文字サイズ
小
中
大
特大
4 / 7
第四話 それぞれのアップルパイ
「オリヴァー商会? えっ、まさかオリーさんの会社のこと?」
名刺を交換するオリーさんと若槻先生に目を丸くしながら、白石さんはどうにかティーカップをソーサーに着地させた。けれど手どころか全身が震えていて、華奢な磁器がカチカチと音を立てる。
「あー、えっと。レトロというか」
胸に手を当てて「ふぅ」とひとつ深呼吸。それから――
「ダサッ!?」
ブフッ! 堪えきれずにふき出した。決して大声ではなかった、それは保証する。とはいえ、テーブルの向かいには肉親である亜嵐さんが座っている。白石さんは慌てたように「ヤバっ!」と口を塞いだけれど、美麗な従弟殿は率直な感想を聞き漏らさなかった。
「んんっ! まあ確かに、少々古風な響きかもしれんが。あくまでも俗称であって、正式名称ではないぞ」
「そうなんですか?」
じっとりと白石さんを見据えながら、亜嵐さんは「まったくしょうがない」とでも言いたげな顔でコクリと頷いた。
「正式な社名は『Heritage & Horizon Trading Ltd.』だ」
「え~っ!? ちゃんとしてるじゃん! そっちの方が断然カッコいい!」
英語を母国語とする亜嵐さんの発音に、白石さんの頬はぱあっと赤らんだ。うん、確かにカッコいい。それと同時に、俺はあることに気づいた。
(正式名称のどこにもオリーさんの名前は入ってないのに。なんで俗称が『オリヴァー商会』になるんだろう?)
すると挨拶を終えたオリーさんと若槻先生が、苦笑しながら答え合わせをしてくれた。
「美緒の反応はごもっとも。だからってオリヴァー商会ってのも嫌いじゃないけどさ。というかその俗称、私が最初に名乗ったんじゃないんだよね」
「へ? 勝手につけられたあだ名ってこと? やだ、もしかしてオリーさんが胡散臭いから?」
追撃の手を緩めない白石さんの言葉に、オリーさんは肩を竦めて首を振った。いやいや、自他ともに認める胡散臭さではあるが、そんな理由で俗称がつくはずがない。
眉を顰めて呆れる亜嵐さんとは対照的に、若槻先生は手を振りながら興奮気味に捲し立てた。
「失礼だよっ、白石さん! オリヴァーさんが会社の看板過ぎるからに決まってるじゃないか! 誰もがひと目でオリヴァーさんに惹かれちゃうのさ。僕だってイベント会場やパーティーで見かけるたびに、挨拶のチャンスをずーっと窺ってたんだ。でもなかなか隙がないから諦めてたのに。あぁあ、それがまさかここでお話できるなんて! 僕、夢見てるんじゃないかな!?」
天上人に遭遇したかのように、顔を真っ赤にして身もだえる若槻先生。いやいやいや、大丈夫か。それは先生以外の誰もが感じたようで、『あの』オリーさんですら若干どころか引いている。
「そ、そうなの? とりあえずありがとうって言っておくよ。とはいえ、うーん、私はただのオリーなんだけどな?」
戸惑い半分であっても、柳のように軽く受け流す姿勢はいかにもオリーさんらしい。
ウェストフィールド家の従兄弟たちは息を呑むほどの美男だが、それぞれタイプは異なる。亜嵐さんは繊細優美な美しさで、例えるなら冴える月。対してオリーさんは健康的で逞しく、光り輝く太陽のようだ。
その太陽を涙目で拝む先生を視界に入れたくないのだろう、亜嵐さんはやや顔を背けて、オリーさんに話しかけた。
「それでオリー、今日は何をしに来たんだ?」
「アランったら~、それを私に言わせる気? 大好きな君たちの顔が見たくて寄ったに決まってるじゃないか!」
語尾にハートマークをくっつけてオリーさんがウィンクを送るも、亜嵐さんは今度こそ完全に顔を背けて「しっしっ」と手を振った。その状況を目にして、それまで蕩けていた若槻先生がやっと意識を取り戻す。そして亜嵐さんとオリーさんの顔を交互に見て、混乱したように頭を抱えた。
「ちょ……待って待って。え、どういうこと? 推し同士が会話してるのは、ものすっごく尊い絵面なんだけど。……ダメだ、脳の回路が混乱してる。よし、順に整理しよう。ここは西園寺さんが拠点にしてるティーハウスで、僕はそこに呼ばれてアップルパイを切ろうとしてた。そこにオリヴァーさんが現れて、一方はツンツンしてもう一方は大好きだとか言い合ってる。うん、ここまでは間違いないね。そしてそこから導き出される正解はというと……。あ、あのー……西園寺さんとオリヴァーさんって、もしかしてお知り合い……なんでしょうか?」
若槻先生の分析に、全員の目が点になる。ああ、そうか。ローズメリーを巡る人間関係は俺たちにしたら今さらすぎるが、事情を知らない人――それも亜嵐さんとオリーさんを神のごとく崇拝する先生からしたら、予想外の想定外のそのまた向こうの出来事になるわけだ。
食堂で出会って以来、若槻晴人という人を少しは見たつもりだったが、思ってもみなかった展開に言葉が出ない。亜嵐さんも白石さんも同様だったが、唯一その洗礼を受けていないオリーさんが、どうにかこうにか口元に笑みを貼り付けて質問に答えてくれた。
「Oh man……私とアランは知り合いどころか、血の繋がった従兄弟同士だよ。それに翠はもちろん、血の繋がりはなくても藤宮くんも美緒も、私にとっては家族同然の大切な人たちなんだ」
「え……は? え、えぇえ? っ、えぇええぇええっ!?」
他人の顎が外れる場面をこんなにじっくり見るのは、生まれて初めての経験だ。飛び出さんばかりに目を見開いたと思ったら、今度は腰が抜けたのか、よろけてテーブルにしがみつく始末。重量のある木製テーブルだ、その程度の衝撃でガタつくことはないけれど、ティーカップの紅茶が少しだけ波打った。
やっとのことで転倒を免れた先生は、本当に心底、この人にはきっと珍しいだろう感情むき出しの声で叫んだ。
「従兄弟に家族!? このメンバーが!? ちょっ、藤宮くんっ! 君の交友録どうなってるの!? 何もかもが規格外すぎだよっ!?!?」
「……どうなってるも何も、これが日常です」
ああ、この姿を大学の女子たちが見たら何と言うだろうか。王子様らしからぬ形相の若槻先生――血走ってもやっぱり少し目は垂れている――から視線を逸らし、俺はぼそっと呟いた。
***
オリーさんもメンバーに加わったので、俺たちはテーブルを寄せて卓を広くした。ゆったりとしたテーブルの向こうから、若槻先生は目にハートマークを浮かべて、正面に座る亜嵐さんとオリーさんを見つめている。
「あうぅう、後でサインもらえないかなぁ……推しが肩を寄せ合って、デュフフ……」
「センセ、怖い。にしてもオリーさんのファンだなんて……本気で言ってるのかな」
どこぞのアイドルオタクのようになってしまった男に突っ込むと、先生は飛び上がらんばかりの勢いで白石さんの肩を掴んだ。
「本気に決まってるじゃないかっ! オリヴァーさんはね、食をメインに日英の文化を往来させて、大きなイベントも成功させてる名プロデューサーなんだよ!? 僕らみたいな食関係の人間からしたら、憧れて憧れて、憧れまくってる存在なんだからねっ!?」
「痛っ……もうっ、本気で怖いんだってばっ!」
女生徒の悲鳴に内なる王子様の声が反応したのか、先生はハッと我に返ると手を離し、小さくなって椅子に座り直した。白石さんは涙目になって、掴まれた肩をさすっている。
声量といい口調といい、何よりその変貌ぶりから、オリーさんの仕事振りがいかにすごいかが伝わってくる。確かにオリーさんなら、それくらいやってのけてもおかしくはない。ピエロを演じるのが上手い人だけど、それすらも計算ずくであることを俺は知っている。けれど白石さんはいまいちピンとこない様子で、亜嵐さんをチラリと見た。
「師匠~、センセの言うこと本当なのぉ?」
「本当だとも。実際に会社は軌道に乗っているし、優秀な経営者といえる」
「えぇー……」
それでも信じられないという顔を白石さんが浮かべる。さすがに悪いんじゃないかと心配になったところで。
「といっても、所詮はオリーだがな」
「プハッ!?」
当然と言わんばかりに付け加えられた言葉に、俺も白石さんもプッとふき出してしまった。オリーさんはというと、散々な言われようなのに、やっぱりいつも通り亜嵐さんの隣でニコニコしている。オリーさんは誰に対しても気の良いお兄さんだが、ひとつ年下の従弟にはことさら甘いのだ。そんな中、若槻先生だけは目を白黒させていた。
「あなたの乱入で中断したが、今日はアップルパイの試食会を開いていてな。ああ、言わなくていい。あなたがアップルパイを好んでいることは、昔から知っているとも。まったく、毎度のことながらタイミングを外さないな。――さて、では最初からやり直そう。諸君、この二つのアップルパイを試そうではないか!」
あらためてナイフの柄を向けられた先生は、パンパンと両頬を叩いた。そしてナイフを受け取ると、ごくりと一度喉を鳴らして、ショートクラスト生地のアップルパイに刃先を入れた。
「あ」
サクッ――その瞬間、若槻先生は小さく声を漏らした。その表情は先ほどまでとは違い、亜嵐さんと食について語っていたときのものだ。実物の感触に、研究者としてのスイッチが入ったのだろう。
「これは……層が崩れるのではなく、砕くような質感を強く感じますね」
「そうでしょうとも」
亜嵐さんが頷くのを確認して、先生はアップルパイを手際よく切り分けた。その皿を、俺が各自の前に置いていく。
「どれどれ。ん~? 確かにいつも食べるパイとは違うね」
白石さんが目を皿に寄せ、じっくりと断面を覗き込む。俺も自分の席に着いて、アップルパイを目の高さにかざしてみた。確かに底も表面も、パイ特有の層を形成していない。まるで目の粗いクッキーのようだ。
「そうか、藤宮くんや美緒には馴染みが薄いのか。でも私にとっては懐かしい故郷の味なんだよ。オーゥ、デリシャス! 秋はアップルパイに限るね!」
オリーさんは嬉しそうな顔でパイを食べ進めていく。俺と白石さんは一瞬視線を交わしてから、それぞれの皿にフォークを刺した。えいっとばかりに切り分けた一切れを口に入れる。
「あ、美味しいっ! 私、これ好きだな。でもこの感じ、どっかで……」
「生地がザクザクして、リンゴとよく合うね。でもこの感じ、どっかで……」
首を傾げた次の瞬間、顔を見合わせて「そうだ!」と頷き合う。
「全然違うかもだけど、マックのアップルパイにちょっと似てない?」
「うん! 皮が少し厚めで硬くて、パイって感じじゃないところが似てるかもだよね?」
その言葉にオリーさんはポカンとし、亜嵐さんと若槻先生は一拍置いてクスクスと笑い始めた。どうやら学生たちの味覚は、食文化専門家のツボにハマったらしい。
「そうだね、あれは僕たちが普通に認識しているアップルパイではないね」
「え。センセ、マックなんて食べるの?」
俺も同じことを思った。だってあれはジャンキーなファストフードであって、一流の研究者がチョイスするものではないだろうから。
しかし先生はぷくっと頬を膨らませて、眉間に皺を寄せた。
「こらこら、僕を何だと思ってるの? 僕にだって君たちみたいな学生時代があったし、ハンバーガーだってラーメンだって普通に食べるに決まってるじゃないか。むしろ大好きだよ」
ハンバーガーもラーメンも――その言葉が、俺の心に引っ掛かっていた小骨をするりと抜いた。
(そっか、食の専門家だからって何も特別じゃない。若槻先生だって、俺たちと同じ世界線で生きてるんだ)
そんなことは当たり前なのに。亜嵐さんもオリーさんもすごい人だけど、俺たちと一緒に食事をしているときは普通なのに。亜嵐さんが認めているからって、俺はこの人を特別な存在だと構え過ぎていたんだ。
「マクドナルドと同一視することの是非は別として、二人が言いたいことは理解できるな」
「でしょ?」
亜嵐さんの同意を得て、白石さんは「ふふん!」と胸を反らした。若槻先生はにこやかにその様子を眺めつつ、アップルパイをフォークでつついた。
「リンゴの煮詰め方がいいんでしょうね、ちゃんとジューシーなのに皮が湿っぽくない。もちろんコツや仕掛けはあるんでしょうけど……いやぁ、これは感服する腕前だなぁ」
「その辺りの再現は、翠さんからご説明させていただくのがいいでしょう。では次は、ラフパフのアップルパイです」
新しいナイフを手渡され、若槻先生はアップルパイを切り分けた。今度のパイは、先ほどよりも切り分ける音が軽い。そしてパイの断面を確認すると。
「あ、層になってる」
「ふふっ、そうだとも湊」
ケーキ店のような薄い層の重なりではないが、さっきのショートクラストとの差は歴然だ。オリーさんは嬉々としてパイを口に運んだ。
「So scrummy! 昔を思い出すね、アラン」
「……そうだな」
「え? 昔って何?」
白石さんが興味津々で前のめりに訊ねると、オリーさんはチラリと亜嵐さんに視線を送って無邪気な笑みを浮かべた。
「私たちの祖父母の家の庭にはリンゴの木が植えられていてね、シーズンが来ると真っ赤に色付いたんだよ。それをアランと私で収穫して、翠にパイやケーキを焼いてもらったのさ。すごく楽しかったなぁ」
「庭にリンゴ!? すご~いステキ~!」
顎に手を当ててオリーさんの昔話を聞いていた若槻先生は、納得したように頷いた。
「そうだった、イギリスの家庭にはリンゴの木があることも珍しくないんですよね。もちろん庭付きの住宅の話でしょうけれど」
若槻先生の問いを、亜嵐さんが肯定する。
「イギリス人にとってリンゴは特別な果物です。収穫期にはアップル・デイというイベントが開催され、賑わうほどですからね。種類も豊富で、生食用や加熱用など目的ごとに使い分けられています」
「なるほど、食文化に強く根付いているのか。そういう意味では、イギリスは由緒あるリンゴ先進国ですねぇ」
人好きのする笑顔を見せた先生は、可愛らしく小首を傾げた。こういうところが女生徒の人気に繋がっているのだろうか。王子様というあだ名を本人がどう思っているのかは知らないが、案外嫌ではないのかもしれない。
楽しそうに亜嵐さんとリンゴ談義に花を咲かせる先生の姿に、俺はそんな気がし始めていた。
名刺を交換するオリーさんと若槻先生に目を丸くしながら、白石さんはどうにかティーカップをソーサーに着地させた。けれど手どころか全身が震えていて、華奢な磁器がカチカチと音を立てる。
「あー、えっと。レトロというか」
胸に手を当てて「ふぅ」とひとつ深呼吸。それから――
「ダサッ!?」
ブフッ! 堪えきれずにふき出した。決して大声ではなかった、それは保証する。とはいえ、テーブルの向かいには肉親である亜嵐さんが座っている。白石さんは慌てたように「ヤバっ!」と口を塞いだけれど、美麗な従弟殿は率直な感想を聞き漏らさなかった。
「んんっ! まあ確かに、少々古風な響きかもしれんが。あくまでも俗称であって、正式名称ではないぞ」
「そうなんですか?」
じっとりと白石さんを見据えながら、亜嵐さんは「まったくしょうがない」とでも言いたげな顔でコクリと頷いた。
「正式な社名は『Heritage & Horizon Trading Ltd.』だ」
「え~っ!? ちゃんとしてるじゃん! そっちの方が断然カッコいい!」
英語を母国語とする亜嵐さんの発音に、白石さんの頬はぱあっと赤らんだ。うん、確かにカッコいい。それと同時に、俺はあることに気づいた。
(正式名称のどこにもオリーさんの名前は入ってないのに。なんで俗称が『オリヴァー商会』になるんだろう?)
すると挨拶を終えたオリーさんと若槻先生が、苦笑しながら答え合わせをしてくれた。
「美緒の反応はごもっとも。だからってオリヴァー商会ってのも嫌いじゃないけどさ。というかその俗称、私が最初に名乗ったんじゃないんだよね」
「へ? 勝手につけられたあだ名ってこと? やだ、もしかしてオリーさんが胡散臭いから?」
追撃の手を緩めない白石さんの言葉に、オリーさんは肩を竦めて首を振った。いやいや、自他ともに認める胡散臭さではあるが、そんな理由で俗称がつくはずがない。
眉を顰めて呆れる亜嵐さんとは対照的に、若槻先生は手を振りながら興奮気味に捲し立てた。
「失礼だよっ、白石さん! オリヴァーさんが会社の看板過ぎるからに決まってるじゃないか! 誰もがひと目でオリヴァーさんに惹かれちゃうのさ。僕だってイベント会場やパーティーで見かけるたびに、挨拶のチャンスをずーっと窺ってたんだ。でもなかなか隙がないから諦めてたのに。あぁあ、それがまさかここでお話できるなんて! 僕、夢見てるんじゃないかな!?」
天上人に遭遇したかのように、顔を真っ赤にして身もだえる若槻先生。いやいやいや、大丈夫か。それは先生以外の誰もが感じたようで、『あの』オリーさんですら若干どころか引いている。
「そ、そうなの? とりあえずありがとうって言っておくよ。とはいえ、うーん、私はただのオリーなんだけどな?」
戸惑い半分であっても、柳のように軽く受け流す姿勢はいかにもオリーさんらしい。
ウェストフィールド家の従兄弟たちは息を呑むほどの美男だが、それぞれタイプは異なる。亜嵐さんは繊細優美な美しさで、例えるなら冴える月。対してオリーさんは健康的で逞しく、光り輝く太陽のようだ。
その太陽を涙目で拝む先生を視界に入れたくないのだろう、亜嵐さんはやや顔を背けて、オリーさんに話しかけた。
「それでオリー、今日は何をしに来たんだ?」
「アランったら~、それを私に言わせる気? 大好きな君たちの顔が見たくて寄ったに決まってるじゃないか!」
語尾にハートマークをくっつけてオリーさんがウィンクを送るも、亜嵐さんは今度こそ完全に顔を背けて「しっしっ」と手を振った。その状況を目にして、それまで蕩けていた若槻先生がやっと意識を取り戻す。そして亜嵐さんとオリーさんの顔を交互に見て、混乱したように頭を抱えた。
「ちょ……待って待って。え、どういうこと? 推し同士が会話してるのは、ものすっごく尊い絵面なんだけど。……ダメだ、脳の回路が混乱してる。よし、順に整理しよう。ここは西園寺さんが拠点にしてるティーハウスで、僕はそこに呼ばれてアップルパイを切ろうとしてた。そこにオリヴァーさんが現れて、一方はツンツンしてもう一方は大好きだとか言い合ってる。うん、ここまでは間違いないね。そしてそこから導き出される正解はというと……。あ、あのー……西園寺さんとオリヴァーさんって、もしかしてお知り合い……なんでしょうか?」
若槻先生の分析に、全員の目が点になる。ああ、そうか。ローズメリーを巡る人間関係は俺たちにしたら今さらすぎるが、事情を知らない人――それも亜嵐さんとオリーさんを神のごとく崇拝する先生からしたら、予想外の想定外のそのまた向こうの出来事になるわけだ。
食堂で出会って以来、若槻晴人という人を少しは見たつもりだったが、思ってもみなかった展開に言葉が出ない。亜嵐さんも白石さんも同様だったが、唯一その洗礼を受けていないオリーさんが、どうにかこうにか口元に笑みを貼り付けて質問に答えてくれた。
「Oh man……私とアランは知り合いどころか、血の繋がった従兄弟同士だよ。それに翠はもちろん、血の繋がりはなくても藤宮くんも美緒も、私にとっては家族同然の大切な人たちなんだ」
「え……は? え、えぇえ? っ、えぇええぇええっ!?」
他人の顎が外れる場面をこんなにじっくり見るのは、生まれて初めての経験だ。飛び出さんばかりに目を見開いたと思ったら、今度は腰が抜けたのか、よろけてテーブルにしがみつく始末。重量のある木製テーブルだ、その程度の衝撃でガタつくことはないけれど、ティーカップの紅茶が少しだけ波打った。
やっとのことで転倒を免れた先生は、本当に心底、この人にはきっと珍しいだろう感情むき出しの声で叫んだ。
「従兄弟に家族!? このメンバーが!? ちょっ、藤宮くんっ! 君の交友録どうなってるの!? 何もかもが規格外すぎだよっ!?!?」
「……どうなってるも何も、これが日常です」
ああ、この姿を大学の女子たちが見たら何と言うだろうか。王子様らしからぬ形相の若槻先生――血走ってもやっぱり少し目は垂れている――から視線を逸らし、俺はぼそっと呟いた。
***
オリーさんもメンバーに加わったので、俺たちはテーブルを寄せて卓を広くした。ゆったりとしたテーブルの向こうから、若槻先生は目にハートマークを浮かべて、正面に座る亜嵐さんとオリーさんを見つめている。
「あうぅう、後でサインもらえないかなぁ……推しが肩を寄せ合って、デュフフ……」
「センセ、怖い。にしてもオリーさんのファンだなんて……本気で言ってるのかな」
どこぞのアイドルオタクのようになってしまった男に突っ込むと、先生は飛び上がらんばかりの勢いで白石さんの肩を掴んだ。
「本気に決まってるじゃないかっ! オリヴァーさんはね、食をメインに日英の文化を往来させて、大きなイベントも成功させてる名プロデューサーなんだよ!? 僕らみたいな食関係の人間からしたら、憧れて憧れて、憧れまくってる存在なんだからねっ!?」
「痛っ……もうっ、本気で怖いんだってばっ!」
女生徒の悲鳴に内なる王子様の声が反応したのか、先生はハッと我に返ると手を離し、小さくなって椅子に座り直した。白石さんは涙目になって、掴まれた肩をさすっている。
声量といい口調といい、何よりその変貌ぶりから、オリーさんの仕事振りがいかにすごいかが伝わってくる。確かにオリーさんなら、それくらいやってのけてもおかしくはない。ピエロを演じるのが上手い人だけど、それすらも計算ずくであることを俺は知っている。けれど白石さんはいまいちピンとこない様子で、亜嵐さんをチラリと見た。
「師匠~、センセの言うこと本当なのぉ?」
「本当だとも。実際に会社は軌道に乗っているし、優秀な経営者といえる」
「えぇー……」
それでも信じられないという顔を白石さんが浮かべる。さすがに悪いんじゃないかと心配になったところで。
「といっても、所詮はオリーだがな」
「プハッ!?」
当然と言わんばかりに付け加えられた言葉に、俺も白石さんもプッとふき出してしまった。オリーさんはというと、散々な言われようなのに、やっぱりいつも通り亜嵐さんの隣でニコニコしている。オリーさんは誰に対しても気の良いお兄さんだが、ひとつ年下の従弟にはことさら甘いのだ。そんな中、若槻先生だけは目を白黒させていた。
「あなたの乱入で中断したが、今日はアップルパイの試食会を開いていてな。ああ、言わなくていい。あなたがアップルパイを好んでいることは、昔から知っているとも。まったく、毎度のことながらタイミングを外さないな。――さて、では最初からやり直そう。諸君、この二つのアップルパイを試そうではないか!」
あらためてナイフの柄を向けられた先生は、パンパンと両頬を叩いた。そしてナイフを受け取ると、ごくりと一度喉を鳴らして、ショートクラスト生地のアップルパイに刃先を入れた。
「あ」
サクッ――その瞬間、若槻先生は小さく声を漏らした。その表情は先ほどまでとは違い、亜嵐さんと食について語っていたときのものだ。実物の感触に、研究者としてのスイッチが入ったのだろう。
「これは……層が崩れるのではなく、砕くような質感を強く感じますね」
「そうでしょうとも」
亜嵐さんが頷くのを確認して、先生はアップルパイを手際よく切り分けた。その皿を、俺が各自の前に置いていく。
「どれどれ。ん~? 確かにいつも食べるパイとは違うね」
白石さんが目を皿に寄せ、じっくりと断面を覗き込む。俺も自分の席に着いて、アップルパイを目の高さにかざしてみた。確かに底も表面も、パイ特有の層を形成していない。まるで目の粗いクッキーのようだ。
「そうか、藤宮くんや美緒には馴染みが薄いのか。でも私にとっては懐かしい故郷の味なんだよ。オーゥ、デリシャス! 秋はアップルパイに限るね!」
オリーさんは嬉しそうな顔でパイを食べ進めていく。俺と白石さんは一瞬視線を交わしてから、それぞれの皿にフォークを刺した。えいっとばかりに切り分けた一切れを口に入れる。
「あ、美味しいっ! 私、これ好きだな。でもこの感じ、どっかで……」
「生地がザクザクして、リンゴとよく合うね。でもこの感じ、どっかで……」
首を傾げた次の瞬間、顔を見合わせて「そうだ!」と頷き合う。
「全然違うかもだけど、マックのアップルパイにちょっと似てない?」
「うん! 皮が少し厚めで硬くて、パイって感じじゃないところが似てるかもだよね?」
その言葉にオリーさんはポカンとし、亜嵐さんと若槻先生は一拍置いてクスクスと笑い始めた。どうやら学生たちの味覚は、食文化専門家のツボにハマったらしい。
「そうだね、あれは僕たちが普通に認識しているアップルパイではないね」
「え。センセ、マックなんて食べるの?」
俺も同じことを思った。だってあれはジャンキーなファストフードであって、一流の研究者がチョイスするものではないだろうから。
しかし先生はぷくっと頬を膨らませて、眉間に皺を寄せた。
「こらこら、僕を何だと思ってるの? 僕にだって君たちみたいな学生時代があったし、ハンバーガーだってラーメンだって普通に食べるに決まってるじゃないか。むしろ大好きだよ」
ハンバーガーもラーメンも――その言葉が、俺の心に引っ掛かっていた小骨をするりと抜いた。
(そっか、食の専門家だからって何も特別じゃない。若槻先生だって、俺たちと同じ世界線で生きてるんだ)
そんなことは当たり前なのに。亜嵐さんもオリーさんもすごい人だけど、俺たちと一緒に食事をしているときは普通なのに。亜嵐さんが認めているからって、俺はこの人を特別な存在だと構え過ぎていたんだ。
「マクドナルドと同一視することの是非は別として、二人が言いたいことは理解できるな」
「でしょ?」
亜嵐さんの同意を得て、白石さんは「ふふん!」と胸を反らした。若槻先生はにこやかにその様子を眺めつつ、アップルパイをフォークでつついた。
「リンゴの煮詰め方がいいんでしょうね、ちゃんとジューシーなのに皮が湿っぽくない。もちろんコツや仕掛けはあるんでしょうけど……いやぁ、これは感服する腕前だなぁ」
「その辺りの再現は、翠さんからご説明させていただくのがいいでしょう。では次は、ラフパフのアップルパイです」
新しいナイフを手渡され、若槻先生はアップルパイを切り分けた。今度のパイは、先ほどよりも切り分ける音が軽い。そしてパイの断面を確認すると。
「あ、層になってる」
「ふふっ、そうだとも湊」
ケーキ店のような薄い層の重なりではないが、さっきのショートクラストとの差は歴然だ。オリーさんは嬉々としてパイを口に運んだ。
「So scrummy! 昔を思い出すね、アラン」
「……そうだな」
「え? 昔って何?」
白石さんが興味津々で前のめりに訊ねると、オリーさんはチラリと亜嵐さんに視線を送って無邪気な笑みを浮かべた。
「私たちの祖父母の家の庭にはリンゴの木が植えられていてね、シーズンが来ると真っ赤に色付いたんだよ。それをアランと私で収穫して、翠にパイやケーキを焼いてもらったのさ。すごく楽しかったなぁ」
「庭にリンゴ!? すご~いステキ~!」
顎に手を当ててオリーさんの昔話を聞いていた若槻先生は、納得したように頷いた。
「そうだった、イギリスの家庭にはリンゴの木があることも珍しくないんですよね。もちろん庭付きの住宅の話でしょうけれど」
若槻先生の問いを、亜嵐さんが肯定する。
「イギリス人にとってリンゴは特別な果物です。収穫期にはアップル・デイというイベントが開催され、賑わうほどですからね。種類も豊富で、生食用や加熱用など目的ごとに使い分けられています」
「なるほど、食文化に強く根付いているのか。そういう意味では、イギリスは由緒あるリンゴ先進国ですねぇ」
人好きのする笑顔を見せた先生は、可愛らしく小首を傾げた。こういうところが女生徒の人気に繋がっているのだろうか。王子様というあだ名を本人がどう思っているのかは知らないが、案外嫌ではないのかもしれない。
楽しそうに亜嵐さんとリンゴ談義に花を咲かせる先生の姿に、俺はそんな気がし始めていた。
感想 0
あなたにおすすめの小説
専業主婦十年、夫と息子に「何もしてない」と言われたので、自分の名前で稼ぐことにした
「お母さん、何もしてないじゃん」
小学四年生の息子に言われた。翌朝、夫も言った。そっちは家にいるだけだろ、と。
専業主婦十年。渡される生活費は白い封筒の月3万円。家の通帳は見たこともない。
期限切れのファンデーションを塗り、フォロワー48人のアカウントに写真を上げた。「ダメ出しお願いします」。止まらない通知の中に、短い返信が一つ。
――ひとつずつでいいよ。
早朝の新聞配達に、時給1200円の品出し。夜は簿記の参考書を開いた。額面22万円の雇用条件通知書。初めてのPR案件は、2万5千円。
その秋、夫が昼に誰と会っているかを知った。離婚届は12月24日。
一年後、私の会社の月商は500万円、フォロワーは200万人。港区のタワーマンションの鍵は、私の名前で受け取った。
「家にいるだけだろ」と言った人が、その数字を口にする番が来る。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
全9話。
【完結】双葉病院小児病棟
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続き……ではないですが、双葉病院の提携先の歯科クリニックの話『痛いのは、歯だけじゃない』を現在更新中です。
そこでは黒崎先生はもちろん、双葉病院の先生もチラッと出てきたりしますので、そちらもぜひ。
秘密はいつもティーカップの向こう側 ―SNACK SNAP―
食べることは、生きること。
ティーハウス<ローズメリー>に集う面々に起きる、ほんの些細な出来事。
楽しかったり、ちょっぴり悲しかったり。
悔しかったり、ちょっぴり喜んだり。
彼らの日常をそっと覗き込んで、写し撮った一枚のスナップ――。
『秘密はいつもティーカップの向こう側』SNACK SNAPシリーズ。
気まぐれ更新。
ティーカップの紅茶に、ちょっとミルクを入れるようなSHORT STORYです☕
◆・◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
あやかし警察おとり捜査課
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
「白い結婚だから息子は独身同然」ですか? お義母様、私たちまだ離縁しておりませんが
夫の再婚相手を募集する招待状が届いた。――差出人は義母。ちなみに、私はまだ妻である。
白い結婚を理由に、勝手に夫の再婚話を進める義母。
ところが調べてみると、令嬢たちから多額の準備金を集めていたことが発覚!
冷静で芯の強い妻クラリスと、実は妻を溺愛している公爵レオン。
夫婦で義母の企みを暴く、痛快ざまぁ&じれ甘異世界恋愛。