DOUBLE!!

神山小鬼

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ダブルディーラー

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 超能力者養成学校『等愛学園』。中高合併全寮制のここは、敷地内に街が一つ入っているかのような設備が整っている。なので普段の生活に不自由さはさほど感じない。生徒の家族も敷地内に住み込み、この小さな街を運営する仕事に就いている場合が多い。
 校内は生徒も教師も全て能力者。パワーは思春期に発現しやすい為、さまざまな事情の少年少女達がここで日々修行に励んでいた。敷地内に張り巡らされたパワーロックのおかげでみんな通常人と変わらぬ生活を営む事ができているのだ。
 パワーロックとは、生徒達の超能力乱用を防ぐ為に校内、寮内、その他全ての立ち入り場所に発信されている特殊電波の事。いわゆる妨害電波みたいな物で、カラー授業やカラーテストの時だけ担任の教師がその教室のみロックを外す。教師も全員がここの出身で、卒業後にはそのまま教える側へと回る者も少なくない。もちろん条件は厳しく、エリート級でなければ資格が取れないそうだけれど。
 そして敷地の外に出る時は、能力抑制アイテムのアクセサリー等を身につける事が原則となっている。あまりこの規制を破ってばかりいると外出許可が貰えなくなってくるから、意外とみんな守っているようだ。
 拘束されている感じで聞こえは良くないかもしれないが、学年が上がるにつれ、きちんとこの学園のテーマというものが理解できるようになってくる。
 超能力に関する学科を『カラー授業』と言い、能力別にグループ色分けされている事からそう呼ばれていた。

 ブルー:サイコキネシス(念動力)
 グリーン:タイムトラベル(時間移動)
 イエロー:テレポート(瞬間移動)
 オレンジ:クレアボヤンス:(透視・過去、未来視)
 ピンク:イリュージョン(幻影・催眠)
 ホワイト:テレパス(精神感応)
 レッド:アナザー(その他補助的能力)

 実はもう一色のグループが存在し、それはこの世界でただ一人の特殊能力を持つ者の為だけに設けられたのだ、なんて七不思議的噂まであるあたり、大して他の学校と大差ないと思う。
 レッドの合紅先生は在学中エリート中のエリートと評判だったらしいが、教師になった途端その完璧主義さを大発揮してスパルタ化、俺の先輩がいつも餌食となっていた。教師はなぜかホワイトかレッドしかなれない。力の源である精神に直接作用しコントロールできる、というのが条件らしいが、その点でレッドがどう関わってくるのかはまだよく分からない。とにかく、生徒達の心の支えとなれる人。……でもまあ、俺的には合紅先生が担任じゃなくてホント良かったと思うけれど。
 何はともあれ、四年一組夏目光二、四年二組小路棗は共にブルーグループのサイキッカー、それも成績上位者なのだった。
「その馬鹿力制御できれば、お前が主席なんだがなあ」
 翌日のカラー授業前の教室移動、はちあわせた棗と廊下でいつもの言い合いを始める。
「何だかなあ、コージコージ怒鳴られると俺まで叱られてる気分なんだよな」
「なんだいっ!同じ名前してる光二が悪いんじゃないか!そーゆー事言うと婿取りするぞっ!『小路光二』の人生を送らせてやるーっ!!」
「へっ、だーれが……」
 そこまで言い放った時、バコン!と物凄い音がして脳内世界が激しく揺らいだ。後ろをついて歩く棗との会話に夢中になって、前方の光が陰った事に全く気づけないでいたのだ。痛みと恥にうずくまり鼻を押さえた頭上から、愉快そうな男子生徒の声がテンポ良く降り注いできた。
「廊下は前を見て歩きましょう!」
「あ、高広先輩だ!」
 俺が名前を呼ぶより早く、回りの通行人が口々に歓喜の声を上げる。出現した途端に注目の的。四角い顔と垂れがちの目でにっかり笑う、下級生に人気の高い、そして校内でも有名な人物。白國高広先輩だった。一学年上の五年生で、胸の名札にはグリーンカラーのマーク。タイムトラベラーだ。
「あーっ高広先輩が変な物持ってるー!」
 やっぱり先輩を大好きな棗が大喜びで叫んだ通り、高広先輩は自分の身長の三分の二はあろうかという大きな板を抱えていた。板が大きいというよりは先輩が小さすぎるのだが。俺はこれに顔面から突っ込んだらしい。
「変な物って棗ちゃん。この学校のスローガンよ、コレ」
 確かに。先輩の手から棗へと移動した黒の額縁には、よく見慣れた文章が書いてあった。
「これって、各教室の黒板の上に飾られてるやつですよねー」
 毎日遠目に眺めているにもかかわらず、棗がまじまじと見つめ出す。いまいましい通行の障害物に俺は出身地を問うた。
「どっからそんなモン……」
「四年一組!」
「……へ、うち??」
 いつの間に。っていうか何の為に?
 驚くだけの俺に、先輩は親指を立てて垂れ目を下げて、大いなる次元の過ちを正してきた。
「ただし一年前の、な!これは過去からの戦利品よ!!」
 思わずぽっかりと口を開けてしまった。一年前……?あ、でもそういやあ……。
 ふとある事に思い当たった時、他クラスの棗の方が額縁の経路にとらわれず、先に問題の核心を突いていた。
「あー、もしかして……こないだのグリーングループ実技テストの時の!?」
「ピンポーン!!」
「あ、あのタイムトラベラーの……」
 授業というからにはやはりカラーの方にもそれぞれ実技と筆記の試験がある。ところがグリーンだけは時間を移動しなければその能力値が見られない為、他とは少し変わった実技試験を行っていた。
 試験を受ける生徒達は、指定された年月日の指定時間に到着する。まずこれがお題目。たいがい到着日時は試験の丁度一年前に定められる事が多い。そこでは一年前の先生達が試験官として待っており、その時間に辿り着いたという証拠品も用意されている。証拠品を持ち帰れば見事合格。先生方からすると、準備をし、教室のロックを外して待っているだけ。すると未来から来年度の生徒達が試験を受けに時間を戻ってくる、そんな仕組みになっていた。
 ただし失敗すると時空の迷子となるからみんな必死だ。合格率は全グループ中でピカイチらしい。
 ……で。
「そーそー、それそれ。そういう事よ」
 楽しそうに話を続ける高広先輩だったが、どうしても腑に落ちない点があった。各教室に一つしかない、しかも持って行かれちゃ困るようなモンを証拠品にするものか?
「高広先輩、これがその証拠品ですか?」
「うんにゃ、戦利品」
 にこにこ顔の先輩の前で俺達は顔を見合わせた。
【戦利品】戦争などでブン取ったお宝。
 …………。
 無言の俺達に、先輩はその時の心情を簡潔に説明してくれた。
「いやあ、つい!」
「何でかなっ!?」
 二人揃って素直に突っ込んでみる。ダブルダッチ。『ちんぷんかんぷん』ですってば先輩!どうりでうちのクラスの額縁、新しいと思った……。
 その時、奥の教室の扉から先輩を呼びつける者がいた。眼鏡をかけた細身の若い男性。しかしその迫力は他の者達に緊張を走らせる。レッドの合紅先生だ。
「おら、高広!早めに教室入っとけ!」
「うえ。アイコちゃんおーぼー」
 アイコちゃんは合紅先生の愛称。スパルタだが、実は意外と面倒見が良く人望も厚かったりする。みんな合紅先生の授業を嫌がりはするが、本人を嫌う者はあまりいない。
 うんざりした表情で、先輩は額縁を持ったままのろのろと四学年の一教室へと向かって行った。
「隣で追試受けてたんですね……」
 五学年の教室に追試用の教室が余っていなかったのだろう、先輩がこんな所にいた理由がやっと判明した。まあそれだけ好き放題やれば追試も当然だろう。なぜせめて証拠品も一緒に持ち帰らなかったのか。下手をすればウケを取る為に留年だってしてしまいそうなお調子者の先輩には、スパルタ教師の合紅先生がぴったりのような気がしてきた。
「高広先輩って元気だよねー」
「まあな」
 先輩と別れ、俺達はまた移動教室に向かって歩き出した。後ろから彼の名を呼ぶ声が響く。振り返ると、高広先輩もさっきまでの暗い顔はどこへやら、声をかけられる度小踊り状態でみんなに笑顔を返していた。
「前はよくトリップする度にパラレルワールドへ迷い込んではヘロヘロんなって連れ戻されてたけどな」
 タイムトラベラーのトリップ(時間旅行)は一番危険とされている。時の流れにはいくつもの分岐点があり、一歩間違えれば別の選択肢を選んだ別の平行世界(パラレルワールド)へ飛ばされてしまう可能性があるからだ。そうなると元の世界に戻って来るのがまた大変らしい。タイムパトロールなる者達が存在し時空迷子の保護を行っているらしいが、これもまた噂。高広先輩ならその事実を知っていそうだが、はっきりと聞いた事はない。
 去年まで先輩はオレンジグループで、過去や未来を『見る』事しかできなかった。ところが、四年の終わり頃に突然『接触』できる能力を発現させたのだ。その為本年度からグリーンへと『チェンジ』になったのである。『チェンジ』『ダブル』『トリプル』といった特殊な人種は時々現れるが、多々ある事ではないのでどうしても好奇の目が集まってしまっていた。
 しかし高広先輩が有名になった原因は別の好奇心からだった。その後の迷子回数だ。今は安定しているようだが、チェンジになったばかりの頃は慣れないせいか力の暴走が止まらなかったらしい。トリップする毎に他の時空へ迷い込んでいた。足元もおぼつかない様子で疲れ切った体を教師達に引きずられて歩く姿は、さながら宇宙人捕獲の図と言えただろう。馬鹿にする者も迷惑だと罵る者もいた。それでも先輩はあの調子であっさりと『人気者の有名人』として返り咲いてしまったのである。
「あれを名物と言う……」
 皮肉混じりに俺は笑って断定した。しかし棗はその見解が気に入らなかったようで、ブン、と腕を振り上げて反論してきた。
「でもっ、強くて明るい!元気で前向き!それってすっごくカッコイイ!先輩は絶対に絶対に凄い人だよーっだ!あたしもいつかああなるんだもん!」
 ダ、ダブルワンズフィスト。棗は力一杯『拳を握りしめ』て力説した。なぜそこまで踏ん張る必要があるのか?しかもいきなりのデカい声に回りの通行人達も振り返ってこっちを見ているじゃあないか。俺は肩をすくめ、三歩前を歩いて軽く逃げた。
 途端に目に入った、カラー授業の教室である四年五組の入口。俺ははたと気づく。
 強くて明るい、元気で前向き。こいつはずっとそんな呪文を唱えながら、あの教室へ毎日戦いに行っていたんだろうか?正義もあやふやになった悪意の世界で孤立し、はねのけ、それらを確実に乗り越えて……。
 そうと認識した瞬間、背後から流れてきているオーラが今まで俺の頭の中にあったイメージを微妙に塗り変えてしまっていた。元気だけが取り柄の型破りな少女。それが、深くて大きい、そして太陽のように明るい情熱の波動を発しているかに思えたのだ。
 振り返れば、やっぱり彼女はしっかりと笑顔。真っ直ぐな瞳にはマイナスの思考など露ほども感じられない。彼女にとって高広先輩は尊敬の対象であるらしい。
 ……馬鹿な奴だ。お前が言った形容詞、先輩よりももっとぴったりな奴を俺はよく知っているぞ?
「……ぶ、ぶぶひゃっ」
「おおっ!?」
 変な吹き出し音に始まりくっくっといった笑いが止まらなくなる。かすかに照れを感じるころころの怒り声が勢いよく追いすがってきた。
「笑ったね?笑いましたね!?それもお下品な笑い方でー!!」
 横に並び、やるか!とファイティングポーズを取る棗。俺は棗に一人でなんて戦って欲しくはない。ここにもささやかな味方がいるんだと、合図を送ってみたくなるのだ。
「いやいやいや、大丈夫お前なら。明日にでもその怪力で、高広先輩なんかよりも立っ派な名物人に……」
「わーい!……ってち・がーうっ!!」
「今でも充分強えよ、お前は」
 軽く肩越しにかけた声は、五秒ほど放置されてから「えへへ……」との小さな反応を貰う。
 俺達はまだ未完成のエスパーで、未完成の人間だ。日々学ぶ事は沢山ある筈だった。くせ毛と一緒にスキップで揺れる無邪気な笑顔が、あの頃の素直にみんなを見上げていた表情とダブる。
(だからね、小路さん……)
 そしてもう一人、今となってはもはや信じる事すら容易ではなくなった、棗に向けられる秀麗な笑顔。
(良かったね……)
 ……あれはまだ一学期の頃だ。
 俺と棗が知り合ったのは四年生になってからだった。高広先輩のような『チェンジ』は別として、能力はころころ変わったりはしないのでカラーの方にはクラス替えのようなものがない。なので六年間顔触れが全く変わらずというのも当たり前となり、下手にはじき出されたりすると立場が非常に険しくなってしまう。カラー授業は一日二時間ほどとはいえ、それでもホワイトの先生方は仕事時間の大半をカウンセリングに当てなければならなかった。
 そんな中、俺達の学年だけはブルーの人数が多かった為に二クラスに分かれていたので、クラス替えなんかも毎年あったりした。まあ転入生でも来ない限り大して新鮮さは感じなかったが。
 棗は編入生だった。三年の夏頃にここへやって来たらしい。顔を合わせる機会はなかったが、向こうは俺の存在を知っていたようだ。グループ成績表のトップを、いつも自分と同じ名前が占めていたのだから。四月の新しいメンバーの中で、棗の方から俺に声をかけてきてくれた。明るく人なつこい性格で、彼女がいるといつも教室には笑い声が絶えない。この頃はまだみんなとも仲良くやっていたのだ。
 ところが棗の成績はこの時すでにドン底で、補習や追試の常連メンバーと化している。折角親しくなったのだからと俺もいくらか教えてみたのだが、どうにも教師に向いていないせいか棗はなかなか要領を得てくれなかった。
 見兼ねて教師役の名乗りを上げてくれたのが、学年次席の秀才だった朱門圭子だ。彼女は熱心に棗の成績向上を手伝ってくれていた。
「だからね、小路さん。ここに集中するの」
「……えー?」
「頭の中でイメージを働かせて。いい?ここはこんな感じで……」
 朱門のコントロールは完璧で繊細。怪力で振り回すような形になってしまう棗には、少しばかり見事すぎる見本だったかもしれない。覚え方まで『どたばた』といった状態で最初、成績の伸びはあまり良くなかった。それでも朱門は時間さえあれば親切丁寧な教え方で根気よく付き合ってくれていた。双方の熱意がヒートアップしてきた頃、変化が現れる。
「……こう、かなあ?あ、上がった……!?」
「そう、そうよその調子!ほら、やればできるじゃない」
「すごーい、見て見て朱門さん!あたしにもできたよ!!」
「うん、凄い凄い!」
 大はしゃぎの棗と、上達ぶりを心から喜んでくれる彼女。微笑ましい女子達の笑顔に、俺のカラー授業の一年間は最高の和みになりそうだと密かにほくそ笑んだりしたものだ。
「凄い、さすが朱門さん!嬉しいーっ、ありがとうー!!」
「ふふ、全部小路さんの努力だよ。良かったね」
 ここまでが一学期の出来事。間もなく夏休みに入ってしまったが、これから二人の間に友情なんかが育まれ、俺までほのぼのした平和で楽しい二学期がスタートされるのだと、信じて疑わなかった。壊したのは棗の方じゃない。
 一点集中でのめり込むタイプの棗は、ある程度のコツをつかんだ途端にめきめきと上達し始めた。その裏の努力はのちに聞かされても驚いたほどで、夏休みは許可を得て教室を一つ借り切り、朝から晩まで毎日特訓に明け暮れていたという。足しげく通う道中で辺りを探し回っては、浮かせやすい物や動かせたら楽しそうな物を見つけて教室に持ち込む。寮に戻ってはイメージトレーニング、というか明日はどうやって『遊ぼうか』との空想を膨らませながら眠りに就いたらしい。勉強ではなく遊びと取って楽しんだ者の勝ちだったようで、二学期最初の実技試験は難なくクリア、更には次席の座獲得まで成功したのだ。
 恩返しになると思ったのだろう、棗はすぐさま喜び勇んで朱門の所へ報告に行った。俺もその場にいたのだが、あの時の事はあまり思い出したくない。
 次席になったとはいえ棗のコントロールには甘さが残る。パワーが強大すぎるせいだ。仮に棗が力の99%をコントロールできたとしても、残りの1%が他の者の1%よりずっと大きい為、コンマいくつまで制御できてやっと人並みとなる。
 向上心を覚えた棗は繊細なコントロールを得意とする朱門に再度指導を請う事にした。朱門の教え方が上手い事を証明したかったんだと思う。
 朱門は、その頼みを引き受けなかった…。



「えー、今日の授業は針と糸を使う」
 いつも通りのカラー授業。しかし担任の声など頭に入ってこない。また頭痛が始まり出したのだ。どうもカラー授業の度に痛みの度合いが上がっている気もする。回りの険悪なムードがより不快さを増幅する。
「近寄るなよ小路!ノーコンはスミッコでやれ、バーカ!!」
 男子達などは面白がっている感じがある。ゲラゲラ笑いが頭に響いてイライラに変わり、気分は最悪だった。
「小路なんかそばにいられたら迷惑だよなあ、朱門?」
 男子達に同意を求められた人物は、興味なさそうな顔を装いつつさらりと刺を放つ。
「そうね、針千本飲まされそう」
 それを聞いた女子達も、わざとらしく高らかに笑って挑発を煽り出す。非難されまくった渦中の人物は……。
 棗は最初きょとんとした様子でみんなのありがたい忠告に聞き入っていたが、大きく溜め息を吐くと悲しげな笑顔でこう答えた。
「しょうがないなあ。そんなに怖いんじゃ……」
 形容詞にぴくりと朱門の目尻がつり上がった。
「可哀想だから離れておいてあげるか!」
 その一言に、言葉を失ったみんなの殺気が、楽しげに教室の隅へと移動する棗の背中に集中したのだ。沈黙の中、壁際の空いている席に棗が荷物を置く。誰かが何か言い返すと思ったのだが、火ぶたを切ったのは言葉ではなく一つの消しゴムだった。
「あてっ」
 飛んで行った消しゴムは、ぽこり、とくせ毛の後頭部に跳ね返り、床へは落ちずにそのまま回収される。頭に手を当て振り返ったのを効果ありと見て取ったか、弾丸の数が爆発的な勢いで増え始めた。
「ざっけんなよっ、この女ー!!」
「何様のつもりだってーの!!」
「そーよ、あんたなんてねーっ!」
 大量の消しゴムやら教科書やらがもの凄い勢いで飛ばされる。
「ホッ?おっ!ちょいな!」
 強大なパワーの持ち主は少しもダメージなど食らわずに、軽く手をひらめかせてはピシピシと空中ではじき返していた。担任が慌てて止めに入るがすでに収拾がつかない。
「こ、こらーっ、やめなさい!やめんかーっ!!」
「だって先生!!」
 流石に俺も黙っていられなくなり止めに入ろうと立ち上がった。その時、集団の後ろで静かに座っていた者の指が軽く動いたのが視界の端に入る。
「あっはは、当たんないねえー!やだなあ、みんなの方がコントロール悪いんじゃ……」
 タン、と棗の耳元で背後の壁に突き刺さるかすかな音。顔の横をかすめ、自分目がけて飛んできた銀色の小さな棒に、彼女の語は途切れた。すぐには信じられない様子でゆっくり顔を向けると、きらきら輝きながら針は床に落ちていった。
「え……?」
 蒼くなった棗が消しゴムをはじき返すのも忘れて呆然とする。そこにまた光の連射が襲いかかってきたのだ。
「ちょっ……!」
 点のコントロールは棗が最も苦手とする技術。反対に攻撃側のコントロールは恐ろしく正確な超スピード。よけきれず、棗は力を使うのも忘れて顔を庇ってしまった。自分達の迫力に負け敵がひるんだと勘違いし、みんなが一斉に勢いを増す。彼女の異変はかき消された。
「……………え、何?」
 声以外の音が消える。
「小路、じゃあないよな……?」
 全ての文房具が、棗の20センチ前の空中で止まっていた。本人は体を縮こまらせ、庇った手の隙間から覗いているだけだ。
「誰が止めてるの?」
 全員が辺りを見回し、犯人が割り出された。
「……夏目……?」
 ギリギリとうねり狂う痛みと、目の当たりにした恐怖に汗だくになりながら、俺は何とか椅子から立ち上がっていた。よろよろと歩いて、その場に座り込んでしまった棗の元へとたどり着く。支配した小物類はゆっくり移動させて、奥の机の上に集わせた。担任の怒号もようやく功を奏してくる。
「お前等、いいかげんにしないかっ!一体何をやっているんだ、さっさと片付けろ!」
 後味の悪い空気が漂い出し、これ以上は無益と感じたのかみんなもしぶしぶと自分の投げた小物を探しに机へとたかって行った。
「大丈夫か、棗?」
「あ……、光二が止めてくれたのか」
 覗き込むと、棗はぱっと顔を上げた。彼女は笑顔だった。しかし、その中にかすかな引きつりを見出し、俺は暴挙に及んだ犯人への怒りで体が震え出した。
「いやあ、平気平気!ちょっとびっくりしたけどさあ!」
 失明していればちょっとどころの騒ぎじゃない。こいつの笑顔がまた俺の無能さを縛り上げる。苦痛を、せめて半減させてやりたいのに……!
(それにしても……)
 俺は嫌悪感からくる吐き気をこらえながら恐る恐る振り向いた。
(誰が投げたんだ!?よほどの馬鹿か、あるいは……)
 遅ればせながら事態の大変さに気付いた女子が叫んでいる。
「やだ、針が入ってる!」
「え、嘘!」
「誰だよ、シャレになんねーぞ……」
 泡を吹きそうな勢いで先生もがなり立てた。
「な、何て事を……!今日の授業は危険物の取扱いを学ぶのが目的なんだぞ!小路は大丈夫だったのか!?」
「はぁい♪」
「一体誰がこんな事を……!これは誰の針だ!?」
(あるいはよほどコントロールに自信のある……)
「先生」


 氷のように冷ややかに感じた声の主に、戦慄を伴わせて俺は目をむいてしまった。思い当たった胸中を読んだかのようなタイミング。他の誰一人疑う筈のない容疑者が、堂々と自分の針刺しを差し出していたのだ。
「私の針だと思うんですけれど……」
「何……?」
 まず先生が絶句した。朱門は職員室でも評判の優等生だ。こんな過激な行動には、一番縁のない人物と思われている。緊張が生徒達にも伝染して、教室はしんと静まり返った。だが沈黙は長くは続かなかった。
「朱門、お前が……?」
「まさかあっ!」
 必死な表情で都合の悪いセリフを打ち消そうとしたのは、本人ではなくいつも朱門を取り巻いている女子の一人。
「彼女はそんな事しませんよ!」
 他のみんなも、我に返ったような顔になって口々に叫び出す。
「そうですよ、できる訳がない。絶対に違います!」
「何かの間違いだろー?」
「ねえ、朱門ちゃん?」
 真実を欲しがる取り巻き達に、首を少し傾けて朱門は穏やかに言い放った。
「ええ、あたしは何も投げていないから……」
 緊張が解けてざわめきが戻る中、俺だけが蒼白のまま体を硬直させていた。



 授業は続けられた。針は結局、誰かが別の物を投げた時に偶然一緒に飛んでしまったのだろう、という結論に収まった。
「ですから、そんな言い方は……」
 『犯人』を庇う朱門に免じて収められたのだ。その後たっぷり説教をくらったが、仕切り直してそのまま授業は続行に入る。
 ……針が飛ぶ直前に軽く動いた朱門の指。真犯人を知る者は、多分俺の他に一人もいない。名乗り上げたのも、回りの信頼を思うがままに操れる確信に基づいての事だろう。こんな事が許されていいものだろうか。しかし俺もはっきり見た訳でもない。確たる証拠がない限り、異を唱える事もできなかった。
 リーダー的存在というものは実に両刃の剣だ。その人格によりけり、善悪すら左右されてみんな言いなりとなってしまう。大衆を操る指導者は自分の好きなように事を運べるのだ。気に入られれば天国だが、嫌われれば全員を敵に回す。 棗は今地獄の位置にいた。次席の欄に名前が載った時には、あんなに喜んでいたのに……。



「見て見て朱門さん。あたし成績上がったよー!」
 静かに成績表を見つめ現実に打ちのめされている朱門の元へ、追い討ちのように棗が報告の声をかけてきた。朱門は棗をちらりと一瞥し、すぐにまた成績表へと視線を戻してしまう。
「でもまだコントロールがいまいちなんだー。また教えてくれないかなあ」
 彼女は無表情のまま答えない。
「ねえ、朱門さん~!お願い!」
 自分を蹴落とし成績上位となった者が教えを請おうと手を併せ、頭を下げて頼んでいる。朱門にはとどめの一撃だったらしい。迷惑そうに目を細めてぼそりと一言放った。
「……馬鹿にしてるの?」
「え、何が?」
 意味が分からずけろりと答えた棗の返事を、朱門は質問のイエスに取る。無視を決め込んで歩き去ろうとした。
「朱門さん!待って、何の事!?」
「教える必要ないでしょう?」
「え、でもまだあたし……コントロールうまくないし……まだ全然だよう」
「…………」
「……ねえ、朱門さ……」
「しつこいわねっ!」
 一変した態度に呆然として、棗はあとを追えなくなる。さっぱり訳が分からない、といった様子。理由は俺がそれとなく説明しておいたが、とにかく嫌われてしまった事には変わりないのでそれ以来棗は朱門に近寄らなくなった。
 ところが、プライドの高い女王様は怒鳴ったくらいで済ませる気など全くなかったらしい。時間の経過と共に棗の評価がみるみる落ちてゆく。他の者と仲良く話す姿さえ許せなくなった朱門が、回りに『悪人棗』の所業を言いふらし出したのだ。あくまで『相談』という形を取って。
「成績上がった途端にいやみ言うようになったのよ。あたしもう耐えられないわ……」
 棗のいない所で、何も知らないみんなの前で、ことさらに落ち込んでみせたのだ。
「頑張って教えてあげたのに……何だかあたし馬鹿みたい……」
 常に頼ってきた人物が泣きそうな表情で訴える話を、誰も疑わなかった。グループ中の人間に白い目を向けられ出した棗は、輪に入る事もできなくなって弁解の余地もなく、また本人も弁解などしなかった。そうやって集団いじめの図式ができ上がっていったのだ。
 俺にははっきり見えていたちらつく嫉妬も、回りの者達には見えない、というより誰も信じようとしない。ブルーグループのリーダーは非常に面倒見が良く、人が嫌がる仕事も進んで行っていたし、サポート等の手伝いも要領良くこなして相談も嫌がらずに一生懸命聞いてくれた。元々悪い奴ではなかったのが裏目に出てしまったのだ。
 そして嫉妬にかられた醜い心は慕ってきた者達の思いやりを復讐の道具へと堕落させてしまう。利用されていると気づかせずに洗脳して操る。おぞましいテクニックだ。
 いじめに参加した者達は、みんな自分で考えての行動と思っているだろう。同情を引き、そう錯覚させるやり方を朱門が取ったのは明らかで、この陣形はみんなを盾にしている事になる。攻撃は盾が勝手にやってくれるから自分に責任がかかる事はない。もし反撃されても傷つくのは盾だけだ。『みんなの為』を合い言葉に誘導し、その実自分だけを守り、人を犠牲にして優越感を手に入れ満足するだけに作り上げられた、ちっぽけな目的の為の大々的な陣形なのだ。
 他人に同情させ自分一人だけは甘やかされようとする。立場も権利も義務もみんな平等の筈なのに。よくある『自分はこんなに可哀想な人アピール』に、人は意外と引っかかってしまうものだ。「これから騙しますよ」と言って騙す者などいない。それに自分が騙されているという事実を認められる者も少ないだろう。そして何より本人が人を騙しているという事を自覚していない。本気で自分だけが可哀想だと思い込んでいるのだ。何か言っても、信じて貰えない状況で、反対意見など述べようものなら『可哀想な人をいじめる悪人』に仕立て上げられ、意見すら通らなくなる。俺は中立を保つ事で棗の居場所を作るのに精一杯だった。
 ただ不思議な事に、彼女はトップの俺にはなぜか敵意を向けてこないのだ。なので、みんなも普通に話しかけてくるし、被害が全くといっていいほどこちらに飛び火しない。ずいぶん徹底した教育だと感服したくなる。とにかく今のところは俺の友人である事が棗のクッションとなっていた。



「あっははは、おかげでこっち側が空いたよ。こっちで一緒にやろ、光二?」
 学年三位の成績がそんなに気に入らないのだろうか。常に『自分こそが被害者』といった態度で回りを巻き込み味方につけ、彼等を使って攻撃させる。今やグループのリーダーから集団いじめのリーダーに成り上がった朱門と違い、棗は俺にグチ一つこぼさないのに。
 俺は少なくともこの位置だけはキープしなければならない。こいつにとって唯一の盾を削らせてはならないのだ。こんな事くらいしかできない奴だが、果たして俺は役に立っているのだろうか……?
「……どったの、また頭痛?」
 奇妙な顔で彼女が訪ねてきた。考え込む俺の表情を心配してと、理解の及ばぬ行動に戸惑っての事。無意識に棗の頭を撫でてしまっていたから。
「ん、あれ?そういやあ治ったな……」
 自分の頭にも手を置いて確認する。頭痛は綺麗に引いてむしろ爽快なくらいだった。
「いや平気だよ、いちいち心配すんなって」
 二人で笑顔を合わせると、残りの時間を有意義に過ごす為に教室の隅へと移動して行った。

 しかし気になるのがこの頭痛。どうも規則性があるように思えてならないのだ……。





次回「ダブルチェック」に続く。
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虎島沙風
青春
[桃は食っても歳桃という名の桃には食われるな] 〈あらすじ〉  高校一年生の露梨紗夜(つゆなしさや)は、クラスメイトの歳桃宮龍(さいとうくろう)と犬猿の仲だ。お互いのことを殺したいぐらい嫌い合っている。  だが、紗夜が、学年イチの美少女である蒲谷瑞姫(ほたにたまき)に命を狙われていることをきっかけに、二人は瑞姫を倒すまでバディを組むことになる。  二人は傷つけ合いながらも何だかんだで協力し合い、お互いに不本意極まりないことだが心の距離を縮めていく。  ところが、歳桃が瑞姫のことを本気で好きになったと打ち明けて紗夜を裏切る。  紗夜にとって、歳桃の裏切りは予想以上に痛手だった。紗夜は、新生バディの歳桃と瑞姫の手によって、絶体絶命の窮地に陥る。  瀕死の重傷を負った自分を前にしても、眉一つ動かさない歳桃に動揺を隠しきれない紗夜。  今にも自分に止めを刺してこようとする歳桃に対して、紗夜は命乞いをせずに──。 「諦めなよ。僕たちコンビにかなう敵なんてこの世に存在しない。二人が揃った時点で君の負けは確定しているのだから」

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