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13.無防備な眠り姫
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くちゅん、という小さなくしゃみの音に、隆一は深い眠りの底から引きずり上げられるように覚醒する。
目を開いてはみたもののあたりは暗闇に近く、けれど近くのシルエットだけはうっすらと捉えることが出来た。
手を伸ばせはすぐに触れられそうなその場所に、小さな頭が見える。
鎌田か、伊藤か……?
うかつに触れるわけにもいかずにぼんやりと眺めていると、その頭が小さく揺れて、さらにくちゅん、とくしゃみをした。
次いで、ふるり、と体を震わせて丸くなるのがわかる。
ああ、寒いのか、と何かかけてやろうと手繰りよせようとするのだが、あいにく隆一の近くには布団の一枚すら存在しなかった。
暗闇の中で視線をさ迷わせ、後ろにこんもりとした山を見つける。
体ごと振り返る様に近づいてみれば、鎌田と伊藤がくっついて、仲良く一つの布団におさまっているのが見えた。
なるほど。自分が寝るはずだった場所は、この二人に奪われたらしい。
隆一は苦笑し、くしゃみをしたこれは誰だ?と顔を寄せて、それが瀬川だということに気付いた。
隆一も瀬川も、申し訳程度に敷布団の上に乗ってはいたが、しかし肝心の掛布団が見当たらない。
このままでは風邪を引くだろう、と、そっと瀬川の体の下に手を入れて引き寄せると、相当寒かったのか、瀬川はすんなり隆一の懐におさまった上に、体を擦り寄せてきた。
隆一の頬に当たる瀬川の髪が、ひんやりととても冷たい。
瀬川を抱き寄せながら、腕を伸ばしてあたりをさぐると、瀬川の体の向こう側で丸まって山になっている掛布団に手が触れた。
精一杯腕をのばしてそれを引き寄せると、瀬川にすっぽりとかぶせてやる。
ついでに自分の体にも、入る分だけ布団をかけた。
抱き合って眠ることになるが、仕方がない。
風邪を引くよりはマシだし、鎌田と伊藤もくっつきあって寝ているのだから、男の自分たちがくっついて寝ていてもなんの問題もないだろう、と、隆一は眠気の漂うままの頭で考える。
腕の中の瀬川が隆一の体温であたたまって、心地良い。
髪に鼻先をうずめるようにすると、綿菓子のような甘い匂いがした。
引き寄せた体は、女性のようにやわらかくはなくしっかりした感触なのに、どうしてか隆一は、小さな子供を抱えて眠っているような優しい気持ちになる。
こうやって誰かを腕の中に囲い込んで眠るなんて、一体どれぐらいぶりだろう。
大学時代は恋人がいなかったことなど一度もなかったが、社会に出て働くようになり、自分の時間を女性に費やすのが面倒になってしまった。
働くことが楽しかったし、「自分と仕事とどちらが大事なのか」と詰め寄って来る面倒な女など願い下げだと思ったのだ。
けれど、誰かをこうやって抱き締めてみれば、やはり悪くないと思う。
人肌は無条件で安心できるし、誰かをこの腕に閉じ込めているという満足感も得られる。
すぅすぅと規則的な寝息が首元をくすぐり、小さな体が深い呼吸で上下するのを見守っているうちに、隆一の瞼も再び重くなる。
腕の中のあたたかさは、隆一に確かな幸福感を与えていた。
もぞり。
抱え込んだ抱き枕が、自らの意志があるように動き出したのを不審に思いながら、逃がすまいとぎゅっと抱き締めると、「ぷはっ」という音と共に、抱き枕が軽く押し返してきた。
「……???」
ぼんやりと薄目を開けてみれば、目の前をひよひよと、なにやら随分やわらかそうな毛が漂っている。
なんだっけ、これ?と手で撫でつけるように押さえると、「あの……藤堂……」とためらいがちな声が聞こえた。
「……?」
「おはよ、藤堂」
薄闇の中、小さな声で挨拶をされて視線を巡らせると、隆一の腕の中、戸惑う様子でこちらを見上げている瀬川と目が合った。
「お……はようございます」
どうして瀬川さんが俺の腕の中に?と自らに問いかけ、深夜、寒そうに丸まっていた瀬川を引き寄せたのが自分だったことを、隆一は思い出した。
「今、何時?」
周りを起こさぬようにか、小さな声で問いかけてくる瀬川を片腕で抱き込んだまま、隆一は腕時計を覗き込む。
「6時……半かな。起きますか?」
眠気が覚めぬままに持ち上げた腕を重く感じ、どさりと瀬川の体の上に落とすと、再び抱き締めるような格好になった。
ふーっと大きく息を吐き、昨夜したように鼻先をやわらかい髪にもぐりこませると、瀬川の体がぴくりと揺れる。
「あの……藤堂、寝ぼけてる?」
どう対応したら良いのかわからないらしい瀬川は、戸惑いながら、隆一に囲い込まれるまま大人しく布団と腕の中にとどまっていた。
嫌なら押しのければいいのに、そんな風だと襲われても文句はいえないぞ、と、隆一はくすりと笑う。
「寝ぼけてませんよ。目、覚めました」
「あの……だって……。誰かと間違えてない?」
なるほど。瀬川は、隆一が恋人と間違えて自分を腕の中に抱え込んでいるのではないかと思っているようだ。
残念ながら、彼女はいない。
腕の中にいるのが男だということも、重々承知の上だ。
「間違えてませんよ。真夜中に寒くて縮こまってた瀬川さんを抱えたの、ちゃんと覚えてます」
「え……」と、驚く瀬川は、隆一の発言にきっと頬を真っ赤に染めているのだろう。薄闇で見えなくて残念だ。
「ご、ごめん。っていうか、ありがとう。すごく寒かったの、なんとなく覚えてる」
そういえば途中からあったかかった、と瀬川は微笑み、「藤堂のおかげで風邪ひかずに済んだ」と上目遣いで礼を言った。
かわいい。萌え死にしそうだ。
ごまかすようにうーんと大きく伸びをすると、隆一の動きに合わせて瀬川がこてん、とひっくり返る。
布団からはみ出て行ってしまったのを引き寄せて戻し、「朝風呂、行きますか?」と尋ねてやると、嬉しそうにこっくりと頷いた。
朝一番からこの破壊力、ハンパねーな、と瀬川のかわいさにデレながら勢いをつけて体を起こすと、瀬川が隆一を見てクスクス笑い出す。
「……なに?」
「藤堂、ねぐせ」
結構ひどい、と指さされた先に触れると、ぴょこんとツノのように跳ねていた。
「あー、こんなもんですよ。風呂で治します。瀬川さんは、跳ねてませんね」
やわらかい髪に手を伸ばして触れると、瀬川がくすぐったそうに笑う。
「俺はどっちかっていうと、うねっちゃう感じ。お風呂の湿気で勝手に元に戻るよ」
風呂、ついてきてくれる約束だよな?とかわいいお誘いを受け、我ながら良い約束をしたものだとニヤリと口元を引き上げて「お供します」と答える。
早く早く、と待ちきれない様子の瀬川のために冷蔵庫から水分補給のためのペットボトルを一本取り出し、干してあったタオル2本と部屋の鍵を手に取って、大浴場へと向かうべく部屋を出た。
「朝から温泉なんて、こんな贅沢ないよな。昨日は観光もウノも満喫したし、部内旅行ってすごく楽しいな」
瀬川が嬉しそうに笑うのに「そうですね」笑顔を返しながら、いや、昨日あなたは色々あったでしょう、と心でツッコミを入れ、隆一はそっと部屋のドアを閉めた。
「……ねえ、あれ、どう思う?」
藤堂瀬川両名が、春のお花畑でチョウチョと戯れているかのような幸せモードで部屋を出た後。
事の成り行きを息をひそめて見守っていた鎌田が、むくりと布団から体を起こした。
少し前から、完全に目は覚めていた。
そう。藤堂が目を覚ましたあたりから。
「どうと言われましてもぉ。完全デキてますよね?あのお二人……」
鎌田と同じ布団に入っていた伊藤も、やれやれと体を起こす。
「そうよね。完全にイチャイチャバカップルだったわよね?お花とハートが飛び交っていたわよね?」
抱き合って寝てるのを目撃した時はどうしようかと思ったわよ!と鎌田が叫ぶのに応えるように、洋室側のベッドから山口ががばりと体を起こした。
「起きるに起きれなかった!なんだよ、あの甘ったるい空気!!!」
「ホント、甘すぎ。あの藤堂くんが、完全デレてたわよね?」
山口の向こう側のベッドでは、小沢が不機嫌な顔をして、うるさいなと言わんばかりに体を起こした。
「小沢、あんたさっき見た事、むやみに周りに言いふらすんじゃないわよ!」
鎌田が小沢に釘を刺すと、「言いふらすもなにも……別に言いふらされても困らないんじゃないですか?あの人たち」としれっと返す。
それは確かにそうかもぉ、と伊藤が笑った。
「あの二人あれで、お互い好きっていう自覚ないんだぜ。怖いよな」
山口がベッドの上で頭をガシガシとかきながら、大きなあくびをする。
「藤堂さんが、あれほど積極的なのに最後の最後で一線引いてる感じですよねぇ?」
絶対キスはしてないですよぅ!と伊藤がはしゃぐ。
「あんなに溺愛してるのに?もうとっとと既成事実作っちゃえばいいのよ!」
じれったいわね、ホントに!と鎌田がぼすぼす布団を叩く。
「主任が天然すぎて、かえって手を出しづらいんじゃないですかね」
小沢がぼそりとつぶやいた一言に、全員「なるほど!」と手を打つ。
「天然!それか!さすがの藤堂くんも手を出しかねてるって感じ?!」
「いや、あいつも相当だから、多分自覚してねーって。あいつの恋愛対象、今まで完全女だけだったし。あんだけ溺愛してるけど、まさか男なんてって心のどこかで思ってるね。絶対」
山口の的を射た発言に、やれやれ前途多難だね、と、全員ががっくりと肩を落とした。
「とりあえず俺、藤堂の援護しに風呂に行ってくる。あの人男風呂に入れるの、ホントにやべーんだわ……」
寝乱れた浴衣を、女性二人の目を気にするでもなく豪快に直しながら、山口が部屋を出て行こうとする。
「そんなに?そこまで言われるとすごく気になるんだけど」
鎌田が、「混浴はないのかしらね?ちょっと拝んでみたいわよね」と伊藤に同意を求めるが、「私は自分の裸を見られるのがいやですぅ」とあっさり却下される。
「鎌田と伊藤はまだゆっくりしとけ。おら小沢!!風呂に行くぞ!今度は瀬川さん見て鼻血吹くなよ!」
山口が首根っこを掴むと、小沢はしぶしぶ立ち上がって、朝風呂に向かう支度をし始めた。
「小沢、鼻血吹いたんだ……」
そりゃサイテーだわ、小沢、と鎌田が軽蔑の眼差しを向ける。
「……ほっといてください」
嫌そうに顔を顰めながらも、小沢は黙って山口の後について行った。
……へっくしっ。
逞しい裸体を晒しつつ、その体で瀬川をガードしながら露天風呂へ移動する隆一は、急に訪れた鼻のムズムズに大きなくしゃみを一つした。
「藤堂、風邪?ごめん、俺を抱え込んで寝たりしたから……」
背中、布団に入ってなかったもんな、としょぼくれる瀬川と、「そんなことないですよ。瀬川さん抱っこしてたから、あったかかったです」と強く否定する隆一に……
昨夜、一体何が起こったんだよ!!!
と、同じく朝風呂にやってきていた第一営業部の男連中が、二人の会話に聞き耳を立て、その意味深な内容に鎌田と伊藤以上の大騒ぎをしていたことなど、当の二人は知る由もなかった。
目を開いてはみたもののあたりは暗闇に近く、けれど近くのシルエットだけはうっすらと捉えることが出来た。
手を伸ばせはすぐに触れられそうなその場所に、小さな頭が見える。
鎌田か、伊藤か……?
うかつに触れるわけにもいかずにぼんやりと眺めていると、その頭が小さく揺れて、さらにくちゅん、とくしゃみをした。
次いで、ふるり、と体を震わせて丸くなるのがわかる。
ああ、寒いのか、と何かかけてやろうと手繰りよせようとするのだが、あいにく隆一の近くには布団の一枚すら存在しなかった。
暗闇の中で視線をさ迷わせ、後ろにこんもりとした山を見つける。
体ごと振り返る様に近づいてみれば、鎌田と伊藤がくっついて、仲良く一つの布団におさまっているのが見えた。
なるほど。自分が寝るはずだった場所は、この二人に奪われたらしい。
隆一は苦笑し、くしゃみをしたこれは誰だ?と顔を寄せて、それが瀬川だということに気付いた。
隆一も瀬川も、申し訳程度に敷布団の上に乗ってはいたが、しかし肝心の掛布団が見当たらない。
このままでは風邪を引くだろう、と、そっと瀬川の体の下に手を入れて引き寄せると、相当寒かったのか、瀬川はすんなり隆一の懐におさまった上に、体を擦り寄せてきた。
隆一の頬に当たる瀬川の髪が、ひんやりととても冷たい。
瀬川を抱き寄せながら、腕を伸ばしてあたりをさぐると、瀬川の体の向こう側で丸まって山になっている掛布団に手が触れた。
精一杯腕をのばしてそれを引き寄せると、瀬川にすっぽりとかぶせてやる。
ついでに自分の体にも、入る分だけ布団をかけた。
抱き合って眠ることになるが、仕方がない。
風邪を引くよりはマシだし、鎌田と伊藤もくっつきあって寝ているのだから、男の自分たちがくっついて寝ていてもなんの問題もないだろう、と、隆一は眠気の漂うままの頭で考える。
腕の中の瀬川が隆一の体温であたたまって、心地良い。
髪に鼻先をうずめるようにすると、綿菓子のような甘い匂いがした。
引き寄せた体は、女性のようにやわらかくはなくしっかりした感触なのに、どうしてか隆一は、小さな子供を抱えて眠っているような優しい気持ちになる。
こうやって誰かを腕の中に囲い込んで眠るなんて、一体どれぐらいぶりだろう。
大学時代は恋人がいなかったことなど一度もなかったが、社会に出て働くようになり、自分の時間を女性に費やすのが面倒になってしまった。
働くことが楽しかったし、「自分と仕事とどちらが大事なのか」と詰め寄って来る面倒な女など願い下げだと思ったのだ。
けれど、誰かをこうやって抱き締めてみれば、やはり悪くないと思う。
人肌は無条件で安心できるし、誰かをこの腕に閉じ込めているという満足感も得られる。
すぅすぅと規則的な寝息が首元をくすぐり、小さな体が深い呼吸で上下するのを見守っているうちに、隆一の瞼も再び重くなる。
腕の中のあたたかさは、隆一に確かな幸福感を与えていた。
もぞり。
抱え込んだ抱き枕が、自らの意志があるように動き出したのを不審に思いながら、逃がすまいとぎゅっと抱き締めると、「ぷはっ」という音と共に、抱き枕が軽く押し返してきた。
「……???」
ぼんやりと薄目を開けてみれば、目の前をひよひよと、なにやら随分やわらかそうな毛が漂っている。
なんだっけ、これ?と手で撫でつけるように押さえると、「あの……藤堂……」とためらいがちな声が聞こえた。
「……?」
「おはよ、藤堂」
薄闇の中、小さな声で挨拶をされて視線を巡らせると、隆一の腕の中、戸惑う様子でこちらを見上げている瀬川と目が合った。
「お……はようございます」
どうして瀬川さんが俺の腕の中に?と自らに問いかけ、深夜、寒そうに丸まっていた瀬川を引き寄せたのが自分だったことを、隆一は思い出した。
「今、何時?」
周りを起こさぬようにか、小さな声で問いかけてくる瀬川を片腕で抱き込んだまま、隆一は腕時計を覗き込む。
「6時……半かな。起きますか?」
眠気が覚めぬままに持ち上げた腕を重く感じ、どさりと瀬川の体の上に落とすと、再び抱き締めるような格好になった。
ふーっと大きく息を吐き、昨夜したように鼻先をやわらかい髪にもぐりこませると、瀬川の体がぴくりと揺れる。
「あの……藤堂、寝ぼけてる?」
どう対応したら良いのかわからないらしい瀬川は、戸惑いながら、隆一に囲い込まれるまま大人しく布団と腕の中にとどまっていた。
嫌なら押しのければいいのに、そんな風だと襲われても文句はいえないぞ、と、隆一はくすりと笑う。
「寝ぼけてませんよ。目、覚めました」
「あの……だって……。誰かと間違えてない?」
なるほど。瀬川は、隆一が恋人と間違えて自分を腕の中に抱え込んでいるのではないかと思っているようだ。
残念ながら、彼女はいない。
腕の中にいるのが男だということも、重々承知の上だ。
「間違えてませんよ。真夜中に寒くて縮こまってた瀬川さんを抱えたの、ちゃんと覚えてます」
「え……」と、驚く瀬川は、隆一の発言にきっと頬を真っ赤に染めているのだろう。薄闇で見えなくて残念だ。
「ご、ごめん。っていうか、ありがとう。すごく寒かったの、なんとなく覚えてる」
そういえば途中からあったかかった、と瀬川は微笑み、「藤堂のおかげで風邪ひかずに済んだ」と上目遣いで礼を言った。
かわいい。萌え死にしそうだ。
ごまかすようにうーんと大きく伸びをすると、隆一の動きに合わせて瀬川がこてん、とひっくり返る。
布団からはみ出て行ってしまったのを引き寄せて戻し、「朝風呂、行きますか?」と尋ねてやると、嬉しそうにこっくりと頷いた。
朝一番からこの破壊力、ハンパねーな、と瀬川のかわいさにデレながら勢いをつけて体を起こすと、瀬川が隆一を見てクスクス笑い出す。
「……なに?」
「藤堂、ねぐせ」
結構ひどい、と指さされた先に触れると、ぴょこんとツノのように跳ねていた。
「あー、こんなもんですよ。風呂で治します。瀬川さんは、跳ねてませんね」
やわらかい髪に手を伸ばして触れると、瀬川がくすぐったそうに笑う。
「俺はどっちかっていうと、うねっちゃう感じ。お風呂の湿気で勝手に元に戻るよ」
風呂、ついてきてくれる約束だよな?とかわいいお誘いを受け、我ながら良い約束をしたものだとニヤリと口元を引き上げて「お供します」と答える。
早く早く、と待ちきれない様子の瀬川のために冷蔵庫から水分補給のためのペットボトルを一本取り出し、干してあったタオル2本と部屋の鍵を手に取って、大浴場へと向かうべく部屋を出た。
「朝から温泉なんて、こんな贅沢ないよな。昨日は観光もウノも満喫したし、部内旅行ってすごく楽しいな」
瀬川が嬉しそうに笑うのに「そうですね」笑顔を返しながら、いや、昨日あなたは色々あったでしょう、と心でツッコミを入れ、隆一はそっと部屋のドアを閉めた。
「……ねえ、あれ、どう思う?」
藤堂瀬川両名が、春のお花畑でチョウチョと戯れているかのような幸せモードで部屋を出た後。
事の成り行きを息をひそめて見守っていた鎌田が、むくりと布団から体を起こした。
少し前から、完全に目は覚めていた。
そう。藤堂が目を覚ましたあたりから。
「どうと言われましてもぉ。完全デキてますよね?あのお二人……」
鎌田と同じ布団に入っていた伊藤も、やれやれと体を起こす。
「そうよね。完全にイチャイチャバカップルだったわよね?お花とハートが飛び交っていたわよね?」
抱き合って寝てるのを目撃した時はどうしようかと思ったわよ!と鎌田が叫ぶのに応えるように、洋室側のベッドから山口ががばりと体を起こした。
「起きるに起きれなかった!なんだよ、あの甘ったるい空気!!!」
「ホント、甘すぎ。あの藤堂くんが、完全デレてたわよね?」
山口の向こう側のベッドでは、小沢が不機嫌な顔をして、うるさいなと言わんばかりに体を起こした。
「小沢、あんたさっき見た事、むやみに周りに言いふらすんじゃないわよ!」
鎌田が小沢に釘を刺すと、「言いふらすもなにも……別に言いふらされても困らないんじゃないですか?あの人たち」としれっと返す。
それは確かにそうかもぉ、と伊藤が笑った。
「あの二人あれで、お互い好きっていう自覚ないんだぜ。怖いよな」
山口がベッドの上で頭をガシガシとかきながら、大きなあくびをする。
「藤堂さんが、あれほど積極的なのに最後の最後で一線引いてる感じですよねぇ?」
絶対キスはしてないですよぅ!と伊藤がはしゃぐ。
「あんなに溺愛してるのに?もうとっとと既成事実作っちゃえばいいのよ!」
じれったいわね、ホントに!と鎌田がぼすぼす布団を叩く。
「主任が天然すぎて、かえって手を出しづらいんじゃないですかね」
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「天然!それか!さすがの藤堂くんも手を出しかねてるって感じ?!」
「いや、あいつも相当だから、多分自覚してねーって。あいつの恋愛対象、今まで完全女だけだったし。あんだけ溺愛してるけど、まさか男なんてって心のどこかで思ってるね。絶対」
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「とりあえず俺、藤堂の援護しに風呂に行ってくる。あの人男風呂に入れるの、ホントにやべーんだわ……」
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鎌田が、「混浴はないのかしらね?ちょっと拝んでみたいわよね」と伊藤に同意を求めるが、「私は自分の裸を見られるのがいやですぅ」とあっさり却下される。
「鎌田と伊藤はまだゆっくりしとけ。おら小沢!!風呂に行くぞ!今度は瀬川さん見て鼻血吹くなよ!」
山口が首根っこを掴むと、小沢はしぶしぶ立ち上がって、朝風呂に向かう支度をし始めた。
「小沢、鼻血吹いたんだ……」
そりゃサイテーだわ、小沢、と鎌田が軽蔑の眼差しを向ける。
「……ほっといてください」
嫌そうに顔を顰めながらも、小沢は黙って山口の後について行った。
……へっくしっ。
逞しい裸体を晒しつつ、その体で瀬川をガードしながら露天風呂へ移動する隆一は、急に訪れた鼻のムズムズに大きなくしゃみを一つした。
「藤堂、風邪?ごめん、俺を抱え込んで寝たりしたから……」
背中、布団に入ってなかったもんな、としょぼくれる瀬川と、「そんなことないですよ。瀬川さん抱っこしてたから、あったかかったです」と強く否定する隆一に……
昨夜、一体何が起こったんだよ!!!
と、同じく朝風呂にやってきていた第一営業部の男連中が、二人の会話に聞き耳を立て、その意味深な内容に鎌田と伊藤以上の大騒ぎをしていたことなど、当の二人は知る由もなかった。
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