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フェロモン

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 ノアが森の入り口でレイムの家に帰りたいと願うと、森はノアを正しく招き入れてくれた。
 暫く歩いていると、レイムの家が見えてくる。
 初めて常闇の森へ入ったときは道なんてなかったのに、行きも帰りも迷うことなく目的地に辿りついていた。
 魔法使いになるため森に入ったときは、何時間もさ迷っていた。

(面白い魔法だなぁ)
 街中では落ち着かない気持ちになっていたのにレイムの家の前に立つと、ほっと安心している自分に気がついた。ノアの中でレイムの家は、もう自分の家になっていた。迷わず帰って来られたことで、レイムに心を許されている気になる。
 森の魔法は先代の魔法らしいが、それでも嬉しかった。

「ただいま! レイムさん」
 ノアが扉を開けると、部屋から明るい笑い声が聞こえてきた。
「あれ……お客様?」
「あぁ」

 レイムは、いつも薬の調合をしているカウンターの前に立っている。

「まぁ、あなたが、例の新しいお弟子さんね!」
「例の?」

 ノアが首を傾げる。
 お客さま用の赤い椅子には若い女性が座っていた。さっきの笑い声の主は彼女だった。
 腰まである美しい金色のロングヘアー。薬屋よりも王都の綺麗なカフェに座っていそうな人だ。とてもスタイルがいい。芯の強そうな女性。

「まだ弟子候補だ」
「ふふ。初めまして。私、ここの薬屋さんにお世話になっているアリア。よろしくね」
「あ、はい。こちらこそ。ノア・リーシアです」

 ふわりと春に咲く花のような香水が鼻腔をくすぐる。その甘い匂いに頭がくらくらする。彼女の近くで立っていると、吸い寄せられるように手を伸ばしそうになった。

(抱きつきたい、抱きしめて欲しい。甘えたい。甘えさせて欲しい、優しくして欲しい)

 お腹の中心から赤黒い感情が渦巻いてくる。この気持ちには覚えがあった。このままこの感情に身を任せてしまうと「人間らしい」意識が消えていく。

「ノア」

 ノアはレイムに呼ばれて、ハッとして慌てて手を引いた。
 ――俺、いま何しようとした。
 驚きで体がびくりと震えた。

「ッ、あ、はい!」
「――菓子は無事に買えたのか」
「え……うん。買ったよ」

 レイムはアリアの注文の品を作っているのか、手元の薬品に視線を落としたままノアに話しかけた。小さな子供のお使いの確認をされているようで、少し嫌な気分になった。この程度のお使いくらい出来るって反発したくなる。
 帰ってくるまでは、レイムの喜ぶ顔が見たかったのに。
 再びもやもやした気持ちが湧き上がってきた。なんだか嫌な自分を見ているようだ。
 そんな気分を払拭するようにぷるぷると顔を横に振った。
 ノアが黙ったままだったので、レイムがカウンターから顔を上げてノアに視線を向けた。

「どうかしたか」
「な、何でもない。あ、俺、お客様にお茶、入れるね」

 ノアはバタバタと台所へ入った。お湯を沸かしている間、ちらちらと部屋の中へ視線を向ける。同じお客でもフレッドの場合は、扱いが雑でレイムは、あまり会話をしていなかった。けれどアリアというお客の相手は、きちんとしている。
 話の内容までは聞こえない。会話が弾んでいるようには見えないが、レイムが誰かと長く会話しているのを初めて見た。もちろん比較対象はフレッドと自分しかいないけれど。

(そっか。このお菓子って、アリアさんのためだったんだ)

 ノアたちがいつも食事をしているテーブルの上。そこにノアは買い物カゴを置いた。
 お茶の用意をしながら、お菓子の紙袋に視線を向ける。
 さっきまでは、その袋を見るたび、心がぽかぽかと温かい気持ちになっていた。急に、さっと冷たいものが心の中に流れ込んでくる。
 ノアは紅茶をティーポットからカップに注ぎ、買ったばかりのお菓子を小さな白い皿に乗せた。チョコレートクッキーに赤いジャムの乗ったバタークッキー。それらを持って店に戻ってくる。

「あの、どうぞ」
「まぁ、ありがとう。綺麗なクッキーね。王都のお店のかしら? 私、田舎の方に住んでいるから、おしゃれなお店とか近くに無くて」

 ノアはぺこりと頭を下げると、その場から逃げるように背を向けて階段へ向かう。自室で勉強をしようと思った。

「ノア」
 二階に上がろうと廊下に出たタイミングでレイムに呼ばれた。振り返ると少し困ったような表情をしている。

「あ、お手伝いなら」
 レイムが自分に何か用事を言ってくれるんだと思った。けれど、そんなノアの期待はすぐに裏切られた。

「いや、いい」
 断られたことで、また少し落ち込んでいる。確かに手伝いをするにも薬作りじゃノアに手伝えることはない。ノアは前の失敗から、まだカウンターへ入るのを許されていなかった。

「そっか。二階で勉強してるね」

 もし今、自分のお尻に尻尾があったとしたら、分かりやすく垂れ下がっていた。気分は沈んでいくばかりで、このままこの場にいたら完全に獣化してしまいそうだった。
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