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転生先は自作小説の世界でした
何かを成し得ることは心を温かく染めること
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クリストフ・ヴェラ・ガルニエとカールフェルド・ヴェラ・ガルニエは、私の前の世界で書いていた小説の登場人物である。
この二人、実は双子で、兄のクリストフが王太子で、カールフェルドが第二王子という立ち位置にいる。
だけど、小説のスタート地点である学園入学時にはクリストフは王太子、カールフェルドは騎士団に入隊が決定しており、後に父の部下になる予定……というのが、当時考えていた設定だ。
「お兄さま」
「……なに?」
「ちょーっとお話したいのですが、よろしいでしょうか?」
何故、あの前触れもなく王家の人が二人も来たのか分からん。しかもクリストフ王子に至っては二度目。
これは偶然と呼ぶには些か不審である。
私は呆然としている父をひとまず置いて、兄の傍に寄ると離れた場所へと引っ張っていく。どうやら何を言われるのか薄々気づいているらしい兄は、顔を引きつらせながらも特に抵抗もせずについてきてくれた。
「まずは説明していただけるでしょうか」
にっこり微笑んでみれば、兄は一瞬たじろいだ顔をしたものの、諦めたように説明しだす。
リナを伴い父を待っていたら、ガイナス情報で得た時間に父が帰宅したそうだ。そのまま彼一人なら当初の計画どおり誘導しようとしたらしい。だが何故か予定外の二人――王太子と第二王子――が一緒に居て、なんとか追い返そうと奮闘したものの、高貴な存在である二人を無下にもできなくて、渋々一緒に連れてきたそうである。
「……本当に、あの二人が来たのは偶然なんですか?」
「も、もちろん」
「……」
「……」
「……もう一度訊きます。ほんっとーに、あの二人はたまたま、偶然に、何の情報もなく、こちらにいらっしゃったんですよ……ね?」
「……ごめん。クリスにちらっと話した……かも、しれない……」
やっぱり予想通り。
元来この計画は、少人数しか知りえないものなのだ。普段城に勤務してる父だけでなく、ここのところ一緒に時間を過ごす事の多かった母ですらも、知りえない情報なのだ。
つまり、計画を知っていて、なおかつあの二人と懇意をしている人物は、どう考えても兄以外にはいないのであった。
それほど漏洩した人物は明確にも拘らず、兄は誤魔化そうとしたのである。
「はぁ……。もういいです。来ちゃったものを追い返すのも、外聞にも差し障りありますもの」
深々と、それはもう諦めが具現化しように深々と溜息を吐いた私は、承諾したくなかったけど、これ以上どうしようもないと判断し、幕引きを呟く。
「本当かい、アデイラ」
「ただし」
流石にここで完全降伏するのもしゃくに障ったので、一言だけ宣言することにした。
「次に同じような事があった場合は、二度とお兄さまには面白い事があっても参加を拒否しますからね! あと、今後はあの二人に話す前にご相談くださいませ!」
某裁判ゲームのようにビシッと兄に指差し、毅然と言い切った私に、
「アデイラ、クリスは婚約者だよね? どうして、そうも毛嫌いするのかな」
どこか納得していないような顔で、そう切り出してきたのだった。
リオネル兄さまは、私が別の世界からの転生者という話しはしてあった。しかし、この世界が私が書いた小説の中の世界で、これから訪れるであろう物語については話してなかったのである。
つまりは、私がけんもほろろに婚約者であり、このガルニエ王国の王太子であるクリストフを避ける真似をしている理由が、本当に分からなくて尋ねてきたのであろう。
「べ、別に毛嫌いなんてしてませんわ」
「本当に?」
「ホントに本当です。これでも公爵令嬢としての役割くらい分かってますわ」
臣民というのは、いつの世界でも王を支える存在なのは、色んな異世界転生小説を読んでて知ってる。まさか、自分が同じ境遇になるとは思ってなかったけど。
「とりあえず、お兄さまはあの王家兄弟のお相手をお願いします。私はそろそろお母さまの様子も見に行かなくてはいけませんもの」
これ以上の追求はされたくなくて、私は兄に父と王太子たちの相手を任せると、そそくさと母の部屋へと急いだのだった。
.。*゚+.*.。 ゚+..。*゚+
リオネルは走り去っていく妹の背中を見送り、そっと息を吐く。
妹は――彼女は地球という異世界から来た訪問者だと、以前話しを聞いた。
そもそも、その経緯に至ったのも、リオネルが普段引きこもっているアデイラが何を思ってか食堂まで降りてきたのに気づかずに出会った事から始まる。
最初は珍しい気まぐれかとおもっていたリオネルに、彼女は自分がこの世界の人間ではないこと、そして断言はしなかったものの、それ相当の年齢の女性である事を明かしてくれたのだ。
「最初は好奇心からだったんだけどね……」
彼女は、これまでの引きこもり状態だった人物が急に活発に行動した為に、周囲を驚かせながらも、色々――ちまき作りだったり今回の餅つき会だったり――と企画し、周りを笑顔にしてくれた。
だからこそ興味をそそられたし、なによりも自分が成し得なかった両親のすれ違いをアデイラが壊してくれるだろうと期待をしたのである。
きっと、幼い頃からの願いはもうじき実を結ぶだろう。
この数週間、毎日父の為にキッシュを練習する真剣な母の姿を見て確信に近いものを感じた。
リオネルはそんな妹を自慢したくて、将来の主であり、義理の弟になる予定であり、友人でもあるクリストフについつい話してしまったのだった。
「君は信じないかもしれないけど、僕は君を本当に可愛い妹だと思っているんだよ」
完全に姿のなくなった妹の背中に想いを乗せた言葉を投げかけると、リオネルはみんなの居る所へと足を向けた。
「リオネル!」
ふと、正面から自分を呼ぶ声に、俯きがちだった顔を上げると、こちらに駆けてくる友人のクリストフとカールフェルドの姿を認める。
クリスは今回身分を隠したつもりなのか、白シャツにズボン、紺色の長めのカーディガンを羽織っていたものの、高貴な雰囲気まで隠せてなくどこかちぐはぐに感じる。
同じようにこちらは深い緑のカーディガンのカールも、いくらかクリスよりは威厳はないにしても、同じ王族としての気品の良さが滲み出ていた。
しかも、二人は一卵性の双子なのだ。ぱっと見どちらがどちらか分からないけど、最近カールが父を師事して剣の稽古をするようになったからか、どこか精悍さを纏うようになり、少しずつではあるが見分けがはっきりできるようになっていた。
「クリス……。本当頼むから、来る前に連絡くらいしてくれないかな」
「すまない。だが、リオネルが悪いんだぞ。アデイラ考案のモチという話しをしなければ、僕も今日来るつもりはなかったんだ」
「それはただの言い訳ですよ、クリス。あと、カールもちゃんとクリスを止めないと……」
「ははっ、ごめんリオネル。クリスの言い分じゃないけど、俺もアデイラちゃんに興味あったし、モチという初めて聞く食べ物にも食指が動いちゃったんだよね」
一本気なクリスと優柔不断なカール。同じ顔をしてるのに、見分けがつく理由に、彼らの持つ性格の隔たりも理由にあるかもしれない。
リオネルは溜息が出そうになるのをこらえ、
「まあ、何とかアデイラから許可は取りましたが、後でお二人共謝ってくださいね。本当は両親の為に企画した催しなので」
これ以上諭しても拉致があかないと知っていたリオネルはそう言って、二人をみんなが待ってるであろう場所へと導いた。
.。*゚+.*.。 ゚+..。*゚+
母がいるであろう厨房に顔を覗かせると、先ほどまで靄に包まれていた厨房は、みんな裏庭に出ている為、彼女一人がひっそりと作業をしていた。
「お母さま」
今はほうれん草を洗っていたのだろう。水の流れる音に消えないよう声をかけると、母はビクンと肩を跳ねたのち、ゆっくりと振り返り「アデイラ?」と声を出す。今日も母は可憐で可愛い模様。
「そろそろ始められるかと思って、様子を見に来ちゃいました」
「ええ。先ほどまでジョシュアたちが何か蒸し物のような物を作ってたけど、みんなそれを持って出払ったから。ねえ、裏庭で何かやってるの? 先ほどから賑やかな声が聞こえているわ」
流石に「お父さまとお母さまの仲直り会ですよ」とは言えず、
「ええ、ちょっと珍しいものが手に入ったので、それを使って食べようかな、と」
曖昧に濁すにとどめた。
私は調理台の近くにあった無骨な椅子に腰を下ろし、母の作業工程を眺める。
まだ慣れない部分はあるけども、今回は一人で作り切る事に意味があるので、私からは一切口出しも手出しもしないと決めている。
母が一人でキッシュを作る事に意味があるって分かるから。
前の人生で、似たような経験をした事がある。
長年病院暮らしで、ほとんど学校は行ってなかったけど、高校はちゃんと行きたくて頑張った。しかし入学式で倒れて以来一度も登校できずに、結局二学期の途中で退学したんだけど……。
それで、一学期の夏休み前、担任の先生が私にひとつの課題を言い渡したのだ。
「誰の手も借りず、あなた一人で何かひとつ物を作成しなさい。そうすれば、家庭科の成績だけは免除します」
入学式前の顔合わせの時、なんて冷たそうな厳しい担任だと思ってた。多分、言動に感情が乗ってないせいもあったかもしれない。
だからこそ学科免除という意味が理解できず、ポカンとしてしまったのだ。
「分かりましたか? また夏休み最終日前日に来ますので、その時に提出してくださいね」
「はあ……」
私の気の抜けた返事の後、担任は折り目正しく挨拶して帰っていった。
そして、扉が閉まる音の中「どうしよー」と困惑したのである。
普段ベッドに縛られる生活を送ってた私にできる事なんてほとんどない。小学、中学は義務教育だったから、実技系の授業自体しなくても良かったし、座学系はベッドでもやれる事なので、そこそこの評価をもらって卒業したのだけど……。
結局、担当看護師さんに泣きついた。彼女が提案してくれたのは、キルト作成で、最初はぶきっちょも相まってたかが波縫いすらもガタガタに歪んだけど、誰の手も借りず、最終的にはベッドカバーを作り上げる事ができたのだ。
達成感といったら尋常ではないレベル。おかげで熱が出て二日ほど寝込んだくらい。
まあ、完成度は完璧にほど遠かったけど、ナチュラル系にまとめた生地で作られたカバーは、とても可愛くて、病院のみんなが褒めてくれた。
そして夏休み最終日。約束通りに担任が現れ、私が頑張って作った作品をまじまじと見つめた後、
「よく一人で頑張りましたね」
そう言って、担任は私の頭をそっと撫でてくれたのであった。
結局、家庭科は免除になったものの、今後学校生活を送るのは難しいだろうとの医師の見解により、せっかく入試を受けたにも拘らず、二学期の途中で退学することになったのである。
だからこそ、お母さまにはお父さまの為に全てを一人で成して欲しい。受け入れるかどうか分からないけど、何かのきっかけになればいいと思ってるのだ。
「お母さま、頑張ってくださいね」
そして、完成した暁には、昔私がしてもらったように、お母さまの頭を撫でてあげようと心に決めたのだった。
この二人、実は双子で、兄のクリストフが王太子で、カールフェルドが第二王子という立ち位置にいる。
だけど、小説のスタート地点である学園入学時にはクリストフは王太子、カールフェルドは騎士団に入隊が決定しており、後に父の部下になる予定……というのが、当時考えていた設定だ。
「お兄さま」
「……なに?」
「ちょーっとお話したいのですが、よろしいでしょうか?」
何故、あの前触れもなく王家の人が二人も来たのか分からん。しかもクリストフ王子に至っては二度目。
これは偶然と呼ぶには些か不審である。
私は呆然としている父をひとまず置いて、兄の傍に寄ると離れた場所へと引っ張っていく。どうやら何を言われるのか薄々気づいているらしい兄は、顔を引きつらせながらも特に抵抗もせずについてきてくれた。
「まずは説明していただけるでしょうか」
にっこり微笑んでみれば、兄は一瞬たじろいだ顔をしたものの、諦めたように説明しだす。
リナを伴い父を待っていたら、ガイナス情報で得た時間に父が帰宅したそうだ。そのまま彼一人なら当初の計画どおり誘導しようとしたらしい。だが何故か予定外の二人――王太子と第二王子――が一緒に居て、なんとか追い返そうと奮闘したものの、高貴な存在である二人を無下にもできなくて、渋々一緒に連れてきたそうである。
「……本当に、あの二人が来たのは偶然なんですか?」
「も、もちろん」
「……」
「……」
「……もう一度訊きます。ほんっとーに、あの二人はたまたま、偶然に、何の情報もなく、こちらにいらっしゃったんですよ……ね?」
「……ごめん。クリスにちらっと話した……かも、しれない……」
やっぱり予想通り。
元来この計画は、少人数しか知りえないものなのだ。普段城に勤務してる父だけでなく、ここのところ一緒に時間を過ごす事の多かった母ですらも、知りえない情報なのだ。
つまり、計画を知っていて、なおかつあの二人と懇意をしている人物は、どう考えても兄以外にはいないのであった。
それほど漏洩した人物は明確にも拘らず、兄は誤魔化そうとしたのである。
「はぁ……。もういいです。来ちゃったものを追い返すのも、外聞にも差し障りありますもの」
深々と、それはもう諦めが具現化しように深々と溜息を吐いた私は、承諾したくなかったけど、これ以上どうしようもないと判断し、幕引きを呟く。
「本当かい、アデイラ」
「ただし」
流石にここで完全降伏するのもしゃくに障ったので、一言だけ宣言することにした。
「次に同じような事があった場合は、二度とお兄さまには面白い事があっても参加を拒否しますからね! あと、今後はあの二人に話す前にご相談くださいませ!」
某裁判ゲームのようにビシッと兄に指差し、毅然と言い切った私に、
「アデイラ、クリスは婚約者だよね? どうして、そうも毛嫌いするのかな」
どこか納得していないような顔で、そう切り出してきたのだった。
リオネル兄さまは、私が別の世界からの転生者という話しはしてあった。しかし、この世界が私が書いた小説の中の世界で、これから訪れるであろう物語については話してなかったのである。
つまりは、私がけんもほろろに婚約者であり、このガルニエ王国の王太子であるクリストフを避ける真似をしている理由が、本当に分からなくて尋ねてきたのであろう。
「べ、別に毛嫌いなんてしてませんわ」
「本当に?」
「ホントに本当です。これでも公爵令嬢としての役割くらい分かってますわ」
臣民というのは、いつの世界でも王を支える存在なのは、色んな異世界転生小説を読んでて知ってる。まさか、自分が同じ境遇になるとは思ってなかったけど。
「とりあえず、お兄さまはあの王家兄弟のお相手をお願いします。私はそろそろお母さまの様子も見に行かなくてはいけませんもの」
これ以上の追求はされたくなくて、私は兄に父と王太子たちの相手を任せると、そそくさと母の部屋へと急いだのだった。
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リオネルは走り去っていく妹の背中を見送り、そっと息を吐く。
妹は――彼女は地球という異世界から来た訪問者だと、以前話しを聞いた。
そもそも、その経緯に至ったのも、リオネルが普段引きこもっているアデイラが何を思ってか食堂まで降りてきたのに気づかずに出会った事から始まる。
最初は珍しい気まぐれかとおもっていたリオネルに、彼女は自分がこの世界の人間ではないこと、そして断言はしなかったものの、それ相当の年齢の女性である事を明かしてくれたのだ。
「最初は好奇心からだったんだけどね……」
彼女は、これまでの引きこもり状態だった人物が急に活発に行動した為に、周囲を驚かせながらも、色々――ちまき作りだったり今回の餅つき会だったり――と企画し、周りを笑顔にしてくれた。
だからこそ興味をそそられたし、なによりも自分が成し得なかった両親のすれ違いをアデイラが壊してくれるだろうと期待をしたのである。
きっと、幼い頃からの願いはもうじき実を結ぶだろう。
この数週間、毎日父の為にキッシュを練習する真剣な母の姿を見て確信に近いものを感じた。
リオネルはそんな妹を自慢したくて、将来の主であり、義理の弟になる予定であり、友人でもあるクリストフについつい話してしまったのだった。
「君は信じないかもしれないけど、僕は君を本当に可愛い妹だと思っているんだよ」
完全に姿のなくなった妹の背中に想いを乗せた言葉を投げかけると、リオネルはみんなの居る所へと足を向けた。
「リオネル!」
ふと、正面から自分を呼ぶ声に、俯きがちだった顔を上げると、こちらに駆けてくる友人のクリストフとカールフェルドの姿を認める。
クリスは今回身分を隠したつもりなのか、白シャツにズボン、紺色の長めのカーディガンを羽織っていたものの、高貴な雰囲気まで隠せてなくどこかちぐはぐに感じる。
同じようにこちらは深い緑のカーディガンのカールも、いくらかクリスよりは威厳はないにしても、同じ王族としての気品の良さが滲み出ていた。
しかも、二人は一卵性の双子なのだ。ぱっと見どちらがどちらか分からないけど、最近カールが父を師事して剣の稽古をするようになったからか、どこか精悍さを纏うようになり、少しずつではあるが見分けがはっきりできるようになっていた。
「クリス……。本当頼むから、来る前に連絡くらいしてくれないかな」
「すまない。だが、リオネルが悪いんだぞ。アデイラ考案のモチという話しをしなければ、僕も今日来るつもりはなかったんだ」
「それはただの言い訳ですよ、クリス。あと、カールもちゃんとクリスを止めないと……」
「ははっ、ごめんリオネル。クリスの言い分じゃないけど、俺もアデイラちゃんに興味あったし、モチという初めて聞く食べ物にも食指が動いちゃったんだよね」
一本気なクリスと優柔不断なカール。同じ顔をしてるのに、見分けがつく理由に、彼らの持つ性格の隔たりも理由にあるかもしれない。
リオネルは溜息が出そうになるのをこらえ、
「まあ、何とかアデイラから許可は取りましたが、後でお二人共謝ってくださいね。本当は両親の為に企画した催しなので」
これ以上諭しても拉致があかないと知っていたリオネルはそう言って、二人をみんなが待ってるであろう場所へと導いた。
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母がいるであろう厨房に顔を覗かせると、先ほどまで靄に包まれていた厨房は、みんな裏庭に出ている為、彼女一人がひっそりと作業をしていた。
「お母さま」
今はほうれん草を洗っていたのだろう。水の流れる音に消えないよう声をかけると、母はビクンと肩を跳ねたのち、ゆっくりと振り返り「アデイラ?」と声を出す。今日も母は可憐で可愛い模様。
「そろそろ始められるかと思って、様子を見に来ちゃいました」
「ええ。先ほどまでジョシュアたちが何か蒸し物のような物を作ってたけど、みんなそれを持って出払ったから。ねえ、裏庭で何かやってるの? 先ほどから賑やかな声が聞こえているわ」
流石に「お父さまとお母さまの仲直り会ですよ」とは言えず、
「ええ、ちょっと珍しいものが手に入ったので、それを使って食べようかな、と」
曖昧に濁すにとどめた。
私は調理台の近くにあった無骨な椅子に腰を下ろし、母の作業工程を眺める。
まだ慣れない部分はあるけども、今回は一人で作り切る事に意味があるので、私からは一切口出しも手出しもしないと決めている。
母が一人でキッシュを作る事に意味があるって分かるから。
前の人生で、似たような経験をした事がある。
長年病院暮らしで、ほとんど学校は行ってなかったけど、高校はちゃんと行きたくて頑張った。しかし入学式で倒れて以来一度も登校できずに、結局二学期の途中で退学したんだけど……。
それで、一学期の夏休み前、担任の先生が私にひとつの課題を言い渡したのだ。
「誰の手も借りず、あなた一人で何かひとつ物を作成しなさい。そうすれば、家庭科の成績だけは免除します」
入学式前の顔合わせの時、なんて冷たそうな厳しい担任だと思ってた。多分、言動に感情が乗ってないせいもあったかもしれない。
だからこそ学科免除という意味が理解できず、ポカンとしてしまったのだ。
「分かりましたか? また夏休み最終日前日に来ますので、その時に提出してくださいね」
「はあ……」
私の気の抜けた返事の後、担任は折り目正しく挨拶して帰っていった。
そして、扉が閉まる音の中「どうしよー」と困惑したのである。
普段ベッドに縛られる生活を送ってた私にできる事なんてほとんどない。小学、中学は義務教育だったから、実技系の授業自体しなくても良かったし、座学系はベッドでもやれる事なので、そこそこの評価をもらって卒業したのだけど……。
結局、担当看護師さんに泣きついた。彼女が提案してくれたのは、キルト作成で、最初はぶきっちょも相まってたかが波縫いすらもガタガタに歪んだけど、誰の手も借りず、最終的にはベッドカバーを作り上げる事ができたのだ。
達成感といったら尋常ではないレベル。おかげで熱が出て二日ほど寝込んだくらい。
まあ、完成度は完璧にほど遠かったけど、ナチュラル系にまとめた生地で作られたカバーは、とても可愛くて、病院のみんなが褒めてくれた。
そして夏休み最終日。約束通りに担任が現れ、私が頑張って作った作品をまじまじと見つめた後、
「よく一人で頑張りましたね」
そう言って、担任は私の頭をそっと撫でてくれたのであった。
結局、家庭科は免除になったものの、今後学校生活を送るのは難しいだろうとの医師の見解により、せっかく入試を受けたにも拘らず、二学期の途中で退学することになったのである。
だからこそ、お母さまにはお父さまの為に全てを一人で成して欲しい。受け入れるかどうか分からないけど、何かのきっかけになればいいと思ってるのだ。
「お母さま、頑張ってくださいね」
そして、完成した暁には、昔私がしてもらったように、お母さまの頭を撫でてあげようと心に決めたのだった。
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