シャルパンティエ公爵家の喫茶室

藍沢真啓/庚あき

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Fromage et biscuits à base de plantes~チーズとハーブのクッキー

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「ルーク君。これを執事長に渡してもらえるかな?」

 喫茶室の休息日。
 休みだというのに朝から店の方でゴソゴソやっていたクロエお嬢様が、傍に侍ていた僕を呼んだかと思えば、蔓を編んだ素朴な籠を渡しながらそう言う。

「これは?」

 籠の上に白地に赤の格子が入ったクロスが掛かっており、中を確認することができない。だが、仄かに香ばしい香りがするから、多分焼き菓子なんだろう。

「以前、ルーク君に味見してもらったクッキーがあったでしょ? そこから改良を重ねたのが完成したの」
「味見……。ああ、あの強引に口に押し込められたチーズの……」
「もう! 変な所を思い出さないで!」

 確かに以前、塩味の効いたチーズ風味のクッキーを食べた事がある。いつもは甘味《かんみ》ばかり作るクロエお嬢様にしては珍しかったので、記憶に残っていたのだ。
 ぷくっと頬を膨らませ憤慨を見せるお嬢様に、僕は微かに唇を緩ませる。本当に可愛らしい。惚れた欲目ではなく、クロエお嬢様は美形の部類に入ると思う。
 ストロベリーブロンドの髪は艶やかで、その名のように苺の甘い香りを纏っている。コロコロと表情を変える瞳は新緑の緑に見つめられると、胸がドキドキしてしまうのだ。

「それに、この喫茶室を一日でも長く続ける為には、お父様に貢献しないとね」

 ふと、それまでの明るさに影がかかったかのように、クロエお嬢様は目を伏せ寂しげに告げたので、僕も「そうですね」と返したのだった。


 喫茶室の運営は、シャルパンティエ公爵の一言でどうにもなる。
 高価な砂糖も、王家の近侍を勤める公爵だからこそ、安易に入手できるものであり、公爵令嬢とはいえ、クロエお嬢様ではそれですら躓く事だろう。それほどまでに、クロエお嬢様の作るスイーツには砂糖が多く使われる。

 故にクロエお嬢様は時折、祖父の内緒の依頼──すなわち旦那様の試練を受ける。自分の価値を見せる為、それから、一日でも婚約の話を先延ばしする為に……。

「……本当、僕は何をやってるのだか」
「ぼんやりしてると、思わぬ怪我を負うぞ、ルーク」

 お嬢様からの預かり物を手に、思考の波間を漂わせつつ祖父の元を向かってる中、当の本人の声が背後から聞こえ、勢いよく振り返る。

「まだまだ執事としては認められない所作だな」
「……すみません。執事長」
「まあいい。それで、手に持っているのはクロエお嬢様からか?」

 もうじき七十歳になろうというのに、白髪を後ろに撫で付け、アイスブルーの双眸には、珍しい眼鏡というものを掛けている祖父は、年の割には背筋も伸びていて矍鑠《かくしゃく》している。
 その氷のような眼差しが、僕の手元に注がれているのを「そうです」とみじかに返す。

「じゃあ、持ったままついてきなさい」
「え?」

 このまま渡してしまえばいいのに、何故か祖父は僕について来いと言う。

「旦那様がお前に話があるそうだ」

 疑問を口にする前に耳に届いた言葉は、僕の頭を白くさせるには十分だった。



「やあ、ルーク。急に呼び出して済まないね」
「いえ。お気遣いくださり感謝いたします」
「そこに掛けなさい、ルーク」
「……はい。失礼します、旦那様」

 祖父に促され、旦那様の前に腰を下ろす。本来ならば使用人が主の前に座るなんて言語道断だと思うのだが、祖父が許可してるし、素直に座る事にする。

 僕の前では、旦那様が機嫌良くワインを嗜んでいる。ちらっと瓶を見るに、葡萄栽培で有名な領の当たり年のワインだろう。グラスの中で揺れるボルドー色は、まるでベルベットのようにしなやかだ。

「ルークも飲むかい?」
「いえ、申し出は大変ありがたいですが、まだ仕事が残ってますので」

 毅然と断りを告げると、旦那様は「そうか」としょんぼりと吐息を落とした。 

 そんな気まずい空気を割くように、祖父は皿に僕が持ってきたクロエお嬢様のクッキーを見栄え良く並べ、テーブルの上に静かに置く。こういった会話を遮らない動作は、僕も見習わないといけないな。

「これがクロエの新作か」
「はい、お嬢様に頼んでワインに合うものを、とお願いした次第です」
「では、早速いただくか」

 先ほどの重い空気を払拭するように、旦那様の顔が晴れ、皿の上に並ぶひとつを摘んでは、口に放り込む。
 ザクザクと咀嚼する音が部屋の中に流れる中、まるで自分の事のように旦那様の感想を待つ。

 以前、試食と言ってお嬢様が僕の口に直接食べさせてくれた、チーズ味のクッキーは、幾つかのアドバイスをしてからというもの、その後の経過を知らないからだ。

(普段は甘いものが好きなお嬢様からしてみれば、大人の男性が食べる菓子なんて無理難題に等しいしな……)

 だから僕がアドバイスしたのは、チーズ単体ではくどいし、飽きも来るだろうから、数種のハーブを入れてみてはどうかと告げた。
 幸い、屋敷の一角にお嬢様が幼少期から手入れをされてるハーブ園もある。
 どちらも癖があるものだから、取り合わせは悪くないと思ったのだが……。

「うーん、これはいいね。チーズの塩気と……これは乾燥ハーブを刻んだものかな。食感も味も申し分ないね」

 旦那様は言って、ワインを口に含む。僅かに見える唇の端は笑みに上がってるのを見て、僕の中にも安堵が広がる。

 途中から祖父も加わり、クロエお嬢様の新作を味わっていると、不意に旦那様が僕をじっと見て口を開いた。

「さて、ルーク。君がこの屋敷に来てそろそろ五年が経つのだが、まだあの件・・・は諦めてないのかい?」

 さらりと、しかし、僕のまだ癒えぬ傷を抉るような言葉が、脳に直接響いた。


 本来、執事見習いというのは、幾つかの段階を経て着任するのが通例だ。しかし僕は異例という異例で、執事見習いになり、特例でクロエお嬢様に侍る事になった。
 それは、僕が五年前に心に負った傷のせいだ。

 端的に言えば、王城の魔術士候補に合格した。だが、僕に突きつけられたのは不合格の通知。何故こんな事に、と祖父を通じて調べてもらえば、僕に与えられる席は、子爵の息子に取って替わられたということだ。
 元々多い魔力の素養を持つ僕が不安定になったせいで、一部の森を死に追いやってしまった。
 事件の大きさから、シャルパンティエ公爵が身元保証となり、祖父の元で僕は執事見習いとしてクロエお嬢様に仕える事になったのだ。

 お嬢様のおかげで、心は少しずつ癒えてたと思っていた。しかし、旦那様の言葉に、僕の胸の中で消えかけていた熾火がくすぶっていたのに気づいてしまった。

「諦めてはいないです。あんな不当な扱いを受けて諦めるなんてできません」
「そうだね。有り体に言えば横取りされた訳だしね。逆に簡単に諦めれるようなら、不可侵の森の一部とはいえ、死の森にしてしまわない筈だ」
「……」

 そう、僕の壊した森は、黒の王都と呼ばれる隣国の一部だった。こちらの王から謝罪の手紙を送ったそうだが、現黒の王は穏健派であり、護りに影響もなかったこともあり、不問とされたそうだ。
 おかげで、祖父の監視の元、こうしてある程度の自由の中動けるのだが……。

「ところでルーク。現在、こんな話が持ち上がっている。君が奪われた魔術士候補にひとつ空きが出た。元は君から奪った子爵子息が思ったよりも魔力量が少なく、このままでは落第判定をされるらしく、その前に辞退したそうだ。……で、不可侵の森の一部とはいえ、草木も生えぬ程壊した魔力量を持つ君に白羽の矢が立ったのだが、君はどうするかな?」
「……え?」

 突然湧いた話に、僕は戸惑うしかない。

(僕が……魔術師になれる……? でも、この屋敷を離れたら、お嬢様は、喫茶室はどうなる? 僕は……僕は……)

「僕……いえ、私は……」

 どうして躊躇うのか。ここで受けると言えば、長年なりたかった魔術士の一歩を踏み出せるというのに。

 首肯できないままでいると、旦那様はクッキーをひとつ食べたあと、こう切り出した。

「ただし条件がある。来週お忍びで第一王子であるフランツ様が店に来る。これは事実上の見合いだ。そこで、クロエにフランツ様と懇意になるよう動きなさい。それが成功すれば、晴れて君は魔術士への扉が開かれる」
「っ!」

 それは、僕が仲立ちして、お嬢様に王子をけしかける意味が含まれる。
 口には出さないが、お嬢様は結婚に否定的だ。そして、僕はお嬢様に心惹かれている。

「その日は私が店を貸切にしよう。ルーク、君が自分の未来を選ぶ事に期待してるからね」

 お嬢様と同じ淡い緑の瞳を細め笑う旦那様を前に、僕は絶望に立たされていたようだった。

「私は……、私は……」

 口の中で香るハーブの香りが強くて、言葉がどうしても出なかった──
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