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転生先は自作小説の世界でした

後悔と反省と(エミリア視点)

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「そうですお母さま! とても上手にできましたわ!」

 例えるのなら、花が綻ぶような笑みというのは、こういう事を言うのだろう。
 透き通るような銀の髪とアイオライトのような綺麗な紫の瞳が、ふんわり笑うと私の心も仄かに温かみを帯びる。

 娘のアデイラ指南の元、旦那様の好物というキッシュ作成の指導を受けて一ヶ月ほど。
 最初は作業工程のほとんどをアデイラがするという、母親としてかなり落ち込んだりする事象も起きたものの、毎夜秘密の特訓をしている内にさほどアデイラの手を借りる事もなく、一人でキッシュを作れるようになっていた。

「あ、でも、もうちょっとミルクを少なめにすると、プリンみたく柔らかくならなくていいかもですね」

 手の中にあるキッシュ皿に視線を落とすと焼きたてのせいかフルフルと表面が波打つ。以前、家の厨房長が作ってくれたものよりも柔らかと見て分かる。

「……そうね。次はもっと頑張らなくてはね」

 そう反省を零すと、アデイラは「もっと自信を持ってください」と、小さな両手を固く握っては、私を応援してくれた。

「ところで、お母様、アデイラ。こっちもそろそろ焼き上がりそうだけど」

 娘の愛らしさにほっこりしていると、背後から私のもう一人の子供である長子のリオネルが声を掛けてきた。

 彼が突然、アデイラと姿を現した時、私は戸惑い以上に動揺してしまった。同じようにアデイラが私の秘密の特訓に声を掛けてきた時も、よくも悲鳴をあげなかったものだと思ったものだ。


 旦那様である ヴァン・マリカ・ドゥーガンの好物である燻製肉とほうれん草のキッシュを作る事になったのは理由がある。私が素直になれず間違いを犯したからだ。
 旦那様は光に透かすと黄金に見える薄茶の髪に、灰青色の瞳を持つ美丈夫で、私より八歳上の体格の良い男性だ。
 彼は元々騎士団の副長で、現国王である兄の友人でもあった。
 表向きは王族と底流貴族の子という関係だったために、秘密の付き合いだったらしいが……。
 そのような関係であった旦那様と私が出会ったかというと、私が十の頃だったか。
 唐突に兄に誘われ、その時に護衛で付き添ってくれたのが、旦那様だったのである。
 その後紆余曲折があって、私は旦那様に恋をしたものの、彼は底流貴族。当然、周囲は猛反対で、賛成してくれたのは今は皇太后の母と兄だけだった。何とか私が降嫁できたのは、数年前に起こった遠方での戦争の功績があったから。
 旦那様は何度も報奨を辞退していたそうだけど、兄の鶴の一声があって、親友の言葉に渋々ながらも受けたそうである。

 結婚をして初日の夜。いわゆる初夜に、私はとんでもない……今にして思えば自分を叱責したい程の失態をしてしまったのだ。

「あなたに顔を見られたくありません」

 正直、あれはなかった、と今でも反省する案件だ。
 本当は、事を終えて旦那様は破瓜を散らせた私を慮って気遣ってくれようとしたのは、ちゃんと理解していたのだけども、初めての痛みで涙や汗でぐちゃぐちゃな顔を見られたくなくて、思わずあんな言葉が出てしまった。
 何とか軌道修正をはかろうと色々やってみたけど、あの初夜の一回でリオネルを授かり、悪阻やら日々変わっていく体型を旦那様に見られたくない乙女心もあって、結局リオネルが産まれるまで疎遠になってしまったのである。
 だけど、再度修復をしようと思ったの。

「私、女の子が欲しいのです」

 久々に早く帰宅した旦那様と、これまた久々に寝室をともに出来る喜びで、一番大事な事をすっ飛ばして、次の子供をせがんでしまったの。
 あの時の旦那様は、怪訝に顔を歪めながらも「分かった」とたった一言を言って、私を愛してくださったわ。
 だけど、私はその最中に気づいてしまった。旦那様がとても苦しそうな顔で、事が終えてすぐに深い溜息を零してしまったのを。

 ああ、私は本当は愛されてなかったのだ、と今更ながら気付き、勝手に傷心してしまったのだ。

 そして、私は再び妊娠をしてしまい、また旦那様と疎遠になってしまった。

 アデイラが産まれた時には、私も慣れない育児と努力が空回りしてしまうのを繰り返していたせいで、積極的に旦那様と関わらろうとしなくなっていた。
 多分、その冷えた夫婦関係が周囲に知られたのだろう。
 私達は惰性と妥協で子を成した偽りの夫婦であると、影ながらに囁かれるようになってしまっていた。

 帰らない旦那様。一人で寝るには広過ぎるベッド。
 子供達は愛おしい。でも、心は疲れてしまった。

 そんな時、私の乳母だった女性が、気分転換に遊びに来てはどうかと誘いの手紙が舞い込んできた。
 正直、すぐにも飛びつきたかったけど、私は二人の子供の母。安易に出かける事もできないし、ドゥーガン家の運営も夫人としてしなくてはいけない。
 思い悩んだ私の背中を押してくれたのは、旦那様の昔馴染みで片腕のガイナスはじめ、家に仕える者たちだった。
 結婚当初、彼らは私を敬ってくれたが、それは高貴な客人に対するもので、居心地が悪かった。
 元来天の邪鬼な部分もあり、お互い相容れないまま今日まで来たと落胆もしたが、どうやら彼らも同様の気持ちだったらしい。
 だからといって一朝一夕で関係がガラリと変わった訳ではなく、みんなで手探りの中関係を浸透させたのだ。
 旦那様と子供達を置き去りにして……。
 穏やかな日々の中、厨房長が旦那様の好みを教えてくれ、ガイナスからは乳母のところへの訪問を快く受け入れてくれた。
 表向きは旦那様だけでなく家の者とも冷えた関係を築き、毎夜遊びに耽る公爵夫人。それが私を評する全てだった。

 実際は乳母の家へとおもむいては、遅まきながら花嫁修業に明け暮れていた。

「……おひいさまは、家事が壊滅的ですわね……」

 母と友人で、私の乳母である初老の女性――メアリは、頬に手を添えて苦笑を漏らしていた。
 私の目の前には真っ黒になって原型の分からないキッシュだったもの。
 包丁を差し入れてみると、ゴゾ、と食べ物として有り得ない音がキッチンに広がる。

「……」

 一体なにが原因なのか。
 もう何度も諦めてしまおうとする度、想い止めさせたのは旦那様に食べてもらいたいという情熱。
 しかし思いとは裏腹に、失敗ばかりが続き、心が折れてしまいそうだった。

 普段、日中は内勤の事務仕事をガイナスとこなしてから、秘密の特訓へと出かけるため、いつも夕方から明け方近くにメアリの家にお邪魔していたのだけど、

「メアリは、いつもこんなに遅くに私が訪ねても伯爵に怒られないの?」

 メアリが丹精込めて作ったほうれん草の土を水で落としながら、私はそう尋ねれば。

「大丈夫ですわ、おひいさま。不敬かもしれませんが、主人もおひいさまを娘のように思ってますから」

 そう言って目尻に深い皺を刻むメアリに、私は苦笑で返すしかなかった。

 実は何度かメアリの思いやりに胸が痛み、これで終いに、と言った事がある。だけどメアリも御夫君である伯爵も自分たちには息子しかいなかったので、自分が来てくれるだけでも嬉しいと、再来を約束させられるのだ。
 王妃として職務を全うしている母よりも母らしい母性に満ちた人。
 私は固辞しなくてはと思いながらも、ずるずると甘えてしまい、気づけば数年の時が経っていた。

 それではいけないと厨房長に相談して、彼らが作業に入るまでの束の間、私は自宅でも特訓しようとしたのだけど。

「お母さま、待ってください!」

 まだ明けぬ夜中の厨房に飛び込んできたのは、銀の髪と紫の瞳を持つ、可愛らしいわが娘だった。



「なんとかギリギリですが、間に合ったようですね」

 ふわりと湯気の立つキッシュの乗った皿を眺め、アデイラは家庭教師の様に告げる。お皿には多少不格好さは否めないものの、狐色に焼き色の中にほうれん草の緑と燻製肉の茶色が鮮やかに顔を覗かせるキッシュがあった。

「とても美味しいですよ、お母様」

 アデイラの隣では、林檎と固くなったパンを用いたキッシュに似た甘いお菓子。娘は「パンプティング」と言ったか。材料がほとんど同じなのもあり、こちらも指南してもらいながら作ったものだ。

 私は息子と娘の笑顔に包まれ、ほうれん草と燻製肉のキッシュを一口食べる。
 濃厚なミルクと卵の生地の中にほうれん草の苦味と燻製肉の凝縮された旨みが口の中に馥郁と広がる。ほんのり塩味とパイ生地のバターの香りとザクリとした食感が楽しい。
「良かった。美味しく出来たわ」

 ほっと息を零し、淹れたての紅茶で一度舌をさっぱりさせてから、パンプティングへとフォークを落とす。こちらは牛乳が多いからか、キッシュに比べると生地が柔らかく、抵抗なく切り分けられる。
 ぱくりと口に入れてみれば、甘く優しい味と林檎のしゃくりとした食感、硬かったパンが生地に染みてふやけて、じゅわりと幸せが口腔に広がる。

「あふっ」

 まだ焼いて時間が経ってないからか熱くて、思わず紅茶で舌を冷やす。私の母親らしくない行動に、子供達はとても微笑ましく見ている。私も嬉しくて笑みを深めていた。

「さて、そろそろ片付けないと、厨房長たちが起きてしまいますわ」

 全てが食べ終えてしばらくすると、アデイラから閉会の言葉が告げられる。なんでも今日はアデイラが考えた催しをするらしく、いつもより早く厨房長たちもこちらへ来ると、ガイナスが言っていたのを思い出した。

「そういえば、なにかやるそうね?」
「ええ、アデイラが……ふがっ」
「な、なんでもありませんわ! それよりも、今日は昼前には厨房が空きますので、お母さまにはキッシュを焼いて、裏庭に来て欲しいのです」

 リオネルが何か言いかけたけど、アデイラの小さな手がしっかりと鼻と口を塞いでる。意図が分からなくて私は首を傾げるしかなかったのだった。
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