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Tartathan~タルトタタン 前編
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ルーク君の姿が、シャルパンティエ公爵家で見なくなって早二ヶ月。
それを幸いとばかりに、お父様はフランツ殿下との婚姻を駆け足で進めているようだ。
一ヶ月前には皆に惜しまれながら、喫茶室を閉鎖した。
中には最後の最後まで存続を望む声もあったけど、そもそも婚姻に賛成だったお父様とフランツ殿下の父であり、国王の後押しもあって、勢いは沈静化したのだった。
どう考えても、国のトップに逆らうなんて出来ないもんね。
「……ふう……」
私の部屋から見える小さな建物には誰もいない。
あれだけ毎日嬉々として出向いていた場所が、もう二度と近寄れない所になって、心の中もポッカリと空白がてきてしまっていた。
お父様曰く、喫茶室は私の輿入れと同じ頃に取り壊すそうだ。
なんとか交渉して、壊すまでの間、自由に使う権利は奪ったものの、余りにもルーク君との思い出が多すぎて、足が喫茶室に向かなかった。
「はあ……」
最近というより、ルーク君が姿を消してからというもの、ため息の数が数段増えてるのを自覚している。そして、こぼした息で湿った唇を意識すると、あの夜の出来事を思い出してしまい、悶絶したい気分でいっぱいになるのだ。
別に前世ではうぶな子供だった訳ではない。どっちかというと、アラサーだったし……って、自分で言っててへこむとか!
だから、あの時ルーク君がしてきた事以上の経験もある訳で……。
ただの皮膚の接触にも拘らず、どうして前世以上に胸がドキドキしてしまうんだろう。
「ああっ、もう! うじうじ悩んでる暇があるなら、お菓子を作ってやけ食いしちゃおう!」
どうせフランツ殿下が求めているのは、私の容姿や王妃としての能力云々じゃなくて、私の作る珍しいお菓子が外交に役立つって思っているからだろうから。
それなら、多少ウエストのサイズがどうにかなっても、問題ないんじゃない?
それに、戻ると言わなかったルーク君もどうだっていい。
こうなったら、離宮にオーブンとか持ち込んで王妃になってもお菓子作りしちゃえばいいんじゃないかな!
きっと、誰かが見たらやけくそって言いそうな程、今の私の心情は荒れに荒れていた。
気づいたら、思い出がありすぎて足が向かなかった喫茶室へと、足音鳴らしてまっすぐに向かっていたのだった。
「さて、何を作ろうかな」
途中、厨房に寄ってしこたま材料になるものを抱えて(性格にはお父様の命令で監視していたメイドが)やってきたものの、調理台に並ぶ材料を前に途方に暮れる。
案の定というか、ついてきたメイドは手伝う気はないようで、喫茶室の外で待つと告げて出て行ってしまった。
かろうじて簡単な清掃だけはしてくれたけども。
監視するのなら、別に手伝ってくれてもいいんじゃないかって思うんだけどね。
真っ白な小麦粉にみずみずしい林檎、それからバターにお砂糖と卵。
「あんまり体力のいるのじゃないのがいいよね。途中でへたばってもどうしようもないし」
林檎にバターに小麦粉に。それから卵とくれば、タルト……。
「いちいち別焼きするのも大変だから、タルトタタンにしちゃおう」
作るものが決まると、さっそくとばかりに林檎を皮がついたまま分厚くくし切りにして、たっぷりのバターで炒める。
タルトタタンというのは、元は林檎のタルトを作ろうとした女性が間違えた事からによる失敗作だと言われている。
だけど、この失敗は後世の人にとっては大成功とも言えるのではないだろうか。
タルト生地が覆った林檎は、通常のものよりもとろけるように柔らかく、蒸されて甘味が増して最高なのだ。
本当は、焼きたてのものに冷たいアイスクリームとか乗せたら至福なんだけど、私があるのは簡単な水を出したり、火を着ける程度の魔力しかなく、物を冷やす程の力なんてない。
「ルーク君がいれば、それも可能だったんだけど……」
無意識の内に呟かれた言葉は、ぼんやりしていた私の耳には届かなかった。
鍋の中でシュワシュワと林檎の水分と、バターが反応してできた小さな泡が弾けると、美味しそうな匂いが喫茶室中に充満する。
ほんのりと林檎が透明になれば、お砂糖を投入して少しだけお砂糖が焦げてきたら、林檎と絡めて冷ましておく。その上からシナモンをひとふり。焦げると苦くなっちゃうからね。
「ちょっと味見を……あふっ!」
カラメルをまとった林檎は想像上に熱くて、はふはふと口に空気を送り込んで冷ますと、歯で果肉を突き立てる。
じゅわりと林檎の果汁が溢れ、それがカラメルとバターと混じって、えもいわれぬ濃密な味が口の中を蹂躙する。わずかなシナモンのスパイス辛さが、程よいアクセントになってて美味しい。
「んーっ! おいしいっ」
無意識に出た感想に、私は最近美味しいって感じた事がなかったのに気づく。
「ルーク君もこんなに美味しいの食べれなくて残念ね!」
わずかに生の部分が残った林檎のシャクシャクした食感を味わいながら、ここには居ない人に向けて悪態をつく。
せっかく彼が好きなシナモンを入れたのに、口にする事ができなくてかわいそう。
甘くて酸っぱくて、ほんのりとスパイスの効いた苦味のある林檎は、どこか彼に似ているな、と唇がほころぶ。
コクンと林檎を飲み込めば、頬にひんやりと冷たい何かが伝っているのに気づいてしまった。
「え……。なんで……」
駆け足のように進んでいく結婚の準備。
本心か分からない笑みで寿ぐ周りの人たち。
心が空虚だって分かってるのに、空元気でケーキを作ってる私。
本当は、ずっとずっとルーク君と一緒にこの場所でお菓子を作り続けていたかった。
「ううん。そうじゃない。ルーク君となら、場所はどこだって良かった……」
私は馬鹿だ。今頃になって、ルーク君がただの執事見習いではなく、私にとって隣に居て安心する存在になってると知ってしまった。
膝から崩れ落ち声なく慟哭する私の脳裏に繰り広げられたのは、ルーク君との出会いから、別れの口づけの瞬間がめくるめく流れていく。
あの瞬間、ほんのわずかの接触だったけど、あの優しい温もりだけははっきりと憶えている。
私と違う体温。両親ですらここまで距離を縮めなかった場所にある、彼の顔。吐息さえも触れ合う距離は、ずっと逃げ続けていた私に、恋という劇薬を与えたのだ。
「いやじゃなかった……」
むしろ彼がそこにいるのが自然とさえ感じた。
「もっと触れて欲しいだなんて、はしたないことさえ思ったんだよ。ルーク君」
「本当ですか? クロエお嬢様」
背中を包む体温とともに耳元で囁かれたの、ここにいないはずの人で……。
「……ルーク……くん……?」
顔を確かめようと首を後ろにひねりながらも、声も体温も彼だと言わなくても分かる。だけど、どうしても顔を見て安心したかった。
ゆっくり視界の端に入ってくる黒に似た紺の髪が、肩から滑り落ちて私の頬を撫でる。それは彼が愛おしそうに私の頬に触れるのに似ていて、思わず顔に熱が上がってしまった。
(は、恥ずかしい……!)
クロエ様、と赤い顔を隠すように俯いた私を不思議に思ったのか、ルーク君が私を背後から抱きしめたまま覗き込んでくる。
繊細なハーブの香りが身近にあり、本当にルーク君だと思うのと、この現状に恥ずかしさがこみ上げて、どうしたらいいのか分からなかった。
でも、とりあえずは。
「おかえりなさい。ルーク、くん」
羞恥で俯いたままだったけど、彼にそう告げたら。
「ただいま帰りました。クロエお嬢様」
唇が触れそうな距離で、ルーク君の甘みを含んだ声が耳の中へと滑り込んできたのだった。
それを幸いとばかりに、お父様はフランツ殿下との婚姻を駆け足で進めているようだ。
一ヶ月前には皆に惜しまれながら、喫茶室を閉鎖した。
中には最後の最後まで存続を望む声もあったけど、そもそも婚姻に賛成だったお父様とフランツ殿下の父であり、国王の後押しもあって、勢いは沈静化したのだった。
どう考えても、国のトップに逆らうなんて出来ないもんね。
「……ふう……」
私の部屋から見える小さな建物には誰もいない。
あれだけ毎日嬉々として出向いていた場所が、もう二度と近寄れない所になって、心の中もポッカリと空白がてきてしまっていた。
お父様曰く、喫茶室は私の輿入れと同じ頃に取り壊すそうだ。
なんとか交渉して、壊すまでの間、自由に使う権利は奪ったものの、余りにもルーク君との思い出が多すぎて、足が喫茶室に向かなかった。
「はあ……」
最近というより、ルーク君が姿を消してからというもの、ため息の数が数段増えてるのを自覚している。そして、こぼした息で湿った唇を意識すると、あの夜の出来事を思い出してしまい、悶絶したい気分でいっぱいになるのだ。
別に前世ではうぶな子供だった訳ではない。どっちかというと、アラサーだったし……って、自分で言っててへこむとか!
だから、あの時ルーク君がしてきた事以上の経験もある訳で……。
ただの皮膚の接触にも拘らず、どうして前世以上に胸がドキドキしてしまうんだろう。
「ああっ、もう! うじうじ悩んでる暇があるなら、お菓子を作ってやけ食いしちゃおう!」
どうせフランツ殿下が求めているのは、私の容姿や王妃としての能力云々じゃなくて、私の作る珍しいお菓子が外交に役立つって思っているからだろうから。
それなら、多少ウエストのサイズがどうにかなっても、問題ないんじゃない?
それに、戻ると言わなかったルーク君もどうだっていい。
こうなったら、離宮にオーブンとか持ち込んで王妃になってもお菓子作りしちゃえばいいんじゃないかな!
きっと、誰かが見たらやけくそって言いそうな程、今の私の心情は荒れに荒れていた。
気づいたら、思い出がありすぎて足が向かなかった喫茶室へと、足音鳴らしてまっすぐに向かっていたのだった。
「さて、何を作ろうかな」
途中、厨房に寄ってしこたま材料になるものを抱えて(性格にはお父様の命令で監視していたメイドが)やってきたものの、調理台に並ぶ材料を前に途方に暮れる。
案の定というか、ついてきたメイドは手伝う気はないようで、喫茶室の外で待つと告げて出て行ってしまった。
かろうじて簡単な清掃だけはしてくれたけども。
監視するのなら、別に手伝ってくれてもいいんじゃないかって思うんだけどね。
真っ白な小麦粉にみずみずしい林檎、それからバターにお砂糖と卵。
「あんまり体力のいるのじゃないのがいいよね。途中でへたばってもどうしようもないし」
林檎にバターに小麦粉に。それから卵とくれば、タルト……。
「いちいち別焼きするのも大変だから、タルトタタンにしちゃおう」
作るものが決まると、さっそくとばかりに林檎を皮がついたまま分厚くくし切りにして、たっぷりのバターで炒める。
タルトタタンというのは、元は林檎のタルトを作ろうとした女性が間違えた事からによる失敗作だと言われている。
だけど、この失敗は後世の人にとっては大成功とも言えるのではないだろうか。
タルト生地が覆った林檎は、通常のものよりもとろけるように柔らかく、蒸されて甘味が増して最高なのだ。
本当は、焼きたてのものに冷たいアイスクリームとか乗せたら至福なんだけど、私があるのは簡単な水を出したり、火を着ける程度の魔力しかなく、物を冷やす程の力なんてない。
「ルーク君がいれば、それも可能だったんだけど……」
無意識の内に呟かれた言葉は、ぼんやりしていた私の耳には届かなかった。
鍋の中でシュワシュワと林檎の水分と、バターが反応してできた小さな泡が弾けると、美味しそうな匂いが喫茶室中に充満する。
ほんのりと林檎が透明になれば、お砂糖を投入して少しだけお砂糖が焦げてきたら、林檎と絡めて冷ましておく。その上からシナモンをひとふり。焦げると苦くなっちゃうからね。
「ちょっと味見を……あふっ!」
カラメルをまとった林檎は想像上に熱くて、はふはふと口に空気を送り込んで冷ますと、歯で果肉を突き立てる。
じゅわりと林檎の果汁が溢れ、それがカラメルとバターと混じって、えもいわれぬ濃密な味が口の中を蹂躙する。わずかなシナモンのスパイス辛さが、程よいアクセントになってて美味しい。
「んーっ! おいしいっ」
無意識に出た感想に、私は最近美味しいって感じた事がなかったのに気づく。
「ルーク君もこんなに美味しいの食べれなくて残念ね!」
わずかに生の部分が残った林檎のシャクシャクした食感を味わいながら、ここには居ない人に向けて悪態をつく。
せっかく彼が好きなシナモンを入れたのに、口にする事ができなくてかわいそう。
甘くて酸っぱくて、ほんのりとスパイスの効いた苦味のある林檎は、どこか彼に似ているな、と唇がほころぶ。
コクンと林檎を飲み込めば、頬にひんやりと冷たい何かが伝っているのに気づいてしまった。
「え……。なんで……」
駆け足のように進んでいく結婚の準備。
本心か分からない笑みで寿ぐ周りの人たち。
心が空虚だって分かってるのに、空元気でケーキを作ってる私。
本当は、ずっとずっとルーク君と一緒にこの場所でお菓子を作り続けていたかった。
「ううん。そうじゃない。ルーク君となら、場所はどこだって良かった……」
私は馬鹿だ。今頃になって、ルーク君がただの執事見習いではなく、私にとって隣に居て安心する存在になってると知ってしまった。
膝から崩れ落ち声なく慟哭する私の脳裏に繰り広げられたのは、ルーク君との出会いから、別れの口づけの瞬間がめくるめく流れていく。
あの瞬間、ほんのわずかの接触だったけど、あの優しい温もりだけははっきりと憶えている。
私と違う体温。両親ですらここまで距離を縮めなかった場所にある、彼の顔。吐息さえも触れ合う距離は、ずっと逃げ続けていた私に、恋という劇薬を与えたのだ。
「いやじゃなかった……」
むしろ彼がそこにいるのが自然とさえ感じた。
「もっと触れて欲しいだなんて、はしたないことさえ思ったんだよ。ルーク君」
「本当ですか? クロエお嬢様」
背中を包む体温とともに耳元で囁かれたの、ここにいないはずの人で……。
「……ルーク……くん……?」
顔を確かめようと首を後ろにひねりながらも、声も体温も彼だと言わなくても分かる。だけど、どうしても顔を見て安心したかった。
ゆっくり視界の端に入ってくる黒に似た紺の髪が、肩から滑り落ちて私の頬を撫でる。それは彼が愛おしそうに私の頬に触れるのに似ていて、思わず顔に熱が上がってしまった。
(は、恥ずかしい……!)
クロエ様、と赤い顔を隠すように俯いた私を不思議に思ったのか、ルーク君が私を背後から抱きしめたまま覗き込んでくる。
繊細なハーブの香りが身近にあり、本当にルーク君だと思うのと、この現状に恥ずかしさがこみ上げて、どうしたらいいのか分からなかった。
でも、とりあえずは。
「おかえりなさい。ルーク、くん」
羞恥で俯いたままだったけど、彼にそう告げたら。
「ただいま帰りました。クロエお嬢様」
唇が触れそうな距離で、ルーク君の甘みを含んだ声が耳の中へと滑り込んできたのだった。
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