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37.王子様は眠り姫の下僕となる

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 真夜中に鳴り響いた着信音に、傍らで眠る瀬川を起こしてしまうのを恐れ、隆一は慌てて手探りでスマートフォンを探した。
 枕の下にあったそれをなんとか探り当て、通話ボタンを押しながら確認すると、瀬川は隆一の腕の中で、すぅすぅと規則的な寝息を立てて安心しきって眠っていた。
 起きる様子のない瀬川にほっと胸を撫で下ろし、「どうした?」と電話に出る。
 かけてきたのは、掛橋だ。

『夜中にごめん。姫主任も起こしちゃった?』
「いや、大丈夫だ。寝てる。で、どうした?」
『つかまえたよ。俺のお手柄だよ!褒めて褒めてー』
 掛橋のはずんだ声に、勢いよく体を起こしそうになってから、腕の中に瀬川がいることを思い出して思い留まる。
『山口さんに連絡したらさ、今からこっち来るって。藤堂はどうする?』
「ああ、俺も行く」
 そう返事をしたものの、瀬川をどうするか迷った。
 昨夜も、思う存分触り倒して疲れさせた自覚がある。
 最後は泣きながら達した瀬川の痴態を思い出し、ズキンと甘く痛む己の分身を意識しながら、疲れ切って泥のように眠る瀬川の頬をそっと撫でる。
『できれば、姫主任も連れてきた方がいいと思うよ。犯人、予想とちょっと違ってさ』
 隆一の迷いを見抜いたかのようにそう言う掛橋に、一体どういうことかと尋ねると『来たらわかる』とだけ言われる。
「おまえに危険はないのか?」と尋ねると、『犯人なら大人しくしてるよ。こっちは大丈夫』と呑気な返事が返って来た。
 急がなくていいからゆっくり来い、と言われて通話を終え、隆一は躊躇ためらいながらもそっと瀬川の肩を揺すった。

「瀬川さん、ごめん。起きて」
 ふにゅ、と唇を歪めて、イヤイヤするように隆一の胸元に顔を擦りつける瀬川に、思わず笑みがこぼれる。
「瀬川さん、俺ちょっと出掛けます。眠いなら置いていくけど、どうする?」
 置いていく、の言葉にぴくりと反応した瀬川が、ごそごそとしばらく隆一のスウェットに顔を押し付けたり離したりしながら、何やら一生懸命考える様子を見せる。
 もう一押し、とポンポンと後頭部を叩き、「眠いよな、ごめん。俺がいなくても一人で寝ていられる?」と、瀬川を試すようなニュアンスを含ませて尋ねると、顔をちらっと上げて隆一を確認し、もう一度胸元に顔を戻してから「……起きる」と不機嫌につぶやいた。
 いつもやけに早い時間からアラームをセットするのは、もちろん出勤するまでの時間に余裕を持たせたいからなのだろうが、実は寝起きが悪く、早くから起きておかないとしっかり目が覚めないからなのだと、一緒に暮らし始めてから知った。
 このところ、ぽろぽろと零れ落ちるように素顔を見せる瀬川が、隆一にはかわいくて仕方がない。
 一体誰が想像しただろう。
 普段はピシリと背筋を伸ばし、仕事をきっちりとこなし、部下には厳しく且つ優しく。
 誰に対してもおだやかな微笑みを絶やさない、営業フロアいちの美人が、実は甘えん坊で寝起きが悪いだなんて。

 衝動的にちゅっと額に口づけると、ようやく瀬川の目が半分ほど開く。
「なにかあったの?」
 うまくろれつが回らず、舌ったらずに聞こえる口調で甘えるように問いかけてくる瀬川に、そんな風にされたら掛橋からの電話を無視してもう一度泣かせたくなるんだが、と思いながら、「犯人がつかまったそうですよ」と答える。
 理解するまでに数秒を要したらしく、しばらく緩慢にまばたきを繰り返していたが、不意にパチリと目を見開き、むくりと体を起こした。
「いま、なんじ?」
 ゴシゴシと目をこすりながら問いかける瀬川に「3時過ぎです」と答えてやる。
 3時間ほどしか眠れていないし、今日はもう眠ることは出来ないだろうが、仕方がない。
 時間を聞いたものの、そのままそこでぼんやり座ったままの瀬川のこめかみにキスを落としてベッドから抜け出ると、隆一はクローゼットをあさって自分と瀬川の分の服を適当に取り出した。

 リビングの暖房とヒーターをつけ、寝室に戻り、まだうつろな表情でベッドの上で座ったままの瀬川をよいしょと抱き上げる。
 抵抗せずに手と足を隆一の体に絡みつかせてくるところをみると、まだ相当眠いようだ。
 ヒーターのそばへ降ろしてパジャマのボタンに手をかけるが、目の前で動く隆一の指先をぼんやりと見ているだけだった。
 隆一は、特に世話好きというわけではない。
 ただ、目の前にいる瀬川に対してだけは、これでもか!というぐらいの庇護欲が沸き上がって来る。
 パジャマを肩からするりと落としてやると、寒いのか少し縮こまる。
 ヒーターの前で温めておいたシャツを被せ、適当に選んだニットを着せると、瀬川はようやくその頃になって、着替えを人任せにしていたことに気付いたらしい。
 パジャマのズボンを脱がそうとした隆一の手を押さえ「ごめ……自分でやる……」とふにゃんとした目でこちらを見た。
 任せておけばいいのに、と思ったがそのまま手を引っ込め、眠気覚ましに温かい飲み物だけでもいれようかと、コーヒーメーカーの前に立った。
 ノロノロと瀬川がズボンを脱ぎ、そのままコロン、と横になってしまったのに、あーあ、と苦笑する。
 ズボンと一緒に下着がずれてしまい、かわいいお尻が半分見えている。

「お尻見えてるよ」とボクサーパンツを引き上げてズボンを履かせ、ソファに置いてあったひざ掛けをかけてやると、そのまま又うとうとと眠り始めた。
 自分の分だけコーヒーを入れ、飲みながら瀬川に靴下を履かせ、コートを着せかける。
 時間が時間なので、どうせ車で移動するしかない。
 到着まで瀬川を寝かせておいても問題ないはずだ。
 行くよ、と声をかけて再び抱き上げ、瀬川の靴と携帯だけ持って部屋を出た。
 こんな時間なので見咎められることはないだろうが、駐車場まで誰にも会いませんように、と願いながら、隆一はドアに鍵をかけた。
 くったりしている瀬川を運ぶ大柄な自分が、傍から見たらどういう風に思われるのか。
 殺人犯や誘拐犯に間違われなきゃいいけどな、と思いながら、隆一は駐車場までの道を足早に進んで行った。
 


 深夜にドアチャイムを押す行為は憚られたので、掛橋に「着いた」と電話をかけると、すぐにドアが開かれた。
 車の中ではまだ眠っていた瀬川は、自宅マンションの階段3階分を隆一に腕を取られながら上っているうちに目が覚めたらしい。
 寝起きの悪い自分をひたすら恥じ入りながら、小さな声で掛橋に挨拶をして、するりと室内に入る。
 部内旅行の時はさほど寝起きの悪さを見せなかったことから考えると、最近の瀬川がこんな風なのは、隆一に完全に気を許してくれているからだろうと、勝手にうぬぼれている。
 隙を見せても良い相手、頼っても良い相手だと思っていてくれるなら、これほど嬉しいことはない。
 部屋に入る前に、にやけてしまった顔を引き締め、掛橋が捕まえたという犯人と対面すべく、足を踏み入れた。

 
 リビングで掛橋にコーヒーまで出されて、もてなしを受けているかのようにこたつに入って俯いていたのは、隆一が予想していた人物とは違う、全く知らない女だった。
 ひっくひっくと泣きじゃくり、ティッシュで顔を拭いながら、入ってきた訪問者にびくりと体をすくめる。
 女を見た瞬間、瀬川の体が固まってしまったのを見て、やんわりと背中を撫でて肩に腕を回す。
「この女か?」
 自分でも驚くほど冷酷な声だ、という自覚はあった。
 隆一が声を発した途端、女はひっと体を縮め、顔を覆ってうわーっと泣き出す。
 女の涙は武器だというけれど、隆一に対してはその武器は全く効果がないと言っていい。
 泣かれるのに慣れていると言うと聞こえは悪いが、過去に付き合っていた恋人たちと別れるとき、向こうから別れを切り出されているにも拘らず、何故か散々泣かれた。
 最初は戸惑っていたそれも、何度も経験するうちに「半分演技入ってるな」という事がわかってきて、それからは無様に動揺することもなくなった。
 最も、瀬川に泣かれたらさすがに冷静ではいられないと思うので、ようするに自分が過去の恋人たちに本気ではなかったのだろうという事を、あらためて知ったにすぎなかったが。

「姫主任、知ってる人?」
 立ち尽くしたまま言葉を発しない瀬川に、掛橋が尋ねる。
 瀬川は黙ったまま首を横に振ると、意を決したように女に近づき、傍らに膝をついた。
 無防備なその様子にひやりとするが、凶器を持っていないことは掛橋が確認しただろうし、掴みかかられたとしても、女の力で瀬川をどうこうすることは出来ないだろうと思い、それを許す。
 一応そばに控えながら、隆一は瀬川と女を見守ることにした。

「ねえ、俺はあなたを知らないんだけど、あなたは俺を知ってるの?」
 瀬川がやさしすぎる口調で問いかけると、女が泣き止んで、ちらりと瀬川を見た。
 瞬間、はっとしたように硬直し、瀬川の顔を凝視している所を見ると、どうやら初対面のようだ。
 大抵の女は、瀬川の顔を見た瞬間に驚いて固まる。滅多にお目にかかれない程に美しい顔立ちをしているのだから、初対面の人間が驚くのは当然のことだ。
 瀬川も、その態度で女と自分が初対面だという事を悟ったのだろう。
 ためらう様に下を向き、それから振り返って隆一を見上げる。
 どうしようか、と顔に書いてあるので、瀬川の隣に座り、細い肩を抱いた。
 掛橋によれば、女は午前2時頃に瀬川の自宅前に現れ、監視カメラが設置されている事に気付かずに、玄関ドアの前に生ごみをぶちまけようとしたらしい。
 どこから持ってきたのかわからぬゴミはかなりの異臭がしたそうで、掛橋が女を叱って監視しながら、ばらまいた分を片付けさせたのだそうだ。
 たかが生ごみ、されど生ごみだ。
 そんなものを玄関前にぶちまけられた時の精神ダメージは計り知れない。
 片付けなければいけないとあらば、なおさらのこと。
 そんなじわじわくるような嫌がらせを、目の前の大人しそうなこの女が思いついたとは、隆一にはとても思えなかった。

 瀬川の顔に見とれるようにして固まっている女は、一言でいえば、地味な風貌をしている。
 ごく普通の、というのは失礼かもしれないが、その辺を歩いていそうな普通の若い女。
 嫌がらせをするような陰湿さや、根暗さは持ち合わせていないように見える。
 年齢は、隆一と変わらないか、それよりも下だろう。

「誰の指示でやってるのか、言え」
 小さな頃から、女子供にはとろけるように優しく!と姉に躾けられている隆一ではあるが、瀬川に嫌がらせを働く相手に優しくしてやる義理はない。
 冷たく命令口調で言い放つと、「ちょっと、藤堂!」と、当事者である瀬川に何故か諫められた。
「この怖い人がごめんね。あの、俺とは初対面だよね?なんでこんなことしたの?」
 瀬川がやさしく微笑んで問いかけると、女はハラハラと涙を溢し、ごめんなさいを連呼し始めた。
 ……天使パワーがすごい。
 瀬川が神父になったら、悪魔も改心するのではないだろうか。
「怒ったりしないから、どうしてこんなことをしたのか、教えてくれる?」
 瀬川が、女を覗き込むようにして「お願い」するのに、女の頑なな心が揺れ動いていくのが手に取る様にわかった。
 指先をもじもじさせ、言ってしまおうかどうしようか、悩んでいるようだ。
 もう一押しすれば落ちるな、と瀬川をこっそり促そうとした時。
 
 ガチャガチャ、バン!
 という乱暴な音を立て、ドカドカと荒々しく入室する者がいた。

「おー!掛橋!お手柄お手柄!よくやった!褒めてつかわす!」
 現れたのは、もちろん山口だ。
 深夜にも関わらず、元気いっぱいに登場した山口だったが、女の姿を見た瞬間息を飲み、ぎょっと目を剥いてこちらを見た。

「ええっ!誰だコレ!石丸じゃねーじゃん!!!」
 思い切り女を指さし、大声で叫んだ後に掛橋に掴みかかる。
 
「おまえ、違う奴捕まえてんじゃねーよ!」
 掛橋の首を締め上げて暴れまわる山口の姿に、隆一は頭を抱えながら「あーあ、台無し」と心の中でつぶやき、瀬川はどうしていいのかわからないらしく、女と顔を見合わせて微妙な顔をして固まっていた。
 

 

 
 
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