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happy2

3:驕慢

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 車を駐車場に戻しに行っていた筈の総一朗が、なぜか大きな包みを抱えて戻ってきた。どうやら、近隣──といっても数キロ離れた別荘を所持している老人から、猪肉を手に入れたからとお裾分けされたそうだ。
 ちょうどその時、お茶を持ってきていた香織から、薔子がきのこ類を戴いてるという話が出て、結局、玲司が腕を振るって牡丹鍋を作る事になった。
 本人は不承不承ふしょうぶしょうといった苦い顔をしていたものの、桔梗の口に入るものだからと、全面的に番の好みにしようとコタツから腰を上げてキッチンに向かおうとしたら、桔梗が当たり前のように後ろからひょこひょことあとを追ってきたのである。

「あらあら。新婚さんですね。玲司さま、先にキッチンに行って材料をご用意しておきますね」

 香織は先に行って待っていると玲司に告げ部屋を後にした。

「桔梗君? キッチンは寒いので、リビングで母達と待っていてもいいですよ?」

 桔梗は玲司をじっと見つめ、ふと目を逸らし、とある一点を見たあと、首を緩く振って「一緒に居ちゃダメですか?」と上目遣いで玲司を見上げる。その姿は捨てられた仔犬のようで、玲司の胸がキュンと疼く。このまま昼食の準備なぞせずにベッドに向かうのは駄目であろうか。

「いいえ、駄目ではありませんよ。ただあんまり暖かい場所ではないので、何か上に羽織ってから行きましょうか」
「……っ、はいっ」

 雲の切れ間から射し込む陽光のような笑みを見せた桔梗の肩に手を回すと、玲司はチラリと視線を横に流してリビングを後にする。
 その視線に気づいた薔子は「あーあ、玲司を怒らせるなんて」と呟かれた言葉は、近くに座っていた総一朗と凛の耳にしか届いていかなった。
 玲司が視線を向けた先には、いつもより不機嫌を滲ませる家政の真紀の姿があった。
 真紀は母親からも咎めるような視線を受けて居た堪れなくなったのか、そそくさと別のドアから出て行ってしまった。

「……大丈夫ですかね」
「さぁね。玲司が寒川の……いえ、上位アルファの中でも特別な子だもの。正直、あの子が怒った時には、最悪今日のパーティで対策を練らなくちゃいけなくなるかも」

 小さく吐息した薔子の言葉に、総一朗は瞠目する。
 凛は淡々と蜜柑の皮を剥いては口に放り込んでいる。

「んー、玲司兄さんは大丈夫じゃないかな。幾らなんでも番を傷つける事はしないだろうし、ああ見えても寒川の中で常識人だしね」
「なによー、それって私が常識人じゃないって言ってるみたいじゃないの。この家で一番の常識人なのに!」
「「え?」」

 ざっ、と息子達の顔が薔子に向けられ、その顔にはありありと「常識人って誰が?」と書かれてあった。
 息子達がいじめるー、と炬燵の天板に突っ伏した薔子は放置して、総一朗も凛も互いに目を合わせ頷く。どこの常識人がさめざめとコタツの天板に懐くのか、と。
 そもそも女傑と呼ばれる彼女が、こんな可愛く嘆く姿ですらも希少なのだ。
 衝撃だったものの、たったあの短時間で桔梗を気に入ったのだな、と総一朗は嬉しくなる。

「……まあ、常識はさておき。下手に藪をつついて玲司を刺激させないようにしないとな。ただでさえ、アルファの集まりを忌避してるのを引き止めてるんだし」
「僕は無理ですからね。玲司兄さんを止めるのは、総一朗兄さんにお任せします。僕、非力なんで」
「だったら頭を貸してくれよ」
「えー、僕、仕事と研究以外で使いたくないんですけどね」
「このマッドサイエンティストめ」



 桔梗と玲司が入ったのは、家族棟側にある玲司に割り当てられた部屋だった。
 温められた空気が二人を出迎えてくれる。

「暖かいですね」
「この家全体がセントラルヒーティングで設定されてますので。暑くないですか?」
「いいえ、廊下が少し肌寒いかなって感じだったので、むしろ心地よいです」

 ベージュ壁紙に飾られた小さなリトグラフは植物モチーフで、色彩も淡く部屋の中に溶け込んでいる。
 テラスに続く窓は大きく明かりが入り、ベッドの白いシーツに眩しく反射している。そのベッドを挟むように透かし彫りの縦型の小窓が取り付けられ、飴色に染まった部分が光っていた。
 他にも臙脂色の座面のソファは背面が木製で、時間によって燻されたこげ茶が臙脂を映えさせる。飴色の木製ライティングデスクも見るからに高級感を醸し出し、別の世界に入り込んだような錯覚に陥る。
 シンプルでありながらも贅を込めた寝室は、きっと他も同じように素晴らしいものだと予感させた。

「どうかしましたか?」
「なんというか、流石は上位アルファ家系だな……と」

 どれひとつ取っても高級感が滲み出ている室内を見渡し、桔梗は玲司の質問を脳内濾過する事なく感想を零す。玲司は苦笑して「そうでしょうか」と桔梗の言葉を返していた。

「桔梗君のおうちも名家ですよね。別荘があると以前聞いてた気がしますが」
「まあ、あるにはありますが……。こんなに立派なものではなくて、別荘地の建て売りの小さなログハウスでしたけど」

 確かに実家の香月家には別荘があるとそんな話をしたことがある。
 あれは客のひとりが貸別荘で家族と過ごすといった話の流れでつい言ってしまったことだ。そもそも桔梗自身の持ち物ではないし、どちらにせよ兄が将来的に相続するものだ。家を出た桔梗には関係がない。
 今はバラバラになってしまった香月家も、年に一回か二回は別荘に趣いては四人で食事の支度や掃除をしたり、自然の中で遊んだりと過ごしていた。それも桔梗がオメガだと判定されて以来、なくなってしまったけども。

 『扇合おうぎあわせ』の香月家は中位アルファ家系なので、実家はうっすらとした記憶の中でもそれなりの豪邸だったような気がする。母ひとりでは維持できない為、家政婦が何人か居て、家族の世話をしてくれていた。
 先ほど会った織田親子もそうだが、上級アルファに仕える使用人達は基本的にベータが多い。というのも、彼らはアルファやオメガのようにフェロモンの影響をほとんど受けることがない。
 だからこそ重用される。中にはベータであっても異性同士なら肉体関係が結べることから、それを目的に自分の子どもを送り込む親もいたほどだ。
 実際にそういった事実があったと耳にしたことがある。
 アルファは……特に名家と呼ばれる彼らは、人生において成功者ばかりだから。
 それにベータの思考では男と女が結ばれるのが自然と刷り込まれている。
 桔梗は、寒川邸に入る直前に向けられた真紀の鋭い視線が脳裏に浮かび、母親の香織とは違い、娘の方は玲司と婚姻を結んだ桔梗に対しては祝福する意思がないのだと悟った。

(なるべく玲司さんと一緒に居るか、ひとりきりにならないようにしなきゃな)

 桔梗は玲司から渡された膝丈まであるふわもこのロングカーディガンに袖を通しつつ、静かに誓いを立てた。
 その誓いはすぐに泡となって消えてしまったが。

 玲司と二人並んで一階に降り、玄関エントランスを横切って厨房に向かう途中、両開きの扉が開かれているのに気づいた。客用の棟の一階が大きな広間となっているようだ。
 繊細な織りの絨毯が敷かれ、天井にはクリスタルのシャンデリアが煌めく。壁の一面は全てガラス張りの扉となっており、雪に照らされた陽光が反射して室内を明るく満たしている。
 中では様々な格好をした人が大勢あくせくと動いており、ここで先ほど話が出たパーティが行われるのだな、と桔梗は頭の中で呟いた。
 そこで桔梗は、そういえば、と玲司と薔子の会話を思い出す。

「玲司さん」
「はい?」
「玲司さんは、秋槻の方とお知り合いなんですか?」

 玲司は桔梗へと不思議そうな顔を浮かべ見ていたものの、「ああ」と何かを思い出したのか小さな声を漏らしていた。

「秋槻は教育系の運営をしてましたし、医療系の寒川とは交流はありましたけどね。あそこの次男とは昔、相談に乗っていた時期があったんです。そのご縁でたまに連絡を取ってる位ですね」

 それが? と特に隠す様子もない玲司に、桔梗はホッと胸をなで下ろす。
 まだ出会って数ヶ月であるから、その前の親交については口出すべきではない、と思いながらも胸のモヤモヤが心を醜くさせていた。これがオメガの番に対する執着かと内心へこんだりもしたが、これまでの人生で、ここまで心を揺さぶってきた人が玲司で良かったともさえ歓心していたのである。

「秋槻充さんですよね。俺が中学時代に高等部の生徒会長をされていたので。俺も中等部の時は生徒副会長をしてて、朔音が会長だったんですよ」
「……そうなんですか? 桔梗君はあの学園に通っていたんですね」
「ええ、高校と大学は外部の所でしたけど」

 目を見張る玲司に、桔梗は首を傾げながら「玲司さんは違うんですか?」と問い返す。
 名家と呼ばれる上級アルファ達の殆どが、桔梗の通っていた秋槻学園に通っていた。当然、ベータもオメガも通学していたが、そちらもほぼ名家もしくは一般でも会社経営している親が子供を通わせていたようだった。
 だが、中等部卒業と同時に、桔梗は実家を追い出され、別のオメガだけが入学を許される高校へと入る事を余儀なくされたのだが。
 おかげで貞操の危機自体は中等部時代、朔音や高等部生徒会のおかげで多少晒された事もあったものの最終的に清いままで卒業できた。

(そういえば、秋槻先輩と一緒にいたベータの……三兎みと先輩も今日見えるだろうか。以前助けてもらった時、発情ヒートでまともにお礼できなかったから、もし逢えたら遅くなったけど、ちゃんとお礼したいな)

 桔梗は内心で思案しつつ、玲司の言葉に耳を傾ける。

「僕は生まれが特殊でしたので。小学校時代は家庭教師がついて、特例で卒業資格を得て、中学と高校は県立の普通校に通ってました。大学は二年まで弐本の大学でしたが、途中から料理の勉強もしたくて留学をしました」
「留学ですか。じゃあ、今の玲司さんの作る料理は、本場仕込みなんですね」
「基本はそうですね。一応、弐本こっちで店を出している兄弟子の元でも数年修行していましたけど」
「なんか……凄いです」

 何気ない会話だけども、こうして未来の話ができる事に桔梗は喜びに心がふわふわとなり、感嘆した言葉がこぼれていた。

 途中で階段下にある秘密基地めいたベンチや、移築前は喫煙室となっていたサンルームの幾何学模様のタイル敷の精緻さに感嘆しつつ、二人はキッチンへと向かう。
 今日のパーティがある為、普段使用しない厨房ではいかにもレストランのコックとおぼしき人達が慌ただしく作業をしている方ではなく、家族達の食事を作る多少狭いキッチンの扉を開けようとしたその時。

『あんな人が玲司さんの番だなんて。きっとヒートで玲司さんを惑わしたに違いないんじゃないかしら』

 言葉の端々から悪意が滲んでいる若い声が聞こえ、二人は動きを止める。

『ちょっと、口が過ぎるわよ真紀。玲司さまが誰と婚姻を結ぼうが、あなたに関係ないでしょ。それに玲司さまはあなたと対等ではないのよ。ちゃんと呼び方を改めなさい』
『でもっ』
『これ以上騒ぎ立てるなら、家に帰ってもらうわよ。あなたがどうしても手伝いしたいからって勝手に付いてきてるんだから』
『……っ』
『真紀、もうちょっと自分の立場を自覚なさい。子どもの頃は可愛がってもらったかもしれないけど、大人になれば関係も変わるものなのよ。玲司さまの番さんに何かしたら私が許さないからね』

 窘めているのは香織だろうか。呆れたように諭す母に真紀もそれ以上反論するのを諦めたのか、それ以上何か話す声は聞こえなかった。
 というか、香織は自分の娘にあそこまで言い切るとは、よほど義母を尊敬しているのか玲司に畏怖を抱いているのか。玲司はこんなに優しいのに不思議だと桔梗は首を傾げる。

「……」
「……」

 扉の前で予期せず桔梗に対する真紀の本音を聞いた二人は、互いに顔を合わせたまま見つめる。玲司はともかく、桔梗は明らかに嫌悪しているだろう真紀の前に出るのを躊躇ってしまっていた。

「……やはり部屋で待ってますか?」

 こそりと玲司が問いかけてくるのを、桔梗は緩く首を横に振って断る。
 これまでだってオメガだからという理由で謂れもない誹謗中傷を受けたのは、一度や二度ではない。しかし、初対面の人間からこうもあからさまに悪態をつかれると、慣れている筈でも結構くるものがある。
 それでも自分は玲司が名家の人間だと知っていても婚姻すると決めたのだ。

「桔梗君?」
「大丈夫です、行きましょう。玲司さん」

 少し笑みがひきつってると自覚しつつ、桔梗はキッチンへと続く扉を躊躇う事なく開いたのだった。
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