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happy2

1:別荘

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「うわぁ……、雪が凄いですね」

 桔梗が新幹線から降り立った途端、一面真っ白な世界に、感嘆の声をあげている。玲司はそんな新鮮な反応を見せる彼に、そっと笑みを浮かべた。

「こっちの名物ってなんでしょうね」
「……」

 帰省で出て行く者と観光でやって来た者とが交錯する駅内をくぐり抜けて、弐本海方面に向かう新幹線に乗って二時間近く。アスファルトとコンクリートでひしめく街は一変し、真っ白な雪に景色が染まっていた。
 改札口を出ると、除雪はしてあるものの、都会では見たことない程の白い小山を見て、桔梗はそれすらも新鮮に目に映り、視線が落ち着く暇もない。
 そんな仔犬のようにはしゃぐ番の後ろから、ふたり分の荷物を入れたキャリーバッグを転がし玲司がのんびりと後を追う。

 玲司がこの地に来るのは、大学を卒業してしばらくの間、海外に留学に行く直前の短い期間だったと記憶している。あの別荘は、亡き寒川の父の知り合いである織田という妙齢の女性が管理していた。確か……

「玲司さん?」
「え、ああ、すみません」
「ぼんやりしてると、足元が疎かになって、怪我しちゃいますよ」

 取るに足らない情報を思い出してると、愛おしい番である桔梗の軽やかな声が現実に引き戻す。数ヶ月前に出会った当初は、声にも抑揚がなく、表情も冴えない時が多かった。だが婚姻届を出して以降、少しずつ桔梗の表情の変化を見れるようになっていた。
 本人は特にその変化を気にしている様子はないが、玲司は自分の傍でだけ見せるようになった寛いだ笑みを向けてくる度に、愛おしさが募っていくばかりだ。

「ふふ、そうですね。では、僕が転ばないように手を握ってくれますか?」
「えぇ!?」

 白い肌を赤く染めた桔梗は、挙動不審に玲司へと手を出しかけたり、もじもじと指を絡ませたり、ちらちらと玲司を見たり、とせわしない。
 玲司とは七歳の差があるせいか、時折垣間見えるいとけない動作が可愛らしいと、思わずにやけそうになるのを、気を引き締めて隠す。ここは人で賑わう駅で、尚且つ寒川の子供としては弱みを見せてはいけない、と教育されていたのもあり、動揺している桔梗の手を取り。

「このままでは桔梗君が転んでしまいそうなので、僕が握っておきますね」

 にっこりと微笑んで話せば。

「俺は子供じゃないんですけども……」

 唇を尖らせてふてくされる姿をする桔梗にキスをしたい衝動を抑えながらも、ここから寒川の別荘がある場所まで車で行こうと、レンタカーショップへと足を向けた途端。

「おーい、玲司! 桔梗さんも!」
「……総一朗兄さん……?」
「あ、本当だ」

 駅前のロータリーに並ぶ車列のひとつから聴き慣れた声が聞こえ振り返る。
 深緑のダウンにブラックデニム黒とベージュのトレッキングシューズで現れた総一郎は、いつもよりラフな前髪の下にあるサングラスを外しながら笑みを溢す。
 大会社の社長というより山小屋のマスターといった格好を見た桔梗と玲司は、互いに顔を合わせ苦笑したのだった。

「まさか総一朗兄さんが迎えに来るとは思ってなかったので驚きましたよ」
「まあな。お前からスケジュールを聞いてたから、それなら先に俺がレンタカー借りた方が後々楽だろうと思ってな。少し前にりんにここまで送ってもらったんだよ」
「凛が? それでアレは?」
「うちの女帝様の用事でデパ地下に行ってる。受け取って帰るだけだから、先に向こうで待ってるってさ」

 ポンポンと軽快よく繰り出される会話の中に知らない名前が出てきて、桔梗は首を傾げる。総一朗からは特に何も感じなかったが、玲司は微かに眉をひそめ不機嫌が滲んでいる。
 彼が感情をわずかでも表に出しているのは珍しい。

 初めて出会った時から、桔梗に対しては穏やかな笑みを浮かべ、人当たりの良い雰囲気を醸し出している。
 時折作られた態度・・・・・・に感じて、少し胸が痛くなるものの、自分だって玲司に取り繕っている部分があるのに気づき、こういったのは時間が解決すると信じる事にしたのだった。

「玲司さん」
「はい?」
「あの……リンさんって?」

 桔梗は隣に座る玲司のダウンジャケットの袖をくいと引っ張り、意識をこちらに向けさせると、さっきから疑問に思っていた問いをする。玲司は何か逡巡するように虚空を見つめた後「ああ」とようやく答えが出たような声を漏らす。

「凛は僕たちの一番下の弟ですよ。桔梗君よりも年上ですけど。医者をやっています」
「お医者さんの弟さんですか……」

 何故か安堵したように吐息を溢す桔梗に、玲司は首を傾げる。だが、義弟の謎をいち早く気づき言葉にしたのは、運転中の総一朗だった。

「もしかして、凛を女性と勘違いしたんじゃないのかな? 大丈夫だよ桔梗さん。玲司はそれなりに経験はあるけど、今の囲い込みを見てるだけで、他に目がいくとは到底思えない位に、桔梗さんにぞっこんだから」

 ぞっこん、と死語を発した総一朗は、玲司にギロリと睨まれているのもなんのその、カラカラ笑う。その姿は、本当に近所の兄貴分のような雰囲気をしていて、桔梗は苦笑するしかなかった。

「それに、これだけ玲司が執着してるなんて、うちの母も大層喜んでいたし」
「薔子さんが?」
「薔子さん?」
「母です。義理ですけどね」

 眉根を寄せている玲司の変化に気づいたのは、隣にいた桔梗だけだろう。総一朗は「そんな顔をするな」と揶揄していたが。
 義兄の口から母というワードが出た途端、玲司の体がほんの少しだけこわばったのだ。

(お母さんが好きじゃないのかな……)

 この場で尋ねてもよいものかと考えあぐねていると。

「後程、桔梗君にお話しますからね」

 男らしい大きな手で撫でられ、桔梗はコクリと頷いたのだった。
 まだ互いに口に出していない部分のが多々あるものの、玲司の真摯な態度に桔梗も信じたいという気持ちの方が強く、ゆっくりとでも確実に歩み寄っているのを感じる。

「はい。でも、辛いのなら無理しなくてもいいですから」

 玲司と籍を入れてから増つつある花が開くような桔梗の笑みに、「大丈夫ですから」と淡い微笑みで応える。
 アルファ家系で育った桔梗だが、そのバース性が原因で冷遇されていた時期が長かったからか、控えめでしかも洞察力に優れている。
 既にほぼ玲司の保有する会社に吸収されてはいるが、桔梗が以前働いていた会社でも、オメガでありながら営業成績はすこぶる良かったとの事だ。持ち前の謙虚さは天賦の才ともいえる。
 それは桔梗自身の武器だというのに、控えめ過ぎて発揮できていないのが勿体ないと思う玲司だった。

 そんな新婚夫夫をバックミラー越しにニヤついて眺めている総一郎。
 義兄が覗いてたのに気づいた桔梗は顔を真っ赤にし、玲司は絶対零度の視線を寄越した。

 外はいつしか降りだした雪が白く世界を染め、桔梗と玲司のそれぞれの不安を飲み込んだのだった。




 寒川家の別荘を見た桔梗は、ここはどこの異世界なのだろう、と内心で戦々恐々していた。
 雪の中でも鮮やかなな緑で覆う森を囲うように鉄柵が長く連なり、一角に門扉がそびえ立っていた。総一朗は惑う事なく門を開くと、乗ってきた車を滑らせるように森深く走らせる。
 本当に別荘へと向かっているのか不安になってしばらく、桔梗の眼前に現れたのは明治・大正時代に海外の文化を取り入れて独自の建築技法で作られたとされる和洋折衷建築で、煉瓦壁に白の窓枠のコントラストが雪の中で映えて美しい。
 桔梗は建築学には詳しくなかったが、見ているだけでも時代の歴史の重厚さに、思わず息を飲んでしまったほどだ。

「ようこそ、寒川家別邸へ。新しい家族となった君を歓迎するよ、桔梗さん」
「別邸?」

 玲司から別荘と聞いていたのだが、別邸とは。何か違いがあるのだろうか。

「ああ、そうか。玲司から聞いてなかったみたいだね。ここはうちの母、寒川薔子が一年の内半分近く生活している場所なんだ。たまに藤田医師も花楓かえでさんと遊びがてら来てるよ」
「そうなんですか」
「豪雪地帯にこんなスコティッシュ・バロニアル様式建築物を移築するとか、狂気の沙汰でしかないんだけど、我が家の女帝様は一度決めたら変えない頑固者でね、しかも即行動する人だから、あっという間にここに土地を買って、この家を建てたんだ」

 建築学には疎い桔梗は、総一朗からスコティッシュ・バロニアル様式建築という謎のワードが出ても理解できず、首を傾げるしかない。

「桔梗君、スコティッシュ・バロニアル様式建築の特徴はイギリスの別荘だと思えばいいですよ。逆に本邸はモダニズム建築──白く、四角四面で面白みのない箱。見ればわかりますけど、まんま豆腐のようなんですよ?」
「とうふ……」
「そういえば、桔梗君は豆腐もお好きでしたよね。お昼まだですし、お鍋でもお作りしましょうね」
「おなべ……」
「玲司の鍋かぁ。俺にも食わせろ」
「でしたら、荷物を……」
「すみません! 皆様を雪の中でお待たせするなんて!」

 建築の話から鍋に移行し、相伴に与ろうとした総一朗へ玲司が言葉をかけようとしたその時。会話をぶった切るように玄関が勢いよく開き、中からローズピンクのタートルネックのセーターとチャコールグレーのコーデュロイのロングスカートの上に白のエプロンを纏った女性が息を乱して駆け寄ってきた。歳は玲司とそう変わらない感じだ。その後ろから女性に似た五十代の女性が追いかけてくる。彼女達がベータであると、直感的に桔梗は感じ取った。

「ああ、香織かおりさんに真紀まきさん。紹介するよ、こちらの可愛らしい青年が、玲司の奥さんになったオメガの桔梗さん。で、桔梗さん、こっちが我が家の別邸を管理している織田おだ香織さんと娘さんの真紀さん。何か分からない事やお願いしたい事があれば、どちらかに伝えればいいよ」
「まあまあ、玲司様がご結婚されたと薔子様からお話は聞いていましたけど、とても可愛らしい方で。この度はおめでとうございます。わたくし織田香織と申します。困ったことがありましたら、お声をかけていただければ」
「はい、ありがとうございます。僕は桔梗です。こちらこそよろしくお願いします」

 総一朗の紹介を遮るように妙齢の女性──香織はにこにこと笑顔で桔梗に挨拶してくる。総一朗が苦笑しているのを察するに、彼女はせっかちなタイプの女性のようだ。ちょっと前の会社の近くの食堂のおばちゃんと思い出した桔梗は、自然と笑みを浮かべて応えていた。

「わたくし、真紀と申します。玲司様、荷物はこのままお運びすればよろしいでしょうか?」

 冷ややかな声が向けられ、慌ててそちらに顔を向けると、栗色のふんわり巻かれた髪をひとつに結び、鋭利な視線で睨まれる。唖然としている内に、今度は艶やかに微笑んで玲司へと近づくのが見え、どうすればいいのかと総一朗や香織に視線を泳がせていると。

「結構です。自分の荷物は自分で持っていくので」

 真紀が伸ばした手をはねつけるように玲司はキャリーバッグを持ち上げると、一刻でもこの場から離れたい気持ちが早足となって、玄関へと向かう玲司の背中があった。

 玲司は、後ろから真紀の甘ったるい声が追いかけてくるのを、眉根に皺を寄せて不機嫌に拍車をかける。

(一泊とはいえ、面倒な事にならないといいのですが……)

 別荘に一泊した後は、のちのち本格的なものを考えているが簡易的な新婚旅行を楽しむつもりで、近くのホテルを予約している。仕事も家も関係なく、ただ二人だけでのんびり過ごすつもりだが、あの文香の鋭い視線を受けた桔梗に何事もなく、楽しい思い出のまま帰れるといい。
 玲司は先に母に話しておくか、と心に決め、少し遅れてやって来た桔梗の肩に腕を回して別荘へと入っていった。

 寒川家の別邸は外の雰囲気に違わず、エントランスの天井は高く、装飾もシンプルでありながら、ひとつひとつが質の良い物であるのが素人目でも分かる程だ。
 桔梗の実家である香月こうづき家にも別荘は幾つか所有していた。しかし、比較にならない程重厚な屋内に、桔梗は嘆息が自然と零れていた。

「桔梗君、ここで驚いてたら、ずっと口が開きっぱなしになりますよ?」

 玲司はダウンジャケットの肩に積もった雪を払い、桔梗を促してスリッパを番の前に並べてくれた。桔梗は同じように肩の雪を振り払うと、ふかふかな心地のするスリッパに足先を入れる。まるで雲の上に乗ってるような気分になり、思わず頬が緩む。
 秘密にしているようだが、桔梗がふわもこな感触が好きなのは、朔音を通してリサーチ済だった玲司は、彼専用のスリッパを用意するように総一朗に伝えてあったのだ。
 婚家を訪ねるという緊張を強いてる為、桔梗には少しでもリラックスできる部分を作ってあげたい、といった玲司の優しさからによるものだった。

「気に入ったようですね」
「ええ、ふわふわしてて気持ちが良いですね、このスリッパ」
「寝室もふわもこな毛布とかありますよ。この家、暖房はありますけど底冷えしますから。桔梗君が風邪をひかないように用意していただきました」

 え、と目を見開く桔梗の肩を軽く押して、玲司は迷いなく中を進む。

「一応僕らが泊まるのは、家族棟である左翼側ですので、もし迷った時には一度玄関まで来るといいですよ。右翼側は基本客室に利用してますから、今日みたいな日には絶対に近づかないように。まあ、その前に僕の傍から離れなければいいんですけどね」
「迷いそうになったら玄関に、ですね。でも、今日みたいな日ってどういう意味なんですか?」

 小首を傾げて問う桔梗の愛らしさに、すぐさま寝室に立て篭ろうとした玲司だったが、そういえば実家を訪ね泊まる話はしたけども、別荘に行く先が変更になってからのプランについては話していなかったと思い出す。

「本日は、上流アルファのパーティがあるんです。参加できるのが、『四神ししん』の朱南あかなみ桜樹さくらぎ秋槻あきつき、そして寒川の主家の人間と、彼らの付随者、後は分家の人間がちらほらですね」
「……え?」
「大丈夫です。事前に総一朗兄さんから、『扇合おうぎあわせ』や『百花ひゃっか』の人間は来ないと聞いてますから。どちらにしても、上流だけの集まりなので、潜り込む事は不可能ですけどね」

 桔梗は一瞬、自分を追い出した実家の人間が来るのかもしれないと、不安になったのだろう。それ以上に秋頃に起こった出来事で関わりのあった『百花』の人間とも顔を合わせたくなったのも頷ける。
 だからこそ、今回に至っては桔梗と関わりのない上流アルファ家系で固め、付随する客についても事前にリストを提出させ、問題がない事を掌握していたのだ。

「心配しないで、桔梗君。何があっても僕が君を守ります。僕は君の夫なんですからね」

 まろい桔梗の頭を撫で、柔らかくサラサラな髪の感触を楽しむように指を絡ませ、玲司は笑みに目を細め桔梗へと告げる。
 夫という言葉にも、守るという言葉にもまだ慣れない桔梗は、ぽっ、と頬を朱に染め「お、お願いします……」とボソボソと告げたのだった。

 玲司は、そんな桔梗を今すぐベッドに連れて行き、パーティも何もかもを放り出して、二人で愛し合いたいなどと不埒な事を考えていたのは内緒だ。
 自分の面子もあるが、桔梗に嫌われたくない。
 爛れた妄想は一旦押し込め、玲司は桔梗と伴って母が居るであろうリビングへと向かった。
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