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ネコとオセロと学校と
mini cat 1 『不思議なニンゲンだ』
しおりを挟むーー俺はネコ。ただのネコだ。名前はもう無い。
外見はまあ、普通だ。ノラ業界ではしょっちゅう見かける様な、短毛にピンと立った耳。
唯一の個性と言えば、両眼を貫く様に走った、黒く太い線だ。元の目付きの悪さも合わさって、周りからは不良だったり、ガラの悪い奴だとして認識されている。
昔。俺の事を“ブサカワ”とかなんとか言って、窮屈なショーケースから出してくれたニンゲンが居た。最も、その元ご主人は、大体1ヶ月ほどで俺を捨てたが。
だが、特段昔の生活に未練もない。俺には、ノラでの気ままでスリリングな日常が性に合って居たらしく、割と簡単に適応している。
そんな俺の生活は、朝の食料確保から始まる。そんな時、アホな奴はわざわざ人の目が通りやすいゴミ捨て場なんかのゴミを漁るらしいがーー俺は、そんな愚行には走らない。走る必要がない様、常日頃から慎重に、打算的に行動する様心掛けている。
そもそも、俺たちノラは基本的には世の目を忍んで生きる陰の存在であり、現在生物ヒエラルキーの頂点に立つニンゲンと言う種族は、そう言った“陰”を著しく嫌う。ならば、人前に出ないのが最良、と言うものだ。
故に俺の餌は、基本的には路地裏に巣食うネズミを、根気強く狩って貯蓄、それを少しずつ齧る、と言うスタイルだ。
なに、ノラネコ、毎日しっかりと食料を腹に入れていれば死ぬことはないのだ。例えその食事に幸福が無いとしても、例えその狩りに楽しみが無いとしても、生存こそが最優先なのだ。それが分からないネコから、死ぬ。
まあ、ここまでで結局なにが言いたいのかーーそれを、疑問に思ったとしよう。
ならば、そろそろその答えを教えてやるとしよう。これは、とある曇天の日に俺を襲った、ちょっとした、変化の始まりだ。
「……ニャア」
「にゃ、にゃ~? にゃうにゃ、にゃ~」
「………」
なんなんだ、このニンゲンは。
本日、運悪く貯蓄を切らしてしまった俺は、危険を承知で“表”にエサを狩りに来て居たのだ。この辺りの商店は夜中から朝まで営業している関係で、周囲にポイ捨てが多い。そこからエサを発見出来る事が多く、それを取ろうとして居た。ゴミ箱漁りならともかく、ポイ捨てを持って行くくらいなら構われる事も少ないーーそう考えての行動だ。
……だが、運が悪い。今日は恐らく、ニンゲンの言う“厄日”とか言うものなのだろう。昔、俺の処分に困った元ご主人が呟いていた。
と言うか、本当にこのニンゲンはなにをやっているんだ? 真っ黒な、俺の体毛の9割を占める白とは真逆の、長い髪を伸ばした“ソレ”は、今俺に向かって、意味を受け取れない無意味な鳴き声を発していた。
もしや同族なのだろうか。雰囲気からもそんな感じがするし、一度、話を聞いてみるかーーそんな風に思い立って、一言だけ発したのだが、どうやらそう言うわけではなく、“コレ”は、ただアホなだけの普通のニンゲンであるらしい。
そんな“ソレ”は、現在2時間ほど。1日のうち数%を占める時間を、俺へ話しかける行動に費やしているのだ。アホ以外の何物でも無いし、なんの時も生まない無為な流れだ。
「……ニャ~」
だが、一応だ。このニンゲンが俺に害をなすとは、到底思えないし。
そのニンゲンの背後で、ぽつりと降り始めた雨に注意する様、勧告しておいてやろう。本降りにさえならなければ、俺の日頃の逃亡生活で鍛えられた脚力を持ってすれば、普段巣食っている路地裏まで一切濡れずに戻る事も可能だろう。
ーーーと。そんな余裕をかいていれば。
「わわっ!? …きゅ、急に降り出した!?」
「…ニャ~………」
本当に、運が悪い。
人間の背後で、所謂『バケツをひっくり返したように』降り出した大雨を見て、そう思うのは当然の道理だった。
◆◇◆
「……ニャ」
「…ん? …だ、だいじょうぶ、だよ。あなたを置いて、家に帰るとかは、しない、から。……ほんとは、傘忘れちゃってるんだけどね」
大雨が降り始め、数十分。
周囲に雨宿りができる建物も無く、仕方なく、ここの狭い軒下で雨宿りをしていたのだが。
ここ最近見なかった、勢いの強い雨。ーー或いは、台風を凌ぎきるには些か頼りなく、実際、このニンゲンにはさっきから、軒下に潜り込んだ雨粒が降りかかっている。
俺自身は、このニンゲンが庇うように前にいるお陰で濡れてはいないが、不思議な事だ。俺とは一切関わりがない筈のこいつに、俺を守る義務も必要も、ないのに。
「……そ、それにしても、寒いね……わたしがあなたを抱っこ出来たら、もうちょっとマシかもだけど……わたし、濡れちゃってるから、あ、はは」
そう。不可解なのはここだ。
このニンゲン、さっきから明らかに、既になんらかの病に侵されていてもおかしくない程に、がたがたとその身体を揺らしている。そりゃ、冬のみぞれにも似た冷たい雨粒を一身に受けているのだから、当然といえば当然だが。
俺自身も相当に寒いが、雨水を受け止めてくれるこのニンゲンのお陰で、なんとか一命をとりとめてはいるがーーニンゲンの方は、そろそろ死ぬんじゃないか? 少なくとも、さっちからたまにこちらに見せる青ざめた表情を見る限りでは、そうも思える。
「……え、へへ………こんな時、犬斗だったら、もっといい方法、出来たかもなのに…わたし、不器用だから……ごめ、んね」
「……ニャァ」
もういい。黙れ。
自分を庇っているせいで。既に声を発することすら難しそうなニンゲンを見ていて、辛さを感じない程に腐ってはいない。
だが、俺が絞り出したその声は、雨音に掻き消され、届かなかった様だ。
ーーーーさて。
このままでは、下手すると両者行き倒れだ。こういう時、普通はどうするのか。
普通なら、“ケイタイ”とか言うのを使って助けを呼ぶのだろう。ここまで絶望的な状況が合わさるなんて到底ない。なんせ、周囲には民家も開いている商店もなく、そもそも、既にこの雨を掻い潜って何処かへ駆け込むことすら難しいレベルだ。
そしてこのニンゲンはーーーどうやら、肝心のケイタイを持っていないらしい。或いは、持っているが手段として忘れているか。
ならばこんな時に必要なのは、なんだ?
答えは。
「………え」
遠方から、緩やかに近づいて来ていた1人のニンゲンが、驚く様にそんな言葉を発する。
「………あ」
俺を庇うニンゲンが、顔を少し上げ、希望の様に言葉を発する。
「ーーーー猫宮!」
傘を差したその人間が、叫んだ言葉は確かに聞こえた。
ーー雨の音は、その時不思議と、聴こえなかった。
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