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番外編:SS
猫をしまう、猫を洗う
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視点:レイム
――大雨が降ったら、大切な猫は、常闇にしまっておこうね。
師の歌うような、それでいて悪戯っぽい声で目が覚めた。
嫌な夢だった。
師匠の悪ふざけで、過去に闇の中にしまわれたのは、レイム自身だった。
* * *
朝起きたら猫がダイニングテーブルに書き置きを残していた。
「……読めん」
置き手紙の字が壊滅的に汚い。ミミズが這ったような字で書かれている。
レイムは手紙に魔法で手を加えた。――なるほど、釣りで川に出かけて昼過ぎには帰るそうだ。
真面目に勉強する弟子だが、人が読める字を書かないところが以前から気になっていた。
レイムは過去に師匠から「うーん、読めないねぇ。やりなおし」と言われ、何度も魔法の宿題を燃やされた経験がある。
だから意地でも師匠に読ませてやろうと綺麗な字を書くようになった。
きっとノアは、誰かと文字でコミュニケーションをした経験が少ないのだろう。
猫獣人のノアは、甘えたな性格だ。
その本能に逆らって「きっと、相手にされない」と、家や学校で人付き合いを諦めたのは、本当に辛かっただろうと思う。
ありのままの自分を否定して「普通の人間」になるため、魔法使いになることを望んだバカ猫だ。
結果としてレイムの元へ来てくれたのは、良かった、が。
――自分の伝えたいことが正しく相手に伝わらないのは、不幸なことだよ。レイミー。
ふと過去に師匠に言われた言葉を思い出した。その点については、師匠の言う通りだ。
だからレイムは、自分が与えられた愛情と同じものを弟子にも与えたいと考えている。
もちろん師匠のように手紙を燃やしたりはしない。
しないが、叱りはする。私は、お前の伝えたいことを具に知りたいから、ちゃんと読めるように書け、と。
「まったく、あいつは、本当に……」
悪態をつくと共に、窓の外を見た。
長い冬が終わり外に出たくなるノアの気持ちは理解できるが、今日は雨が降る。
レイムの家には、壁に天気予報が浮かび上がる羊皮紙が貼ってあった。今まで師匠の天気予報の魔法が外れた試しがない。きっとひどい雨になるだろう。
昨晩一緒に布団に入ったとき、瞼がとろとろと落ちかけているノアに「明日の釣りはやめておけ」と言った。人間の耳と、猫の耳。合計四つも耳があるのに、本当に人の話を聞かない猫だ。
無論、大雨の予報と言っても通り雨。ノアだって子供じゃないし、魔法だって教えている。雨が降ったら雨宿りをするはずだ。
あとで傘を持って川へ迎えに行こう。
――と思っていた。
数時間後、レイムの嫌な予感の通りの姿でノアは帰ってきた。
「レイムさん、魚! 外、あったかくなったから、大きいの釣れた!」
雨に降られて、ノアは全身びしょびしょに濡れていた。手に持っているバケツの中でビチビチと元気よく魚が跳ねている。
ひとまず、ノアが魚と共に大雨に流されなくて、良かった。
大きい魚が釣れて嬉しかったのか、ノアの頭の上には猫の耳が出ていた。
「……バカ猫が」
「え?」
少し癖のある亜麻色の髪は水の重さで伸びて顔に張り付き、水をポタポタと滴らせている。ローブは水が絞れるくらいにぐっしょりと濡れていた。
「私は昨晩、雨が降るから釣りは、やめておけと言ったはずだが?」
「あー……でも、魚、レイムさんと、食べたかった、し」
「お前は、雷が怖くないのか?」
「え、別に、雷なんて、だって、ピカって光るだけじゃん」
ノアがそう言ったときだった。外から大きな雷の落ちた音が響く。目の前が雷の光で真っ白になった。きっと近くの木に落ちたのだろう。
「なんだ、ノア。怖くないんじゃないのか」
「ッ、だって……街じゃ、こんな音、落ちたりとか」
さっきまで、魚が釣れてご機嫌だったノアは、完全に獣化してレイムの腕の中にいる。なるほど、面白い。
「この辺は、背の高い木が多いからな、天気が荒れると雷がよく落ちるんだ」
レイムの腕の中では、びしょ濡れの猫が、ぶるぶると震えていた。
「お前を猫にする手間が省けたな」
「え……猫にするって」
「いい機会だ。全身、隅々まで洗ってやる」
「いッ! いい。自分でお風呂は入るし」
ノアはぶるぶると首を横に振った。
「その猫の姿でどうやって? バスタブで溺れるだけだろう」
「溺れないし、元の姿に戻ったら……自分で」
ノアがそう言った瞬間、再び近くでドカンと雷が派手に落ちた音が響く。レイムの腕の中から逃げたノアは、壁の隅っこで震えていた。濡れた尻尾が、驚きでぶわっと広がった。本当に、わかりやすい猫だ。
「……戻るのを待っていたら風邪をひくな」
壁の隅に逃げたノアの元まで行き、レイムはノアの首根っこを掴んで顔を見合わせた。
「ッ、や、やだ、レイムさん。俺、大丈夫だから! タオルの上で体ごろごろしたら濡れた毛は乾くし。綺麗になるから」
「なぜそんなに嫌がる? 別に風呂は嫌いじゃないだろう? 水は湯にしてやる」
「レイムさんに、あ、洗われるのが、やだ」
「ほぉ……なら尚更、私が洗おう。貴様に罰を与えようと思っていたところだ」
川で魚と格闘したせいか、ノアの両手両足は泥だらけだし、洗い甲斐がありそうだった。
「ば、罰って、俺、別に悪いことなんか、お土産の魚だって」
ノアはレイムに首を掴まれたまま、前足を玄関のバケツへ向けた。
「……分かってないのなら、洗われている間に反省しろ」
「ぅ、や、いやああああ」
猫の大きな鳴き声が部屋に響いた。
「うるさい、魔法で口を塞いでやろうか」
「う……」
返事を聞く前に塞いでやった。
* * *
風呂場は家の一番奥に作られている。
温めた湯を桶の中に入れて、その中にノアを入れると、泡立てた石鹸で猫の両手両足を洗った。最初は、みーみーにゃーにゃーと、情けない声をあげて暴れていたノアだったが、しばらくすると静かになった。
風呂場に水音だけがちゃぷちゃぷと響いている。
どうやら、外の大雨と雷はおさまっているようだ。通り雨で良かった。
「なんだ、急に大人しくなって、ちゃんと反省したのか?」
「……ん、なんか、レイムさんの手、きもちいい……」
「はぁ……」
「どうしたの?」
もっと、と。うっとりした目で見上げられた。こちらの気持ちを分かって欲しい。
師匠と弟子という関係だが、すでに結婚した仲だ。
「……これじゃ、仕置きにならないな」
湯で丁寧に泡を落として、綺麗になったノアは、ごろごろと喉を鳴らしてレイムの手にすり寄ってきた。
「ねー、なんで、怒ってるの? レイムさん」
「お前の字が汚かったからだ。書き置きをするなら読める字で書け」
「え? そんなに汚いかなぁ、俺の字」
「……汚い」
即答したら、ノアは桶の中に顔をぼちゃんと突っ込んだ。ぶくぶくと水の泡が上がってくる。
レイムは湯桶からノアを抱き上げた。
「綺麗に書けないわけじゃないだろう。読ませるために努力をしないから、私は怒っている」
「う、でも、レイムさん、いつも読んでくれるし……」
「私が魔法を使わなくても読める字を書きなさい」
「ど、努力、する」
抱き上げたまま、風呂場から外に出したノアをタオルでくるんで乾かし始めた。ノアはタオルで拭かれるのが気持ちいのか目を細めてされるがままになっている。
あんなに嫌がっていたのに。
「……ノーア」
「ん、なぁに? レイムさん」
「お前の字が正しく読めないと、何かあったときに、すぐに探しに行けない」
レイムが、そう言うと、まだ半分濡れたままのノアがレイムの胸に飛び込んできた。
「レイムさん!」
突然、ノアの獣化が解けて人間の姿に戻った。ノアの重さでレイムは後ろに倒れて、床に座り込んでしまう。
「なんだ、急に飛びついたら危ないだろう、ノア」
レイムが顔を上げると、オレンジの瞳が嬉しそうにまんまるになっている。
驚きと、喜びが溢れていた。
「俺のこと、心配してくれたの?」
当たり前のことを訊いてきた。だから、バカ猫なんだ。
「字の件だけじゃない。師匠の言うこときかないなら、今後雨の日は、お前をしまうぞ」
「え、うん、いいよ! レイムさんのそばにいてもいいってことだよね!」
ノアの言葉に、今度はレイムが目を丸くする番だった。
「……ホントに、お前はもう」
レイムは、ノアには勝てないなと思った。
猫を洗う、猫をしまう。
おわり
――大雨が降ったら、大切な猫は、常闇にしまっておこうね。
師の歌うような、それでいて悪戯っぽい声で目が覚めた。
嫌な夢だった。
師匠の悪ふざけで、過去に闇の中にしまわれたのは、レイム自身だった。
* * *
朝起きたら猫がダイニングテーブルに書き置きを残していた。
「……読めん」
置き手紙の字が壊滅的に汚い。ミミズが這ったような字で書かれている。
レイムは手紙に魔法で手を加えた。――なるほど、釣りで川に出かけて昼過ぎには帰るそうだ。
真面目に勉強する弟子だが、人が読める字を書かないところが以前から気になっていた。
レイムは過去に師匠から「うーん、読めないねぇ。やりなおし」と言われ、何度も魔法の宿題を燃やされた経験がある。
だから意地でも師匠に読ませてやろうと綺麗な字を書くようになった。
きっとノアは、誰かと文字でコミュニケーションをした経験が少ないのだろう。
猫獣人のノアは、甘えたな性格だ。
その本能に逆らって「きっと、相手にされない」と、家や学校で人付き合いを諦めたのは、本当に辛かっただろうと思う。
ありのままの自分を否定して「普通の人間」になるため、魔法使いになることを望んだバカ猫だ。
結果としてレイムの元へ来てくれたのは、良かった、が。
――自分の伝えたいことが正しく相手に伝わらないのは、不幸なことだよ。レイミー。
ふと過去に師匠に言われた言葉を思い出した。その点については、師匠の言う通りだ。
だからレイムは、自分が与えられた愛情と同じものを弟子にも与えたいと考えている。
もちろん師匠のように手紙を燃やしたりはしない。
しないが、叱りはする。私は、お前の伝えたいことを具に知りたいから、ちゃんと読めるように書け、と。
「まったく、あいつは、本当に……」
悪態をつくと共に、窓の外を見た。
長い冬が終わり外に出たくなるノアの気持ちは理解できるが、今日は雨が降る。
レイムの家には、壁に天気予報が浮かび上がる羊皮紙が貼ってあった。今まで師匠の天気予報の魔法が外れた試しがない。きっとひどい雨になるだろう。
昨晩一緒に布団に入ったとき、瞼がとろとろと落ちかけているノアに「明日の釣りはやめておけ」と言った。人間の耳と、猫の耳。合計四つも耳があるのに、本当に人の話を聞かない猫だ。
無論、大雨の予報と言っても通り雨。ノアだって子供じゃないし、魔法だって教えている。雨が降ったら雨宿りをするはずだ。
あとで傘を持って川へ迎えに行こう。
――と思っていた。
数時間後、レイムの嫌な予感の通りの姿でノアは帰ってきた。
「レイムさん、魚! 外、あったかくなったから、大きいの釣れた!」
雨に降られて、ノアは全身びしょびしょに濡れていた。手に持っているバケツの中でビチビチと元気よく魚が跳ねている。
ひとまず、ノアが魚と共に大雨に流されなくて、良かった。
大きい魚が釣れて嬉しかったのか、ノアの頭の上には猫の耳が出ていた。
「……バカ猫が」
「え?」
少し癖のある亜麻色の髪は水の重さで伸びて顔に張り付き、水をポタポタと滴らせている。ローブは水が絞れるくらいにぐっしょりと濡れていた。
「私は昨晩、雨が降るから釣りは、やめておけと言ったはずだが?」
「あー……でも、魚、レイムさんと、食べたかった、し」
「お前は、雷が怖くないのか?」
「え、別に、雷なんて、だって、ピカって光るだけじゃん」
ノアがそう言ったときだった。外から大きな雷の落ちた音が響く。目の前が雷の光で真っ白になった。きっと近くの木に落ちたのだろう。
「なんだ、ノア。怖くないんじゃないのか」
「ッ、だって……街じゃ、こんな音、落ちたりとか」
さっきまで、魚が釣れてご機嫌だったノアは、完全に獣化してレイムの腕の中にいる。なるほど、面白い。
「この辺は、背の高い木が多いからな、天気が荒れると雷がよく落ちるんだ」
レイムの腕の中では、びしょ濡れの猫が、ぶるぶると震えていた。
「お前を猫にする手間が省けたな」
「え……猫にするって」
「いい機会だ。全身、隅々まで洗ってやる」
「いッ! いい。自分でお風呂は入るし」
ノアはぶるぶると首を横に振った。
「その猫の姿でどうやって? バスタブで溺れるだけだろう」
「溺れないし、元の姿に戻ったら……自分で」
ノアがそう言った瞬間、再び近くでドカンと雷が派手に落ちた音が響く。レイムの腕の中から逃げたノアは、壁の隅っこで震えていた。濡れた尻尾が、驚きでぶわっと広がった。本当に、わかりやすい猫だ。
「……戻るのを待っていたら風邪をひくな」
壁の隅に逃げたノアの元まで行き、レイムはノアの首根っこを掴んで顔を見合わせた。
「ッ、や、やだ、レイムさん。俺、大丈夫だから! タオルの上で体ごろごろしたら濡れた毛は乾くし。綺麗になるから」
「なぜそんなに嫌がる? 別に風呂は嫌いじゃないだろう? 水は湯にしてやる」
「レイムさんに、あ、洗われるのが、やだ」
「ほぉ……なら尚更、私が洗おう。貴様に罰を与えようと思っていたところだ」
川で魚と格闘したせいか、ノアの両手両足は泥だらけだし、洗い甲斐がありそうだった。
「ば、罰って、俺、別に悪いことなんか、お土産の魚だって」
ノアはレイムに首を掴まれたまま、前足を玄関のバケツへ向けた。
「……分かってないのなら、洗われている間に反省しろ」
「ぅ、や、いやああああ」
猫の大きな鳴き声が部屋に響いた。
「うるさい、魔法で口を塞いでやろうか」
「う……」
返事を聞く前に塞いでやった。
* * *
風呂場は家の一番奥に作られている。
温めた湯を桶の中に入れて、その中にノアを入れると、泡立てた石鹸で猫の両手両足を洗った。最初は、みーみーにゃーにゃーと、情けない声をあげて暴れていたノアだったが、しばらくすると静かになった。
風呂場に水音だけがちゃぷちゃぷと響いている。
どうやら、外の大雨と雷はおさまっているようだ。通り雨で良かった。
「なんだ、急に大人しくなって、ちゃんと反省したのか?」
「……ん、なんか、レイムさんの手、きもちいい……」
「はぁ……」
「どうしたの?」
もっと、と。うっとりした目で見上げられた。こちらの気持ちを分かって欲しい。
師匠と弟子という関係だが、すでに結婚した仲だ。
「……これじゃ、仕置きにならないな」
湯で丁寧に泡を落として、綺麗になったノアは、ごろごろと喉を鳴らしてレイムの手にすり寄ってきた。
「ねー、なんで、怒ってるの? レイムさん」
「お前の字が汚かったからだ。書き置きをするなら読める字で書け」
「え? そんなに汚いかなぁ、俺の字」
「……汚い」
即答したら、ノアは桶の中に顔をぼちゃんと突っ込んだ。ぶくぶくと水の泡が上がってくる。
レイムは湯桶からノアを抱き上げた。
「綺麗に書けないわけじゃないだろう。読ませるために努力をしないから、私は怒っている」
「う、でも、レイムさん、いつも読んでくれるし……」
「私が魔法を使わなくても読める字を書きなさい」
「ど、努力、する」
抱き上げたまま、風呂場から外に出したノアをタオルでくるんで乾かし始めた。ノアはタオルで拭かれるのが気持ちいのか目を細めてされるがままになっている。
あんなに嫌がっていたのに。
「……ノーア」
「ん、なぁに? レイムさん」
「お前の字が正しく読めないと、何かあったときに、すぐに探しに行けない」
レイムが、そう言うと、まだ半分濡れたままのノアがレイムの胸に飛び込んできた。
「レイムさん!」
突然、ノアの獣化が解けて人間の姿に戻った。ノアの重さでレイムは後ろに倒れて、床に座り込んでしまう。
「なんだ、急に飛びついたら危ないだろう、ノア」
レイムが顔を上げると、オレンジの瞳が嬉しそうにまんまるになっている。
驚きと、喜びが溢れていた。
「俺のこと、心配してくれたの?」
当たり前のことを訊いてきた。だから、バカ猫なんだ。
「字の件だけじゃない。師匠の言うこときかないなら、今後雨の日は、お前をしまうぞ」
「え、うん、いいよ! レイムさんのそばにいてもいいってことだよね!」
ノアの言葉に、今度はレイムが目を丸くする番だった。
「……ホントに、お前はもう」
レイムは、ノアには勝てないなと思った。
猫を洗う、猫をしまう。
おわり
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