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happy2
8:再会
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香月の家を出される中学卒業までの間、中位アルファのコミュニティで同世代の子供達で集まっては、クリスマス会や入学歓待や卒業パーティなどをやったのを覚えている。
今、目の前で繰り広げられる光景は桔梗が記憶していたどれよりも豪華で、とても煌びやかだった。
会場にはアルファとオメガしかいなかった。いや、給仕としてお仕着せを着たベータたちが慌ただしく人の波をくぐっていたが。
だがそんなベータたちの姿が霞むほど、桔梗の目の前で繰り広げられる絵画のような光景には、アルファとオメガだけが存在していた。
堂々とした佇まいで歓談しているアルファに寄り添うように、着飾ったオメガが傍に立っている。
この場には番か婚約者でしか参加できないのだと、玲司から教えられていた。
桔梗はなんだかいたたまれない気分で、玲司の腕にしがみついた。
「桔梗君?」
落ち着いたテノールの声に、自分が無意識に玲司の腕に縋っていたのだと気づく。
どうしてこんなにもアルファが怖いのだろう。
近くに玲司がいるのに、時折向けられるアルファの視線が、桔梗の足元を床に縫い留める。
あれだけ長年アルファの家庭にいたのに。
あれだけアルファに囲まれて仕事をしていたのに。
彼らの纏う空気は、桔梗がこれまで知ったアルファのものとは次元が違う。
(これが上位アルファ……立ってるだけなのに威圧感がすごい……)
圧倒的な空気を全身に浴び、桔梗はゴクリと固唾をのみこむ。
もし、桔梗がアルファだったとしても。この場にその状態で立っていたとしても、同じように硬直はまのがれないと、無意識に自覚していた。
それほどまでに、上位と中位は雲泥の差があった。
「す……凄いですね。俺、アルファって上位も中位も下位も大差は殆どないってずっと思ってました。だけど……」
「だけど、上位アルファが上位たる理由が理解できた……かな?」
「「え?」」
背後から魅惑的な声が聞こえ、桔梗も玲司も振り返る。
そこには長身で端正なマスクを持ったアルファと、控えめながらも柔和な笑みを浮かべるオメガの男性が立っていた。
彼らは明らかに番だと、彼らの纏う空気が桔梗にも分かった。
「お久しぶりです、玲司さん」
「もしかして……秋槻君?」
「ええ、今は秋槻の兄の下で副社長を勤めてますが、近々総一朗さんの会社と提携する新事業の社長に就任することになってますけど……聞いてませんか?」
「ああ、新事業の話は言ってましたね」
「そんな訳で、今後共よしなに」
人当たりの良い笑みを見て、桔梗の脳裏の一部分が引っかかりを覚える。
(秋槻ってもしかして……)
「あの、間違っていたらすみません。もしかして、秋槻充先輩ですか?」
思わず話に割って入った桔梗に、玲司もアルファの男性も嫌な顔をせず、首を傾げている。男性の隣に立つもうひとりの男性は、何かを思い出したのか、目を開いて桔梗を見る。
「ん? あれ、君……」
「充、覚えてるだろう? 高等部の時に、俺が揉め事に巻き込まれた際に、助けた中等部の子」
柔和な男性が玲司に声をかけてきたアルファに補足する。
「久しぶり。香月桔梗君」
「え、あ、三兎結城先輩……ですか?」
「今は、三兎ではなく秋槻結城だけどね」
そう微笑む結城は、桔梗の記憶にある彼よりも柔らかな表情をしていて、体つきもベータというよりも……
「先輩、確かベータだった筈じゃ……」
戸惑いがそのまま言葉として出た桔梗に、結城は苦い笑みを浮かべて「ちょっと待ってね」と薄い唇に人差し指を当てて話を遮る。
「寒川様。少々、番様をお借りしてもよろしいですか? あまり俺の事情はおおっぴらにしない方がよろしいかと」
結城は秋槻と玲司にそう言って離席を申し出る。秋槻も玲司も微かに不機嫌に眉をひそめたものの、二人がオメガだからだろうか、抵抗らしい抵抗もなく場を離れることを許したのだった。多分、ここが寒川のテリトリーだというのも要因としてあったのだろう。
普通であれば、桔梗も結城も番から離れることを許可しない。
二人が渋い顔になったのは、番が自分から離れることについてだろう。アルファは番に対して独占と執着が強い。
広間から出て屋根付きのテラスへと二人で出る。真冬の、しかも雪山の庭は当然ながら真っ白だったものの、薔子の名前から由来しているらしい鮮やかな冬薔薇と、月に反射して青白く光る雪のコントラストが幻想的だ。しかも視界に入る庭はほんの一部というのも、この別邸の敷地が途方にもないとわかる。
「うーん、やっぱり寒いなぁ」
「中、戻りますか?」
昼間に玲司に案内された時に、元喫煙室だという場所が、歓談するに適していると思っていたのだ。ただ、家族棟の方にあったため、外部の客である彼を連れて行ってもいいのか、と思案していると。
「いや、結構人で疲れたし、頭も冷めて気持ちいいから」
あそこに座ろうか、と庭に対面するように設置されたベンチに促され、桔梗はそのまま二人並んで腰を下ろす。
「それにしても本当に久しぶり。元気にしていたか?」
「ええ、色々あって、中等部を卒業してから別の高校に行ってましたけど、それなりに」
あまり深く話すのも香月の外聞を晒すようで、曖昧に濁して受け取った名刺に視線を落とす。大手会社の名前と役職──副社長秘書兼秘書室室長とあり、名前も三兎ではなく、秋槻結城とはっきり印刷されていた。
「三兎先輩……秋槻先輩とご結婚されたんですか?」
でも、桔梗の記憶にある彼はベータだった筈だ。
この国では、アルファとオメガの同性婚は認められているが、アルファとベータ、オメガとベータの同性婚は認められてはいない。そういった場合は別姓もしくは養子という形で同じ姓になることがある。
(ということは、三兎先輩は秋槻家の養子になったという事だろうか)
だがしかし、と考えを振り払う。なぜなら、三兎のまとう空気はオメガのソレだ。雪あかりを頼りにうなじへと視線を向けると、フォーマルスーツではっきりと見えないけども、微かに歯型に引きつれた皮膚を見て取れた。
つまりは、三兎はオメガということなのだろうか。
「あ、これか? これは、プレイの一環ではなくて、ちゃんとした番契約なんだ」
「え、でも。三兎先輩ってベータでしたよね?」
以前、突然の発情で身動きがとれなくなっていた時に、偶然居合わせた三兎に助けられたのだが、その時の彼はベータだったと記憶している。ただ……
(あれだけ正面から俺のフェロモンを被っていたのに、先輩は平然としていた)
通常、ベータはオメガのフェロモンの効果はあまりない。だが、近くで充てられればそれなりに効果はある。あの時の三兎はその距離にいたにも拘らず、普通に桔梗を助ける為に動いてくれた。
桔梗の疑問に「ああ……」とどこか遠い目をして、思い馳せるようにそっと目を伏せる。
「実はさ、俺、ベータからオメガに変わったんだ。それで充と婚姻を結んだ。あと、子供も二人いるんだぞ」
と、ほがらかに笑って話す三兎。桔梗は言葉のある部分に瞠目する。
「ベータからオメガに……?」
そんな夢物語のようなことが可能なのだろうか。
バースの転換は、事故による脳障害により変化したという報告を。ニュースで耳にしたことがある程度だ。しかし三兎には脳に障害があるようにも見えないし、事故に遭ったとおぼしき不能があるようにも見えない。
「つまりだな……」
三兎も秋槻からの又聞きという前置きをして話してくれた。
元々三兎家というのは、上位アルファ家系、秋槻家の傍流の家柄だった。現在はベータ家系の上位にある。それゆえに代々三兎の家長は秋槻家の後継者の側に仕え、長年彼らを支えてきたそうだ。
そして秋槻家の長男、紘、次男の充、そして三兎の結城。彼らは幼馴染として出会い、将来は秋槻の子供たちを支えるよう育てられた。
しかし、彼らの出会いは、充を結城に固執させる要因となる。
同じ年齢の充と結城は、秋槻学園の小等部へと入学をする。この頃はバース性にほとんど左右されずに、二人はすくすくと成長していった……筈だった。
「正直、充の俺に向けてくる感情を重く感じちゃったんだよ。まあ、大人でもきっついのに、子供の俺では当然受け流すこともできなくて……結局、秋槻の両親とうちの両親の勧めで離れる選択をしたんだ」
ふう、と吐いた息が冷えて薄靄の向こうから見える三兎の顔は悲しげで、当時のことを懐かしむというより悔やんでいるかのようだった。
玲司もそうだが、アルファの執着は想像以上だ。早いうちからアルファの性質を開花させた秋槻は結城に執着した。その結城が離れると知ったら、きっと彼の心は壊れたのではないか。
だが結城の気持ちもわかる。子どもにはアルファの囲い込みに耐え切れないに違いない。
「……まあ、離れてみて、充が色んな意味で傍に居ないと寂しいと気づいたんだけども」
苦笑して話す三兎の言葉は、自分の心にも響いて痛みが走る。
幼い頃から一緒にいた人間と物理的に離れる。それはかつて自分も兄の朔音と離され、一人で生きていくことになった時の記憶がよみがえり、切なくなってしまった。
「そ、それで、どうして先輩がベータからオメガになったか、って話なんですが」
「ああ、そうだった」
三兎は「はは」と笑って頭を軽く掻きながら、それで、と続きを語りだす。
依存していたと呼ぶに相応しい程執着していた三兎が離れた事により、秋槻はそれはもう荒れに荒れたそうだ。元々が上位アルファとして育てられたので、非行に走ったりはなかったが、ある意味それよりも酷いかな、と桔梗は三兎の話を聞いて、内心で思っていた。
中学に入ってすぐに学校にはほとんど行かず、夜の街を知り合った上位アルファと共に遊び歩く日々。酒、煙草は当たり前で、よくもまあ補導や逮捕をされなかったものだ、と変に感心する。
そんな中、同じように夜遊びをしていた玲司と秋槻が知り合った。元々社交界で顔は知っていたようだ。
そこで玲司から、ベータをオメガに変える薬の存在をほのめかされたらしい。
「……玲司さんが?」
「実際、そういった話が出たのは本当だそうだ。ただ、俺が充に長年飲まされていたのは、蜂蜜だった。……それも……の成分を抽出した特別製」
「え?」
途中でボソボソと話をするものだから、桔梗は問いただす。
「いやぁ、まあ……うん、……ちょっと、耳を貸してくれるか?」
「? ……はい」
雪が音を吸い、周囲は静寂に満ち充ちているのに、三兎はキョロキョロと辺りを見回して、桔梗の耳を貸してくれと言う。
桔梗は不思議に思いながらも、自然と彼の口元の耳を寄せたのだが。
「その特製蜂蜜。充の精子の重要部分を抽出したものを混入させた蜂蜜なんだ」
「……えぇっ!?」
桔梗の雄叫びが裏庭の隅々まで広がったのだった。
アルファの精子の何を抽出したかは知らないが、果たしてそんな物でベータがオメガに変化するのだろうか。
いや、それよりも、秋槻は袋小路に追い詰められていたとはいえ、執着の相手にそんな謎の物を口にさせていたのか、と桔梗はどこに突っ込んだらいいのか分からずに、変な冷や汗ばかりが額に浮いていた。
「え、え、本当にそんな事が可能なんですか?」
「可能なんだろうね。実際、ベータだった俺がオメガになって、充と番になって、果たして子供も二人いるんだから」
「お子さん……いらっしゃるんですね」
「ああ、今日は俺の実家に預かってもらってる。秋槻の両親も今日はこっちに来てるから」
秋槻といえば、寒川と同じ『四神』のひとつだ。
主に教育関連に力を入れており、桔梗が中等部まで通っていた秋槻学園がそれだ。中等部からバースごとに学舎を分け、
「正直、なんてコメントしたらいいのか分からないんですけど。でも幸せなんですよね? 三兎先輩」
バース性を変えられて、それでも幸せじゃなかったら、自分はきっと心がもたない。だから幸せでいて欲しいと願いを込めて尋ねれば。
「勿論。子育てしながら充の世話もして、って日々忙しいけど。だけど、ベータだったら絶対にありえないこの今が、俺は幸せで大事にしていきたい」
雪あかりに反射して見えた三兎は、それはそれはとても全身から溢れる程の笑みで、彼の言葉に嘘偽りはないと実感した。
その後、戻ってこない番を心配した玲司と秋槻が姿を現し、今度また会おうとそれぞれに連絡先を交換した。
次には秋槻夫夫の子供たちにも逢わせてくれるとのことで、今から楽しみな桔梗だった。ただし、逢うときには玲司の同行も必須だったけども。
こうして、楽しい時間はあっという間に過ぎていったのだが、桔梗は三兎との会話に意識を向けていたせいで気付かなかった。
二人がいた裏庭の木立の合間から、ギラギラと憎しみの焔を滾らせた双眸がじっと見ていたのを──
今、目の前で繰り広げられる光景は桔梗が記憶していたどれよりも豪華で、とても煌びやかだった。
会場にはアルファとオメガしかいなかった。いや、給仕としてお仕着せを着たベータたちが慌ただしく人の波をくぐっていたが。
だがそんなベータたちの姿が霞むほど、桔梗の目の前で繰り広げられる絵画のような光景には、アルファとオメガだけが存在していた。
堂々とした佇まいで歓談しているアルファに寄り添うように、着飾ったオメガが傍に立っている。
この場には番か婚約者でしか参加できないのだと、玲司から教えられていた。
桔梗はなんだかいたたまれない気分で、玲司の腕にしがみついた。
「桔梗君?」
落ち着いたテノールの声に、自分が無意識に玲司の腕に縋っていたのだと気づく。
どうしてこんなにもアルファが怖いのだろう。
近くに玲司がいるのに、時折向けられるアルファの視線が、桔梗の足元を床に縫い留める。
あれだけ長年アルファの家庭にいたのに。
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(これが上位アルファ……立ってるだけなのに威圧感がすごい……)
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もし、桔梗がアルファだったとしても。この場にその状態で立っていたとしても、同じように硬直はまのがれないと、無意識に自覚していた。
それほどまでに、上位と中位は雲泥の差があった。
「す……凄いですね。俺、アルファって上位も中位も下位も大差は殆どないってずっと思ってました。だけど……」
「だけど、上位アルファが上位たる理由が理解できた……かな?」
「「え?」」
背後から魅惑的な声が聞こえ、桔梗も玲司も振り返る。
そこには長身で端正なマスクを持ったアルファと、控えめながらも柔和な笑みを浮かべるオメガの男性が立っていた。
彼らは明らかに番だと、彼らの纏う空気が桔梗にも分かった。
「お久しぶりです、玲司さん」
「もしかして……秋槻君?」
「ええ、今は秋槻の兄の下で副社長を勤めてますが、近々総一朗さんの会社と提携する新事業の社長に就任することになってますけど……聞いてませんか?」
「ああ、新事業の話は言ってましたね」
「そんな訳で、今後共よしなに」
人当たりの良い笑みを見て、桔梗の脳裏の一部分が引っかかりを覚える。
(秋槻ってもしかして……)
「あの、間違っていたらすみません。もしかして、秋槻充先輩ですか?」
思わず話に割って入った桔梗に、玲司もアルファの男性も嫌な顔をせず、首を傾げている。男性の隣に立つもうひとりの男性は、何かを思い出したのか、目を開いて桔梗を見る。
「ん? あれ、君……」
「充、覚えてるだろう? 高等部の時に、俺が揉め事に巻き込まれた際に、助けた中等部の子」
柔和な男性が玲司に声をかけてきたアルファに補足する。
「久しぶり。香月桔梗君」
「え、あ、三兎結城先輩……ですか?」
「今は、三兎ではなく秋槻結城だけどね」
そう微笑む結城は、桔梗の記憶にある彼よりも柔らかな表情をしていて、体つきもベータというよりも……
「先輩、確かベータだった筈じゃ……」
戸惑いがそのまま言葉として出た桔梗に、結城は苦い笑みを浮かべて「ちょっと待ってね」と薄い唇に人差し指を当てて話を遮る。
「寒川様。少々、番様をお借りしてもよろしいですか? あまり俺の事情はおおっぴらにしない方がよろしいかと」
結城は秋槻と玲司にそう言って離席を申し出る。秋槻も玲司も微かに不機嫌に眉をひそめたものの、二人がオメガだからだろうか、抵抗らしい抵抗もなく場を離れることを許したのだった。多分、ここが寒川のテリトリーだというのも要因としてあったのだろう。
普通であれば、桔梗も結城も番から離れることを許可しない。
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広間から出て屋根付きのテラスへと二人で出る。真冬の、しかも雪山の庭は当然ながら真っ白だったものの、薔子の名前から由来しているらしい鮮やかな冬薔薇と、月に反射して青白く光る雪のコントラストが幻想的だ。しかも視界に入る庭はほんの一部というのも、この別邸の敷地が途方にもないとわかる。
「うーん、やっぱり寒いなぁ」
「中、戻りますか?」
昼間に玲司に案内された時に、元喫煙室だという場所が、歓談するに適していると思っていたのだ。ただ、家族棟の方にあったため、外部の客である彼を連れて行ってもいいのか、と思案していると。
「いや、結構人で疲れたし、頭も冷めて気持ちいいから」
あそこに座ろうか、と庭に対面するように設置されたベンチに促され、桔梗はそのまま二人並んで腰を下ろす。
「それにしても本当に久しぶり。元気にしていたか?」
「ええ、色々あって、中等部を卒業してから別の高校に行ってましたけど、それなりに」
あまり深く話すのも香月の外聞を晒すようで、曖昧に濁して受け取った名刺に視線を落とす。大手会社の名前と役職──副社長秘書兼秘書室室長とあり、名前も三兎ではなく、秋槻結城とはっきり印刷されていた。
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(ということは、三兎先輩は秋槻家の養子になったという事だろうか)
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つまりは、三兎はオメガということなのだろうか。
「あ、これか? これは、プレイの一環ではなくて、ちゃんとした番契約なんだ」
「え、でも。三兎先輩ってベータでしたよね?」
以前、突然の発情で身動きがとれなくなっていた時に、偶然居合わせた三兎に助けられたのだが、その時の彼はベータだったと記憶している。ただ……
(あれだけ正面から俺のフェロモンを被っていたのに、先輩は平然としていた)
通常、ベータはオメガのフェロモンの効果はあまりない。だが、近くで充てられればそれなりに効果はある。あの時の三兎はその距離にいたにも拘らず、普通に桔梗を助ける為に動いてくれた。
桔梗の疑問に「ああ……」とどこか遠い目をして、思い馳せるようにそっと目を伏せる。
「実はさ、俺、ベータからオメガに変わったんだ。それで充と婚姻を結んだ。あと、子供も二人いるんだぞ」
と、ほがらかに笑って話す三兎。桔梗は言葉のある部分に瞠目する。
「ベータからオメガに……?」
そんな夢物語のようなことが可能なのだろうか。
バースの転換は、事故による脳障害により変化したという報告を。ニュースで耳にしたことがある程度だ。しかし三兎には脳に障害があるようにも見えないし、事故に遭ったとおぼしき不能があるようにも見えない。
「つまりだな……」
三兎も秋槻からの又聞きという前置きをして話してくれた。
元々三兎家というのは、上位アルファ家系、秋槻家の傍流の家柄だった。現在はベータ家系の上位にある。それゆえに代々三兎の家長は秋槻家の後継者の側に仕え、長年彼らを支えてきたそうだ。
そして秋槻家の長男、紘、次男の充、そして三兎の結城。彼らは幼馴染として出会い、将来は秋槻の子供たちを支えるよう育てられた。
しかし、彼らの出会いは、充を結城に固執させる要因となる。
同じ年齢の充と結城は、秋槻学園の小等部へと入学をする。この頃はバース性にほとんど左右されずに、二人はすくすくと成長していった……筈だった。
「正直、充の俺に向けてくる感情を重く感じちゃったんだよ。まあ、大人でもきっついのに、子供の俺では当然受け流すこともできなくて……結局、秋槻の両親とうちの両親の勧めで離れる選択をしたんだ」
ふう、と吐いた息が冷えて薄靄の向こうから見える三兎の顔は悲しげで、当時のことを懐かしむというより悔やんでいるかのようだった。
玲司もそうだが、アルファの執着は想像以上だ。早いうちからアルファの性質を開花させた秋槻は結城に執着した。その結城が離れると知ったら、きっと彼の心は壊れたのではないか。
だが結城の気持ちもわかる。子どもにはアルファの囲い込みに耐え切れないに違いない。
「……まあ、離れてみて、充が色んな意味で傍に居ないと寂しいと気づいたんだけども」
苦笑して話す三兎の言葉は、自分の心にも響いて痛みが走る。
幼い頃から一緒にいた人間と物理的に離れる。それはかつて自分も兄の朔音と離され、一人で生きていくことになった時の記憶がよみがえり、切なくなってしまった。
「そ、それで、どうして先輩がベータからオメガになったか、って話なんですが」
「ああ、そうだった」
三兎は「はは」と笑って頭を軽く掻きながら、それで、と続きを語りだす。
依存していたと呼ぶに相応しい程執着していた三兎が離れた事により、秋槻はそれはもう荒れに荒れたそうだ。元々が上位アルファとして育てられたので、非行に走ったりはなかったが、ある意味それよりも酷いかな、と桔梗は三兎の話を聞いて、内心で思っていた。
中学に入ってすぐに学校にはほとんど行かず、夜の街を知り合った上位アルファと共に遊び歩く日々。酒、煙草は当たり前で、よくもまあ補導や逮捕をされなかったものだ、と変に感心する。
そんな中、同じように夜遊びをしていた玲司と秋槻が知り合った。元々社交界で顔は知っていたようだ。
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「……玲司さんが?」
「実際、そういった話が出たのは本当だそうだ。ただ、俺が充に長年飲まされていたのは、蜂蜜だった。……それも……の成分を抽出した特別製」
「え?」
途中でボソボソと話をするものだから、桔梗は問いただす。
「いやぁ、まあ……うん、……ちょっと、耳を貸してくれるか?」
「? ……はい」
雪が音を吸い、周囲は静寂に満ち充ちているのに、三兎はキョロキョロと辺りを見回して、桔梗の耳を貸してくれと言う。
桔梗は不思議に思いながらも、自然と彼の口元の耳を寄せたのだが。
「その特製蜂蜜。充の精子の重要部分を抽出したものを混入させた蜂蜜なんだ」
「……えぇっ!?」
桔梗の雄叫びが裏庭の隅々まで広がったのだった。
アルファの精子の何を抽出したかは知らないが、果たしてそんな物でベータがオメガに変化するのだろうか。
いや、それよりも、秋槻は袋小路に追い詰められていたとはいえ、執着の相手にそんな謎の物を口にさせていたのか、と桔梗はどこに突っ込んだらいいのか分からずに、変な冷や汗ばかりが額に浮いていた。
「え、え、本当にそんな事が可能なんですか?」
「可能なんだろうね。実際、ベータだった俺がオメガになって、充と番になって、果たして子供も二人いるんだから」
「お子さん……いらっしゃるんですね」
「ああ、今日は俺の実家に預かってもらってる。秋槻の両親も今日はこっちに来てるから」
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次には秋槻夫夫の子供たちにも逢わせてくれるとのことで、今から楽しみな桔梗だった。ただし、逢うときには玲司の同行も必須だったけども。
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