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happy2
10:告白
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無言で部屋に入ってきた玲司は、テーブルに並ぶ皿を慣れた手つきでしりぞけると、桔梗、薔子それぞれの前に持ってきたスープ皿を置く。
「レモンチキンスープパスタです。冷めるとおいしくないので、早く食べるといいですよ」
ぶっきらぼうに言い切った玲司が珍しくて、思わず桔梗は振り仰ぐ。玲司は桔梗よりも七歳の差があるにも拘らず、その不貞腐れた表情はまるで思春期の素直になれない子供のようで、思わず番の手を引っ張って隣りへと座らせる。
「桔梗君?」
「玲司さん、俺、スープパスタの方を食べますね。代わりにこっちの俺の分を食べてくれますか?」
桔梗は少し前から気づいていた。
扉の向こうから自分が大好きな清涼なハーブのフェロモンが、こちらの様子を窺うように流れ込んでいたのを。きっと番だから感じたのだろう。
薔子にはその気配すら感じ取っていなかったようだから。
正直、玲司が自分に聞かせたくないだろう会話を聴き続けてもいいのか悩んだ。
話を聞いて、彼のアンタッチャブルな部分だと理解していたけども、それ以上に桔梗は玲司を理解したかったのだ。
確実に数日は気まずい空気になるかもしれないが、桔梗はもっと玲司を知りたかったから、あえて彼が耳をそばだてたとしても、無視して薔子の話を傾聴していた。
「俺、玲司さんのご飯が一番好きなんです。だから、他の人のご飯だと満足できなくて。……ダメですか?」
あざといと自覚しつつ上目で玲司に懇願すれば、玲司は長嘆して「仕方ないですね」と落胆したような言葉が返ってくる。そんな自分のわがままを丸ごと受け入れてくれる玲司の肩にポスリと頭を乗せ、桔梗は「ふふ」と笑みを零す。
「大好きです。玲司さん」
「僕も桔梗君を愛してますよ。大切な人ですからね」
互いの匂いをすり込むようにくっついていると、正面から生暖かい気配を感じる。はっとして視線を向ければ、さっきまでは鎮痛な顔をしていた薔子が、気の抜けた……一昔前に比喩として使われていた、チベットスナギツネのような顔でこちらを見ていた。
「玲司が誰かに愛とか言ってるなんて……明日大雪になるわ……」
「不吉なこと言わないでくれますか、薔子さん。明日から簡易新婚旅行する僕達に対して失礼な」
別邸は楽しいが、やはり初対面の人が多くいる場所だと気が休まらない。
それに、本番の新婚旅行じゃないとはいえ、玲司と違う場所でのんびりと二人きりで過ごすことができる機会を逃したくはない。
「えー、もっとうちに居て、ご飯作ってよー」
「嫌ですよ。もうホテルの方のキャンセルなんてできませんし。その前に人をおさんどんにするのをやめてください。プライベートは桔梗君以外に食事なんて作りたくないんですから」
薔子は皿の中身を順調に減らしながらも、言いたいように玲司へと詰め寄る。それをすげなくかわし、桔梗が皿に取ったまま手をつけていなかった、少しだけ表面が乾いたスコーン を口に放り込む。寒川の人間は、食べ物をひと口で食べないといけない何かがあるのだろうか。
「桔梗君? 冷めますよ」
「あっ、はい」
玲司に声をかけられ、慌ててスプーンを手に取り皿の中へと沈める。小さく切られた野菜はどれも柔らかそうで、吹き冷ましてからそっと口の中に流す。
(わ……)
濃厚なスープストックの複雑な味に絡む人参やセロリ。玉ねぎの甘さを感じるけども煮溶けてしまったのだろう。かすかなニンニクの香りは食欲を増幅させ、タイムとローリエで臭みを取った鶏肉がホロリと見た目、米に似た違う食感の何かと喉を苦無く通っていく。
舌の上を複数の野菜のコクが通ると、追いかけるようにレモンの爽やかさが口の中いぱりに広がる。
寒い夜にお腹が温まり、なおかつ喉越しの良い爽やかさもあり、胃に負担がない優しいスープだった。
「美味しいです。普通の野菜スープかと思ったら、思いのほかレモンの酸味があって、鶏肉の脂っぽさも薄れてるし……ところで、このお米みたいなのって?」
桔梗は米粒のような物をスプーンで掬い、口に入れる。お米というにはでんぷん質が溶けてねっとりした感じもないし、かといって押し麦のようなプチプチ感もない。
これは一体なんだろう、と首をひねっていると。
「ああ……これはオルゾパスタといって、パスタの部類に入るんです。最初はクスクスにしようかと思ったんですけど、あれだとすぐにふやけて美味しくなくなるので。お口に合いましたか?」
「はい。これ、ライスサラダの代わりにしてもいいですね」
「あれだと酸味が強いドレッシングにはいいですけど、これだとどうでしょうね」
「んー、トマトソースに和えて、チーズたっぷり野菜たっぷりにするのは?」
「どっちにしても一度帰ってから試してみましょうね」
玲司の言葉に桔梗は強く頷く。クリスマスディナーを話し合うようになってから、こうして新しいメニューを言い合うことが増えてきた。
料理はからっきしだが、こうやって同じ内容を笑って話せるのが、とても嬉しい。
「あー、やだやだ。いかにも『新婚です』ってあっまーい空気出しちゃって。未亡人の私の前で、よくもまあいちゃいちゃできること」
お互い顔を見合わせ幸せに浸っていると、ひんやりとした声が聞こえて揃って声の方へと向く。美貌を不機嫌に歪め、いつの間に淹れたのか、白い湯気の奥からじっとりとした目がこちらを見ていた。
「え、あ、すみません……?」
咄嗟に謝罪を告げたものの、あんまり自分が悪いことをしたという自覚がないせいで、語尾が疑問にあがるのを「反省してない謝罪とかいらないー」と薔子がさめざめと泣いたのである。まさか、結構な量を飲んでいたし、酔いがかなり回っているのだろうか。
「そんなに寂しいのなら、さっさと再婚したらいかがなんです? 現在も引く手あまたなんでしょう」
「いやよ、面倒くさい。それに『四神』でって言ったら、残ってるの桜樹だけじゃない。あそこは特殊で、オメガ……それも、ある家の子以外の結婚は許されてないの。というか、あそこもオメガと結婚したばかりじゃないの」
「あぁ、そうでしたね」
玲司から聞いた話では、薔子は『四神』がひとつ、朱南の長女だそうで、兄で現職総理の美丈夫は長男とのこと。
朱南家の方針として、『四神』以外の婚姻は許されていないそうで、そう考えると、もう他に残っていないのでは、と桔梗は頭の中で結論づける。
「それに結婚はもういいわ。ま、あなたたちみたいに運命がいれば別にしても、あれは奇跡だからね」
「砂漠の中からダイヤモンドを探す確率……でしたっけ」
運命の番というのは、天文学的確率とも言われ、存在するかさえ奇跡的とも。
そうだとすると、自分と玲司は奇跡の部類にはいるのか、と感嘆したものだが、果たして自分たちが本当の運命の番というのは、未だはっきりしていない事実だった。
というのも、桔梗は発情し、玲司は桔梗に充てられ発情を誘導されたのだ。
だけど、玲司的には確固たる確信があったのか、番った当時から桔梗のことを『運命の番』だと言い憚らなかった。
オメガの桔梗にはそれが何か分からなかったが……
「そもそも運命って、遺伝子レベルで引き合うものだからね。凛によれば、父親と娘の関係だそうよ」
「どういう意味です?」
「ほら、年頃の娘が父親の匂いを臭いって言って忌避するでしょ。あれって、近親相姦にならないよう、遺伝子レベルで回避してるからなんだって。逆にベータでも匂いが引き合ったカップルが結婚したー、って話も聞くじゃない」
そう言われて納得した部分がある。
高校時代、校外交流でベータの学校の生徒たちと親交したことがある。多感な少女たちは何が楽しいのか、父親に対して臭いや近寄るのも嫌といったことを笑いながら話していたのを思い出す。
当時、すでに実家を追い出され、父親だけでなく母親とも物理的に離された桔梗にとっては、彼らがとても羨ましいとさえ思っていた。
両親揃って、同じ家に帰り、言いたいとを言える関係。
桔梗には二度と戻らない温かい場所。
だけど再びその場所を取り戻した。最愛の番、玲司の元で。
(本当に運命かどうかは関係ない。隣に玲司さんがいれば、一番の幸せなんだから)
桔梗は薔子と話を続ける玲司をそっと見る。
長身で端正な相貌のアルファらしいアルファ。だけど、彼の心には壊れた母によってつけられた瑕が今も根深く残っている。もしかしたら、玲司が一番『運命の番』を嫌悪しているのかもしれない。そんな彼が桔梗を運命を認め、こうして傍に置いて大切にしてくれてる。それがバース性によるものだったとしても、桔梗は絶対に彼の手を離さないと心に誓ったのだった。
薔子が秘蔵のブランデーを出したあたりで避難した二人は、寝室に入るとそれぞれに風呂を済ませ、現在桔梗はベッドの端に腰をかけ、玲司は有名なすぐに沸くポットのお湯を陶器のポットに注いでいた。
ふんわりと外からの冷気で冷えた室内にハーブの爽やかな香りが流れる。今日はレモングラスとミントのようだ。
「食べ過ぎて眠れなくなるといけないので、お腹に良いものにしてみました。蜂蜜も少し垂らしてますよ」
「ありがとうございます。流石に今日は食べ過ぎたかなって思ってたので」
「確実に薔子さんのせいですけどね」
ふ、と苦笑を漏らす玲司に、桔梗もつられて笑う。
どうぞ、と静かに渡されたカップを受け取ると、玲司が並んで腰をかける。陶器のカチリと擦れあう音が小さく響いた。
外は吹雪にはなっていないものの風が強いからか、窓枠の向こうの闇の中で、白いものが横へと流れていくのが見える。それを実感するように窓ガラスがカタカタと小刻みに震えていた。
「雪で道が塞がれないといいのですが……」
玲司も外の様子が気になったのか、顔を外へと向けてポツリと呟く。
桔梗も「そうですね」と言って、同じように外へと視線を向けた。
言葉も少なく、静かな時間が桔梗は好きだ。
二人して同じ方向を見ていて、顔を全く合わせていないのに、心はしっかりと重なっているから。
だが、その穏やかな時間を崩したのは、玲司が小さく漏らした一言だった。
「……僕の、いえ、僕が寒川家に引き取られる経緯を耳にして、どう思いましたか?」
どう、と言われても。突然のことに薄く口を開いたまま呆然とする桔梗に。
「哀れだと思いましたか。憐憫だと思いましたか。それとも、自分よりも不幸な人がいて安心しましたか」
「……え」
玲司は何を言っているのだろう。一番に桔梗の脳裏に浮かんだのはその一言だった。
哀れ?
憐憫?
安心?
不憫だと思いもしなかったし、安堵もしていない。
この人を信じて愛していく、桔梗は婚姻した日そう決意し、今日は彼の手を離さないと決めたばかりだ。
玲司だって桔梗を餌付けし、桔梗の為の巣を作り、桔梗を殆ど軟禁状態で囲っているのに、どうして突き放すような事を訊くのだろう。
「玲司さんの過去なんて今更知っても、俺の心が変わるなんてありえません。どうしてそんな酷いことを聞くんです。俺は寒川玲司というカフェバーを趣味で経営してて、作るご飯は美味しくて、いつだって俺を大事にしてくれるあなたと結婚したんです。運命の番に振り回された子供だった過去や、秋槻先輩をそそのかして三兎先輩をオメガに変えた過去のあなたを好きになったんじゃない。あなたが俺を好きで愛してくれるから、俺はあなたと番になったんです、よ」
強く言い切りたかったのに、感情にまかせてポロリと頬を転がす雫のせいで言葉に詰まってしまった。
確かに衰弱死寸前まで追い込まれた幼少期は心が痛むし、何を考えてベータをオメガに変える話をしたのかなんて理解できない。
だけど、彼は桔梗の一番傷ついた心の隙間を癒すように染み込んできた。過去の玲司がどんな人間だったとしても、桔梗は玲司が誰よりも傍にいてくれるのを望んでいる。
沢山傷ついた彼を、今度は自分が包んで守ってあげたい程に。
「あなたがそう言うのなら、俺だって香月にオメガだからって捨てられ、アルファに強姦寸前まで追い込まれたあげく会社クビになって、あなたをフェロモンで誘惑した俺を、愚かだと思いますか、卑劣だと思いますかっ」
「そんなこと……ない!」
ボロボロ涙が次から次へと溢れてはこぼれて、言ってることはただの八つ当たりなのに、慟哭がおさまらない。ひっくひっくとしゃくり上げる桔梗は、大きく熱い何かに包まれた。
嗅ぎなれた、安心できる匂いが強くなる。
これは、玲司の腕の中だ、と。
「君は被害者だ。もっと文句も糾弾も言っていいのに、全てを飲み込んで頑張ってきた。そんな君を責めるなんてできないし、したくもない」
「それなら俺も同じですよ、玲司さん。あなただって大人に振り回されて、好きでもない人に言い寄られ、色々苦労したんですよね。それなのに色々我慢して、いつも凄いって思ってたんですよ」
ああ、気持ちいい。桔梗は体全体を玲司の匂いに包まれ、深く息をつく。
さっきの話ではないけど、こんなにも安心できる玲司の匂いは、遺伝子レベルで相性が合うのだろうと思う。
「桔梗君、好きです。愛してます。だから、ずっと僕から離れないでください」
「俺も好きで愛してます。……ふふ、今日の玲司さんは甘えたさんなんですね」
「そんな僕は嫌いですか?」
ぎゅうぎゅうと抱き締められながら、桔梗は玲司の胸で否定に首を振る。
「大好きです。どんなあなたでも、俺はずっとあなたを愛してます」
だから安心してくださいね、と囁きを落とすと、すっと顎に指をかけられ上を向くと、静かに玲司の唇が落ちてくるのだった。
「レモンチキンスープパスタです。冷めるとおいしくないので、早く食べるといいですよ」
ぶっきらぼうに言い切った玲司が珍しくて、思わず桔梗は振り仰ぐ。玲司は桔梗よりも七歳の差があるにも拘らず、その不貞腐れた表情はまるで思春期の素直になれない子供のようで、思わず番の手を引っ張って隣りへと座らせる。
「桔梗君?」
「玲司さん、俺、スープパスタの方を食べますね。代わりにこっちの俺の分を食べてくれますか?」
桔梗は少し前から気づいていた。
扉の向こうから自分が大好きな清涼なハーブのフェロモンが、こちらの様子を窺うように流れ込んでいたのを。きっと番だから感じたのだろう。
薔子にはその気配すら感じ取っていなかったようだから。
正直、玲司が自分に聞かせたくないだろう会話を聴き続けてもいいのか悩んだ。
話を聞いて、彼のアンタッチャブルな部分だと理解していたけども、それ以上に桔梗は玲司を理解したかったのだ。
確実に数日は気まずい空気になるかもしれないが、桔梗はもっと玲司を知りたかったから、あえて彼が耳をそばだてたとしても、無視して薔子の話を傾聴していた。
「俺、玲司さんのご飯が一番好きなんです。だから、他の人のご飯だと満足できなくて。……ダメですか?」
あざといと自覚しつつ上目で玲司に懇願すれば、玲司は長嘆して「仕方ないですね」と落胆したような言葉が返ってくる。そんな自分のわがままを丸ごと受け入れてくれる玲司の肩にポスリと頭を乗せ、桔梗は「ふふ」と笑みを零す。
「大好きです。玲司さん」
「僕も桔梗君を愛してますよ。大切な人ですからね」
互いの匂いをすり込むようにくっついていると、正面から生暖かい気配を感じる。はっとして視線を向ければ、さっきまでは鎮痛な顔をしていた薔子が、気の抜けた……一昔前に比喩として使われていた、チベットスナギツネのような顔でこちらを見ていた。
「玲司が誰かに愛とか言ってるなんて……明日大雪になるわ……」
「不吉なこと言わないでくれますか、薔子さん。明日から簡易新婚旅行する僕達に対して失礼な」
別邸は楽しいが、やはり初対面の人が多くいる場所だと気が休まらない。
それに、本番の新婚旅行じゃないとはいえ、玲司と違う場所でのんびりと二人きりで過ごすことができる機会を逃したくはない。
「えー、もっとうちに居て、ご飯作ってよー」
「嫌ですよ。もうホテルの方のキャンセルなんてできませんし。その前に人をおさんどんにするのをやめてください。プライベートは桔梗君以外に食事なんて作りたくないんですから」
薔子は皿の中身を順調に減らしながらも、言いたいように玲司へと詰め寄る。それをすげなくかわし、桔梗が皿に取ったまま手をつけていなかった、少しだけ表面が乾いたスコーン を口に放り込む。寒川の人間は、食べ物をひと口で食べないといけない何かがあるのだろうか。
「桔梗君? 冷めますよ」
「あっ、はい」
玲司に声をかけられ、慌ててスプーンを手に取り皿の中へと沈める。小さく切られた野菜はどれも柔らかそうで、吹き冷ましてからそっと口の中に流す。
(わ……)
濃厚なスープストックの複雑な味に絡む人参やセロリ。玉ねぎの甘さを感じるけども煮溶けてしまったのだろう。かすかなニンニクの香りは食欲を増幅させ、タイムとローリエで臭みを取った鶏肉がホロリと見た目、米に似た違う食感の何かと喉を苦無く通っていく。
舌の上を複数の野菜のコクが通ると、追いかけるようにレモンの爽やかさが口の中いぱりに広がる。
寒い夜にお腹が温まり、なおかつ喉越しの良い爽やかさもあり、胃に負担がない優しいスープだった。
「美味しいです。普通の野菜スープかと思ったら、思いのほかレモンの酸味があって、鶏肉の脂っぽさも薄れてるし……ところで、このお米みたいなのって?」
桔梗は米粒のような物をスプーンで掬い、口に入れる。お米というにはでんぷん質が溶けてねっとりした感じもないし、かといって押し麦のようなプチプチ感もない。
これは一体なんだろう、と首をひねっていると。
「ああ……これはオルゾパスタといって、パスタの部類に入るんです。最初はクスクスにしようかと思ったんですけど、あれだとすぐにふやけて美味しくなくなるので。お口に合いましたか?」
「はい。これ、ライスサラダの代わりにしてもいいですね」
「あれだと酸味が強いドレッシングにはいいですけど、これだとどうでしょうね」
「んー、トマトソースに和えて、チーズたっぷり野菜たっぷりにするのは?」
「どっちにしても一度帰ってから試してみましょうね」
玲司の言葉に桔梗は強く頷く。クリスマスディナーを話し合うようになってから、こうして新しいメニューを言い合うことが増えてきた。
料理はからっきしだが、こうやって同じ内容を笑って話せるのが、とても嬉しい。
「あー、やだやだ。いかにも『新婚です』ってあっまーい空気出しちゃって。未亡人の私の前で、よくもまあいちゃいちゃできること」
お互い顔を見合わせ幸せに浸っていると、ひんやりとした声が聞こえて揃って声の方へと向く。美貌を不機嫌に歪め、いつの間に淹れたのか、白い湯気の奥からじっとりとした目がこちらを見ていた。
「え、あ、すみません……?」
咄嗟に謝罪を告げたものの、あんまり自分が悪いことをしたという自覚がないせいで、語尾が疑問にあがるのを「反省してない謝罪とかいらないー」と薔子がさめざめと泣いたのである。まさか、結構な量を飲んでいたし、酔いがかなり回っているのだろうか。
「そんなに寂しいのなら、さっさと再婚したらいかがなんです? 現在も引く手あまたなんでしょう」
「いやよ、面倒くさい。それに『四神』でって言ったら、残ってるの桜樹だけじゃない。あそこは特殊で、オメガ……それも、ある家の子以外の結婚は許されてないの。というか、あそこもオメガと結婚したばかりじゃないの」
「あぁ、そうでしたね」
玲司から聞いた話では、薔子は『四神』がひとつ、朱南の長女だそうで、兄で現職総理の美丈夫は長男とのこと。
朱南家の方針として、『四神』以外の婚姻は許されていないそうで、そう考えると、もう他に残っていないのでは、と桔梗は頭の中で結論づける。
「それに結婚はもういいわ。ま、あなたたちみたいに運命がいれば別にしても、あれは奇跡だからね」
「砂漠の中からダイヤモンドを探す確率……でしたっけ」
運命の番というのは、天文学的確率とも言われ、存在するかさえ奇跡的とも。
そうだとすると、自分と玲司は奇跡の部類にはいるのか、と感嘆したものだが、果たして自分たちが本当の運命の番というのは、未だはっきりしていない事実だった。
というのも、桔梗は発情し、玲司は桔梗に充てられ発情を誘導されたのだ。
だけど、玲司的には確固たる確信があったのか、番った当時から桔梗のことを『運命の番』だと言い憚らなかった。
オメガの桔梗にはそれが何か分からなかったが……
「そもそも運命って、遺伝子レベルで引き合うものだからね。凛によれば、父親と娘の関係だそうよ」
「どういう意味です?」
「ほら、年頃の娘が父親の匂いを臭いって言って忌避するでしょ。あれって、近親相姦にならないよう、遺伝子レベルで回避してるからなんだって。逆にベータでも匂いが引き合ったカップルが結婚したー、って話も聞くじゃない」
そう言われて納得した部分がある。
高校時代、校外交流でベータの学校の生徒たちと親交したことがある。多感な少女たちは何が楽しいのか、父親に対して臭いや近寄るのも嫌といったことを笑いながら話していたのを思い出す。
当時、すでに実家を追い出され、父親だけでなく母親とも物理的に離された桔梗にとっては、彼らがとても羨ましいとさえ思っていた。
両親揃って、同じ家に帰り、言いたいとを言える関係。
桔梗には二度と戻らない温かい場所。
だけど再びその場所を取り戻した。最愛の番、玲司の元で。
(本当に運命かどうかは関係ない。隣に玲司さんがいれば、一番の幸せなんだから)
桔梗は薔子と話を続ける玲司をそっと見る。
長身で端正な相貌のアルファらしいアルファ。だけど、彼の心には壊れた母によってつけられた瑕が今も根深く残っている。もしかしたら、玲司が一番『運命の番』を嫌悪しているのかもしれない。そんな彼が桔梗を運命を認め、こうして傍に置いて大切にしてくれてる。それがバース性によるものだったとしても、桔梗は絶対に彼の手を離さないと心に誓ったのだった。
薔子が秘蔵のブランデーを出したあたりで避難した二人は、寝室に入るとそれぞれに風呂を済ませ、現在桔梗はベッドの端に腰をかけ、玲司は有名なすぐに沸くポットのお湯を陶器のポットに注いでいた。
ふんわりと外からの冷気で冷えた室内にハーブの爽やかな香りが流れる。今日はレモングラスとミントのようだ。
「食べ過ぎて眠れなくなるといけないので、お腹に良いものにしてみました。蜂蜜も少し垂らしてますよ」
「ありがとうございます。流石に今日は食べ過ぎたかなって思ってたので」
「確実に薔子さんのせいですけどね」
ふ、と苦笑を漏らす玲司に、桔梗もつられて笑う。
どうぞ、と静かに渡されたカップを受け取ると、玲司が並んで腰をかける。陶器のカチリと擦れあう音が小さく響いた。
外は吹雪にはなっていないものの風が強いからか、窓枠の向こうの闇の中で、白いものが横へと流れていくのが見える。それを実感するように窓ガラスがカタカタと小刻みに震えていた。
「雪で道が塞がれないといいのですが……」
玲司も外の様子が気になったのか、顔を外へと向けてポツリと呟く。
桔梗も「そうですね」と言って、同じように外へと視線を向けた。
言葉も少なく、静かな時間が桔梗は好きだ。
二人して同じ方向を見ていて、顔を全く合わせていないのに、心はしっかりと重なっているから。
だが、その穏やかな時間を崩したのは、玲司が小さく漏らした一言だった。
「……僕の、いえ、僕が寒川家に引き取られる経緯を耳にして、どう思いましたか?」
どう、と言われても。突然のことに薄く口を開いたまま呆然とする桔梗に。
「哀れだと思いましたか。憐憫だと思いましたか。それとも、自分よりも不幸な人がいて安心しましたか」
「……え」
玲司は何を言っているのだろう。一番に桔梗の脳裏に浮かんだのはその一言だった。
哀れ?
憐憫?
安心?
不憫だと思いもしなかったし、安堵もしていない。
この人を信じて愛していく、桔梗は婚姻した日そう決意し、今日は彼の手を離さないと決めたばかりだ。
玲司だって桔梗を餌付けし、桔梗の為の巣を作り、桔梗を殆ど軟禁状態で囲っているのに、どうして突き放すような事を訊くのだろう。
「玲司さんの過去なんて今更知っても、俺の心が変わるなんてありえません。どうしてそんな酷いことを聞くんです。俺は寒川玲司というカフェバーを趣味で経営してて、作るご飯は美味しくて、いつだって俺を大事にしてくれるあなたと結婚したんです。運命の番に振り回された子供だった過去や、秋槻先輩をそそのかして三兎先輩をオメガに変えた過去のあなたを好きになったんじゃない。あなたが俺を好きで愛してくれるから、俺はあなたと番になったんです、よ」
強く言い切りたかったのに、感情にまかせてポロリと頬を転がす雫のせいで言葉に詰まってしまった。
確かに衰弱死寸前まで追い込まれた幼少期は心が痛むし、何を考えてベータをオメガに変える話をしたのかなんて理解できない。
だけど、彼は桔梗の一番傷ついた心の隙間を癒すように染み込んできた。過去の玲司がどんな人間だったとしても、桔梗は玲司が誰よりも傍にいてくれるのを望んでいる。
沢山傷ついた彼を、今度は自分が包んで守ってあげたい程に。
「あなたがそう言うのなら、俺だって香月にオメガだからって捨てられ、アルファに強姦寸前まで追い込まれたあげく会社クビになって、あなたをフェロモンで誘惑した俺を、愚かだと思いますか、卑劣だと思いますかっ」
「そんなこと……ない!」
ボロボロ涙が次から次へと溢れてはこぼれて、言ってることはただの八つ当たりなのに、慟哭がおさまらない。ひっくひっくとしゃくり上げる桔梗は、大きく熱い何かに包まれた。
嗅ぎなれた、安心できる匂いが強くなる。
これは、玲司の腕の中だ、と。
「君は被害者だ。もっと文句も糾弾も言っていいのに、全てを飲み込んで頑張ってきた。そんな君を責めるなんてできないし、したくもない」
「それなら俺も同じですよ、玲司さん。あなただって大人に振り回されて、好きでもない人に言い寄られ、色々苦労したんですよね。それなのに色々我慢して、いつも凄いって思ってたんですよ」
ああ、気持ちいい。桔梗は体全体を玲司の匂いに包まれ、深く息をつく。
さっきの話ではないけど、こんなにも安心できる玲司の匂いは、遺伝子レベルで相性が合うのだろうと思う。
「桔梗君、好きです。愛してます。だから、ずっと僕から離れないでください」
「俺も好きで愛してます。……ふふ、今日の玲司さんは甘えたさんなんですね」
「そんな僕は嫌いですか?」
ぎゅうぎゅうと抱き締められながら、桔梗は玲司の胸で否定に首を振る。
「大好きです。どんなあなたでも、俺はずっとあなたを愛してます」
だから安心してくださいね、と囁きを落とすと、すっと顎に指をかけられ上を向くと、静かに玲司の唇が落ちてくるのだった。
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