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14.戸惑いの眠り姫

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 第一営業部の一大イベントだった部内旅行も終わり、誰もがしばらく浮かれたような、それでいて疲れたような気怠さを纏っていたある日、冬夜は「話がある」と課長に呼び出されていた。
 
 会議室には、冬夜と同じ三課の第一グループ主任である佐塚も呼ばれ、二人並び、テーブルをはさんで課長と向き合って座るように指示された。
 こんな風に主任だけが呼び出されるということは普段はあまりないので、おそらく人事関係の話に違いないと、冬夜は予想を立てている。
 とはいえ、冬夜が率いる第二グループは、4月に冬夜が主任昇格で事業部から異動し、その後新人の小沢が入ったばかり。
 動くとしたら中堅の二人だろうが、主力である藤堂と山口を外されると、第ニグループが立ち行かなくなることはまず間違いない。
 このタイミングでの異動は勘弁して欲しい、と心の中で願っていると、課長に「まあ、飲んで」と缶コーヒーを差し出された。
 倹約家らしく、普段は滅多なことでは部下に奢ったりすることのない課長の差し入れは、ますます怪しい。
 なにやら裏がある気がしてとても飲む気にはなれなかった。
 佐塚も同じらしく、缶コーヒーを目の前に、不機嫌そうに眉間に皴を寄せている。

「おまえたち、そんなに警戒しなくても……」
 そういう課長の顔は、微妙に憔悴しているように見える。
 ただ単に部内旅行の疲れが残っているだけだと思いたい。

「たいした話じゃないよ。人事の異動があるんだけど、それがちょっとめんどくさいだけで」
 めんどくさいならたいした話だろ!と思ったが、言い返して話の内容が好転するわけでもないので、目を伏せて黙っておいた。
「めんどくさいって?どういう事です?」
 話を引き延ばしても結果は変わらない、とばかりに、佐塚がズバリと課長に切り返す。
 第一営業部では珍しいおっとりタイプの課長は、佐塚の剣幕にひっと身をすくめる。
 同じくおっとりタイプの冬夜も、佐塚さん相変わらず怖いな……と課長と同じ気分を味わっていた。

「佐塚のところのさ、川本さんなんだけど……」
 課長が、第一グループの女性アシスタントの名前を上げると、佐塚の眉がピッと持ち上がる。
「川本が何か?」
「うん……あのね。妊娠してるんだって。んで、切迫流産で、今入院してんのよ」
 これ、秘密だからまだみんなに内緒にしといてね、と、課長が佐塚と冬夜に念押しする。
 そういえばここ数日、川本の姿をみかけなかった事に気付く。
 第一グループと第二グループは隣り合った島で仕事をしているし、お互いフォローし合うことも多いので、川本の不在は気になっていた。
 よく気が付く、笑顔の多い朗らかな子で、第一グループのムードメーカーでもあったはずだ。
「川本は独身だったはずですが?」
 ピリピリとした空気を漂わせて佐塚が課長を問い詰めると、課長が「そんな怖い顔しないでよ」と困り顔を見せる。
「そういうのはね、ホラ。まあよくあるでしょ。今は授かり婚とかいうじゃない。おめでたい話だよ?」
「いち社会人として、計画もなしに子供を作るのはどうかと思いますけどね」
「あっ!コラ!そういう事言わない!女性だけの責任じゃないんだし、そういう事はデリケートだから、思っててもズバズバ言っちゃだめなの!」
 佐塚の口を塞ぎそうな勢いで課長が身を乗り出し、他には誰もいないはずの会議室内をキョロキョロと見渡した。

「とにかく、そんなわけでね、川本さんはしばらく戻ってこられないみたいなの。退院しても、絶対安静が続くだろうしね」
「……では、川本の交代要員の話ですか?」
 苛立ちを隠そうともしない佐塚に、課長は機嫌をとる様に「そうそう。代わりの子、入るから」とこくこくにこやかに頷く。
「でも、佐塚さんところに新しいアシスタントが入るお話で、何故私をお呼びになったんですか?」
 冬夜が疑問に思い首を傾げながら尋ねると、課長がなんともいえない微妙な表情をしてみせた。
 佐塚の所にアシスタントが入るだけの話なら、何もグループが違う冬夜をわざわ呼び出さなくてもよかったはずだ。それなのに、何故冬夜が呼ばれたのか。
「それがねぇ。ここからがちょっとめんどくさいお話でねぇ……」
 課長が、憔悴した顔で佐塚と冬夜を交互に見た後、はーっと大きく息を吐きだした。



「ねえ、藤堂くん知ってる?第三営業部の石丸さん、ウチに来るらしいよ」
 隆一が打ち合わせテーブルで契約書と図面のチェックをしている所に、鎌田がやってきてこっそりそう囁いた。
「おまえ、ホント地獄耳だな。どっからそういう情報仕入れてくるんだよ」
 複雑な図面とのにらめっこで疲れた目を軽く押さえながら言うと、「なに言ってんの。私たちの同期が人事にいいるじゃない」としれっと情報の出どころをばらす。
「人事って、おまえ……いくら同期相手でも、それ、喋っちゃダメな内容だろ?」
「んー、でももうみんな知ってるみたいよ。決定事項で、課長と主任クラスには話が行ってるみたいだし」
 公表していい段階にはいったから、うちの同期がみんなにしゃべってるんじゃないの?と鎌田が肩をすくめる。
「ひょっとして、休んでる川本の代わりか?」
「正解。長期休暇とることになりそうだから、その代わりに石丸さんが来るんだって」
「川本の長期休暇の理由は?」
「察してよ。って、無理か。……切迫流産らしいわよ」
 ああ、それはつらいな、と隆一は川本の顔を思い浮かべる。
 隆一の姉のすみれは既婚者で、昨年一度流産を経験している。
 かなりショックだったようで、様子を見に実家に戻った隆一から見ても、憔悴した姉の姿はひどく痛々しいものだった。
「無事に生まれるといいな。もう、出産まで休ませてやればいいんじゃないか?」
 新しい命が生まれるのは喜ばしいことだ。
 流産以来、子宝に恵まれない姉の悲しみを目の当たりにしている隆一としては、体を休めることで無事に子供が生まれるなら是非そうして欲しいと思う。
「あら、優しいこと。でも、そうなったら石丸さんがずっと隣の島にご滞在よ」
 いいの?と鎌田がちらりと目線を投げてよこす。
 よくない、と答えたい所だが、隆一がどうこう言ってもどうせ石丸は来るのだろう。
 
 現第三営業部の石丸理沙は、瀬川や隆一とは違った意味でちょっとした有名人だ。
 美女といいきれる程ではないが、そこそこ美しい顔立ちのお嬢様系。
 お嬢様と聞けば、ほんわり癒し系か、又は、激しく我儘で自己中のどちらかというのが隆一の勝手なイメージなのだが、石丸は完全に後者だ。
 気分次第で会社を休み、出勤しても気が乗らないと電話一つとらない。
 それでなぜ会社に在籍していられるのかといえば、彼女が大手取引先の重役の娘であるからだ。
 彼女をクビにでもしようものなら、受注の一つや二つ、いや下手したら全部を失ってもおかしくない。
 そう言われているからこそ、誰もが彼女を刺激しないようにお姫様のように扱い、給料泥棒に席を与えたままでいる。
 第三営業部的には、今回の川本の長期休暇に伴う石丸の異動は降ってわいた幸運で、おそらく部内全員が喜びを噛みしめ、陰で万歳三唱をして彼女を第一営業部に送り出すことだろう。

「……いつからだ?」
「来週から」
 めんどくさいな、と呟きながら、隆一は図面を折り畳む。
 大きく広げていた図面を端から手順通りに畳むのを手伝いながら、鎌田が「めんどくさいわよね」と同意する。
 仕事をしないだけならまだマシだ。
 面倒なのは、彼女が第一営業部の顧客であるY重工の重役の娘だということ。
 その上、隆一に並々ならぬ関心を抱いていることだった。

 以前にも何度か猛アピールを受けたが、隆一がなびかないとわかるとあっさり他の男に乗り換えよろしくやっていた。
 最近その男と破局したので機嫌が悪く、滅多なことでは出社しないらしいと風の噂で聞いていたのに、何をどうして第一営業部へ異動する気になったのか。
「あのね、実はここからが本題」
 こそっと耳打ちするように、図面を畳み終えた鎌田が隆一の隣に身を寄せる。
 手招きされて寄り添うように頭を近づけると、「石丸さん、本人たっての希望でこっちに異動らしいの。誰か第一営業部にヘルプにって打診があった時、真っ先に立候補したらしいよ」と小声で囁いた。

 もちろん、他の女子も希望したそうだが、石丸の強い希望とコネの力と、第三営業部自体が石丸を他に出したかったという経緯も手伝って、めでたく異動が決まったらしい。
「川本ちゃんが帰ってくれば元の部署に戻されるんだけどね。でもそれまででもいいから1営に行きたい!っていう女子は多かったらしいわよ」
 なにせ、王子と姫がそろってるからね、ここ、と鎌田がにやつく。
「石丸さん的には、川本ちゃんにはゆっくりご静養頂いて、1営で優良物件をゲットしたいんだろうけど」
 あの人一体、会社に何しにきてるんだろうね、と、鎌田の形の良い唇が辛辣な台詞を吐く。
 仕事にプライドを持っている鎌田は、ただ出社するだけで働きもしない同僚を死ぬほど嫌っていた。
「そういえば、おまえは元第三営業部だっけ」
 第一営業部は、生え抜きではなく引き抜きメンバーが多い。
 女性社員も、伊藤のように新人の頃から第一営業部にいる者は稀で、大抵どこかの部署から異動希望を出してこちらに移ってくる。
 やりがいのある仕事を求め、スキルアップの為に第一営業部へ異動希望するものが多いのだと聞く。
「そうよ。彼女、私たちのいっこ下だけど、あのやる気のなさにはホントあきれてたわ。なのに藤堂くんが1営に着任した時だけ熱心に出社して、用もないのに廊下ウロウロしたりしてね」
 だから嫌い、と忌々しそうに言う鎌田の頭をポンポンと叩いてやり、「まあ、ほっとけ」と乱暴に撫でると、「ちょっと!やめてよ!ぐしゃぐしゃになるじゃない!」と鎌田が怒り出した。

「あ、瀬川主任」
 ぺっと隆一の手が振り払われ、鎌田がそうつぶやいて視線を向けた先には、目を見開いて硬直している瀬川の姿があった。
「ああ、すみません。打ち合わせテーブル占領しちゃって。使われる予定でしたか?」
 もしかして先程からそこにいたのに、隆一と鎌田が内緒話をしているので、声をかけられずにいたのだろうか。
 広げまくっていた図面やら契約書類やらを慌ててまとめて片隅に追いやり、どうぞ、と場所を譲るが、瀬川は返事をすることなく固まったままでいる。
「瀬川さん?」
 不審に思い、椅子から立ち上がる隆一のみぞおちに、どすっと鎌田の肘が入った。
「……っ!?おまえ、なにす……」
「瀬川主任、藤堂くんにお話があったんじゃないですか?あ、藤堂くん、この書類ありがとう、助かったわ」
 書類なんて何もやり取りしていない、と思ったが、鎌田が「めっ」と振り向きざまに隆一を睨みつけ、重ねてあった契約書類の一つを手にとって去っていくのを見て、口をつぐむ。
 鎌田がそうするからには、何か理由があるのだろう。
 失礼しまぁーす、と瀬川に軽く一礼して優雅に去っていく鎌田を目で追い、それからゆっくり瀬川に視線を向けると、同じように鎌田の後姿を目で追っていた瀬川が、ギギギと音がしそうな程ぎこちなくこちらを向いた。

「仲、いいんだな」
 ぽつりと、瀬川がこぼす。
 それは、いつかも聞いた台詞だ。
 瀬川は、鎌田が絡むと面白くない様子を見せることがある。
 そういえば、いつかは鎌田のことを美人だとほめていた。もしや鎌田の事が気になるのだろうか。
「いや、普通ですよ。同期なので」
 言い訳の様に答える隆一に、「そう……」とだけ頷いて、瀬川はさらにぎこちなく微笑を見せる。

「あのさ、ちょっといいかな」
 相談したいことがあるんだけど、という瀬川に、じゃあコーヒーでも買ってきます、と隆一を席を立つ。
 なにやら様子のおかしい瀬川を打ち合わせテーブルに残し、隆一はひっかかりを覚えて首を傾げながら、社内の自販機のコーナーへ向かった。

 
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