこみ上げていた。吐き気、頭痛、眩暈、倦怠感。無意識に体が暴れそうに辛い。現状でこのように苦しさを感じていたら、彼らに乱暴された時には心臓が止まってしまうのではないだろうか。
 それ程に桔梗の全身は苦痛に浸されていた。

 何度も飛かける意識を払うように、自身の解放と玲司への助けを求める言葉をうわ言のように漏らしていたが、何か扉が開く音と共に投げ出された桔梗の体が床に叩きつけられ、余りの衝撃に息が詰まり、途切れかけた意識が戻ってくる。

「か……はっ!」

 息の塊が喉から溢れ、まるで血を吐くような感覚で喉が痛い。苦しくて体を丸くして呼吸を戻そうとしていると、それまで桔梗の上半身と足を包んでいたダウンジャケットが引き剥がされ、途端に冷気で身が竦む。

「さーて、お待ちかね。俺たちも楽しもうぜ」

 ニヤリとイヤラシイ笑いを浮かべ、男たちは桔梗を取り囲み、そして皮を剥ぐように桔梗の着ていた服をむしり取っていく。

「や……っ! やめろ! 触るな!!」

 ようやく自由になった手足をがむしゃらに動かし、男たちが近寄らないようにするものの、さすがはアルファと言うべきか、リーダー格の男が他の二人に指示を出し、瞬く間に桔梗の手足は男二人の手によって床に縫い付けられた。更にリーダー格の男が桔梗の腰の上に乗り、完全に身動きを封じられ、悔しさに歯をギリと噛み締め、目の前の男を鋭く睨みつけた。

「おぉ、怖いこわい。別に殺すって訳じゃないんだ。ふつーにキモチイイ事しようぜ、って話だろう?」

 乗り上げた男はニタリと笑いながら、桔梗の着ていたダウンジャケットのシップを下ろしていく。そして、桔梗の首筋に視線を落とした途端、男のニタリ顔は更に深みを増した。

「なるほどなぁ。オメガちゃん、レイジってヤツと番契約済んでたんだな。これ、契約の噛み跡だろう?」
「ひっ! や、やめろ! 触るなぁ!」

 かろうじて動く肩を左右にひねって、男がうなじに触れるのを回避しようとするが、男は他のアルファがオメガの噛み跡に触れたらどうなるか知っている顔で、それでも伸びた手はまだ赤みが残る玲司の歯型の傷へとヒタリと接触していた。

「……っ! ぅ、ぁ……っ、あ、ぁ、れい……ぁぐっ」

 全身が男の体温に対し、拒絶反応を示す。せり上がった内容物は間欠泉のように噴き出し、胃液で薄まったコーヒーの茶色が、汚れた床だけでなく、桔梗の白くなった顔に飛び散った。
 苦しさに自然反射で体を丸めようとするものの、腕も足も固定され、腰にはアルファの男の体重がしっかり重しとなっている。自由にならないもどかしさに桔梗は慟哭しながらも、次から次へと湧き出す胃液に溺れそうになっていた。

「あー、めんどくせぇな。さっさとヤっちまうか」

 男は吐き捨てるように言い、自身のポケットから掌サイズの細長い物を当たり前のように取り出すと、躊躇いもなくパチリと音を立てて銀色の刃を起こす。

「っ!」
「動くなよ。暴れたら、どこを切られちゃっても知らないぞ~」

 ナイフが空をひらめき、その切っ先をダウンジャケットの下に着ていた薄灰色のセーターへと充てがわれる。あ、と声を上げる前に、切れ味鋭いナイフは殆ど抵抗もなく胸の中心を切り裂いた。

「あ、あぁ……あぁぁぁぁああぁぁっ!!」

 本能的な嫌悪感から、桔梗は我を忘れ声を迸らせる。

 嫌だ! 気持ち悪い!
 玲司さん以外の人が触れてる部分から、不快感が全身に広がっていく。
 汚れる。
 俺が、どんどん黒く、汚く染まっていく──
 助けて玲司さん……タスケテ。

 遺伝子が番以外の体温を拒絶しているのか、意識が電源を切ったようにフツリと途切れる。
 真紀が彼らにどのようなオーダーをしたか分からないが、最悪このまま自分は犯され、命も奪われるだろう。
 そうなれば玲司に謝る事ができない。
 彼を傷つけたまま死んでしまうなんて。今以上に彼を傷を広げてしまうかもしれない。

 だから……もう一回顔を見て……ちゃんと謝り……たい。

「……れ、いじ……さ……」

 完全に泥沼に沈んでいく刹那、凍えそうな空気と共に、自分の名を呼ぶ番の声が聞こえたような気がした──




「桔梗君!」

 玲司は心臓も息も乱れるのも忘れ、桔梗の匂いを追って見つけた古びた小屋を見つける。ホテルの庭を手入れする際の資材を入れた小屋なのだろう。外観を壊さない措置なのか、くすんだ板を貼り付けただけの簡易的な建物だった。
 だからこそ、番の匂いが吹雪の中でもはっきりと分かる。

 小屋に向かう途中、フロントに立ち寄って警察の要請を口早に告げ、一刻も早くと桔梗の匂いを辿る。何かから逃げていたのか、道中番の匂いと共に複数のアルファの匂いが混じり、苛立ちに犬歯が伸びるのを感じる。

 アルファには獣の血が色濃く残っており、感情の振り幅が大きくなるにつれ、退化した筈の犬歯が牙のように伸びてくる。それは、普通のアルファにはない現象で、まだまだ謎の多い事象であった。

 外はいつの間にか薄暮を過ぎ、夜闇が周りを囲んでいる。その中を白い雪が横流れに過ぎ、玲司は風を裂くように匂いの元へと駆けていった。

「……くそっ!」

 ベータの真紀は、アルファとオメガという存在を知ら無さ過ぎた。それに番という関係も。
 番ったオメガは、他のアルファと交わると発狂する事がままある。更に言えば、運命の番になると、性的接触で精神を壊す。運命とは遺伝子レベルで結ばれているからだ、と。

 元々気の強いと思われていた桔梗だったが、玲司と出会い、深く愛される事を知ってからというもの、メンタル面で脆くなっている部分が増えたように思える。
 そうなればいいと、玲司に依存して、他に目を向けるなんてなくなればいいと、常に傍に置き、彼を溺愛してきた。
 ドロドロに甘やかされて、他のアルファでは満足できない程愛されて、自分だけが桔梗を溺れさせる事ができる存在になればいいと。
 実際、桔梗は玲司と過ごすようになって数ヶ月の間に、すっかり玲司に依存してくれるようになっていた。
 本人はなるべく自分の事は自分でやりたがったが、先手を打って桔梗から取り上げ、彼にはただひたすら玲司の愛情だけを受け入れればいい。そんな風に自然と仕向けた。
 きっと桔梗自身、玲司の思惑に気づいているだろう。
 それでも玲司のやることを素直に受け入れ、好意を瞳に宿し微笑みかけてくれる。

「まだ……これからなんだ。桔梗君をこれ以上危険に晒す訳にはいかないっ」

 伸びた犬歯が唇を裂き、滲んだ血の鉄臭い味が口の中に広がっていく。自らの血で獣性を滾らせた玲司は、狼が駆けるように一直線に番の元へと走っていった。


 扉を勢いよく開いた玲司は、中で繰り広げられた状況に、ヒュッ、と息を飲む。

 手足を押さえつけられ、更には桔梗の細い腰に跨った男が、番の雪のように白い肌に手垢をつけていた。そして、桔梗はオメガの拒絶反応なのか、男に組み敷かれてぐったりとしていた。

「な、なんだお前!」

 大事に、大切にしてきたんだ。
 出会いを間違えたから、真綿でくるんで、ドロドロのシロップのように甘やかして。
 運命だと思ったから。俺の唯一だと確信したから。
 離れないように、離さないように、優しい愛という鎖でがんじがらめにして。
 いつでも桔梗君が笑っていられるよう、慈しんできたというのに──

 突然狩りを邪魔されたと、桔梗の上に陣取るアルファが怒りで玲司に対して威嚇フェロモンを出してくる。

「あぁ、もしかして、お前がレイジ?」
「……」
「なーんだ、やっぱあのベータ失敗したのかよ」

 やはりコイツらが真紀が桔梗を襲うように依頼したアルファなのか、と玲司は無言で三人を見下ろす。
 桔梗の手足を拘束していたアルファ二人は、見ただけで格の違いを本能的に感じ取ったのか、慌てて桔梗から手を離すと、尻餅をついたまま呆けた視線を玲司に向けていた。
 対して主犯格の男は、少し顔を引きつらせたものの、揶揄う声を玲司に投げつける。身なりはチンピラのようだが、もしかしたらそれなりに家格のある子供なのだろうか。
 それならば、家ごと潰してしまえばいい、と玲司は冷ややかな視線で男たちを見下ろす。

 普段、温厚だと言われる玲司だが、それは性格的なものではなく、ただ他人に──人間という存在に興味がないだけだ。
 『La maison』の客も、薔子や総一朗や凛も、すれ違うだけの他人も、みんな同じ。だから、処世術として人当たりの良い人間をずっと演じている。
 それもあって、一時期演劇の世界にどっぷりハマっていた。
 薔子の実子ではないとはいえ、玲司は寒川の遺伝子を継いだ子供であり、上級アルファの寒川とオメガの名家の出の母の血は、彼を周囲の目を集める美貌の人間と作り上げていた。
 同じアルファだけでなく、オメガもベータの女も男も、蟻が集るように玲司にあつまる。その中から体の関係を持ったのも一人や二人の話ではない。
 だけど、バースが違おうがみんな同じ。自然現象で勃起もするし、射精もするけど、心までは動かされなくて、玲司はいつも心を動かされる何かを欲していた。

 そして──あの豪雨で店が閑古鳥の巣になった日。
 突然現れた桔梗に、体だけでなく本能も心も突き動かされた。

 欲しい。むき出して雨に濡れたうなじから放たれる甘い花の香りを舐め尽くし、欲望のままに胎内を白に染めながら、細いうなじに牙を突き立てたい。
 発情ラット状態なのもあっただろう。完全に本能に支配された頭で、そればかり考えていた。寸手の所でしがみついていた理性が、かろうじて避妊の手順を挟んでくれたが。
 意識がないままでうなじを噛まれた桔梗は、酷くショックを受けていた。
 紆余曲折を経て、玲司と桔梗は法的にも結ばれた。

 それなのに……、と、以前桔梗が勤めていた会社の上司からされていたセクハラよりも余計酷い光景が目の前で繰り広げられ、もう玲司の抑えていた感情が爆発しそうに膨れ上がっていた。

「……はした金で、俺の番を穢そうとは。所詮は底辺で這いつくばるゴミ虫か」
「……はぁ?」

 玲司の煽り文句でプライドを刺激されたのか、桔梗に跨っていた男がゆらりと立ち上がる。その手には切れ味鋭いナイフが握られている。

「随分とデカイ口叩いてくれるな、オイ。確か、レイジ……だったか」
「……ゴミ虫に名前を覚えられるとは不快しかないな」

 多分、真紀が彼らを雇う時に玲司の名を知らせたのだろう。本当に余計な事を、と唾棄したいのを耐え、玲司はゆっくりとした足取りで桔梗に近づき、ぐったりと床に横たえる番を抱き起こす。
 主犯の男はさっきから漏れ出す玲司のフェロモンに耐えているようだが、他の二人は底辺も更に底辺のアルファなのか、気絶したまま転がっていた。
 本当ならば、ここで怒りを爆発させたい。しかし、意識のない桔梗にどんな影響があるか分からず、ギリギリの所で押さえ込んでいる状況なのだ。

「可哀想に。部屋に帰ったら、お風呂に入れて綺麗にしてあげますからね」

 玲司は着ていたカーディガンの袖口を手繰り寄せ、そっと吐瀉物に濡れた桔梗の口元を拭う。顔色は白く、唇は血色を失くして青白くなっていた。

「オイ、ざけんなよ!」

 悪態を吐き、その後は完全に無視して桔梗の手当をしていたからか、変にプライドが高かったらしい男が、ナイフを振りかざして切っ先を玲司へと落としていく。

「うるさい」

 そう、玲司が一言呟いた途端、勢いよく振られたナイフが宙で止まる。ちらりと視線を男を見上げると、そこだけ時間が停止したように男が硬直していた。

「あ……がっ……ぁ」

 男は驚愕に目を見開き、叫んだ口から唾が泡となって顎へと伝う。顔色は青ざめ、こんなに冷気が入ってきて寒い室内にも関わらず、男の額からはダラダラと脂汗を流していた。
 今、この狭い小屋に玲司の濃密な威嚇フェロモンが満たされている。
 普通のアルファであれば同じアルファを怯ませ、従わせる程度のソレも、玲司が感情のままに放つ威嚇フェロモンは、ともすればフェロモンに鈍いベータだけでなく、耐性のあるアルファの鼓動を止める事も可能だった。
 先ほど、兄の総一朗が玲司を止めたのは、彼が本気で威嚇フェロモンを放てば、ベータである真紀は一瞬で死へと直下するからだ。
 詳しくは語ってくれなかったが、真紀は以前桔梗を脅かしたアルファ女性と同じ場所へと強制入院させられるのだろう。
 落ち着いたら、あの場所の管理をしている凛に尋ねようと心に決め、玲司は桔梗の白く晒け出された胸元を隠すようにカーディガンで包み込むと、華奢な体を横抱きにして小屋を立ち去った。

 人目を避け、部屋に戻る途中、秘密裏で駆けつけた警察によって桔梗に乱暴を働いた男達が連行されていった。

「あ、そういえば」

 玲司たちが泊まる特別フロアの廊下で、玲司は唐突に思い出したような声をあげる。後ほど薔子を通して、朱南の叔父に連絡をし、今回の事件を表に出さないように頼まなければ、と内心のメモに刻み、桔梗の小さな額へと口づけを落としたのだった。
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