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隣の席には、不機嫌少女

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 金属バットにバイク、スカジャンetc……治安という概念から隔絶された伏魔殿、私立血塗ちまみれ女子高等学校。
 おバカな少女、小和水なのがこれから三年間通う予定の学校である。
 当初の予定では、今頃入学式が開催されているはずだったのだが。

「ふにゅぅ……入学式が中止なんて、ショック……なの、おやつも持参して楽しみにしてたのに」

 会場である体育館の窓ガラスが軒並み砕かれ、挙句の果てに現在、三十人ほどの不良グループにより占拠されている。
 当然その不良グループというのも、本校の生徒だ。
 入学式は中止となり、本日はホームルームでの顔見せのみを行うことになった。

 そんな血みどろの事情など露知らず、なのは自らの席、窓際一番後ろという絶景スポットから周囲を見渡していた。
 クラスメイトを確認するためだ。視認できる範囲、ほぼ全ての生徒が生来のものとは異なる、彩り豊かな髪色をしている。

「わぁぁ~~、赤・青・黄……信号機みたいにカラフル! 皆の髪の毛、キラッキラだぁ~~! 制服の着こなしも、独特! いよっ、オシャレさんたち! オシャレ番長たち!」

 立ち上がり、右手を突き上げてはしゃぐ。オシャレに敏感な女の子たちとこれから親睦を深めることができるのだと、心を弾ませているのだ。
 オシャレというには物々しい、『喧嘩上等』などと書かれたつなぎを着ている、如何にもな面々が大半である。誰もがこのクラスを牛耳ってやるぜ、とばかりに闘志を滾らせている。
 この教室においてピクニック気分でいるのは、なの一人だ。

『あ゛?』
『何ガン飛ばしてんだ、テメー』

 凄みのある低い声が、教室中から飛来した。常人ならば失禁してもおかしくない、四面楚歌。
 しかしなのは常人ではない。

「皆ー! そんな怖ーい顔、しなくていいんだよっ! なのが緊張ほぐしてあげるね! さてなのは、なんて名前でしょう? チッチッチッ……ボーン! 答えはね、なのでした! なのがなのだって、皆分からなかったでしょ? 残念賞!」

 偏差値十二の、最強おバカ。ともすれば挑発とも取られかねない言動だ!
 入学早々リンチ確定。なのに出来るのは、軽い怪我で済むよう祈ることだけだ。これにてバッドエンド。小和水なの先生の次回作にご期待ください――
 かと思われたが。

『お、おいアイツ、やばくね?』
『この状況でヘラヘラ笑って……ビビッてる素振りを、おくびにも出さねえ』
『聞いたことがある。西中の《殺戮道化キリングドール》。敵の骨を折っても、自分の骨が折れてもヘラヘラ笑ってる超イカれた奴がいるって……』
『マジか、あんな小学生みたいな奴が? ただのバカにしか見えねえぞ』
『この学校にただの能天気野郎がいるかよ。ありゃ相当、殺ってるに違いねえ……しばらく様子を見た方が、よさそうだな』

 角度を変えれば強者の余裕ともとれるなのの態度から、周囲は彼女が大物だと勘違いしているらしい。
 事実無根の勘違いではあるが、なのに取っては僥倖だ。

「ん~……皆まだ緊張してるみたいだから、とりあえずなのも~……着席! そして~、じゃじゃーん!」
 なのが鞄をまさぐり、何かを取り出した。
 短刀か? モーニングスターか? 

 周囲の警戒なんのその。なのが取り出したのは、
「やっぱりこれ! もぐもぐ……うまーい、甘―い! キャラメルポップコーンは、なのの好物なんだよ! 皆、キャラメルポップコーン好きだよね? うまーーい♪」
『!?』
 大袋に入ったキャラメルポップコーンだった。

 常識的に考えて、授業中にお菓子を食べるのは禁じられている。
 ただ、なのの中では入学式イコールお祭り。
 お祭りは、美味しい物がたくさん食べられる。だから今日は、お菓子を食べても大丈夫……という彼女なりの解釈である。不正解甚だしいが。

 なのの奇行に怯えるような視線すら浮かべているクラスメイト。今この教室の空気を支配しているのは、まさかまさかの小動物、なの。
「ねえねえ、あなたも食べる? 美味しいよ!」
「お、おぉ……サンキュ」
「う、うす……」
 近くの席の少女らに、ポップコーン配りを開始した。

 有無を言わせぬ雰囲気に、固唾を呑みながらポップコーンを受け取るクラスメイト。なのは一仕事終えたとばかりに息を吐いて。
 この教室に来てからずっと、机に突っ伏して微動だにしない者がいることに気が付いた。

 隣席に座る、黒い地毛が混ざった金髪――オブラートに包まず言えばプリンのような頭髪――が特徴的な少女である。
 なのを除けば唯一、制服を着崩していない。

「ねーねー、具合悪いの? 具合悪いなら、保健室か……ポップコーン食べなよ! なのはね、ポップコーンを食べたら元気百倍なんだよ! ねーってばっ」

 肩をつつき、脇腹をくすぐり。
 なのの猛攻に業を煮やしたのか、ようやく少女は顔を上げた。
 
「……うるさい。寝てる」
 
 短く、そっけない返答で応じた少女。その表情は、目元を覆い隠す長い前髪でよく見えない。

「おねむなの? ぅー、じゃあ許す! 起きたらたくさんお話しようね!」
「……」

 それ以上なのに構わず、金髪の少女は再び睡眠体勢に。すげなくあしらわれて、なのは。

 ――前髪、すっごい長いなぁ~。よく見えないけど……絶対、スーパー可愛い子! なのクラスになると、口元で分かっちゃうのですっ! 隣の席はこの子だけだし、そうだ! この子と友達になっちゃおう作戦! 作戦開始!

 心の内で、彼女と友達になることを誓うのであった。


 その後、満を持して現れた担任女教師が腰に刀と思しき得物を提げている、冷徹な雰囲気の人物だったり。
 クラスメイトの一人がタバコを吸おうとして、担任に、
「未成年がタバコ吸ってんじゃねえ身体壊したらどうすんだダボが!!」
 と怒鳴られて、机が割れる勢いで顔面を叩きつけられるといった小さな事件がいくつか起きたが、特に問題はなく時は流れた。

 そして早くも放課後。一目散にバイクで下校したり、喧嘩に明け暮れる生徒達がひしめく中。
 
「るんるんる~ん♪ お花、お花、可愛いお花~♪」

 なのはスキップしながら、珍妙な歌を口ずさんでいた。特に用事があるわけではないのだが、校舎裏などに珍しい花が咲いていないかチェックしているのだ。大の花好きかつ脳内に花とコケが繁茂しているなのらしい行動だ。
 
「全然お花咲いてないなぁ~。るんるんる……ん?」

 進行方向、何やら言い争いをしている集団が目に入った。
 いや、言い争いというには……多勢に無勢が過ぎた。

「おい、お前一年だろ? 上下関係弁えろよコラ」
「土下座して謝れば許してやるぞ、おい」
「……」

 上級生と思わしき少女七人――中には木刀やメリケンサックなどで武装している者もいる――に囲まれながら、無言で立ち尽くすプリン髪の少女。
 囲まれている方の少女に、なのは見覚えがあった。

「あの前髪……隣の席の子だ! おーい、隣の席の子ー! 一緒に帰……!?」
「何とか言えゴラァァ!!」

 空気が読めないなのですら、思わず言葉を失った。
「……ッ」
 鈍い音を伴い、隣席の少女の身体がややぐらついた。
 上級生の内一人が今しがた振りぬいた拳には、血が付着している。

 それが意味する答えは、ただ一つ。

 ――い、いじめ……!?

 鈍さには定評があるなのとはいえ、眼前で振るわれた暴力を見れば察する。
 理由は分からない。ただ、クラスメイトがいじめられている事実を認識した。

 ――ということは、あのバットとか……ポカってするための、物? だ、ダメだよ……そんなの、痛くなっちゃう……。

 金属バットに野球以外の用途があるなんて、知らない。
 そんな物で殴打されれば、一体どれだけの痛苦が生じるのか。
 底知れぬ恐怖に、なのは身震いした。

 無理もない。なのは人一倍、痛みへの抵抗が弱い。
 転んでは泣き、つねられて泣き。犬に噛まれた時など、この世の終わりを想起させる慟哭を披露したほどだ。
 怖い。巻き込まれたくない。逃げてしまいたい。

「そのままくたばり、やがれぇぇえ!!」

 上級生がバットを振り上げ、ニィ、と酷薄な笑みを浮かべた。
 暴力の塊が、金髪の少女に襲い掛かる……寸前。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
『!?』

 なのは駆け出した! 両手を大車輪の如く回転させながら、集団目がけて突き進む!

 ――いじめなんて、絶対ダメだもん! 喧嘩だとしても……一方的にポカってしちゃダメ! なのが、なのが止めなきゃ!

 恐怖心はある。それでもなのに、見捨てるという選択肢はなかった。
 打算も計算も、損得勘定も一切ない。
 ただ、友達が傷つくのを見たくない。見ているだけなんて、できない。
 だからなのは走り出す。
 さあいけ! 正義の力で悪を打ち砕け――

「ぎゃふんっ!!」

 るわけがない。なのは小石に躓き、ズザザッ、とヘッドスライディングをかました。
 悲しいかな、なのは学力だけでなく、身体能力も無に等しいのだ。
 助太刀したところで、状況は変わらない。
 
「んだこのチビ」
「喧嘩売ろうってのか?」
「なんとか言えやオラァ!!!」

「ひ、ひぃぃ……」

 なのはあっという間に包囲され、情けない呻きを漏らした。先ほどまで金髪の少女に向けられていた害意が、今は自分に注がれている。
 状況を打開する力も、起死回生の策もない。

 どんな人とでも笑顔で仲良く、がモットーのなのですら、この状況を前に蹲り、泣いてしまった。

「怖い、怖いよぉぉ……っ」
『ぎゃははははは!! 何しに来たんだよコイツ!』

 嘲りに満ちた笑声が、頭上から降り注ぐ。絡まれていた金髪の少女すら、
「何なんだよ一体……」
 と呆れたような吐息を漏らした。

「もういいや、コイツは後回しだ」
「そうだな、今はこの生意気な……」
「新入生に礼儀、教えてやんねーとなぁ」

 ひとしきり笑った後、なのに興味をなくした上級生は再び金髪少女に向き直った。一方的に相手を嬲り殺す肉食獣の笑みを浮かべ、得物を構える面々。
 
「……はぁ」

 再度呆れたように嘆息した少女に、抵抗の素振りはない。
 丸腰で、両手をだらりと下げている。 
 お前たちと同じ土俵に立つ気はない、とでも言いたげな態度に、不良共の怒りが限界を迎えた。

「上等だコラ!」
「あの世で後悔しろォォ!!」

 今度こそ、一巻の終わり。前髪の下で、少女は全てを受け入れるように目を閉じた。

「ッ……?」

 しかし、覚悟した瞬間はいつまで経っても訪れなかった。
 不良共が躊躇したわけではない。

「やめ、て……お願いだから、やめて!!」

 先陣を切ってバットを振り下ろそうとした不良、その腰元に抱き着いているのは、小和水なのだ。
 怯えて震えていた少女がどうして。
 
「てめぇ、邪魔だ!」
「うぅっ!」

 不良が手を薙ぎ払うと、なのはあっさり地面に倒れ込んだ。誰がどう見ても、無力。彼女が割り込んだところで、何の意味もない。
 だというのに。

「喧嘩は、ダメ……ぅっ!」
 また立ち上がるも、裏拳一発でなのは倒れた。軽い打撃とはいえ、体格で著しく劣るなのには、かなりのダメージだ。
 口内を切ってしまったのか、鉄の味がする。ズキズキと広がる痛みは、日常生活で味わうことのない類のものだ。
 苦しくて、痛くて、怖い。

 それでもなのは、また立ち上がった。
 そして、金髪少女の前で両手を広げて、不良共に言い放った。

「そ、そんなに殴りたい、なら……なのを殴れば、いいよ! なのを、好きなだけ殴っていい、から……この子には手、出さないで!」

 その声は涙交じりで、大きく震えていた。身体もてっぺんからつま先にかけて、ところてんのようにぷるぷると震えている。
 それでもなのは、口にした言葉を訂正しなかった。
 
「ほ、ほら……早く、逃げて……?」
 安心させるように、笑おうとした。しかし顔が引きつって、上手く笑えない。そんななのの様子を見かねたのか、金髪の少女が唇を噛んだ。

「お前……怖くないのか」
「怖いよ……凄く、怖い……なの、痛いの大嫌いだもん」

「じゃあこの状況を覆す手段が、あるってのか」
「ないよ……なの、おバカだから……何も、思いつかないよっ……」

 なのの語尾は涙にさらわれて、ほとんど聞き取れない。恐怖に心を蝕まれているのは、火を見るよりも明らかだ。

「なら、どうして! お前……何がしたいんだよ!」
 ある種の悲痛さを帯びた問いかけに、なのは弱弱しい笑みで応えた。
「なのはね、痛いの嫌いだけど……友達が悲しむのは、もっと嫌なんだ。だから、それならなのが殴られた方が、ちょっぴりお得かなって」
「……友達、って」

 当然でしょ? と言わんばかりの物言いに、プリン頭の少女は声を荒らげた。

「今日会ったばかりで、名前も知らない、ただのクラスメイトだろうが! お前が傷つく理由に、なってねえんだよ!」
「なってるよ!」

 なのも負けじと言い返す。

「これから、同じ教室でいっぱい仲良くするんだもん……! 卒業までに大親友になってるかも、しれないもん……! そんな友達を、親友になるかもしれない人を……放ってなんか、おけないよ!!」
「……ッ……!」

 なのの言葉に、理屈はない。ただ、芯があった。
 梃子でも動かないと思わせるだけの、頑迷な決意が滲んでいた。
「バカが……っ」
 止められないと悟ったのか、金髪の少女は俯く。
 その震える拳からは、強く握り過ぎたせいか血が滴っていた。

「感動モンの展開だなぁ」
「そんじゃあお望み通り、お前を血祭りにしてやるよ」
「恨むならお友達を恨むんだな」

 口々に吐き捨て、なのににじり寄る上級生たち。震えながらも、なのは一歩も下がらない。友達を守るために、一秒でも時間を稼ぐために。

「まずはウチからいかせてもらうよ」
「おお! 『木刀真剣の田中』さん! 田中さんの手にかかりゃこのチビ、一撃でおしまいだな」 

 一際体格のいい、巌のような女性が前に出た。
 手にした木刀には、『実質真剣』という文字が刻まれている。二つ名も含めかなり疑わしいセンスだが、周囲が彼女に獲物を譲ったことから察するに、この集団のリーダー格なのだろう。
 雑兵相手ですら敗色濃厚ななのの生存は、より絶望的と言わざるを得ない。

「く、くるなら、来ちゃえっ!」

 緊張感にかけるセリフだが、なのの顔面は蒼白だ。哀れみを覚えるほどに、恐怖している。
 それでも友達のためならば。
 自分の痛みくらい我慢してみせると、なのは心中で己に喝を入れる。

「ならお言葉に甘えて……」

 木刀真剣の田中が、木刀を大きく振りかぶった。
 なのはぎゅっと目を閉じ、息を止める。
 
「死ねチビガキがぁぁぁあ!!」
「――ッッッ」

 なのの脳内が真っ白に染まり、そして……ドゴッと、木刀が衝突する音が響いた。

 木刀が捉えたのは、なのの脳天……ではない。

「な……!?」
 木刀真剣の田中が、驚愕に目を見開く。
 なのの後ろから伸びた手が、木刀をいとも容易く受け止めたのだ。
 全力で振り下ろした剛剣を、撫でるようにあっさりと。
 何の変哲もない素手でやってのけた。
 
「あーあ……くだらねえ。何が不良だよ、何が喧嘩だよ……全部全部くだらねえ」
  
 吐き捨てるような声の主は、木刀を強く握りしめて。
 そして木刀は。
 バギッ!! と、切ない断末魔を上げた。

「ふぇ、ほぇ……?」
 頭上でのやり取りに、なのの理解が追い付かない。殴られるはずだったのに。怖くてたまらない木刀だったはずなのに。
 誰かがあっさりと、へし折ってしまった。
 それが誰か、なんて確認するまでもない。

「喧嘩なんて小賢しいもん、二度と買うつもりなかったけどよ……こんなちいせえ奴に。こんなか弱い奴に……」

 金髪の少女が、なのの頭にそっと手を置いて、ずいっと前に進み出た。

「ここまで女見せられちゃ、黙ってらんねーよな。おい……安心しろ」
 少女は肩越しに振り向いて、不敵な笑みを浮かべた。

「アタシがお前の涙……ぶっ壊してやるよ」
 心の暗雲を晴らすような言葉を告げると、金髪少女は瞳を覆い隠していた前髪を掻き上げた。

 現れたのは、血に染まったような深紅の瞳。
 そして……額に深く刻まれた、十字の傷跡。
 尖り気味の歯も相まって、獰猛な肉食獣。いや、百獣の王のような力強さを放っていた。
 力強さだけでない。

 闘志と、狂気。狂喜と、殺気。幾重もの情動を、猛火の如く纏っている。
 ハッタリではないのだと、その物腰が告げている。
 この少女は、相当強い。きっとこの場にいる誰よりも、戦の心得がある。
 素人のなのでさえ、本能的にそう感じ取り、生唾を飲んだ。

「うし。んじゃいっちょ……」

 金髪の少女は木刀の切れ端を投げ捨てると、右掌に拳を打ち付けて。

「喧嘩を始めようぜ」

 凶悪な笑みを浮かべるのだった。
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