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新しい仲間と甘くてしょっぱい感情

殿下は決意しました(クリストフ視点)

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 こまった。

 俺──クリストフ・ヴェラ・ガルニエは最大に困惑中だ。

 季節外れの水浴びによる風邪で寝込んでいた俺のもとに、婚約者兼友人(正直、友人以上の感情がある)アデイラ・マリカ・ドゥーガンが彼女の兄で将来片腕予定のリオネル・マリカ・ドゥーガンと共に見舞いに来てくれ、アデイラからプリンを貰ったから一緒に食べてたのだが。

 何故か突然アデイラが号泣してしまい、現在ベッドに上半身を伏せてわぁわぁと泣いているのだ。

 普段は有り余るほど元気に屋敷を駆け回り、小さな手から生み出す魔法のような美味しい食べ物は、母上だけでなく貴族、果ては民にまで浸透。ドゥーガン家の令嬢が国の食文化まで変えようとしているのでは、と一部の貴族からアデイラとの婚約を破棄しては? とか囁いてくる奴らもいる。

 馬鹿か。婚約破棄なんぞしたら、虎視眈々と自分の娘を宛がう位、アホでも想像つくだろうに。
 それ以前に、誰がアデイラと婚約破棄なんかするわけないだろう。

 天真爛漫で人間味溢れながらも、心優しい俺の婚約者。
 確かに貴族らしくはないが、周囲を明るくしてくれる彼女に、いつしか友愛じゃなく恋愛の想いを抱くようになったのは。

 初めてアデイラを意識したのは、婚約式の時だったか。
 ままごとみたいな式だったけど、カタカタ震えるほどアデイラは緊張していたのに、いざ指摘してやると「そ、そんな事ありませんわ!」と牙を剥いてくる姿はまるで仔猫《キディ》のようで。

 あぁ、守ってあげたい、なんて庇護欲が生まれたんだったか。

 その後、何故か理由も分からず彼女は引きこもりになってしまい、再会できたのは、アデイラが七歳の時。

「ご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません。アデイラでございます」

 流麗な仕草で挨拶してくるアデイラは、七歳ながらも立派なレディで、しかし、婚約者でありながら、さりげなく距離を取ろうとしている彼女が気になり、どこか気になりながらも、高慢だった俺はアデイラの気持ちを無視してまで友人になろうと告げたのだった。

後日リオネルから「いやだぁ! 婚約破棄したいぃ! って雄叫びあげてたけど、何か不遜な事でもしたのかな?」と、笑いながらなのに黒い何かを背負って問い質す友人が、本気で怖かったのは言うまでもない。

 そんなこんなで友人の座に収まったものの、進展があるかと言えば無いに等しい。
 停滞したまま四年。義兄弟のカールなんか時折リオネルと一緒になって「ヘタレ」とか言う始末。
 あの二人、不敬罪というのを知っているのだろうか。

 カールの場合は同じ王族だから良いかとは思うものの、リオネルは従兄弟とはいえ公爵家の子息な訳で……。と、そんな枠に嵌める程、あの二人と足す一は、身分除外と言ったのは自分だったと気づく。もちろんアデイラはその枠には含んでいない。

 俺はいまだ喉が裂けんばかりに大声で泣いているアデイラを見下ろし、そういえば、と彼女がこうして泣いている一端に気づいた気がする。

 プリンを食べながら雑談に興じていた時には、アデイラの様子に変化はなかった。むしろ自分のせいで風邪をひかせてしまった事にしょんぼりしていたけど。それでも俺が知るいつものアデイラだった。

 そうだ。確かリオネルがルドルフの所に、妹が自作したプリンを自慢しに行ったと話した時だ。
 アデイラは一瞬呆けた顔をして──それもまた可愛かったが、みるみる表情を曇らせる。

「アデイラ?」
「は、はい」
「ルドルフ知らないのか?」
「ええ。どちらの御子息でいらっしゃるのでしょうか」
「アデイラは会ったことないのか? ……じゃあ、スイートポテトはアデイラが指南した物じゃないのか?」

 どこかぼんやりと視線を虚空に向けながらも「以前、宰相の公爵様にお土産と一緒にレシピをお渡ししましたが……」と、多分本人は無意識に告げたのだろう。その宰相とルドルフが親子だと気づかないようだし。

 だったら、何故アデイラはどうして、ルドルフに対して過剰反応をするのだろうか。

「……っ」

 不意に、胸の内に小さな炎がジリリと嫌な音を立てて行くのを感じる。ルドルフは物心ついた時からの付き合いで、気心も知れているというのに、妙にモヤモヤした。

 自分の内にそんな黒い感情があるなんて。
 今すぐアデイラに問い詰めたいと、泣いてる彼女の肩を揺さぶって、ルドルフに気があるのかと柄にもなく語気を強めて尋ねたかった。

 でも、いつもは輝く笑顔を俺に見せてくれるアデイラが、俺の前にだけ見せてくれる泣き顔に、初めて感じた嫉妬心は消失し、ソロリと伸ばした手は彼女の銀色の髪を撫でていた。

「泣くな、アデイラ。お前に泣かれると、俺も悲しくなる」

 指にアデイラのサラサラの髪を絡めながら、切に切にそう願う。

 ただ、俺だけが見る事のできる涙に濡れたその顔は、少しだけ……ほんの少しの罪悪感と愉悦感に満たされながら、早く泣きやめ、と言いつつも独り占めするように撫で続けている内に、嗚咽はちいさな寝息へと移り変わる。

「アデイラ?」
「……」

 そっと声を掛けても返ってくるのは規則正しい吐息で。

「……アデイラ、俺はお前の事を友達なんて思ってないからな……」

 約束させられたあの時も今も。

「だから何を隠してるか知らないけど、お前に泣かれるのは困る。いつか、本当の意味で俺を信用してくれるようになったら、その小さな体に隠している秘密を教えてくれないか?」

 ゆっくりと、涙が残るまなじりに、頬に、そして──薔薇色の小ぶりな唇に、自らの唇を寄せ、ささやかな夢を呟いていた。

 鼻腔を擽る甘い甘い匂いは、アデイラからか、俺が食べたプリンからか分からないままだったけど、言い得ないこの感情は俺だけの秘密になった。


♪゜・*:.。. .。.:*・♪

「クリス戻ったよ……って、アデイラ寝てるの?」

 呑気に部屋に入っていたリオネルは、半身をベッドに伏せて寝ているアデイラを認めると、僅かに眉をひそめて俺に視線を投げてくる。
 きっと、アデイラが泣いていたのに気づいたのだろう。

「ああ、ちょっと前にな。ところでリオネル、お前に尋ねたい事があるのだがいいか?」
「……それは、アデイラに聞かせたくない内容って事?」
「そうだな。今のアデイラには耳に入れたくない。また泣かれると、俺の胸が苦しくなるし」

 本音を零したつもりだが、リオネルは肩を竦めて「君が妹にそこまで惚れてるとは思わなかった」と揶揄してきた。
 それはそうだろう。恋愛に疎いアデイラにあえて合わせてきたのだから。


 俺とリオネルは、控えていた侍女にアデイラを託し、密談ができるようにと母上自慢の温室へと足を伸ばす。

「もう風邪は大丈夫なのかい?」

 外は秋の兆しがあるのに、温室の中は永遠の春を閉じ込めたかのように可憐な花々の甘い香りが溢れている。奥へ入っていけば、誰にも見つかることなく会話する事が可能だろう。

「ああ。そもそもカールが大げさなんだよ。確かに熱は出たけど、寝込む程でもなかったし、逆にリオネルとアデイラが来てくれた事が悪く思えてな」
「そうなんだ。まあ、クリスは働きすぎだと思うから、たまには休養も大事だよ。……それで、尋ねたい事って何?」

 こちらから尋ねたいと言いつつ、なかなか切り出さなかった為か、唐突にリオネルが口火を切り、将来の臣下に言わせた俺は複雑な溜息を落としていた。
 だが、これは良いきっかけかもしれない。

「アデイラは、ルドルフ・ギリアスと接点があるのか?」
「いや、ない筈だよ。以前、ギリアス公が訪ねて来た事はあるみたいだけど、その時もお一人で来てらしたからね」
「そうか……」
「ルドルフとアデイラが何だって?」
「正直俺にも分からない。ただ、アデイラにはルドルフの存在に何かを思い出し、それで……」
「目が腫れる程泣いていた……と」

 将来の主と臣下としてでなく、ただの友人としての会話のせいか、随分砕けた口調で話すリオネルは、アデイラが泣いていたと話すその時だけは、やけに感情ない低い声で話す。
 本気で怒っているのだと、長年の付き合いで察したものの、その怒りを向ける相手が自分なのか、ルドルフなのか、はたまたアデイラに対してなのか分からず、俺は身を固くしてリオネルからの言葉を待つ。

「……」
「……」

 いつまで経っても互いに無言のまま、まるで植物の呼吸音が聞こえそうな沈黙の中で、おもむろにリオネルから「転生か……」と囁く程の小さな声が空気を震わせる。

「転生?」
「あ、いや。何でもないですよ。アデイラにはそれとなく訊いておくので、殿下は早く体調を整えてくださいね」

 俺は謎の言葉に首を傾げ、リオネルに雄武返しをしたが、当の友人は急に言葉遣いを改めたかと思えば、そそくさと温室を出て行ってしまった。

「……なんなんだ、一体」

 呆然と次第に小さくなっていく友人の背中を見送りぼやく。だが、端的だがアデイラの変容の理由をリオネルは知っているという事を。

「転生。城の学者にでも訊けば何か掴めるだろうか」

 きっとこの言葉は、アデイラを傷つけ、俺を遠ざける危険を孕むものだと気づきつつも、何も知らないままでは彼女と本当の意味で向き合えないと感じ、決意を胸に秘めて、俺もゆっくりと温室を後にしたのだった。
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