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26.王子様は眠り姫を困らせる
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怒りをクールダウンさせてから戻ろうと時間をかけて帰宅してみると、「ただいま」と開けたドアのその先で、かわいい生き物がちょこんとすわって隆一を待ち構えていた。
「おかえり!夕飯、すみれさんと二人で先に食べちゃったよ」
熱が下がったので元気そうだが、すみれに「暖かくしているように」とでも言い渡されたのだろう。
瀬川は毛布にくるまって、テレビの前のソファに埋もれている。
その姿は、このまま丸かじりにしておいしく頂いてしまってもいいだろうか?と本気で考えてしまうぐらい、凶悪にかわいかった。
ただいまのハグぐらいなら許されるかも、と近寄っていったが、「藤堂冷えてる!体から冷気が出てる!どこ行ってたの?!」と咎められて、しぶしぶ後退する。
また熱をぶり返させては元も子もない。
「お腹空いただろ?すみれさん、藤堂の分もちゃんと作ってくれたんだ」
隆一の夕食を用意しようとキッチンに回る瀬川の姿に、「俺はもしかして新婚さんだったか?」と、願望と現実の世界があいまいになる。
しっかりしろ、隆一!と心の中で自分の頬を叩き、「やりますから、瀬川さんは休んで」と張り切る小さな背中を押して、リビングに戻す。
着替えをしに寝室のドアを開けると、部屋のそこかしこが瀬川の気配で満ちているのを感じた。
匂いがしている、と言った方が正しいのか。
そわそわするような心の疼きになんとか蓋をし、部屋着に着替えてリビングに行くと、やはりそこにも瀬川の気配がする。
本体がいるのだから当たり前なのだが、自分や姉以外の気配が家にあるのが奇妙な感じがした。
姉の手料理を黙々と口に運んでいると、瀬川が毛布を脱ぎ捨てて隆一の正面の椅子に座った。
「おいしい?」と頬杖を突いた瀬川に首をかしげながら聞かれて、思わず噴きそうになる。
これは本当にマズイ。
おそるべし瀬川。Kカンパニーのプリンスを、「俺の嫁が超絶カワイイ」と叫ぶ『きもうざ』に変貌させてしまいかねないその破壊力。
「ごはんの次は俺を食べる?」とか、そういうベタな台詞が後に続いたりしようものなら、その後の瀬川の身の安全は保障できない。
しかし、当然のことながら、瀬川にそんな意図があるわけはなかった。
ただ単に、目の前でおいしそうに食べる隆一がうらやましかっただけのようだ。
瀬川はまだ食欲が戻らず、食べたくても雑炊ぐらいしか口に出来ていないらしい。
早く食べられるようになってくれないと、隆一の中の何かが壊れそうで怖い。
食器を片づけようとキッチンに立つと、瀬川が何か言いたそうに近寄ってきて、行ったり来たりで隆一の周りをうろうろしはじめた。
どうしたのかと振り向いて微笑んでやると、パッと顔を上げて「あのな」と背伸びするように隆一の顔を見上げる。
「汗かいたから、お風呂入りたいんだけど……」
「?入っていいですよ?」
もしかして、風呂に入りたいのに遠慮して入れずにいたのか?とかわいそうに思い、「いつでも、自由に使っていいんですよ」と言ってやると、そうではない、と首を振る。
「すみれさんに、『危ないから、お風呂は隆一がいる時にはいりなさい』って言われたんだ。熱が下がったばかりで、ふらついたりしたら危険だからって」
なるほど。
瀬川はすみれの言いつけを守り、隆一の帰宅までお風呂を我慢していたらしい。
確かに、姉だけでは瀬川が倒れた時に助けに行くのも難しいだろう。
瀬川も、自分がすぐに倒れることを重々承知しているので、大人しく隆一の帰りを待っていたのだ。
クールダウンの時間など取らずに、もっと早く帰ってこればばよかったと、少し後悔する。
「そうですね。じゃあ、ささっと短めに入るだけにして下さいね。大きな音がしたらすぐに見に行くから、大丈夫ですよ」
安心させるようにそう言ってやると、ぱあっと顔を輝かせていそいそと浴室へ向かっていく。
部内旅行の時も思ったのだが、もしかして瀬川は、相当風呂好きなのではないだろうか。
「あ、藤堂、着替えがなかった!」
風呂場からにゅっと顔だけ出す瀬川の、白い肩が見えていることからして、ドアに隠れているその下はすでに全裸なのだろう。
部内旅行で見た瀬川の裸を思い出しそうになり、隆一は慌てて頭をブルブルと激しく振る。
「探して持っていきますから!冷えるから早く入って!」
脳内からなんとかけしからん映像を追い出し、とりつくろうようにそう言うと、瀬川の「わかったー」というのんきな返事が聞こえ、浴室のドアが閉まる音がした。
プライベートの瀬川は、とても世話がやける生き物のようだ。
がしがしと乱暴に頭をかきながら、姉がランドリールーム代わりに使用している部屋に向かうと、室内には隆一の洗濯物と並んで、一回り以上小さい瀬川の(というより義兄の啓の)パジャマやシャツが干してあった。
手で触れてみると少し湿り気を感じるので、完全には乾ききっていないようだ。
とりあえず乾いていたボクサーパンツだけ回収して部屋を出ると、寝室に向かいクローゼットを開ける。
Tシャツにプルオーバーのパーカーと、トレーニング用のハーフパンツを手に取り、その上にバスタオルを乗せる。
浴室のドアを開けると、磨りガラスの向こうから、楽し気な鼻歌が聞こえてきた。
「瀬川さん、着替えここにおいとくから」
ドラム型の洗濯機の上に着替え一式を置いてそう声をかけると、「ありがと!」と返事がくる。
「ささっと短めに」といっておいたのに、瀬川は随分と長風呂で、隆一が浴室の方向に聞き耳を立てながら待つことおよそ40分。
ほやほやと湯気に包まれながら出てきた瀬川のあまりのかわいさに、隆一はあやうく悶絶死するところだった。
「藤堂ー。藤堂の服は俺には大きすぎだよ」
ペタンとした濡れ髪に、ピンク色に染まった頬、大きすぎるパーカーは肩の位置が下がり、袖が長すぎて指先しか見えていない。
丈はちょっとしたマイクロミニワンピ状態だし、その下のハーフパンツは、もはやハーフパンツの丈ではなくなっている。
ああなんか俺、今いけない世界に足を突っ込んでる、と、隆一は思わず両手で顔を覆い、うずくまった。
これは俗にいう、激萌えシチュエーションというやつだ。
「藤堂?どうしたの?」
うずくまった隆一を心配そうに覗き込む瀬川がこれまたかわいくて、「なんでもありません」という口元が思わずにやけてしまう。
「パンツ以外は乾いてなかったんで、今日の所は俺の服で我慢して下さい」
表情筋に気合をいれてだらしなく緩む口元を一直線に結び、立ち上がって何事もなかったかのように冷蔵庫へ足を向ける。
ペットボトルの水を出して渡してやると、瀬川はそれを両手で受け取り、子供のようにくぴくぴと音を立てて半分ほど飲みほした。
かわいい。衝撃的にかわいい。萌え袖から除くピンクの指先が、これまた、たまらなくかわいい。
あまりにかわいいその姿を独り占めすべきではない、という変な使命感にかられ、隆一はスウェットのポケットにつっこんでいたスマートフォンを取り出して、濡れた唇を萌え袖でごしごしこすっている瀬川の姿を、カメラ機能を使ってパシャリと撮影した。
「あ!なんか撮った!」
変な恰好してるのに、撮るなよ!とつかみかかる瀬川をひょいとかわしながら、「かわいいから、鎌田たちに送って見せてやりましょう」と操作していると、瀬川が怒りながら飛び掛かってきた。
「やめろよバカ!そんな変なもん送るの、ただの嫌がらせだろ!」
「そんなことないです。みんな待ち受けにしますって」
「そんなわけあるか!!!」
意外と素早い瀬川にまんまとスマートフォンを奪い取られ、あ、と思う間もなく持ち逃げされる。
「こら、返せ!」
「嫌だ!消す!」
狭い家の中、逃げる場所がさほどあるわけでもなく、隆一につかまりそうになった瀬川は、リビングの真ん中でダンゴ虫のように丸まって、スマートフォンを抱え込んだままうずくまった。
圧し掛かって腹の下に手を突っ込み、なんとか取り返そうとするが、瀬川がきつく抱え込んでいるせいで、なかなか出てこない。
仕方がないので両サイドから手を突っ込み、レスリングの要領で反動をつけて自分の体ごと仰向けにひっくり返すと、「ぎゃっ!!」と悲鳴を上げて、隆一の体の上で瀬川がじたばたと暴れ出した。
「痛い痛い!瀬川さん、そこで暴れたら痛いって」
「じゃあ俺を離せ!」
死んでもスマホは離すものか!とばかりに握りしめる瀬川を抑え込むために、もう一度ひっくり返ってうつ伏せの体の下に抱き込む。
押しつぶさぬように肘で自重を支えながらホールドすると、さすがに瀬川が大人しくなった。
ふうふう呼吸を荒らしているのが体越しに伝わり、覗き込んでみれば耳まで真っ赤に染まっていた。
「瀬川さん……」
「やだ!返さない!」
すぐに返って来る拒否に、クスっと笑いがこぼれる。
「わかった。送らないから」
消さないけど、と心の中で付け加えたのがわかるのか、瀬川は返事をしない。
ちょうど顎の下にある小さな頭が、うつむいたまま何か考えこんでいるようだ。
濡れ髪に頬を押し当て、ぎゅっと抱き締めるようにすると、「藤堂、重い……」と文句が返ってきた。
「瀬川さん。何か困ってること、ない?」
ささやくようにそう尋ねると、瀬川の体がピクリと動いた。
「……藤堂が、変な姿撮るから困ってる……」
「うん」
ぼそぼそとつぶやくのに同意して、笑ってやる。
「藤堂が、重くて困ってる……」
「うん。それから?」
「……俺の家に、行ったの?」
何かをこらえるように、瀬川の体が隆一の下でぎゅっと固く縮こまる。
隆一はそれには返事をせず、なだめるように抱える腕に力を込めると、こそりと瀬川が頭を動かして横顔を見せた。
「……誰かが、俺を嫌ってる」
それだけ言うのが限界だったのだろう。
瀬川は顔をもとに戻し、それから何も言わなくなった。
隆一はゆっくりと体をどかし、瀬川の隣に横たわる。
うつ伏せたまま動かない瀬川を腕を伸ばして引き寄せ、いつかの夜したように、腕の中に囲い込んだ。
いつかの夜と違うのは、瀬川が戸惑うように、隆一の背中に手を伸ばしてしがみついてきたことだ。
「解決、できますよ」
背中をとんとん叩いてなだめてやると、腕の中で瀬川がこっくりと頷く。
「解決、しましょうね」
再び、瀬川が頷く。
しばらくそうしたまま瀬川が落ち着くのを待っているところで、二人の体の間から「ピコン♪」と間抜けな電子音が鳴り響いた。
胸元に握り込んでいたスマートフォンからだと気づいた瀬川が、隆一にそっと手渡してくる。
離れがたく思いながら、瀬川を抱えた腕を外してそれを受け取り、画面を確認した。
「あ」
突然声を上げた隆一に、「な、なに?!」と瀬川がぎょっ驚いた様子を見せる。
「誤爆した……」
しまったぁ、と頭を抱え、見ていた画面をそのまま見せると、瀬川の顔が面白いほど硬直した。
鎌田に送ろうと操作していたつもりだった風呂上り瀬川の画像は、宛先を間違えてどうやら掛橋に送られてしまったらしい。
送信ボタンは押していなかったのだが、もみ合っているうちに瀬川の手によって押されてしまったのだろう。
瀬川のかわいい風呂上り画像の下には、掛橋からの
「おまえら一体何やってんの?」
というクールな返信が添えられていた。
「おかえり!夕飯、すみれさんと二人で先に食べちゃったよ」
熱が下がったので元気そうだが、すみれに「暖かくしているように」とでも言い渡されたのだろう。
瀬川は毛布にくるまって、テレビの前のソファに埋もれている。
その姿は、このまま丸かじりにしておいしく頂いてしまってもいいだろうか?と本気で考えてしまうぐらい、凶悪にかわいかった。
ただいまのハグぐらいなら許されるかも、と近寄っていったが、「藤堂冷えてる!体から冷気が出てる!どこ行ってたの?!」と咎められて、しぶしぶ後退する。
また熱をぶり返させては元も子もない。
「お腹空いただろ?すみれさん、藤堂の分もちゃんと作ってくれたんだ」
隆一の夕食を用意しようとキッチンに回る瀬川の姿に、「俺はもしかして新婚さんだったか?」と、願望と現実の世界があいまいになる。
しっかりしろ、隆一!と心の中で自分の頬を叩き、「やりますから、瀬川さんは休んで」と張り切る小さな背中を押して、リビングに戻す。
着替えをしに寝室のドアを開けると、部屋のそこかしこが瀬川の気配で満ちているのを感じた。
匂いがしている、と言った方が正しいのか。
そわそわするような心の疼きになんとか蓋をし、部屋着に着替えてリビングに行くと、やはりそこにも瀬川の気配がする。
本体がいるのだから当たり前なのだが、自分や姉以外の気配が家にあるのが奇妙な感じがした。
姉の手料理を黙々と口に運んでいると、瀬川が毛布を脱ぎ捨てて隆一の正面の椅子に座った。
「おいしい?」と頬杖を突いた瀬川に首をかしげながら聞かれて、思わず噴きそうになる。
これは本当にマズイ。
おそるべし瀬川。Kカンパニーのプリンスを、「俺の嫁が超絶カワイイ」と叫ぶ『きもうざ』に変貌させてしまいかねないその破壊力。
「ごはんの次は俺を食べる?」とか、そういうベタな台詞が後に続いたりしようものなら、その後の瀬川の身の安全は保障できない。
しかし、当然のことながら、瀬川にそんな意図があるわけはなかった。
ただ単に、目の前でおいしそうに食べる隆一がうらやましかっただけのようだ。
瀬川はまだ食欲が戻らず、食べたくても雑炊ぐらいしか口に出来ていないらしい。
早く食べられるようになってくれないと、隆一の中の何かが壊れそうで怖い。
食器を片づけようとキッチンに立つと、瀬川が何か言いたそうに近寄ってきて、行ったり来たりで隆一の周りをうろうろしはじめた。
どうしたのかと振り向いて微笑んでやると、パッと顔を上げて「あのな」と背伸びするように隆一の顔を見上げる。
「汗かいたから、お風呂入りたいんだけど……」
「?入っていいですよ?」
もしかして、風呂に入りたいのに遠慮して入れずにいたのか?とかわいそうに思い、「いつでも、自由に使っていいんですよ」と言ってやると、そうではない、と首を振る。
「すみれさんに、『危ないから、お風呂は隆一がいる時にはいりなさい』って言われたんだ。熱が下がったばかりで、ふらついたりしたら危険だからって」
なるほど。
瀬川はすみれの言いつけを守り、隆一の帰宅までお風呂を我慢していたらしい。
確かに、姉だけでは瀬川が倒れた時に助けに行くのも難しいだろう。
瀬川も、自分がすぐに倒れることを重々承知しているので、大人しく隆一の帰りを待っていたのだ。
クールダウンの時間など取らずに、もっと早く帰ってこればばよかったと、少し後悔する。
「そうですね。じゃあ、ささっと短めに入るだけにして下さいね。大きな音がしたらすぐに見に行くから、大丈夫ですよ」
安心させるようにそう言ってやると、ぱあっと顔を輝かせていそいそと浴室へ向かっていく。
部内旅行の時も思ったのだが、もしかして瀬川は、相当風呂好きなのではないだろうか。
「あ、藤堂、着替えがなかった!」
風呂場からにゅっと顔だけ出す瀬川の、白い肩が見えていることからして、ドアに隠れているその下はすでに全裸なのだろう。
部内旅行で見た瀬川の裸を思い出しそうになり、隆一は慌てて頭をブルブルと激しく振る。
「探して持っていきますから!冷えるから早く入って!」
脳内からなんとかけしからん映像を追い出し、とりつくろうようにそう言うと、瀬川の「わかったー」というのんきな返事が聞こえ、浴室のドアが閉まる音がした。
プライベートの瀬川は、とても世話がやける生き物のようだ。
がしがしと乱暴に頭をかきながら、姉がランドリールーム代わりに使用している部屋に向かうと、室内には隆一の洗濯物と並んで、一回り以上小さい瀬川の(というより義兄の啓の)パジャマやシャツが干してあった。
手で触れてみると少し湿り気を感じるので、完全には乾ききっていないようだ。
とりあえず乾いていたボクサーパンツだけ回収して部屋を出ると、寝室に向かいクローゼットを開ける。
Tシャツにプルオーバーのパーカーと、トレーニング用のハーフパンツを手に取り、その上にバスタオルを乗せる。
浴室のドアを開けると、磨りガラスの向こうから、楽し気な鼻歌が聞こえてきた。
「瀬川さん、着替えここにおいとくから」
ドラム型の洗濯機の上に着替え一式を置いてそう声をかけると、「ありがと!」と返事がくる。
「ささっと短めに」といっておいたのに、瀬川は随分と長風呂で、隆一が浴室の方向に聞き耳を立てながら待つことおよそ40分。
ほやほやと湯気に包まれながら出てきた瀬川のあまりのかわいさに、隆一はあやうく悶絶死するところだった。
「藤堂ー。藤堂の服は俺には大きすぎだよ」
ペタンとした濡れ髪に、ピンク色に染まった頬、大きすぎるパーカーは肩の位置が下がり、袖が長すぎて指先しか見えていない。
丈はちょっとしたマイクロミニワンピ状態だし、その下のハーフパンツは、もはやハーフパンツの丈ではなくなっている。
ああなんか俺、今いけない世界に足を突っ込んでる、と、隆一は思わず両手で顔を覆い、うずくまった。
これは俗にいう、激萌えシチュエーションというやつだ。
「藤堂?どうしたの?」
うずくまった隆一を心配そうに覗き込む瀬川がこれまたかわいくて、「なんでもありません」という口元が思わずにやけてしまう。
「パンツ以外は乾いてなかったんで、今日の所は俺の服で我慢して下さい」
表情筋に気合をいれてだらしなく緩む口元を一直線に結び、立ち上がって何事もなかったかのように冷蔵庫へ足を向ける。
ペットボトルの水を出して渡してやると、瀬川はそれを両手で受け取り、子供のようにくぴくぴと音を立てて半分ほど飲みほした。
かわいい。衝撃的にかわいい。萌え袖から除くピンクの指先が、これまた、たまらなくかわいい。
あまりにかわいいその姿を独り占めすべきではない、という変な使命感にかられ、隆一はスウェットのポケットにつっこんでいたスマートフォンを取り出して、濡れた唇を萌え袖でごしごしこすっている瀬川の姿を、カメラ機能を使ってパシャリと撮影した。
「あ!なんか撮った!」
変な恰好してるのに、撮るなよ!とつかみかかる瀬川をひょいとかわしながら、「かわいいから、鎌田たちに送って見せてやりましょう」と操作していると、瀬川が怒りながら飛び掛かってきた。
「やめろよバカ!そんな変なもん送るの、ただの嫌がらせだろ!」
「そんなことないです。みんな待ち受けにしますって」
「そんなわけあるか!!!」
意外と素早い瀬川にまんまとスマートフォンを奪い取られ、あ、と思う間もなく持ち逃げされる。
「こら、返せ!」
「嫌だ!消す!」
狭い家の中、逃げる場所がさほどあるわけでもなく、隆一につかまりそうになった瀬川は、リビングの真ん中でダンゴ虫のように丸まって、スマートフォンを抱え込んだままうずくまった。
圧し掛かって腹の下に手を突っ込み、なんとか取り返そうとするが、瀬川がきつく抱え込んでいるせいで、なかなか出てこない。
仕方がないので両サイドから手を突っ込み、レスリングの要領で反動をつけて自分の体ごと仰向けにひっくり返すと、「ぎゃっ!!」と悲鳴を上げて、隆一の体の上で瀬川がじたばたと暴れ出した。
「痛い痛い!瀬川さん、そこで暴れたら痛いって」
「じゃあ俺を離せ!」
死んでもスマホは離すものか!とばかりに握りしめる瀬川を抑え込むために、もう一度ひっくり返ってうつ伏せの体の下に抱き込む。
押しつぶさぬように肘で自重を支えながらホールドすると、さすがに瀬川が大人しくなった。
ふうふう呼吸を荒らしているのが体越しに伝わり、覗き込んでみれば耳まで真っ赤に染まっていた。
「瀬川さん……」
「やだ!返さない!」
すぐに返って来る拒否に、クスっと笑いがこぼれる。
「わかった。送らないから」
消さないけど、と心の中で付け加えたのがわかるのか、瀬川は返事をしない。
ちょうど顎の下にある小さな頭が、うつむいたまま何か考えこんでいるようだ。
濡れ髪に頬を押し当て、ぎゅっと抱き締めるようにすると、「藤堂、重い……」と文句が返ってきた。
「瀬川さん。何か困ってること、ない?」
ささやくようにそう尋ねると、瀬川の体がピクリと動いた。
「……藤堂が、変な姿撮るから困ってる……」
「うん」
ぼそぼそとつぶやくのに同意して、笑ってやる。
「藤堂が、重くて困ってる……」
「うん。それから?」
「……俺の家に、行ったの?」
何かをこらえるように、瀬川の体が隆一の下でぎゅっと固く縮こまる。
隆一はそれには返事をせず、なだめるように抱える腕に力を込めると、こそりと瀬川が頭を動かして横顔を見せた。
「……誰かが、俺を嫌ってる」
それだけ言うのが限界だったのだろう。
瀬川は顔をもとに戻し、それから何も言わなくなった。
隆一はゆっくりと体をどかし、瀬川の隣に横たわる。
うつ伏せたまま動かない瀬川を腕を伸ばして引き寄せ、いつかの夜したように、腕の中に囲い込んだ。
いつかの夜と違うのは、瀬川が戸惑うように、隆一の背中に手を伸ばしてしがみついてきたことだ。
「解決、できますよ」
背中をとんとん叩いてなだめてやると、腕の中で瀬川がこっくりと頷く。
「解決、しましょうね」
再び、瀬川が頷く。
しばらくそうしたまま瀬川が落ち着くのを待っているところで、二人の体の間から「ピコン♪」と間抜けな電子音が鳴り響いた。
胸元に握り込んでいたスマートフォンからだと気づいた瀬川が、隆一にそっと手渡してくる。
離れがたく思いながら、瀬川を抱えた腕を外してそれを受け取り、画面を確認した。
「あ」
突然声を上げた隆一に、「な、なに?!」と瀬川がぎょっ驚いた様子を見せる。
「誤爆した……」
しまったぁ、と頭を抱え、見ていた画面をそのまま見せると、瀬川の顔が面白いほど硬直した。
鎌田に送ろうと操作していたつもりだった風呂上り瀬川の画像は、宛先を間違えてどうやら掛橋に送られてしまったらしい。
送信ボタンは押していなかったのだが、もみ合っているうちに瀬川の手によって押されてしまったのだろう。
瀬川のかわいい風呂上り画像の下には、掛橋からの
「おまえら一体何やってんの?」
というクールな返信が添えられていた。
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