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羞恥

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「あはは、冗談だよ。でも魔羅と同じくらい、鬼の角が大事なのは本当。無闇に他人に触らせるものじゃない。まぁ、それ以前に、私を触る人なんていないけど」

「ごめん、なさい。あの、僕、何も知らなくて」

 だんだんと頬が熱くなり、もごもごと口籠った。

「いいよ。君の大事な物も触った。許してあげよう」

 鬼の角が男性器と同じくらい大事なところだったなんて知らなかった。雪人は目の前の鬼にとんでもないことをしていたらしい。

「それで、どうして私が怖くないんだ。その着物、最近の神職は肝が据わっているのか?」

 雪人は首を横に振った。

「いえ。さっきまでは、鬼を怖いと思ってました」
「ふーん。今は、違うのか?」
「えっと、僕は生まれてすぐに鬼に呪われ、色を奪われたそうです」
「色を?」
「はい。薄い瞳の色、人より白い肌、子供なのに白髪。村では幽霊みたいだと気味悪がられている」

 鬼は気の毒そうな表情を浮かべ、雪人の頬におもむろに触れてきた。ゆっくりと患部を調べる医者のような手つきだった。さっきまでとは逆の構図になっていた。
 異形の者、鬼。けれど人間と同じで触れると彼の手のひらは温かかった。
 今日まで黄泉の国に住む鬼は、死者と同じように固く冷たいのだと思っていた。
 だから目の前の鬼を怖いと感じなかったのかもしれない。雪人と変わらない人間に思えた。

「本当だ、瞳に色がないな。それに、君の内側は、とても静かだね」
「僕の体に触れるだけで分かるんですか」
「まぁ、鬼、だからね。大抵のことは分かるよ」

 鬼なら分かる、の理屈が理解できないが、法力のような不思議な力を持っているのかもしれない。

「すごいですね、鬼って」
「そんなことない。君の方が、すごい。堂々と鬼に触って来たんだからね」
「それは、ごめんなさい。さっき、僕、貴方のことを特別に思ったんです」
「とく、べつ」

 鬼は、呆気にとられたように目を丸くし、初めて聞いた言葉みたいに雪人の言葉をおうむ返しした。

「そう、特別です。とても、いいことが起こりそうな、そんな予感がして」
「うーん。期待してくれたところ申し訳ないが、鬼がそばにいても、いいことなんてないよ」

 雪人は首を横に振り、にこりと笑う。

「でも、いいこと、ありましたよ」
「それは、どんないいことだ?」
「貴方に出会わなければ、きっと、私は死ぬまで世の中にある色を知らなかった」
「なるほど、ね。君は色が欲しかったのか」
「うん。あと僕の姿を見て目を逸らさない人に出会ったの、初めてだったから。それも特別です」

 村の人だけじゃない。家族でさえ雪人を見ると、視線を逸らす。お前には何も期待していない、そんな目をする。居ない者扱いだ。

「君にとって中津国は、住みづらい場所か?」

 雪人は小さく頷いた。

「家族はいます。けど物心ついた頃からずっと一人みたいなものだから。あと村で僕は一番の役立たずで」

 暗い気持ちを覆い隠すように、へらりと笑って見せた。

「そうか、君は一人なのか」
「はい。だから、ずっと貴方が僕のそばにいて、話し相手になってくれたら、どんなに幸せだろうって思いました」

 雪人は、にこりと鬼に微笑みかけた。その顔を見るなり鬼は顔を伏せた。

「あの、どうか、しましたか?」
「――私と一緒が幸せなんて、冗談。そんなこと口にして、君は恥ずかしくないのか」

 口に手を当てて、こちらを伺うように、ちらりと視線を雪人に向けてくる。

「どうして、全然恥ずかしくないですよ」
「そう、なら私が、慣れてないだけか?」
「嘘じゃない。僕の本当の気持ちです」

 思ったことをすぐに口に出すのは、良くないことだと父母に教えられていた。けれど人より外から得る情報が少ない自分が気持ちを伝えるには、文字や言葉を多く使う必要があった。だから人よりたくさん本を読み学んできた。
 いつか、書くこと読むことが、人の役に立つと信じていた。
 けれど結局、大人になっても家が代々守っている神社を管理しているだけだ。朝から夕方まで、一人この社で筆耕として依頼された文字を書き、境内を清めるくらいしかできない。さっきは十五で子供じゃないと嘯いたが、本当のところ村では子供より役立たずだった。

 都会は近代化が進んでいると風の噂で聞いたが、外と断絶された山奥の小さな集落には関係ない話だった。村は自分達が必要な分の米や野菜を作り、外界と接触せず、呪いや古いしきたりを守って暮らしている。雪人のような異端の存在を忌み嫌っている小さな村だ。
 もし村が今より外との交流が盛んであれば、嫌われ者の雪人は、見せ物小屋にでも売られていただろう。幸か不幸か、座敷牢のような生活で済んでいた。

「そんなに私と話すのが楽しいか?」
「うん、とても楽しい」
「本当、愛らしい生き物だな。褒めたところで、何もないのに」

 鬼は、ほぉ、と感心したような声を出して、雪人をまじまじと見つめた。

「だって、もし明日死んでも、後悔しないくらいに、いま幸せだもの」

 雪人の瞳に色が戻っているのは、奇跡とか神の力とか、そういう類の現象だろう。
 雪人は自分の死期が近いのかもしれないと、頭の片隅で考えていた。
 去年も今年も凶作で、雪人の村は人が減っていた。このまま不作が続けば、この先、自分がどうなるか正直分からない。口減らしか、あるいは。

「幸せ、か」
「うん、幸せ」

 雪人は目を細め、とびきりの笑顔で答えた。
 鬼と話していると、ずっと、ひとりぼっちだった自分が救われてる気がした。

「あまり喜ばせないでくれ。困るから」

 雪人が好意を伝えると、立派な大人の鬼が子供みたいに鼻の頭をかいて照れるので面白い。なんだか急に犬猫みたいな小動物に見えた。本当は怖い鬼なのに。

「どうして困るの?」
「昔から愛らしい生き物に好かれたことがないんだ。慣れてないから、困る」
「そう、なんですか」
「あぁ、生まれてから一度も。私の近くにいるのは、お節介な蛇とやかましい烏だけだし。だから、いつだってふわふわが恋しいな」
「あの、ふわふわって、例えばどんなですか。僕、黄泉にいるふわふわが想像できなくて」

 鬼の考える愛らしい生き物が、どんなものか分からないが、黄泉にも犬や猫がいるのだろうか。

「君みたいな愛らしい見た目だよ」
「え、僕? それこそ冗談だ。老人みたいな白髪で、村では皆に遠巻きに見られている。そんな僕が愛らしいの?」
「私には、こう見える。……とても、美味しそうな兎さん」

 そっと腰に手を回し体を引き寄せられた。額同士がこつんとくっついた。

「僕、お、おいし、そう、なの」

 反射的に雪人の肩がびくんと震えた。

「あぁ、怖がらせたかな?」
「怖くはない、です、けど」
「君は本当に兎みたいだね。体をびくびくさせるところとか、似てる。――鬼の私はね。昔から彼らのそばに行けない。とても怖い思いをさせるし、兎が可哀想だから」



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