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POSITION・5 チッタ・デル・バチカーノ
チッタ・デル・バチカーノ 4
しおりを挟む「にーさんが危ない目に遭ったら……ぼくの体……使おうと……。だって……ぼくはもう死ぬから……。ぼくが死んで……にーさんまで死んだら……ママは生きていけないから……。だから、ママが生きていけるように、って……。こんな体でも……ぼくは……にーさんの役に立つ……。にーさんの側にいれば……ぼくは、にーさんの……役に立てる……。嬉し……な……役に立てて……」
幸せそうな笑み、だった。
「フィ……」
「そのために……生きてたんだ……」
二人の側で、車が、止まった。部下が回した車である。
「サルヴァトーレ様――」
「ああ。――帰ろう、フィン。急所は外れてる。まだ生きられる」
サルヴァトーレはフィンの体を腕に抱き、車の方へと踏み出した。
「怖いんだ……」
フィンが言った。
「もう喋るな――」
「死ぬのが怖い……。死にたくない……。だって……ぼくはまだ十八年しか生きて……ない……。やりたいことも……見たいものも……いっぱい……。あと二年……。二年でいいんだ……。あと二年……生きられれば……にーさんと北欧に……」
北欧に――。そんな約束さえ、彼には無意味なものだったのだ。薬が完全に抜け切るまでに、彼の命は消えてしまう。彼にとっては、それは辛い約束でしかなかっただろう。
それでも――。
それでも彼は、あんな風に幸せそうに泣いた、というのだろうか。その約束を信じて、嬉しそうに。
「ああ……。一緒に行こう。それまでは絶対、死なせはしない」
「今、殺して欲しい……」
「――フィン?」
「死ぬのを待って暮らす……のは怖い……。痛みも……もう耐えられない……。癌は……骨まで転移して……て……苦しくて……。薬がないと……その痛み……耐えられない……」
「――」
薬がないと……。骨を蝕む癌の痛みを抑えるには、ヘロインが必要だったのだ。
「痛いんだ……。狂いそ……になる……。苦しいんだ、にーさん……。とても……。も……殺してほしい……」
「フィン――」
「幸せだった……にーさんに逢えて……。ママは反対したけど……逢いに来て……良かった……」
透き通るような笑みが、満面に、灯った。
そんな笑みを見て、誰がこれ以上、彼を苦しめることが出来た、というのだろうか。誰が彼の苦しみをこれ以上長引かせたい、と思っただろうか……。
サルヴァトーレは、膝の上にフィンを降ろし、白い唇に、キス、を重ねた。
泣いていたのか、笑っていたのかは、判らない。
フィンは誰よりも幸せそうに――そして、誰よりも美しく、瞳を、閉じた。
短い銃声が駆け抜けたのは、その時だった。
フィンの体が刹那、強ばり、それは、サルヴァトーレの腕にも、伝わった。重ね合わせた唇にも――。
その刹那を過ぎると、フィンの体は、すぐに柔らかく解き放たれた。
白い首が、しなやかに、反る。
腕が、力なく、地に、垂れた。
フィンの唇の端から伝う血は、サルヴァトーレの唇をも、同じ色に染めて、いた。
フィンの表情には、苦しみも恐怖も、何一つ映っては、いなかった。ただ穏やかな死に顔だった。
金色の髪に、赤い血が、雫を、結んだ。
「フィン……」
安らかな最後の表情を見つめ、サルヴァトーレは、きつく唇を噛み締めた。
手の中の銃を、コトリ、と落とし、両手でフィンを抱き締める。
『サルヴァトーレっ。ひよこだよ。ひよこがいるっ!』
『ねェ、シニョーレ……。夜が来ないんだ……。見たことある……? シニョーレ……シニョーレ.サルヴァトーレ……』
やっと、夜が来た、のだ。
安らかに眠れる暗い夜が。
苦しまずに眠れる本当の夜が。
陽の沈む闇の夜が……。
サルヴァトーレの膝に抱かれるフィンの姿は、このサン・ピエトロ大寺院のピエタのようでもあっただろうか。
十字架から降ろされたキリストを膝に抱くマリア。
苦しみから解放されたフィンの姿は、そのピエタと重なった。――いや、逆だったかも知れない。彼の方がマリアだったのだろう。
その夜、サルヴァトーレは夢を見たのだ。優しい瞳でサルヴァトーレを膝に抱き、静かに見守るフィンの姿を……。いつも母の役割だったマリアが、フィンの姿に変わっている夢を。
それは、逢うことを許されなかった母に逢ってからも、同じだった。
「あの子はずったあなたに逢いたがっていたの、サルヴァトーレ……。自分の病気のことを知ってからは、特に……」
「……」
「『最後に、にーさんと一緒に暮らしてみたい』と……そう言って……利かなくて……。それが、こんなことになるなんて……」
彼はずっとサルヴァトーレを見つめ、聖母マリアのように、いつまでも優しく抱き締めていた……。
主よ、何処へ行きたまう?
再び十字架に架かるために、ローマへ……。
了
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